下町調査(後編)
鉄柵の中は、何もないただの路地の終着点だった。隅にはごみのようなものが散らばっている。
その路面中央に、あの丸い石板によく似たものがはめ込まれていた。
地下水路にあった石板は、数百年以上も水中にさらされていたとは思えないほどにきれいな白い色をしていた。だが下町にあるものは、ほぼ黒く汚れている。
六つの円形の溝がぐるりと囲んでいるのは同じだったが、中心の古代エルフ文字はない。
「汚いなぁ......」
嫌そうに言うレイを押しのけ、ティアは石板に近づいた。地下水路のものと同じく、ふちに二か所、丸いくぼみがある。
くぼみに指を入れて、力を込める。動きそうな気配はあるが、ティアの力で持ち上げるのは無理そうだった。
するとゲイリンが横から手を伸ばし、くぼみに指を入れて持ち上げる。
がこん、と音がして、丸い石板のような板はあっけなく開いた。そのまま横に引きずってどかす。
そこには石板と同じ大きさの縦穴が空いていた。穴は深く、中は真っ暗だ。のぞき込むと、かすかな水音と記憶にある匂いが鼻をついた。
「上層水路に通じているみたいだな」
ゲイリンものぞき込みながら、そう言う。
タラサはハンカチを口元に当てたまま縦穴に近づくと、左手をかざして「スフィール」とささやいた。ぱっと明るい光球がともり、そのままふわふわと縦穴を降りていく。
見たかぎり、特になにも見当たらない。
ただ地面を貫くように穴が開いていて、その奥には通路の床が見える。あとは上層水路の生活排水が流れる音が聞こえるだけだ。
縦穴には、おそらく人が降りる際の足場だと思われる手すりのようなものがある。
ティアはその手すりを使って、縦穴の中へと降りてみた。
中は、やはり見覚えのある上層水路だ。タラサの光球はかなり明るいので、遠くまではっきりと見える。すぐ近くに水路の交差路があり、壁には【5】と刻まれていた。
念のため周囲も調べてみたが、なにも見つからない。
ふたたび手すりをつかんで地上に戻って報告すると、タラサは小さくうなずいて、レイに向き直った。
「レイノスローム、お願いしますわ」
レイは相変わらず嫌そうな顔をしているが、こうなることはわかっていたようだ。
素直にしゃがみ込むと、右手の人差し指の先だけを石板にちょんと触れさせた。
「オザーブ」
レイがそう唱えると、瞬く間に目が金色に光りだした。地下水路で見たのと同じだ。
その時、ティアはレイの背後に落ちているものに気づいた。てっきりごみだと思っていたが、本のようだ。
近づいてみると、そのあたりだけ鉄柵の一部が外れている。小柄な子どもならとおれそうだ。
落ちている本は絵本だった。拾ってみると、塵や砂にまみれてずいぶんと汚れていた。表紙には【大きな樹】という文字と、大樹の絵が書かれている。
******
【大きな樹】
むかしむかしあるところに、海のそばにちいさな村がありました。
村人と魚たちはとても仲がよく、毎日海にもぐって楽しくくらしています。
そんなある日、深いふかい海のそこから、海の神さまがやってきました。
海の神さまはいいました。
「村人たちよ、この種をそだてなさい」
神さまにもらった種を村にうめると、あっというまに大きな樹となり、とてもおいしい実がたくさん育ちました。
村人はよろこび、みんなで実をわけあって食べました。
またある日、海の神さまがやってきました。
「村人たちよ、この種をそだてなさい」
あたらしい種も村にうめると、またあっというまに大きな樹となり、こんどは木の葉のあいだから大きな風がうまれました。
村人はよろこんで風にのり、海のうえを飛ぶのを楽しみました。
するとまたある日、海の神さまがやってきました。
「村人たちよ、この種をそだてなさい」
もちろん村人は種を植えますが、今度はなかなか芽がでません。
しんぼう強くまってみると、やっと育ちはじめ、また大きな樹となりました。
とてもおおきく育った木の葉のあいだからつぎつぎと雲がうまれ、空からおおつぶの雨がふりそそぎます。
村にたくさんの雨がふり、村人たちは、それはたいそうよろこび、神さまに感謝しました。
そして、それからも村人たちは、魚たちとも仲よくし、ずっとずっと幸せにくらしました。
******
ティアは最後の頁を指先でそっとなでた。
不思議な話だ。種をもらい、育て、恵みを享受する......子ども向けの教訓話なのだろうか? しかし、ココが喜びそうな話だとも思った。
「特にめぼしい情報はないなぁ。このへんで子どもが遊んでたみたいだけど。古い記録だと人が歩いてるばっかりで、たまに誰かが中へ降りてたみたいだけど、他にはなにもないよ」
レイの声に、ティアははっとして絵本を閉じた。
「そうですか......これといった導きはなさそうですね」
「あれ? ティア、それなに?」
ティアの手元を見ながら、レイが不思議そうに言う。
「絵本が落ちていたの。あなたの言うとおり、ここで子どもが遊んでいたみたいね。柵に穴があいていたから」
「えー、そんなきったないの、触んないほうがいいよ」
絵本の汚れを軽く払うと、ティアは元あった場所に置きなおした。たしかに汚れてはいるが、もしかしたらまだ持ち主がいるかもしれない。
「では、次の場所へまいりましょう」
タラサの言葉に、全員でふたたび路地へと戻った。ロイドに教えてもらった下町の石板はあとふたつある。
錆びた鉄柵を閉める音を聞きながら、ティアは絵本の内容を思い出していた......。
作物が実り、村人は喜んだ。風に乗って海を渡り、村人は喜んだ。そこまではわかる。
なぜ、村人は雨が降ったことをそんなに喜んだのだろうか?