地下水路の謎(後編)
「んー......」
考え込むレイの横から、ティアものぞき込んでみる。
石板の直径は、おそらくティアの片腕ほどの長さだろう。表面には円形の溝が全部で六個あり、それぞれわずかに重なるように石板をぐるりと囲んでいる。その中心に、古代エルフ語で《セレント・スティラントス・ルーロ・トラン》と刻まれていた。
ティアには、石板を見て真っ先に浮かんだ疑問があった。
「これを見て、なぜ蓋だと思ったの?」
少なくともティアには床に埋まった石板にしか見えない。取っ手もないし、蝶番のようなものも見当たらないからだ。
「セレストの市街地には、このような形状の地下へ降りるための出入り口があるんです。端のくぼみに指をかけて開きます。古いもので現在はあまり残っていませんが、下町のほうには少し残されています」
職員にそう言われて見てみると、なるほど、たしかに石板のふちに二箇所、丸いくぼみがある。そういえばロイドの話では、蓋は押しても引いても開かないということだった。
「約束を守れ。なれば光は共にある」
突然レイがそうつぶやいた。彼はティアの視線に気づくと、
「そう書いてあるんだよ。ここにさ」
そう言って、石板の古代エルフ文字を指さした。
「これを読めるの?」
「そりゃ読めるよ。俺たちの言語だもん」
「......ロストデールでは、いまも古代エルフ語を使っているの?」
「古代エルフ語? えー、こっちではそう呼んでんの? これはロストデール語だよ」
衝撃的な話だった。リスフェリアでは数千年前に使われなくなった古代語を、ロストデールでは今も公用語として使っているのか。
驚きを隠せないティアに、ゲイリンが背後から声をかける。
「リスフェリアが森との共存を守り抜いているのと同じく、ロストデールは古代人の残した財産を守り抜いている。それが古代言語であり、古代魔法だ。それぞれが守るものを選び、捨てるものを選んだ。リスフェリアは言語を捨て、ロストデールは森を捨てた」
静かにそう言うゲイリンの声が、ティアの頭の奥にじんじんと響いていた。
リスフェリアは森を守り、言語を捨てた。
ロストデールは財産を守り、森を捨てた......。
森を捨てるということがティアには到底理解できず、困惑した。リスフェリアにとって森はすべてだ。だが彼らにとっては、エルフ語を捨てたリスフェリアのことが同様に理解できないのだろうか......。
「そう......」
ティアはちらりとゲイリンを見た。彼はじっと石板を見て考え込んでいる。
ゲイリンはリスフェリア出身ということだったが、なぜ、いまはロストデールにいるのだろうか?
「レイノスローム。お願いしますわ」
静かだったタラサがそう声をかける。
するとレイはその場にしゃがみこんで石板に右手を触れた。
何かささやいたあとはしばらくそのまま、じっと動かない。何をしているのだろうか?
「............」
彼の顔を横からのぞき込んでみて、ティアは驚いた――目が金色に輝いている!
「うーん......」
レイはうなり声をあげると、石板からぱっと手を離した。
とたんに、目の金色はしずかに色を落としていく。
「だめだ! 古すぎるよ......なんか男たちがガチャガチャやってんのは視えたけど、それはこの遺物が見つかった時のじゃん。そのあとはずーっと水だよ。水ばっか。こんなの視てたら頭おかしくなる!」
「そうですか......」
タラサは静かにそう言うと、考え込むように視線を落とした。
いったい今のは何だったのか。ティアがレイをまじまじと見ていると、彼はにやりと笑ってみせた。
「気になる? 聞きたい?」
そう言って、ティアに向かって右手を伸ばす。その手がティアの肩に触れようとした瞬間――。
「レイノスローム!」
タラサの鋭い声に、ティアはびくりと体をふるわせた。
振り返ってさらに驚いた......タラサの顔から笑みが消えている。
「それは決して許されません。スティラに刻まれた者へ、わたくしたちは、何時も礼を尽くさなければならないのです」
「......冗談だよ」
タラサの剣幕に、レイはそう言って肩をすくめてみせた。
「リスフェリアの幼子よ。レイノスロームは、わたくしたちの中でも特殊な古代術をその内に秘めています。触れた先の記録を幻視することができるのです――ゆえに、今回の調査の一音に選ばれました。ですが、ご安心ください。許可なく友人を視ることは、礼を失した闇のしるし。それは星の掟でかたく禁じられています」
タラサの説明を聞いて、ティアはじっとレイを見つめた。
記録を幻視する......つまり、彼は今、ティアの記憶をのぞき見しようとしたということか?
ティアがレイから離れるように一歩後ずさると、レイは「冗談だって!」と言いはった。念のため、もう一歩さがっておく。
ゲイリンはひとりずっと石板を見つめていたが、ふとティアに向かって視線を投げた。
「この地下水路に関する成り立ちの記録が町にあるだろう。その記録ではどうなっているんだ?」
そんなことをティアに聞かれても困るのだが、そこまで考えてはっと思い出した。
そうだ、自分は通訳だった。いま同行している港湾ギルド職員は、タラサの宣託を受けていないので、彼らとは会話ができないのだ。
職員を見ると、彼女は困ったように眉尻を下げた。
「いえ、それがひとつも残っていなくて......」
「残っていない? どうして?」
これだけ大規模な水利施設で、建造にかかわる記録がないことなどあり得るのだろうか。
「火の七日間で当時セレストも甚大な被害を受けたので、さまざまな記録が焼失してしまったらしいんです......」
――火の七日間。そういうことか。
ゲイリンを見ると、彼は腑に落ちたような顔をしていた。わかっているようだ。
しかし、レイとタラサの視線はティアに注がれている。
「昔、アストリア大陸では大規模な戦争があったの。その中でも、特にこの大陸西部に深刻な被害をもたらした七日間の争いがあって、それが火の七日間と呼ばれているわ。その戦争で町は被害を受け、記録はなくなったそうよ」
ティアの言葉に、即座にタラサが反論した。
「それは、ありえませんわ。過去の導きとは、ほかの何より尊ばれるもの。たとえ新たな星の輝きが消えようとも、過去の星の導きを失うことなど、あってはならないのです」
「......でも、実際にセレストでは失われてしまったのよ」
「信じられません。賢人は、必ずどこかに導きを散りばめていることでしょう」
タラサはかたくなに認めようとしない。
困って職員を見ると、彼女もティア以上に困り果てていた。
「......ロイドさんに相談してみます......」
そうとしか言えないだろう。
ロイドの疲れ果てた顔が浮かんでくる。彼にあれ以上疲労が増えないといいが......。
タラサは満足そうに微笑むと、あらためて石板に向き直り、思案するようにじっと見つめていた。