#11 デブリーフィングから
日も暮れ切って、月がそれなりの高さまで登った頃。ぼんやりとした光が差し込んでくる中、ヨウマは豆電球の下で指輪を見つめながら立っていた。
「来い」
その一声に応じて、彼の傍でもう一人の彼が生まれた。少し透けている立体映像のようなものだ。本人が手を上げると、その立体映像も真似をする。
「わかってきた」
呟いた。
これは、幻影術と呼ばれるものだ。東京に向かう三日前にジクーレンから教わったのだ。フランケ──に限らず、ニーサオビンカと再び対峙した際に少しでも生き残る確率を上げるための、ブラフ。
おそらく、通用するのは二、三度だろう。それは彼もわかっていた。一瞬の動揺を生み出すための術なのだから、それ以上は求めていない。
「後は、僕の思考で操作すればいい......」
イメージするのは、刀を握った自分。幻影が腰の刀を抜き、構えた。
「行けっ!」
それが走り出し、壁の向こうへ抜けていく。すると、
「キャア!」
という悲鳴が聞こえてきた。ドタドタという足音がしたと思えば、扉が力強く開かれる。
「ヨウマ、何してるの⁉」
優香が青い顔で怒鳴った。
「幻影術の練習。びっくりさせちゃった?」
「急に壁から出てくるんだもん......リビングの方でやってよね。深雪ちゃんなんてひっくり返っちゃったんだから」
「ごめんごめん」
「もう......」
彼女は背を向ける。が、立ち止まった。
「また、戦うの?」
「それが優香を守ることになるからね」
「......そう」
具体的なことは何も言わず、彼女は去った。残されたヨウマは考えてしまう。何かを守るために何かを殺す。それが正しいのか。疑問を振り払うように、彼は体の向きを変えた。
◆
オビンカ居住区。北西に位置するユーグラス居住区とは正反対、南東に存在する場所だ。内部に対する魔術的探知を無効化する結界に覆われ、ユーグラスのそれと同様に立ち入りは制限されている。
そこから少し外れた廃工場の地下で、フランケはガスコ──ニーサオビンカ第一席を前にしていた。
「それで、今までじっとしていたと?」
ガスコは、数段の階段の上から、豪奢な椅子に腰掛けて、跪く末席を見下ろして問うた。
「かなり重度の、火傷を負いまして......」
フランケの背中の甲殻は再生の途中で、斑点のように赤いものがぽつぽつとあるだけだった。露出した皮膚は爛れ、イルケの炎の威力を思わせる。
「代理人から報告は受けた。地球人の子供を殺せなかったそうだな」
頭を上げられない彼は、その一声に震えた。
「このガスコ、一度の失敗で断罪するほど器の小さい男ではない」
ガスコが立ち上がり、段を下っていく。すぐにフランケの前に立った。
「しかし、お前は七幹部を取り逃し、地球人も殺せず、その上逃げ帰って来た。三つだ。故に、一つの選択をしなければならない。私への忠誠をその行動を以て示すか、諦めてここで死ぬか。お前はどうしたい」
「どれほどのことを成せば、赦していただけますか」
「お前が殺せなかった地球人、ヨウマの首を持ってこい。それで、失態は免じてやろう」
「えぇ~? ホントにそれでいいの?」
フランケの後ろには円卓があった。三本角を額に有する、女児めいた風貌のオビンカがキンキンとした声で揶揄った。
「地球人なんて簡単に死んじゃうよ~?」
それからキャハハッ、と嗤い声を上げて、袖の余ったワンピースで口を隠した。
「なんなら一緒に行ってあげようか? 一人じゃ怖くて戦えないでしょ」
「タジュン、何故お前がいる」
ガスコが、その少女に鋭く言った。名はタジュン。背丈は地球人の子供程度しかない。
「だって、フランケくんの情けないところ見たいもん」
ガスコの角は八本。頭をぐるりと囲むように生えており、まるで王冠のようだ。それこそが、彼をオビンカの王──ニーサオビンカ第一席たらしめているものなのだ。
「フランケ、単独でヨウマを殺せ。これはオビンカとしての復讐でもある......いいか、刺し違えてでも殺せ。ニーサオビンカに負け犬は必要ない」
「御意のままに」
その返答は、震えていた。雪原に裸で放り出されたような冷たさが、フランケの芯を凍らせる。
「そうやってまた負けちゃったりして」
「七幹部の横槍故に殺せなかった。そうだろう?」
主人の助け舟に見せかけた追撃が、彼の心臓を締め付ける。
「策は講じろよ。セットアップに必要なら手下も使え」
「はっ......」
元から俯いていた頭が下がるのを認めて、ガスコは椅子に戻った。
◆
曇天。ユーグラス居住区の商店街を、ヨウマと深雪が手を繋いで歩いていた。
ニェーズの伝統的な経済活動を保護するという目的から、植民から五十年を経ても猶、居住区内にスーパーマーケットの類はできていない。しかし、やはり外に買い物へ出る者もいる。そういうわけで、シャッターの下りた店もチラホラとあった。
二人は精肉店の前で足を止める。カウンター下のショーケースには、ニェーズの愛で長く飼育されてきた家畜の肉が並んでいた。然して高級なものは扱っておらず、アーデーンウシなどと地球人が呼ぶ、ガチの肉も赤身が多かった。
「お、ヨウマと深雪じゃねえか。今日は何買ってく?」
二人に気づいた店主がカウンターから出てきて、輝かんばかりの笑顔で尋ねた。
「ガチの、肩を──」
量を指定している間、ヨウマはきょろきょろと周りを見ていた。ここに敵が来ることは滅多にない。子供──とは言ってもその背丈は百七十センチに迫るのだが──が走り回り、それを母親が追っている。いつも通り、何の変哲もない光景だ。
大丈夫だ──ヨウマはそう判断して隣の深雪に目を戻した。
「ほい、ありがとうね。これ、サービス」
そう言ってビニール袋を店主が渡すが、それと別に一つの紙袋が添えられていた。
「えっと、えっと......」
「コロッケさ。いつも来てくれるからな、これくらいのこたァやらなくっちゃ」
「い、いいんですか。ありがと、うございます」
深雪はそれらを受け取って、左肩の買い物袋に入れた。
アーデーンに生息する固有の種を、日本人は、フロンティアセブンが存在するヴィンツ島の言葉で『動物』を意味するエムシと呼ぶ。エムシは土壌に混じったクリムゾニウムの影響を受けている。
その主たるものは、身体強化作用だった。肉体の力を底上げし、深雪のようなほっそりとした少女でも、数キロになる荷物を苦も無く持ち歩けるのだ。
「こ、これで今日の買い物はおしまいですね。ヨヨヨ、ヨウマさんは何かありますか?」
「ううん、ないよ」
深雪も、ヨウマ宅に来てからかなり人に馴れた。かつては注文すら一人でできなかったのだ。それが二年の時を経て、変わりつつある。彼は、確かな前進を感じていた。
十五分ほど歩いて、アパートに帰り着く。インターフォンを鳴らして優香を待っている間に、
「ヨウマさーん!」
と声がした。振り向けば、若い男ニェーズが息を切らして立っていた。
「ヨウマさん、大変です!」
彼は焦燥を隠さずそう言った。
「フランケって名乗るオビンカが子供を人質にして......」
咳き込む。
「ヨウマさんを、ヨウマさんを出さないと殺すって!」
「わかった。案内して」
ヨウマは深雪の手を離す。
「深雪、行ってくる。優香によろしく」
「は、はい。怪我はしないでくださいね」
「大丈夫。フランケなら一度戦ってるから」
彼はひょいと手摺を飛び越え、ニェーズの前に降り立った。止まることもなく走り出す。
「相手はフランケだけ?」
「ええ、一人です」
「キジマとか、七幹部の合流は?」
「タイマンを望んでます」
「最悪だ......」
打ち合わせもそこそこに、居住区の出入り口に届く。日本語で『ユーグラス居住区』と書かれたアーチの少し向こうで、地球人女児を羽交い絞めにしている、フランケがいた。