#10 東京からアーデーンへ
赤い角を生やした男が二人、割れた窓ガラスを乗り越えて入ってくる。それを受けて、ヨウマは壁際の刀を取って立ち上がった。
「見つけたぜ、出渕優香!」
窓際の机に立ち、片方が言う。二本角だ。片割れは一本角。どちらも得物は剣鉈。半裸だが、見える所に甲殻はない。
(背丈は二メートル三十、って所かな)
ボックス席から出て、ヨウマは刀を抜いた。
「夜明けのタルカ、だっけ?」
「おうよ!」
男たちは同時に返事をした。
「なんで優香を狙うのさ」
「出渕俊二は、オビンカを公職から追放し、締め付けを強くした! 故に! その家族は皆殺しにする!」
「馬鹿?」
他の客は突然のことに動けない様子だ。どうにか、一瞬で二人を無力化できないか、とヨウマは頭を回す。
「これはガスコ様直々の指示でな......小僧、大人しく死ね!」
一本角が鉈を振り上げて向かってくる。二回ほど攻撃を避けたヨウマは、勢い余ってよろめいた男を蹴って距離を作った。
「ガスコって誰だっけ」
「ニーサオビンカ第一席だ! 生きて帰さんぞ!」
「元から殺す気でしょ......」
二本角も来る。横、縦、斜め。その鉈筋は読みやすく、回避は容易かった。だが、その膂力は凄まじく、木製とは雖もそれなりに頑丈なはずの椅子が、一撃で叩き割られる。
「許可されてない武器って、持ち込むのかなり難しいはずだけど?」
「オビンカが独自にゲートを有していない、とでも?」
世界と世界を繋ぐゲートのことだ。
「どんなに総督府が俺たちのことを疎んじたとしても、その居住区の結界を解除させることはできない。これは、ニェーズ地位条約で定められた権利だ」
「したがって、我々は探知されないゲートを構築できるのさ......」
「そうなんだ。でも、僕を相手にするのは間違いだと思うよ」
「舐めるな、ガキ!」
二本角が、左手から火球を放つ。しかし、ヨウマは即座に雷の槍を投擲し、ぶつけたのだった。瞬間、太陽が現れたかのような閃光が店内を包む。
「めくらま──」
挑発しようとした二本角の眼前に、黒い刃。既の所で体を引いて致命傷は避けたが、鼻っ面に真っすぐ切り傷ができた。
「卑怯だぞ!」
「テロリストが何言ってんだか......」
ヨウマの背後で一本角が走り出した。優香に向かっている。それを勘で捉えた彼は、振り向きながら床を蹴った。
その相手が、見透かしたように哂う。左手の中に水の弾丸が数発形成され、放たれる。それらを刀で叩き落している間に、一本角が優香に触れた。少しでも速く、と焦った雷の槍を投擲する。
伸びていた左腕の肘を射抜き、そこから先を落とすことはできた。散った血が、優香に降り注ぐ。痛みに叫ぶ男に飛び掛かり、ヨウマは首を横から刺した。そのまま刀を回し、刎ねる。
「ば、化け物......」
その整いすぎている美貌が、噴出する血に汚れている。二本角は、美しさと恐ろしさに息を呑んだ。逃げようと後退りした直後、一撃が後頭部に入り、倒れた。
「あ、キジマ」
キジマが、ダブルスレッジハンマーで叩きのめしたのだ。
「東京にもオビンカがいるなんてな。お前を一人にするの、まずったよ」
「なんで来たの?」
「冬治さんがお前の服にマイクロチップつけたんだよ。それを追って、店の近くで待機してたんだ」
「え、ほんと?」
自分の体を調べた少年は、確かに肩に小さなチップが付着しているのを認めた。あの時だ。すれ違いざまに肩を叩かれた時。
「じゃ、入ってくればよかったじゃん。そうすれば、二対二で戦えた」
「邪魔するわけにもいかねえだろ。それに、警察に連絡する時間も必要だろ? そういうこった」
数分後、無数のサイレンが喫茶店を取り囲んだ。気絶したままのオビンカはまず病院に連れていかれ、目を覚ましてから取り調べらしい。だが、それでは終わらず、警察の目はヨウマにも向いた。
「君、幾つ」
強面の熟練警察官が、彼に低い声で訊いた。
「十六。おじさんは?」
「五十八......って、そういう話じゃない。その歳で、何人殺してる」
「さあ」
「あのホトケ、利き腕が残っている。おそらく、まず左腕を落とし、そこから直接首を落としたんだろう。随分と殺しに慣れているな?」
警察官は、彼の腰にあるバーコード付きの刀を見て、大まかな事情を察していた。
「アーデーンって、結構危険だから。仕方ないよ」
「......まず、報告書を書いてもらう。受理したら、元の世界にも帰れるぞ」
「はいはい」
それ以上の会話を望まなかった彼は、優香の方に歩く。自分に降りかかった真っ赤な液体の意味を知り、ガタガタと震えていた。
「怪我、してない?」
答えはない。
「ごめん、怖がらせたね」
静かに、彼は手を差し伸べる。握られることは、なかった。
◆
ヨウマの報告書が受理され、アーデーンに帰ることが赦されたのは、それから三日後のことだった。
「災難、だったね」
ヨウマ家の食卓で、優香が言った。今日の夕食は冷しゃぶサラダだ。
「災難、か。まあ、想定外ではあったよ。でも、勝てる相手でよかった」
豚肉と野菜を箸で掴み、彼は口に持っていった。
「すごく今更なことを聞くんだけど、なんでここが安全って言い切れるの?」
ヨウマは少しの間天井を眺めてから、答える。
「なんだったかな。魂にマーキングをしてる、だっけ。それで、そのマーキングを持たない人は入れないようになってるんだ。居住区産まれか、七幹部に許可を貰ってないとそのマーキングは手に入らないから、オビンカは入れないんだよ」
「でも、なんで私は入れたの?」
「僕みたいにマーキングがしてある人間と一緒なら入れる」
「出ることは?」
「できるよ」
なら、その気になれば家出だってできる──優香は、そんなことをふと考えてしまった。
「それに、冬治さんもマーキングされてるみたいなんだ。すごいよね、タダの人間で」
「ヨウマだってそうじゃない」
「それは......そうだね」
クスリ、優香は笑った。
「でで、でも、結構痛いですよ、マーキング」
「僕は覚えてないなあ」
覚えていない──そう、優香は母親の声を思い出せない。十の時に病に斃れた母。じわじわと記憶が忘却の闇へと消えていく。人は声から忘れていくのだという。それが真ならば、父も掠れてしまうのだろう......。
食事も終わりの頃、インターフォンが鳴った。誰も宅配便を頼んでもいない。ヨウマが念のため刀を持って、チェーンをかけた状態で扉を開いた。
「誰?」
そこにいたのは、やつれた顔の中年男性だった。背丈は百六十五センチ。地球人だ。スーツ姿はくたびれて、黒い瞳には焦りが見える。
「鏡橋深雪、という方を知りませんか?」
リビングの方で皿の割れる音がした。
「聞き方を変えるべきですね。深雪がここにいると聞いたのですが、間違いないですか?」
「名乗りなよ」
ヨウマの左手は、既に鯉口を切っていた。
「鏡橋咬、と申します」
「......深雪の親父さん?」
「おお、やはりご存知なのですね。会わせてもらえませんか?」
「帰れ。お前が何をしたか知ってるんだぞ」
咬は怯んだが、下がるつもりもないようだった。
「あれは、気がおかしくなっていたんです。もうしません。今度こそ幸せに暮らせるはずです」
「幸せ?」
その時、ヨウマは自分でも驚くほど低い声を発していた。
「お前はオビンカの闇金から金を借りている。そんな奴に深雪を救えるとは思えない。帰れ」
「地球に逃げるんです。幸い仕事が見つかりましてね」
「地球も安全じゃない。異世界人を殺したがる奴らだっている」
痺れを切らしたのか、咬は扉を蹴る。
「お前が借金をしなければ、深雪の母は自殺なんてしなかった。全部お前が悪い。二度と現れるな。消えろ」
「......あなたは、深雪の何なのですか」
「家族だ。一番大切な家族だ。だから、お前のもとに返すことなんかしない」
ヨウマはポーチから手錠を取り出そうとした。だが、そのごそごそとした動きで何かを気取ったのか、咬は走り出した。
「......逃げるなら最初から来るなよ」
呟いて、居間に戻った。そこでは、どうしようもなくまごつく優香がいた。
「ごめんなさい、私、どうしたらいいかわからなくて......」
「いいよ、任せて」
視線を動かせば、フローリングに割れた皿。その傍に泣きながら座り込んでいる深雪。
「お父さんは逃げたよ」
そっと、彼は語りかけて視線を合わせる。
「だから、もう大丈夫。何回来たって僕が追い払う」
両頬に手をやり、親指で涙を拭う。
「優香、ゴミ袋と新聞紙持ってきて。洗面所にある」
何も言わず、優香は居間を去った。
「お、お父さんは、なんて」
「会いたい、って。だから、暫く僕が買い物についていくよ。居住区に隠れてるかもしれない」
「ど、どうやって入ったんでしょう」
「多分、ニェーズに頼み込んだんだろうね。そんなことをしたって、深雪を幸せにするなんて、無理なのに」
エグッエグッ、と嗚咽を漏らす深雪を、ヨウマは優しく抱いた。