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62 君とふたりで

 初田は診療終わりに、初音はつねからの電話で平也逮捕の報を聞いた。
 電話を切ってその場に座り込む。

 歩あゆむがテレビへの出演を提案してくれなかったら、
 リナが協力してくれなかったら、
 リナのフォロワーがSNSで拡散協力してくれなかったら、
 警察がそれを信じて動いてくれなかったら
 どれかひとつが欠けても、この結末は訪れなかった。

 もう隠れて暮らさなくて良いのだと思ったら、胸が熱くなる。
 ウサギマスクを脱いで、初田はネルに問いかける。

「ネルさん。ネルさんは、ここにいますか。これは夢じゃないですよね」
「うん、私はここにいるよ。夢じゃないよ」

 ネルも感極まって初田に飛びつく。
 触れた箇所から伝わるぬくもりが、確かにこれは現実なのだと教えてくれる。
 ネルの背に腕を回して、初田は目をつむる。

「普通の人なら、こんなときなんて言うんでしょうね」
「わからない。わからないけど、私は嬉しい。これで初斗にいさんが外に出られるんだもの」
「......そうですね。お茶会するって約束しました」
「お茶会以外のこともできるよ。私、にいさんと行ってみたい場所がたくさんあるの」

 初田のことを考えてわがままを言わなかっただけで、ネルの中では一緒に行きたい場所候補がたくさんあったらしい。

「ちなみに、ネルさんの行きたい場所ってどれくらいあるんですか?」

「んーと、百カ所くらい。花菜かなちゃんがおすすめしてくれた服屋とか、アリスさんが教えてくれた喫茶店とか、白兎先生のおすすめの雑貨屋さんとか、とにかくたくさん。ノート十冊くらいに書きためてあるよ」

「それはまた、壮大な計画ですねえ。全部やり遂げたら達成感がすごそうです」
「そうなの、壮大なの」

 思いを確かめ合う前から、ネルは初田とずっと一緒にいるつもりだったのだとわかる。
 こそばゆいような、嬉しいような、温かい気持ちで胸が一杯になる。

「どこにだって、一緒に行きますよ。わたしもいろんなものを見たいです」
「うん」



 平也は起訴内容を全て認め、控訴はしないと言ったらしい。
 死刑になるか、懲役刑になるかはこれから裁判で決まる。
 どんな量刑になるにせよ、きちんと罪を償ってくれることを初田は望んでいる。



 それから少し時は流れ、十月の最終週。
 虎門とらかどが来院した。
 診察室に入ってくるなり、ぎょっとして扉を閉めようとした。

「うわ、は、初田先生!!? なんでまたそれをかぶっているんです!? もうかぶらなくてよくなったんでしょ」
「かぶらなくてもいいですが、たまにはいいかなーと思いまして」

 平也が逮捕されて以降、初田はウサギマスクをかぶるのをやめた。もう隠れる必要がないから。
 でもたまに、気まぐれにウサギマスクをかぶって応対する。
 患者の反応を見て楽しむので悪趣味だと言われる。

 虎門の反応に満足して、初田は笑いながらウサギマスクを取った。

「もうすぐ職業訓練校の修了でしたよね。首尾はどうですか」
「おかげさまで、ワードとエクセルどちらも三級合格しました。犬井さんが勧めてくれた保育園の仕事に決まりました。清掃や遊具の手入れなんかの雑務と事務で......」
「それはまた、虎門さんにぴったりのお仕事ですね。こどもたちの人気者になるのが目に見えるようです」
「そう、ですかね」

 訓練校で同じような障碍をもつ人と友だちになったようで、その人とも頻繁に話をしているという。

 心に余裕ができて友だちに影響されたのもあってか、服装は若者向けのカジュアルなものに変化している。

 白シャツにおしゃれな銀フレームのメガネは、友だちが勧めてくれたのだそうだ。
 髪も短く切っていて、爽やかな好青年といった印象だ。
 来たばかりの頃はうつむいて自信なさげだったが、最近では笑顔が増えた。

「笑う門には福来たるっていうでしょう。そうやって笑っていれば大丈夫ですよ」
「はい」

 虎門は満面の笑みでうなずく。
 軽いノックのあとにネルが入ってくる。

「今日はセイロンちゃんですよ。歩さんがお土産でくれた台湾のお煎餅もあります」

 歩はアリスに店を任せ、二週間ほど台湾に行っていた。数日前に戻ってきたばかりだ。

 その際お土産にと、牛舌餅ニョースーピンなる煎餅をくれた。
 ほのかに甘くて、かりんとうのような味がするこの煎餅を、初田はかなり気に入った。

 歩にお願いしたから、ワンダーウォーカーの定番商品になりそうだ。

 テーブルに紅茶と煎餅を並べて、ネルが微笑む。

「そうだ、虎門さんもいかがですか。来週の日曜日、みんなで川辺に行ってお茶会をするんですよ。涼しくていい季候だから」

「え、おれも行っていいんですか? 先生たちのプライベートの行事じゃ......」

「はい。お向かいの店の人たちや、お世話になった人たちを呼ぶんです。パーティーは人が多い方が楽しいでしょう」

「おれはむしろお世話になっている側」

 恐縮しきりの虎門に、初田は笑いかける。

「まあまあ。ナナさんも呼んで行きましょう。就職祝いとでも思って景気づけに」

「え、は、はあ。先生もそういうのなら......おじゃまさせてもらいます」

 なかばごり押しで、虎門兄妹の参加も決定した。
 昨日はコウキにも話を振って、珠妃母子も来ることになっている。
 母親や白兎も呼んでいるので総勢十人超え。すごくにぎやかになりそうだ。


 虎門が最後の患者だったので、閉め作業をしてクリニックの扉にCLOSEの札を下げる。
 初田は懐中時計で時刻を確認して、ネルに微笑みかける。

「さて、ネルさん。今日はどこに行きましょうか」
「初斗にいさんと一緒に行きたい場所計画ナンバー14! おいしい手打ち蕎麦を食べられる店。食後に紅茶を楽しめるうえに、ネコちゃんもいるの。しかも二匹。おさわり自由なの」
「ネコちゃんのポイントが高いですね」

 動物大好きなネルにとって、食事とネコ同時に楽しめる店は楽園である。

「もうすぐネルさんの誕生日ですから、出かけるならネルさんのプレゼントも買いましょうか」

「じゃあケーキを乗せるラックがいい、先週行ったカフェでアフタヌーンティーしたでしょう。二段で、上下にケーキを乗せられるの。お茶会の時使いたい」

「かまいませんが、あれ、どこで売っているんでしょう......」
「探してみよう!」

 ネルは歌いながら初田の手を取る。
 今にも踊りだしそうなほど楽しげで、なんとも微笑ましい。

 商店街の人たちから「今日も仲良しねー」なんて声をかけられて会釈を返す。


 初田の顔を暴いてはいけないという法度はっとは、もうない。

 これからは自由に外に出て、ありのままの自分でいられる。
 初田は大切な人と手を取り合い、平穏な日常を生きていく。


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初田ハートクリニックの法度作者:ちはやれいめい
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62 君とふたりで

 初田は診療終わりに、初音はつねからの電話で平也逮捕の報を聞いた。
 電話を切ってその場に座り込む。

 歩あゆむがテレビへの出演を提案してくれなかったら、
 リナが協力してくれなかったら、
 リナのフォロワーがSNSで拡散協力してくれなかったら、
 警察がそれを信じて動いてくれなかったら
 どれかひとつが欠けても、この結末は訪れなかった。

 もう隠れて暮らさなくて良いのだと思ったら、胸が熱くなる。
 ウサギマスクを脱いで、初田はネルに問いかける。

「ネルさん。ネルさんは、ここにいますか。これは夢じゃないですよね」
「うん、私はここにいるよ。夢じゃないよ」

 ネルも感極まって初田に飛びつく。
 触れた箇所から伝わるぬくもりが、確かにこれは現実なのだと教えてくれる。
 ネルの背に腕を回して、初田は目をつむる。

「普通の人なら、こんなときなんて言うんでしょうね」
「わからない。わからないけど、私は嬉しい。これで初斗にいさんが外に出られるんだもの」
「......そうですね。お茶会するって約束しました」
「お茶会以外のこともできるよ。私、にいさんと行ってみたい場所がたくさんあるの」

 初田のことを考えてわがままを言わなかっただけで、ネルの中では一緒に行きたい場所候補がたくさんあったらしい。

「ちなみに、ネルさんの行きたい場所ってどれくらいあるんですか?」

「んーと、百カ所くらい。花菜かなちゃんがおすすめしてくれた服屋とか、アリスさんが教えてくれた喫茶店とか、白兎先生のおすすめの雑貨屋さんとか、とにかくたくさん。ノート十冊くらいに書きためてあるよ」

「それはまた、壮大な計画ですねえ。全部やり遂げたら達成感がすごそうです」
「そうなの、壮大なの」

 思いを確かめ合う前から、ネルは初田とずっと一緒にいるつもりだったのだとわかる。
 こそばゆいような、嬉しいような、温かい気持ちで胸が一杯になる。

「どこにだって、一緒に行きますよ。わたしもいろんなものを見たいです」
「うん」



 平也は起訴内容を全て認め、控訴はしないと言ったらしい。
 死刑になるか、懲役刑になるかはこれから裁判で決まる。
 どんな量刑になるにせよ、きちんと罪を償ってくれることを初田は望んでいる。



 それから少し時は流れ、十月の最終週。
 虎門とらかどが来院した。
 診察室に入ってくるなり、ぎょっとして扉を閉めようとした。

「うわ、は、初田先生!!? なんでまたそれをかぶっているんです!? もうかぶらなくてよくなったんでしょ」
「かぶらなくてもいいですが、たまにはいいかなーと思いまして」

 平也が逮捕されて以降、初田はウサギマスクをかぶるのをやめた。もう隠れる必要がないから。
 でもたまに、気まぐれにウサギマスクをかぶって応対する。
 患者の反応を見て楽しむので悪趣味だと言われる。

 虎門の反応に満足して、初田は笑いながらウサギマスクを取った。

「もうすぐ職業訓練校の修了でしたよね。首尾はどうですか」
「おかげさまで、ワードとエクセルどちらも三級合格しました。犬井さんが勧めてくれた保育園の仕事に決まりました。清掃や遊具の手入れなんかの雑務と事務で......」
「それはまた、虎門さんにぴったりのお仕事ですね。こどもたちの人気者になるのが目に見えるようです」
「そう、ですかね」

 訓練校で同じような障碍をもつ人と友だちになったようで、その人とも頻繁に話をしているという。

 心に余裕ができて友だちに影響されたのもあってか、服装は若者向けのカジュアルなものに変化している。

 白シャツにおしゃれな銀フレームのメガネは、友だちが勧めてくれたのだそうだ。
 髪も短く切っていて、爽やかな好青年といった印象だ。
 来たばかりの頃はうつむいて自信なさげだったが、最近では笑顔が増えた。

「笑う門には福来たるっていうでしょう。そうやって笑っていれば大丈夫ですよ」
「はい」

 虎門は満面の笑みでうなずく。
 軽いノックのあとにネルが入ってくる。

「今日はセイロンちゃんですよ。歩さんがお土産でくれた台湾のお煎餅もあります」

 歩はアリスに店を任せ、二週間ほど台湾に行っていた。数日前に戻ってきたばかりだ。

 その際お土産にと、牛舌餅ニョースーピンなる煎餅をくれた。
 ほのかに甘くて、かりんとうのような味がするこの煎餅を、初田はかなり気に入った。

 歩にお願いしたから、ワンダーウォーカーの定番商品になりそうだ。

 テーブルに紅茶と煎餅を並べて、ネルが微笑む。

「そうだ、虎門さんもいかがですか。来週の日曜日、みんなで川辺に行ってお茶会をするんですよ。涼しくていい季候だから」

「え、おれも行っていいんですか? 先生たちのプライベートの行事じゃ......」

「はい。お向かいの店の人たちや、お世話になった人たちを呼ぶんです。パーティーは人が多い方が楽しいでしょう」

「おれはむしろお世話になっている側」

 恐縮しきりの虎門に、初田は笑いかける。

「まあまあ。ナナさんも呼んで行きましょう。就職祝いとでも思って景気づけに」

「え、は、はあ。先生もそういうのなら......おじゃまさせてもらいます」

 なかばごり押しで、虎門兄妹の参加も決定した。
 昨日はコウキにも話を振って、珠妃母子も来ることになっている。
 母親や白兎も呼んでいるので総勢十人超え。すごくにぎやかになりそうだ。


 虎門が最後の患者だったので、閉め作業をしてクリニックの扉にCLOSEの札を下げる。
 初田は懐中時計で時刻を確認して、ネルに微笑みかける。

「さて、ネルさん。今日はどこに行きましょうか」
「初斗にいさんと一緒に行きたい場所計画ナンバー14! おいしい手打ち蕎麦を食べられる店。食後に紅茶を楽しめるうえに、ネコちゃんもいるの。しかも二匹。おさわり自由なの」
「ネコちゃんのポイントが高いですね」

 動物大好きなネルにとって、食事とネコ同時に楽しめる店は楽園である。

「もうすぐネルさんの誕生日ですから、出かけるならネルさんのプレゼントも買いましょうか」

「じゃあケーキを乗せるラックがいい、先週行ったカフェでアフタヌーンティーしたでしょう。二段で、上下にケーキを乗せられるの。お茶会の時使いたい」

「かまいませんが、あれ、どこで売っているんでしょう......」
「探してみよう!」

 ネルは歌いながら初田の手を取る。
 今にも踊りだしそうなほど楽しげで、なんとも微笑ましい。

 商店街の人たちから「今日も仲良しねー」なんて声をかけられて会釈を返す。


 初田の顔を暴いてはいけないという法度はっとは、もうない。

 これからは自由に外に出て、ありのままの自分でいられる。
 初田は大切な人と手を取り合い、平穏な日常を生きていく。


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初田ハートクリニックの法度作者:ちはやれいめい
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