ホーム›Replica ― Amphitheatrum Ideale ―›絶対零度の尋問、凍てつく信頼と生存の証明
← 次の話目次前の話 →
挿絵AIで作った挿絵

絶対零度の尋問、凍てつく信頼と生存の証明

 2036年6月6日 午後2時24分

 青白いLEDが冷たく照りつける特務課の執務室。午後二時を回った時計の針の音が静寂の部屋に乾いたリズムを刻み、地下の冷たさとの対比がいっそう緊張感を煽り立てている。

「悠長なのは好きじゃない。が、まずは前提の確認からだ。お・前・は・誰・だ・」
「え......? 天乃あまの慎しん、だと思いますけど」

 天乃あまのは突然そんなことを問い掛ける雹霞ひょうかの意図を図りかねていた。

「そうか。まぁ、だろうとは思う。私もお前が天乃あまの慎しんであるということはなんとなく、そう思う。だが、確証はない。私の知っている天乃あまのとお前は、そう。いうなればズレている。同じ形をしているが、決定的にズレている......らしい」
「はぁ」

 天乃あまのにはよくわからない話である。

「らしい、というのは、私自身はそのズレを認識できていないからだな。ただ、百目鬼どうめきさん曰く、そういうことらしい。ただ、その原因が記憶の欠損から来るものだと云われれば反論はできないそうだがね。あの人、感覚的なことばっかいうんだよ」
「百目鬼どうめきさんというのは、百目鬼どうめき亜澄あすみさんですか? オレは彼女と会った覚えがないのですが」
「そうか、お前には正体を明かしていないのか。百目鬼どうめきさんは一度、お前と直接面会している」

 そこで、雹霞ひょうかはいったん言葉を区切る。

「......お前が消えたと啓吾けいごから報告があったあと、時間があったのでね。お前の主治医から話を聞いたよ。お前について、何か変わったところがなかったか、とね。そうすると、医者は守秘義務に抵触しない範囲で、という前置きを置いて、感想だけを云ってくれたよ。異・常・だ・っ・た・と」
「オレが異常?」
「どう異常だったのかも訊いてみた。あまり突っ込んだ話はしてくれなかったが、要は順応性が高すぎる、環境への適応能力が凡人のそれではない、という話だった。お前、魔術に関する知識も常識レベルで改変されていたそうだな」
「......えぇ」
「つまり、どうだろう。お前にしてみれば、まさに異世界にでも放り込まれたようなものだったんじゃないか? 記憶喪失のおまけつきでな。それにかかわらず、お前は非常に落ち着いており、取り乱した様子もなく、魔術のこともあっさり受け入れ、理解し、疑問を覚えてはすぐに質問し、その質問も的確だったと聞いている。確かに、お前の人格は記憶の欠落により大きく変容を遂げたのだろう。実際驚いている。本来はこんな好青年が、どんな経験をすればあそこまで捻くれた性格になるのだろうかと、大いなる疑問だよ。だが、人間というのは生まれついての衝動の方向性、渇望の根源というか、これを『起源』などというらしいが、これについてはよほどのことがない限り、変容を受けないらしい。少なくとも、記憶喪失程度で変容を遂げるものではないそうだ」
「つまり、記憶喪失前後で変容しないものだから、オレが天乃あまの慎しんであることを証明できるものということですか?」

 雹霞ひょうかが一瞬考えるような仕草をする。

「......なるほど、順応性が高い、ね。いや、まぁ、そうではあるんだが、私はお前の『起源』など知らん。故に、お前を測る物差しにはなり得ん」
「では、なぜ、『起源』の話を?」
「いや、お前の主治医の話では、この『起源』こそが、お前の順応性の正体ではないかという話だった。すなわち、未・知・へ・の・探・求・心・、現・環・境・へ・の・順・応・、それこそがお前の『起源』ではないかというのだ。先程の話にもあったな、お前は風華ふうかの《王宮勅令》の効果を受けやすい体質だと。それが、《王宮勅令》に行動を制限されている中でお前がその環境に順・応・できた結果だとしたら? 辻褄はあうのではないか?」

(確かに、オレは一度登ったからという理由だけで、何の援助もなく十階建てのマンションからベランダを伝って降りたりしたな。あれも順応の結果か?)

「......そうかもしれないですね」
「まぁ、私にとってはそんなことはどうでもよいがな。これで、前提の確認は終わりだ。お前は天乃あまの慎しんだ、その前提でいくぞ。それでは、本題に入る。現在、お前には一つの容疑がかけられている。その罪状は、時計塔への不法侵入だ」
「時計塔?」

 天乃あまのには聞き覚えのない施設だった。

「この街の中央にある施設のことだ。世界の孔あなを門戸ゲートで閉じたうえ、その周囲を塔で囲っている。その塔には大きな時計がついていることから、時計塔と呼ばれているのだよ」

 天乃あまのは、病院で聞かされた事前知識の一つを思い出す。
 ――曰く、浅木にも世界の孔あなが存在し、《門戸作成》という魔術により封じていること。

「なるほど、時計塔は初耳ですが、浅木に孔あなが開いていること、それを封じていることは聞いています。その施設にオレが立ち入ったと? 覚えがないのですが」
「立ち入ったのは、正確には、記憶を失う直前のお前だ。先ほど容疑といったが、不法侵入に関してはほぼ確証があるらしい。お前と、中年の男の二人が堂々と時計塔に入っていく姿が映像で残っているらしいからな。さて、これに関する処罰をどうするかというのが、本題だ」
「ちなみに、聞くだに重要な施設っぽいんですが、警備はどうなってるんですか?」
「万全だ。何せ、時計塔には入り口がない。そもそも入る意味もないしな。故に、転移魔術以外での侵入など不可能、というのが最近までの常識だった。まぁ、お前らが見事にそれを破壊してしまったがな。そう、文字どおりの破・壊・だ。正確には破壊したのは中年の男の方らしいが、時計塔の側面には大穴が開けられていたらしいよ。
 そもそも、時計塔自体が門戸ゲートを守る強大な概念的な魔装具だ。これを作成したのは魔術を神秘と崇めていた古式魔術師どもだが、その腕は一流だった。これに穴を開けたり中に侵入するなどという行為はまずもって、現在の魔術のレベルでは不可能とされていたのだ。なにせ、現在において一点突破においては最強の攻撃力を誇るとされる《流星ミーティア》でも全く歯が立たなかったという話だからな。時計塔内部も侵入者撃退用の罠だらけだと聞くし、まったく、どうやって内部を進んだのやら」
「あの、いいですか」
「あぁ、なんだ?」
「なんか、さっきから伝聞ばかりなのはどうしてですか?」
「時計塔の秘密を知っていいのは限られている。要は、時計塔を傷つけた方法や内部の詳細については、理事クラスでないと知ってはいけないからだよ。それもあって、お前の不法侵入の件は公にはなってない。時計塔に開いた穴については、時計塔の機能により自動修復された」
「なるほど。それで、オレの処分はどうなるんですか?」
「本来なら、退学処分――プラス本土での法の処罰というところなのだろうが、お前は、どうなのだろうな。まず、実行犯ではない点、未成年である点、記憶喪失となっている点、そして、真にお前の意志であったのかという点で評価が分かれ得るだろうな」
「真にオレの意志だったか? そうか、守護霊ガーディアンシステム。それが機能していなかった以上、オレがその中年の男に操られていた可能性を否定できないってことですね」

 雹霞ひょうかの表情は一瞬驚きを含むものとなったが、すぐに真顔に戻る。

「............そうだ。わかったか。お前は今、薄氷の上に立っているが、辛うじて助かっている。そして、今回のアーサー・リードの件がこの事件とどう絡んでいるか。それ次第では寛大な処置もあり得る。お前が口封じされかけているのであれば、浅木として、お前を――というよりお前の封じられた記憶を守る価値が生まれるからだ」
「アーサー・リードで思い出しましたけど、奴は今どこに?」
「不明だ。《結界》から出てきた様子がない。いや、それどころか、《結界》があった形跡がないというべきか。消えてしまった。街中のカメラのどこにも映っていない。まぁ、今はこの件は置いておこう問・題・は・お・前・の・処・遇・だ・」
「えっと、アーサー・リードの件次第では処罰が変わり得るんですよね? だったら――」
「あぁ、そうか、すまない。さっきのは余計な情報だった。私もまだまだだな。他人との会話はやはり難しい。つまりだな、私の前に拘束されずに立っているという時点で、現時点におけるお前の処分は決まっているのだよ」
「えっと、どういうことでしょう?」
「無罪放免。というより、事件そのものがなかったことになる予定だ。時計塔には侵入者なんていなかった、ということになる。もともと時計塔の件は知っている者が少ないからな、こんなことすらできてしまう。今回、天乃あまのを直接呼び立てたのは、そういう現状にあることを知っておいてもらいたかったということと、アリバイ作りだな」
「アリバイ? つまり、事件そのものがなくならなかった場合、こうやって呼び出しを受け、出頭して、取調べを受けたということにしておきたかったということでしょうか?」
「そういうことだ。それと、一応忠告を含むものだ。今のお前には身に覚えがなくとも、お前は一度ルールを破っている。これが後々問題となることないように品行方正な言動を心掛けるように」
「はぁ, わかりました」
「これにて本題は終わりだ。何か疑問点は?」
「その、事件そのものがなくなる予定というのは、百目鬼どうめきさんが他の理事を説得するということでしょうか」
「そうだ、他の理事も同調する可能性が高いらしい。その理由までは教えてくれなかったがな」
「そうですか。わかりました」
「そうか。では、ここまでが本題だ。後は、個・人・的・な・用・件・が・一・件・あ・る・だ・け・だな。私としては、これがメインだが」

 そういうと、雹霞ひょうかは椅子から立ち上がり、天乃あまのに近づいてくる。

「どうしました、雹霞ひょうかさん。オレにはそんな殺気を向けられる覚えはないんですがね?」

 閉ざされた特務課の執務室の中央。一歩ずつ歩み寄る冷酷な気配と同時に、天乃あまのの魔眼は雹霞ひょうかの薄紫色の魔力の流れを的確に捉えていた。それは蛇がとぐろを巻くように部屋をあっという間に循環する。途端に呼吸することが困難となるほどの冷気が天乃あまのを襲う。視界が凍り付く。空気すらも凍っているかのような錯覚を受ける。天乃あまのは、魔力が部屋を循環し始めたころ、とっさの判断で入り口に駆け出していたが、ドアに辿り着くことはできなかった。その前に靴が床に凍り付いてしまったからである。

【挿絵】

「絶対零度――《氷獄の麗人》。まぁ、私の魔術はそう呼ばれている。閉鎖空間ではこの通り、視界が一瞬で凍り付くほどの威力を持つ。ドアノブに触れようとするなよ? 凍傷で指が落ちても知らんぞ?」

 雹霞ひょうかは先程と変わらない様子で天乃あまのに語り掛ける。

「さて、質問だ、天乃あまの。お前、何・を・考・え・て・い・る・?」
「し、質、問が、漠然、とし、すぎてて......」

 天乃あまのは凍えて震える体を引き摺り、丸まるようにしてガチガチと音を鳴らす歯を食いしばりながら必死で言葉を紡ぎだす。

「急に察しが悪くなるのは止めろよ、まったく。お前が他人の思いどおりに動くものか。時計塔への侵入は間・違・い・な・く・お・前・の・意・志・だ・。記憶喪失だと? そんな都合のいい云い訳が通ると思うなよ。挙句にアーサー・リードの登場だ。さすがの私でも偶然で片づけるのは無理があると思うぞ。それで、訊いている。どこまでがお前の描いたシナリオだ?」

 雹霞ひょうかはあくまで淡々と問い掛ける。時間が経てば経つほど天乃あまのへのダメージは蓄積していく。いうまでもなく、低すぎる外気温は凍傷や低体温症の原因となる。室内故に風が吹いていないのが唯一の救いだが、これはもはや尋問の域ではなく、れっきとした拷問となっている。

「質問、の、意味、が、わ、かりま、せん」
「そうか、記憶喪失というのが本当だとすればそうだろうな。しかし、お前がそんな迂闊なことをするとは思えん。果たして、死の淵に立っても惚けていられるものなのかな? 興味があると思わんか? ん?」

(駄・目・だ・こ・の・人・。根本的に勘違いしてやがる。いや、天乃あまの慎しんを信・頼・し・す・ぎ・て・い・る・。天乃あまの慎しんが失敗するとは思っていない。失敗の結果が今のオレだろうに。このままでは殺される。――まだか)

「雹霞ひょうか、さん。冗談、じゃ、済みませ、んよ」
「そうだな、私だってここまでやった以上、冗談で済ます気はない」

 雹霞ひょうかの視線はそれこそ凍てついている。天乃あまのは丸めた体をさらに丸め、必死で摩擦熱を起こそうと肌を擦る。

(だめだ、このままでは本当に殺される。思考が鈍ってきた。意識も朦朧として来ている。......もうだめだ)

「............」
「本当に何もないのか。驚いた、もう意識がないとは。このままでは本当に死ぬぞ?」

 雹霞ひょうかはこの状況に至っても魔術を解除しようとはしない。あの天乃あまの慎しんが何もしていないとは露ほども考えていないからだ。そして、そ・れ・は・間・違・っ・て・い・な・い・。
 静まり返った凍てつく執務室のなかに突如として電子音が響き渡る。

『天乃あまの? どうしたの? 話し合いは終わった?』

 そして、雹霞ひょうかは確かに義妹の声を聞いた。

「なるほど、そういうことか。この手は二度目だな」

 天乃あまのが体を丸めて抱えるようにして温めていたのは、スピーカーモードに設定された携帯端末だった。

『天乃あまの? “我,汝に発声だまってないでを命じるなんかゆえ”』

 その瞬間、凍り付いて微動だにしなかった天乃あまのの意識が回復し、体の震えが生じ始める。

「――た、助かった。ついでに、雹霞ひょうかさんを説得してくれるとありがたい」
『は?』
「ほぉ、大したものだ。もうこの環境くうかんに順応したのか?」
「姑息療法ですがね。実際、これでは動けそうにない。ただ、水無月みなづきの声が聞こえればだいたい何とかなりますよ」
『なになに? どうなってんの? とりあえず、そっち向かったらいいの?』

 水無月みなづきは天乃あまのの窮地を救ったことなど気付かないまま呑気な調子である。とはいえ、義姉が天乃あまのを殺しかけているとは露ほども思っていないのだから、当然なのだが。

「いや、そうだな。啓吾けいごを呼んでこちらに来てくれ」

 雹霞ひょうかは《氷獄の麗人》を一瞬で解除すると、部屋の中央の椅子に腰かけた。

『雹霞ひょうか姉ぇ? わかった。』

 そのまま水無月みなづきとの通話が途切れる。

「二十点、といったところか。私が本気で殺そうと思えばお前は死んでいたぞ?」

 雹霞ひょうかは椅子の上で足を組み替えると、何事もなかったかのように天乃あまのに告げる。

「冗談きついですよ。あなたが本気だったらそもそも十秒生きていられるか怪しい。まったく全力って感じじゃなかったですよ?」

 天乃あまのは、いまだに震える体を抱きしめるようにしながら返答した。これは天乃あまのの憶測だが、あながち外れているとも云い難い。天乃あまのの魔眼には雹霞ひょうかの魔力の流れが見えていたが、雹霞ひょうかの体外に排出された魔力は全体のわずか数パーセントといったところだったのだ。

「知ったふうな口を利くな。お前にはまだ本気は見せていないはずだが?」
「それくらいは文字どおり、肌でわかるということですよ」
「ふん、まぁ、私の目的は半分は達成できたかな。この程度で死ぬようならむしろ殺してやった方が幸せだろう? 生き残ったということは、まぁ、この程度では簡単には死ねないということだ。よかったな」

 いや、さっきの多分普通に死人が量産されます、という言葉を辛うじて飲み込んだ天乃あまのは、体の震えが収まっていくのを感じた。やはり、水無月みなづきの《王宮勅令》を受けた後の天乃あまのの体には何らかの変化が生じているのだろう。

「――しかし、そうなると記憶喪失の方は本当なのか。意外だな」
「あのぉ、仮にオレが死んだらどうしてました?」
「いや、死ぬとは思っていなかった。死んだら慌てただろう」
「......――――はぁ、勘弁してくれ」
シェア
前の話 →
警備隊特務課、社会不適合者たちの魔窟
← 次の話
不機嫌な暴君とマンションに潜む刺客
Replica ― Amphitheatrum Ideale ―作者:根岸重玄
目次を見る
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム›Replica ― Amphitheatrum Ideale ―›絶対零度の尋問、凍てつく信頼と生存の証明
← 前の話目次次の話 →
挿絵AIで作った挿絵

絶対零度の尋問、凍てつく信頼と生存の証明

 2036年6月6日 午後2時24分

 青白いLEDが冷たく照りつける特務課の執務室。午後二時を回った時計の針の音が静寂の部屋に乾いたリズムを刻み、地下の冷たさとの対比がいっそう緊張感を煽り立てている。

「悠長なのは好きじゃない。が、まずは前提の確認からだ。お・前・は・誰・だ・」
「え......? 天乃あまの慎しん、だと思いますけど」

 天乃あまのは突然そんなことを問い掛ける雹霞ひょうかの意図を図りかねていた。

「そうか。まぁ、だろうとは思う。私もお前が天乃あまの慎しんであるということはなんとなく、そう思う。だが、確証はない。私の知っている天乃あまのとお前は、そう。いうなればズレている。同じ形をしているが、決定的にズレている......らしい」
「はぁ」

 天乃あまのにはよくわからない話である。

「らしい、というのは、私自身はそのズレを認識できていないからだな。ただ、百目鬼どうめきさん曰く、そういうことらしい。ただ、その原因が記憶の欠損から来るものだと云われれば反論はできないそうだがね。あの人、感覚的なことばっかいうんだよ」
「百目鬼どうめきさんというのは、百目鬼どうめき亜澄あすみさんですか? オレは彼女と会った覚えがないのですが」
「そうか、お前には正体を明かしていないのか。百目鬼どうめきさんは一度、お前と直接面会している」

 そこで、雹霞ひょうかはいったん言葉を区切る。

「......お前が消えたと啓吾けいごから報告があったあと、時間があったのでね。お前の主治医から話を聞いたよ。お前について、何か変わったところがなかったか、とね。そうすると、医者は守秘義務に抵触しない範囲で、という前置きを置いて、感想だけを云ってくれたよ。異・常・だ・っ・た・と」
「オレが異常?」
「どう異常だったのかも訊いてみた。あまり突っ込んだ話はしてくれなかったが、要は順応性が高すぎる、環境への適応能力が凡人のそれではない、という話だった。お前、魔術に関する知識も常識レベルで改変されていたそうだな」
「......えぇ」
「つまり、どうだろう。お前にしてみれば、まさに異世界にでも放り込まれたようなものだったんじゃないか? 記憶喪失のおまけつきでな。それにかかわらず、お前は非常に落ち着いており、取り乱した様子もなく、魔術のこともあっさり受け入れ、理解し、疑問を覚えてはすぐに質問し、その質問も的確だったと聞いている。確かに、お前の人格は記憶の欠落により大きく変容を遂げたのだろう。実際驚いている。本来はこんな好青年が、どんな経験をすればあそこまで捻くれた性格になるのだろうかと、大いなる疑問だよ。だが、人間というのは生まれついての衝動の方向性、渇望の根源というか、これを『起源』などというらしいが、これについてはよほどのことがない限り、変容を受けないらしい。少なくとも、記憶喪失程度で変容を遂げるものではないそうだ」
「つまり、記憶喪失前後で変容しないものだから、オレが天乃あまの慎しんであることを証明できるものということですか?」

 雹霞ひょうかが一瞬考えるような仕草をする。

「......なるほど、順応性が高い、ね。いや、まぁ、そうではあるんだが、私はお前の『起源』など知らん。故に、お前を測る物差しにはなり得ん」
「では、なぜ、『起源』の話を?」
「いや、お前の主治医の話では、この『起源』こそが、お前の順応性の正体ではないかという話だった。すなわち、未・知・へ・の・探・求・心・、現・環・境・へ・の・順・応・、それこそがお前の『起源』ではないかというのだ。先程の話にもあったな、お前は風華ふうかの《王宮勅令》の効果を受けやすい体質だと。それが、《王宮勅令》に行動を制限されている中でお前がその環境に順・応・できた結果だとしたら? 辻褄はあうのではないか?」

(確かに、オレは一度登ったからという理由だけで、何の援助もなく十階建てのマンションからベランダを伝って降りたりしたな。あれも順応の結果か?)

「......そうかもしれないですね」
「まぁ、私にとってはそんなことはどうでもよいがな。これで、前提の確認は終わりだ。お前は天乃あまの慎しんだ、その前提でいくぞ。それでは、本題に入る。現在、お前には一つの容疑がかけられている。その罪状は、時計塔への不法侵入だ」
「時計塔?」

 天乃あまのには聞き覚えのない施設だった。

「この街の中央にある施設のことだ。世界の孔あなを門戸ゲートで閉じたうえ、その周囲を塔で囲っている。その塔には大きな時計がついていることから、時計塔と呼ばれているのだよ」

 天乃あまのは、病院で聞かされた事前知識の一つを思い出す。
 ――曰く、浅木にも世界の孔あなが存在し、《門戸作成》という魔術により封じていること。

「なるほど、時計塔は初耳ですが、浅木に孔あなが開いていること、それを封じていることは聞いています。その施設にオレが立ち入ったと? 覚えがないのですが」
「立ち入ったのは、正確には、記憶を失う直前のお前だ。先ほど容疑といったが、不法侵入に関してはほぼ確証があるらしい。お前と、中年の男の二人が堂々と時計塔に入っていく姿が映像で残っているらしいからな。さて、これに関する処罰をどうするかというのが、本題だ」
「ちなみに、聞くだに重要な施設っぽいんですが、警備はどうなってるんですか?」
「万全だ。何せ、時計塔には入り口がない。そもそも入る意味もないしな。故に、転移魔術以外での侵入など不可能、というのが最近までの常識だった。まぁ、お前らが見事にそれを破壊してしまったがな。そう、文字どおりの破・壊・だ。正確には破壊したのは中年の男の方らしいが、時計塔の側面には大穴が開けられていたらしいよ。
 そもそも、時計塔自体が門戸ゲートを守る強大な概念的な魔装具だ。これを作成したのは魔術を神秘と崇めていた古式魔術師どもだが、その腕は一流だった。これに穴を開けたり中に侵入するなどという行為はまずもって、現在の魔術のレベルでは不可能とされていたのだ。なにせ、現在において一点突破においては最強の攻撃力を誇るとされる《流星ミーティア》でも全く歯が立たなかったという話だからな。時計塔内部も侵入者撃退用の罠だらけだと聞くし、まったく、どうやって内部を進んだのやら」
「あの、いいですか」
「あぁ、なんだ?」
「なんか、さっきから伝聞ばかりなのはどうしてですか?」
「時計塔の秘密を知っていいのは限られている。要は、時計塔を傷つけた方法や内部の詳細については、理事クラスでないと知ってはいけないからだよ。それもあって、お前の不法侵入の件は公にはなってない。時計塔に開いた穴については、時計塔の機能により自動修復された」
「なるほど。それで、オレの処分はどうなるんですか?」
「本来なら、退学処分――プラス本土での法の処罰というところなのだろうが、お前は、どうなのだろうな。まず、実行犯ではない点、未成年である点、記憶喪失となっている点、そして、真にお前の意志であったのかという点で評価が分かれ得るだろうな」
「真にオレの意志だったか? そうか、守護霊ガーディアンシステム。それが機能していなかった以上、オレがその中年の男に操られていた可能性を否定できないってことですね」

 雹霞ひょうかの表情は一瞬驚きを含むものとなったが、すぐに真顔に戻る。

「............そうだ。わかったか。お前は今、薄氷の上に立っているが、辛うじて助かっている。そして、今回のアーサー・リードの件がこの事件とどう絡んでいるか。それ次第では寛大な処置もあり得る。お前が口封じされかけているのであれば、浅木として、お前を――というよりお前の封じられた記憶を守る価値が生まれるからだ」
「アーサー・リードで思い出しましたけど、奴は今どこに?」
「不明だ。《結界》から出てきた様子がない。いや、それどころか、《結界》があった形跡がないというべきか。消えてしまった。街中のカメラのどこにも映っていない。まぁ、今はこの件は置いておこう問・題・は・お・前・の・処・遇・だ・」
「えっと、アーサー・リードの件次第では処罰が変わり得るんですよね? だったら――」
「あぁ、そうか、すまない。さっきのは余計な情報だった。私もまだまだだな。他人との会話はやはり難しい。つまりだな、私の前に拘束されずに立っているという時点で、現時点におけるお前の処分は決まっているのだよ」
「えっと、どういうことでしょう?」
「無罪放免。というより、事件そのものがなかったことになる予定だ。時計塔には侵入者なんていなかった、ということになる。もともと時計塔の件は知っている者が少ないからな、こんなことすらできてしまう。今回、天乃あまのを直接呼び立てたのは、そういう現状にあることを知っておいてもらいたかったということと、アリバイ作りだな」
「アリバイ? つまり、事件そのものがなくならなかった場合、こうやって呼び出しを受け、出頭して、取調べを受けたということにしておきたかったということでしょうか?」
「そういうことだ。それと、一応忠告を含むものだ。今のお前には身に覚えがなくとも、お前は一度ルールを破っている。これが後々問題となることないように品行方正な言動を心掛けるように」
「はぁ, わかりました」
「これにて本題は終わりだ。何か疑問点は?」
「その、事件そのものがなくなる予定というのは、百目鬼どうめきさんが他の理事を説得するということでしょうか」
「そうだ、他の理事も同調する可能性が高いらしい。その理由までは教えてくれなかったがな」
「そうですか。わかりました」
「そうか。では、ここまでが本題だ。後は、個・人・的・な・用・件・が・一・件・あ・る・だ・け・だな。私としては、これがメインだが」

 そういうと、雹霞ひょうかは椅子から立ち上がり、天乃あまのに近づいてくる。

「どうしました、雹霞ひょうかさん。オレにはそんな殺気を向けられる覚えはないんですがね?」

 閉ざされた特務課の執務室の中央。一歩ずつ歩み寄る冷酷な気配と同時に、天乃あまのの魔眼は雹霞ひょうかの薄紫色の魔力の流れを的確に捉えていた。それは蛇がとぐろを巻くように部屋をあっという間に循環する。途端に呼吸することが困難となるほどの冷気が天乃あまのを襲う。視界が凍り付く。空気すらも凍っているかのような錯覚を受ける。天乃あまのは、魔力が部屋を循環し始めたころ、とっさの判断で入り口に駆け出していたが、ドアに辿り着くことはできなかった。その前に靴が床に凍り付いてしまったからである。

【挿絵】

「絶対零度――《氷獄の麗人》。まぁ、私の魔術はそう呼ばれている。閉鎖空間ではこの通り、視界が一瞬で凍り付くほどの威力を持つ。ドアノブに触れようとするなよ? 凍傷で指が落ちても知らんぞ?」

 雹霞ひょうかは先程と変わらない様子で天乃あまのに語り掛ける。

「さて、質問だ、天乃あまの。お前、何・を・考・え・て・い・る・?」
「し、質、問が、漠然、とし、すぎてて......」

 天乃あまのは凍えて震える体を引き摺り、丸まるようにしてガチガチと音を鳴らす歯を食いしばりながら必死で言葉を紡ぎだす。

「急に察しが悪くなるのは止めろよ、まったく。お前が他人の思いどおりに動くものか。時計塔への侵入は間・違・い・な・く・お・前・の・意・志・だ・。記憶喪失だと? そんな都合のいい云い訳が通ると思うなよ。挙句にアーサー・リードの登場だ。さすがの私でも偶然で片づけるのは無理があると思うぞ。それで、訊いている。どこまでがお前の描いたシナリオだ?」

 雹霞ひょうかはあくまで淡々と問い掛ける。時間が経てば経つほど天乃あまのへのダメージは蓄積していく。いうまでもなく、低すぎる外気温は凍傷や低体温症の原因となる。室内故に風が吹いていないのが唯一の救いだが、これはもはや尋問の域ではなく、れっきとした拷問となっている。

「質問、の、意味、が、わ、かりま、せん」
「そうか、記憶喪失というのが本当だとすればそうだろうな。しかし、お前がそんな迂闊なことをするとは思えん。果たして、死の淵に立っても惚けていられるものなのかな? 興味があると思わんか? ん?」

(駄・目・だ・こ・の・人・。根本的に勘違いしてやがる。いや、天乃あまの慎しんを信・頼・し・す・ぎ・て・い・る・。天乃あまの慎しんが失敗するとは思っていない。失敗の結果が今のオレだろうに。このままでは殺される。――まだか)

「雹霞ひょうか、さん。冗談、じゃ、済みませ、んよ」
「そうだな、私だってここまでやった以上、冗談で済ます気はない」

 雹霞ひょうかの視線はそれこそ凍てついている。天乃あまのは丸めた体をさらに丸め、必死で摩擦熱を起こそうと肌を擦る。

(だめだ、このままでは本当に殺される。思考が鈍ってきた。意識も朦朧として来ている。......もうだめだ)

「............」
「本当に何もないのか。驚いた、もう意識がないとは。このままでは本当に死ぬぞ?」

 雹霞ひょうかはこの状況に至っても魔術を解除しようとはしない。あの天乃あまの慎しんが何もしていないとは露ほども考えていないからだ。そして、そ・れ・は・間・違・っ・て・い・な・い・。
 静まり返った凍てつく執務室のなかに突如として電子音が響き渡る。

『天乃あまの? どうしたの? 話し合いは終わった?』

 そして、雹霞ひょうかは確かに義妹の声を聞いた。

「なるほど、そういうことか。この手は二度目だな」

 天乃あまのが体を丸めて抱えるようにして温めていたのは、スピーカーモードに設定された携帯端末だった。

『天乃あまの? “我,汝に発声だまってないでを命じるなんかゆえ”』

 その瞬間、凍り付いて微動だにしなかった天乃あまのの意識が回復し、体の震えが生じ始める。

「――た、助かった。ついでに、雹霞ひょうかさんを説得してくれるとありがたい」
『は?』
「ほぉ、大したものだ。もうこの環境くうかんに順応したのか?」
「姑息療法ですがね。実際、これでは動けそうにない。ただ、水無月みなづきの声が聞こえればだいたい何とかなりますよ」
『なになに? どうなってんの? とりあえず、そっち向かったらいいの?』

 水無月みなづきは天乃あまのの窮地を救ったことなど気付かないまま呑気な調子である。とはいえ、義姉が天乃あまのを殺しかけているとは露ほども思っていないのだから、当然なのだが。

「いや、そうだな。啓吾けいごを呼んでこちらに来てくれ」

 雹霞ひょうかは《氷獄の麗人》を一瞬で解除すると、部屋の中央の椅子に腰かけた。

『雹霞ひょうか姉ぇ? わかった。』

 そのまま水無月みなづきとの通話が途切れる。

「二十点、といったところか。私が本気で殺そうと思えばお前は死んでいたぞ?」

 雹霞ひょうかは椅子の上で足を組み替えると、何事もなかったかのように天乃あまのに告げる。

「冗談きついですよ。あなたが本気だったらそもそも十秒生きていられるか怪しい。まったく全力って感じじゃなかったですよ?」

 天乃あまのは、いまだに震える体を抱きしめるようにしながら返答した。これは天乃あまのの憶測だが、あながち外れているとも云い難い。天乃あまのの魔眼には雹霞ひょうかの魔力の流れが見えていたが、雹霞ひょうかの体外に排出された魔力は全体のわずか数パーセントといったところだったのだ。

「知ったふうな口を利くな。お前にはまだ本気は見せていないはずだが?」
「それくらいは文字どおり、肌でわかるということですよ」
「ふん、まぁ、私の目的は半分は達成できたかな。この程度で死ぬようならむしろ殺してやった方が幸せだろう? 生き残ったということは、まぁ、この程度では簡単には死ねないということだ。よかったな」

 いや、さっきの多分普通に死人が量産されます、という言葉を辛うじて飲み込んだ天乃あまのは、体の震えが収まっていくのを感じた。やはり、水無月みなづきの《王宮勅令》を受けた後の天乃あまのの体には何らかの変化が生じているのだろう。

「――しかし、そうなると記憶喪失の方は本当なのか。意外だな」
「あのぉ、仮にオレが死んだらどうしてました?」
「いや、死ぬとは思っていなかった。死んだら慌てただろう」
「......――――はぁ、勘弁してくれ」
シェア
← 前の話
警備隊特務課、社会不適合者たちの魔窟
次の話 →
不機嫌な暴君とマンションに潜む刺客
Replica ― Amphitheatrum Ideale ―作者:根岸重玄
目次
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません