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Echo 10 『 お兄ちゃんのバカッ!!!! 』


「それではと言っては何ですが、屋敷やしきまでおいでくださいませ」
 彼女が乗っていた高級車の後部こうぶ座席ざせきに案内されると、綾華あやかは大丈夫だと頷うなずいた。

「では遠慮えんりょなく...」
 そう言って俺たちは車に乗り込こんだ。

「辻ノつじの先輩は乗らないんですか?」

「...いや、今回は遠慮えんりょしておく。神社の片付かたづけもあるのでね」

「そうか」

「由記ゆうき。その......なんだ。お前は命の恩人おんじんだ。だからこれからは私を下の名前で呼ぶといい」

「えっと......綾華あやか......先輩?」

 綾華あやかは少しだけ不満ふまんな様子で恥はずかしそうに視線を逸そらし、耳の裏まで赤く染めてうつむいた。
「......あぁ、そう呼ぶといい」

 俺は彼女に別わかれを告つげ、柔やわらかな革かわの座席の感触かんしょくを背中せなかに感じながら、宝生院ほうしょういんの車で屋敷やしきへと向かった。



 ―――

 ――― 車内にて



「それでは改あらためまして」
 宝生院ほうしょういん 早七さなが、流れるような動作で言葉を切り出した。

「初めまして。そしておかえりなさい、“ゆうき”くん」

 出会った瞬間から肌はだを刺さしていた奇妙きみょうな既視感きしかん。改あらためて彼女の顔を覗のぞき込こむと、吸すい込こまれるようなその瞳ひとみの色が、俺自身のそれと鏡写かがみうつしのように全く同じであることに気づき、背筋せすじに微かすかな痺しびれが走った。

「...俺のお姉さん、ということか?」

「そうよ、そしてあなたがまだ執行者しっこうしゃだった時、私は『運の女神』なんて呼ばれていたのよ」
 彼女は一瞬いっしゅんだけ、遠い地平を見るような物寂ものさびしげな眼差まなざしを浮うかべ、「まぁ、もう昔のことだけれど」と吐息混といきまじりに呟つぶやいた。

「その...」

「あぁ、早七さなでいいですわよ」

「...早七さなは、どうしてそんなに若いんだ?」

「あぁこれ?そうね、まずはあなたのことについて少し話さないといけませんわね」
 彼女は、記憶の澱よどみを掬すくい上げるように、ぽつりぽつりと語かたり始めた。

「あなたが海に沈められた時、私たちも黙だまっているはずも無かった。あなたを死刑にした人たちは、あなたの力だけを欲して何もかも抽出ちゅうしゅつした。そしてあなたは抜ぬけ殻がらになってしまった。」
「でも私たちの協力者が内部に侵入しんにゅうして、あなたの力の源を一部奪取だっしゅすることに成功した。それをみんなで分け合うことで、老化を遅らせている」

「遅らせるだけなのか?」

「えぇ、一番いい方法はあなたの体液を直接身体の中に流し込こむこと。それで若返りをするの。皮肉よね、人間の欲望のためにあなたが狙われるのは必然だって」
 早七は、慈いつくしみの色と深い悲しみが混まざり合った瞳ひとみでこちらを見た。家族を守ろうと、細い指先で懸命けんめいに運命を繋つなぎ止めてきた必死ひっしさが、その表情から滲にじみ出ていた。

「...俺を引き上げたのも、早七のおかげなのか?」

「私たちが引き上げた、と言うべきね。私はあなたの家族だから、ずっと目を付けられていたの。だから取引をしたの」

「取引?」

「まぁ内容なんて気にしなくていいわ。それより...」
 彼女は俺の瞳ひとみをじっと覗のぞき込こみ、恍惚こうこつとした、熱を帯おびた表情で膝ひざの上に跨またがってきた。

「弟君おとうとくん、おかえり♪」
「あぁ、私の可愛い弟、帰ってくるのをずっと心待ちにしてたのよ」
 彼女は強引ごういんに俺の口を塞ふさぎ、湿潤しつじゅんな舌を執拗しつように絡からませた。ヌチュリという粘着音ねんちゃくおとが車内に響ひびき、鼻腔びくうを彼女の甘い香かおりが満みたす。

「よーしよし、偉えらかったねぇ。お姉ねえちゃんが辛つらかった分も甘あまやかしてあげますからね~」
「あぁ心配しなくていいわよ。防音ぼうおんばっちりで運転席に伝わらないから~」
 露あらわわになった瑞々みずみずしい肌はだの感触かんしょくが胸むねに押おし付つけられ、脳内のうないが真っ白に塗ぬり潰つぶされていく。

 身体からだが言うことを聞かない。むしろ彼女のリードに導みちびかれるように、指先から力が抜け、ドロドロに溶とかされるままだった。脈動みゃくどうする粘膜ねんまくが、一滴いってきも余あまさず吸すい尽つくそうとするように熱くまとわりつく。視界から青い火花が消えるのと同時に、脳内に押し寄せていた猛烈もうれつな波が、ゆっくりと引いていくのを感じた。

「はぁ...ごちそうさまでした」
 彼女はウェットティッシュで口周りを拭ふくと、俺の顔を見て満足そうに微笑ほほえんだ。

「そろそろ着きますよお嬢様じょうさま」
 素榛すばるが車を停とめ、ドアを開く。そこは、静謐せいひつな空気が肌はだに触ふれる、詫わび寂さびの効いた古き良き邸宅ていたくだった。

「こちらにどうぞ」
 華緋はるひが扉とびらを開け、俺は奥おくの部屋に通とおされた。



 ―――

 ――― 宝生院邸にて



 昔ながらの畳たたみ。仄ほのかに香かおる陽ひだまりに照てらされたイ草ぐさの、青く乾かわいた匂におい。足裏で感じる畳たたみの凹凸でこぼこは滑なめらかで、毎日丁寧ていねいな手入ていれがされているのが、肌越はだごしに伝つたわってくる。正坐せいざで組もうとすると、早七さなは胡坐あぐらでいいと言ってくれたため足を楽にさせて座すわった。

 風通しがよく襖ふすまを開あけた先には、和モダンな日本にほん庭園ていえんが広がる。冷つめたそうな水玉みずたま模様もようの飛とび石、規則きそく正しく敷しき詰つめられた白川しらかわ御影みかげ砂利じゃり。その中心に、うねるような威圧感いあつかんを持って鎮座ちんざする三波石さんばせき。素榛すばるが点たててくれた抹茶まっちゃの深い苦にがみと熱あつさが、じんわりと五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡る。

「さて...まずは現状げんじょう知っておかなければならないことについて、情報を共有いたしますわ。陽大ひなた」
 呼びかけに応じ、空気がわずかに爆はぜるような気配けはいと共ともに影かげが現あらわれた。

「お呼びになりましたか?」

「最近の動向どうこうについて目立ったところはありましたか?」

「特にありません!引き続き監視かんししますっ!」
 ドロンと、煙けむりのような質感しつかんだけを残のこして跡形あとかたもなく消きえた。

 俺は目をまんまるにして驚おどろいていると、彼女はクスリと笑った。
「彼女はクノーでしてよ。あなたの先輩にあたる人ってところかしら」

(ふむ...同じ学校の先輩もいるのか...)
 俺はふと疑問に思ったことを話した。

「早七さなの財団ざいだんって、俺の学校を運営うんえいしてるの?」

「そうよ、あの学校にあなたを入れたのも私の手筈てはずなのよ」

「ってことは、あの生徒会長も?」

「えぇ、彼女は陽大ひなたの妹ですね。彼女の手腕しゅわんにはとても感心しているんですよ」

(全て彼女の計算通りってことか...)
 俺には以前から聞きたかったことがある。

「甘奈あまなは今どこにいるんだ?ここ最近見かけないんだが」
 早七さなの柔やわらかな笑えみが消きえ、空気がピリリと引き締しまるような真剣しんけんな面持おももちに変かわった。

(まさか...)俺は固唾かたずを飲んだ。



「彼女なら無事ぶじよ...今のところはね...」

 俺は少しだけ安心した。
「場所は?どこなんだ?」

「それが実は分かってないの、妹さんを別の場所で預あずかってて彼女ずっとうなされているのよね」
 胃の腑ふを冷つめたい手で掴つかまれるような、気味きみの悪い感覚。それでも彼女たちを救すくわねばならないという決意けついが、腹はらの底そこで固かたまった。

「...それだと俺の妹の安否あんぴが心配だな...」

「それについてはご安心ください。彼女は当家とうけにも出入りできるように許可きょかしましたので、いつでも来これますよ」

「しかし...かなり距離きょりがあるじゃないか」

「少しだけあなたの能力のうりょくを借りるわよ」
 そう言うと彼女は指をパチンと鳴らした。すると、俺の身体からだから透明とうめいな熱気のような「何か」が抜ぬけ出だし、みるみるうちに実体じったいを持って、一人の女子高生の姿として目の前に顕現けんげんした。

「う、うわぁぁあああ!!!!なんだこれは!?」

「まぁそう驚おどろかないでね。彼女まだ眠ってるから。華緋はるひ、彼女を起こしてあげなさい」
 そう言うと華緋はるひは、そのギャルっぽい見た目の女子高生を起こしてあげた。

「んみゃぁ...まだ寝たいんだけどぉ...うちなんで起こされてんの?」
 彼女は目をこすり周囲を見渡みわたすと、早七さなたちが放はなつ威圧感いあつかんに圧倒あっとうされ、瞳ひとみを潤うるませた。

「うぅ、うちもう帰ってもいいすか?」

「ダメですよSCP-S759、もとい七本ななもと 彩福あやねさん」

「うげっ、なんで私の名前知ってるし!?」
 彼女は勘弁かんべんしてくれという顔で「堪忍かんにんつかぁさい」と言いながら俺に懇願こんがんしてきた。いや、俺も今初はじめて知ったから驚おどろいているんだが。

「紹介しょうかいしましょう、彼女はロードLordの本体とも言える中核ちゅうかくの存在ですわね」

「なんで早七さなが知っているんだ...?」

「それは...」
 彼女は頬ほほを朱しゅに染め、モジモジと指先を動かした。
「...乙女おとめの秘密ひみつってことにしていただけませんかしら?」

 えぇ...そんなことある?

 そう思っていると彩福あやねは、こちらを見て不服ふふくそうに言った。
「乙女おとめの秘密ひみつを暴あばこうとするだなんて最低な男っすね」

(いや、そんなこと俺に言われても困るんだが!?!?)

 そんな理不尽りふじんをよそ目に、早七さなは話を続けた。
「実は彼女、元々は普通の女子高生だったんですけど、誤あやまって能力を発動してあなたの中にずっといたんですよ」
「それであなたと同調どうちょうしていくうちに、あなたの能力そのものになっていったんです」

「えっとつまり...?」
 俺は彩福あやねを見ると、少しバツの悪そうな顔をして話した。

「えぇと...実は...『パラサイトparasite プロトコルprotocol』ってのを発動しちゃいまして...」

(???なんだその能力は)

 華緋はるひが解説かいせつを挟はさんだ。
「つまり彼女は誰かの同意どういを経へることなく、宿主やどぬしに寄生きせいして栄養分えいようぶんを吸すい続つづけることに特化とっかした能力の持ち主です」

「えーっとつまり...居候いそうろう?」
 俺は彩福あやねを見ると、どこからともなく取り出した鳩はとのお菓子かしを投なげつけてきた。

「誰があんたの寄生虫きせいちゅうですか!!!ウチだって役に立ってたし!!!」
 ポカポカと、猫ねこのパンチのような感触かんしょくで殴なぐってくる彩福あやねを宥なだめるべく、早七さなに目配めくばせすると鶴つるの一声ひとこえを放はなった。

「彩福あやねさん、彼の妹をここに連れてこられますか?」

「えぇ...めんどっちぃし...」

「今ならこのお屋敷やしきでゲームやお菓子かし三昧ざんまいで過すごせるように、手配てはいしてもよろしくてよ」

「やります!!やりますっ!!いえ、ぜひやらせてくださいっ!!」

「ふふ、聞きき分わけの良よい子ですわね」
 現金げんきんなやつだ。尻尾しっぽを振ふる子犬のように従順じゅうじゅんになった。

「はぁ...俺が主人なんだけどな」

 そう言うと彩福あやねは口を尖とがらせキャンキャン吠ほえ始めた。
「うるさい!都合つごうのいい時だけ呼よび出だす奴やつとは大違おおちがいなんだよ!」

「では早速さっそくやっていただけるかしら」

「もちろんです姉御あねご!!!」

「早七さなと呼よんでも構かまいませんわよ」

(まったく、これじゃあどっちが主人なんだか...)

 彼女はロードLordの力を使い、時空間じくうかんを繋つなげ始はじめると歪ゆがんだ扉とびらが出現しゅつげんした。
 ぬるりと人の肌はだが見えたと思ったその時、確たしかに俺の妹の姿すがたが見え始めた。

「...!!未夏みか!!」
 俺はその手を掴つかんだ。手繰たぐり寄よせた彼女の身体からだから、懐なつかしく確たしかな体温たいおんが伝つたわってくる。

「...お兄ちゃん...?」

「俺だよ、未夏みか。待またせてすまない」
 俺はそう言うと未夏みかを抱だきしめると、未夏みかはボロボロと泣なき始めた。

「夕方ゆうがた戻もどらなかったの、ホントに心配しんぱいしたんだからね!!!バカッ!!バカお兄ちゃん!!」
 胸むねに響ひびく、彼女の小ちいさな拳こぶしの痛烈つうれつな衝撃しょうげき。俺は彼女が泣なき止やむまで、その重おもみをしっかりと受うけ止とめた。

「ほーん?これはもう出来ちゃってるって感じ?」
 彩福あやねがそう言って俺たちをからかった。少し驚おどろいた顔で未夏みかが振ふり返かえると俺に聞いてきた。

「お兄ちゃん、この人たち誰?」

「えっと...話せば色々長くなるんだけど。こっちが俺の姉の早七さな。こっちは...」
 俺が言い終おわらないうちに彩福あやねは割わり込こんできた。

「どうも~彼んとこに居候いそうろうしてた彩福あやねって言いま~す。これからよろしくね!未夏みかちゃん!」
(あ、やべこれは怒られるやつだ)

「お兄ちゃん...これってどういうつもり???」

「えっと、これには深いわけがあってだな...」
 未夏みかの手が、俺の頬ほほを鋭するどくビンタした。パァンと乾かわいた音おとが響ひびき、熱あつい痛いたみが走はしる。

「お兄ちゃんのバカッ!!!!」

(はぁ、心配してくれるのは嬉うれしいんだが、もう少し手心ってやつをだな...)
 俺は何も言いい返かえさず、彼女の怒いかりが鎮しずむのを待まつしかなかった。



 ―――

 ――― しばらくして



「えっとつまり彩福あやねさんは、お兄ちゃんの中にずっといたってわけ?」

「まぁそうなるっしょ!あぁ大丈夫だいじょうぶ!!あんたの恥はずかしい姿すがたは見てないからねっ!!」

 未夏みかは顔を真まっ赤かにし、熱ねつが出たように目を回して体育たいいく座ずわりで顔を伏ふせた。
「うぅ...穴があったら入りたいよ...」

 俺はそんな妹の肩かたをさすった。
「俺はもう気にしてないから...な?」

「...でも私が一番納得なっとくしてないし...」
 未夏みかは悶々もんもんとしていた。

「それでは早速さっそくだけど、素榛すばる、彩福あやね。こちらにいらして」
 早七さなは別室べっしつに俺たちを招まねき入いれた。

「華緋はるひ、弟君の妹をお願いね」

「仰おおせのままにお嬢様じょうさま」

 俺たちは廊下ろうかを出て通路つうろを突つき進すすむ。

「えっと、なんでうちが呼よばれたし」

「あなたがいないと話にならないからですわよ」

「ちぇ...ゲーム三昧ざんまいで毎日過ごせるかと思ったのに」

「何か文句でも?」

「い、いえ!!全くございませんっ!!」

「素榛すばる、あなたは入り口を守ってくださいな」

「承知しょうちいたしました」

 早七さなが俺たちを招まねき入いれたのは、装飾そうしょくを削そぎ落おとした、静謐せいひつで狭せまい和室だった。

「えぇと、こういうのって詫わび寂さびってやつ?」

「そうね。ここには最低限しか置かないですから」
「座布団はご自分で持っていらしてよ」

 早七さなが持もち出だした座布団ざぶとんのところから彩福あやねの分ぶんまでとり彼女に渡した。
 使い込こまれた布ぬのの感触かんしょくを指ゆびに感じながら、俺たちは机つくえも置かれていない畳たたみの上で向むかい合った。

「これで一安心ひとあんしんですわね」

「ふと疑問ぎもんに思ったんだけどさ」

「なんでしょうか」

「俺たちを恐れているのなら、なんで殲滅せんめつをせずに監視かんしなんかしてるんだろう」

「それにはSCPの生態せいたいが関かかわっています」
 彼女は、重おもい真実しんじつを一つ一つ置くように語かたり始めた。
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ゲマトレイル Gematrail — 残響領域の観測者 — 紅蓮よ、咲き誇れ作者:⛰️終末 金剛山
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Echo 10 『 お兄ちゃんのバカッ!!!! 』


「それではと言っては何ですが、屋敷やしきまでおいでくださいませ」
 彼女が乗っていた高級車の後部こうぶ座席ざせきに案内されると、綾華あやかは大丈夫だと頷うなずいた。

「では遠慮えんりょなく...」
 そう言って俺たちは車に乗り込こんだ。

「辻ノつじの先輩は乗らないんですか?」

「...いや、今回は遠慮えんりょしておく。神社の片付かたづけもあるのでね」

「そうか」

「由記ゆうき。その......なんだ。お前は命の恩人おんじんだ。だからこれからは私を下の名前で呼ぶといい」

「えっと......綾華あやか......先輩?」

 綾華あやかは少しだけ不満ふまんな様子で恥はずかしそうに視線を逸そらし、耳の裏まで赤く染めてうつむいた。
「......あぁ、そう呼ぶといい」

 俺は彼女に別わかれを告つげ、柔やわらかな革かわの座席の感触かんしょくを背中せなかに感じながら、宝生院ほうしょういんの車で屋敷やしきへと向かった。



 ―――

 ――― 車内にて



「それでは改あらためまして」
 宝生院ほうしょういん 早七さなが、流れるような動作で言葉を切り出した。

「初めまして。そしておかえりなさい、“ゆうき”くん」

 出会った瞬間から肌はだを刺さしていた奇妙きみょうな既視感きしかん。改あらためて彼女の顔を覗のぞき込こむと、吸すい込こまれるようなその瞳ひとみの色が、俺自身のそれと鏡写かがみうつしのように全く同じであることに気づき、背筋せすじに微かすかな痺しびれが走った。

「...俺のお姉さん、ということか?」

「そうよ、そしてあなたがまだ執行者しっこうしゃだった時、私は『運の女神』なんて呼ばれていたのよ」
 彼女は一瞬いっしゅんだけ、遠い地平を見るような物寂ものさびしげな眼差まなざしを浮うかべ、「まぁ、もう昔のことだけれど」と吐息混といきまじりに呟つぶやいた。

「その...」

「あぁ、早七さなでいいですわよ」

「...早七さなは、どうしてそんなに若いんだ?」

「あぁこれ?そうね、まずはあなたのことについて少し話さないといけませんわね」
 彼女は、記憶の澱よどみを掬すくい上げるように、ぽつりぽつりと語かたり始めた。

「あなたが海に沈められた時、私たちも黙だまっているはずも無かった。あなたを死刑にした人たちは、あなたの力だけを欲して何もかも抽出ちゅうしゅつした。そしてあなたは抜ぬけ殻がらになってしまった。」
「でも私たちの協力者が内部に侵入しんにゅうして、あなたの力の源を一部奪取だっしゅすることに成功した。それをみんなで分け合うことで、老化を遅らせている」

「遅らせるだけなのか?」

「えぇ、一番いい方法はあなたの体液を直接身体の中に流し込こむこと。それで若返りをするの。皮肉よね、人間の欲望のためにあなたが狙われるのは必然だって」
 早七は、慈いつくしみの色と深い悲しみが混まざり合った瞳ひとみでこちらを見た。家族を守ろうと、細い指先で懸命けんめいに運命を繋つなぎ止めてきた必死ひっしさが、その表情から滲にじみ出ていた。

「...俺を引き上げたのも、早七のおかげなのか?」

「私たちが引き上げた、と言うべきね。私はあなたの家族だから、ずっと目を付けられていたの。だから取引をしたの」

「取引?」

「まぁ内容なんて気にしなくていいわ。それより...」
 彼女は俺の瞳ひとみをじっと覗のぞき込こみ、恍惚こうこつとした、熱を帯おびた表情で膝ひざの上に跨またがってきた。

「弟君おとうとくん、おかえり♪」
「あぁ、私の可愛い弟、帰ってくるのをずっと心待ちにしてたのよ」
 彼女は強引ごういんに俺の口を塞ふさぎ、湿潤しつじゅんな舌を執拗しつように絡からませた。ヌチュリという粘着音ねんちゃくおとが車内に響ひびき、鼻腔びくうを彼女の甘い香かおりが満みたす。

「よーしよし、偉えらかったねぇ。お姉ねえちゃんが辛つらかった分も甘あまやかしてあげますからね~」
「あぁ心配しなくていいわよ。防音ぼうおんばっちりで運転席に伝わらないから~」
 露あらわわになった瑞々みずみずしい肌はだの感触かんしょくが胸むねに押おし付つけられ、脳内のうないが真っ白に塗ぬり潰つぶされていく。

 身体からだが言うことを聞かない。むしろ彼女のリードに導みちびかれるように、指先から力が抜け、ドロドロに溶とかされるままだった。脈動みゃくどうする粘膜ねんまくが、一滴いってきも余あまさず吸すい尽つくそうとするように熱くまとわりつく。視界から青い火花が消えるのと同時に、脳内に押し寄せていた猛烈もうれつな波が、ゆっくりと引いていくのを感じた。

「はぁ...ごちそうさまでした」
 彼女はウェットティッシュで口周りを拭ふくと、俺の顔を見て満足そうに微笑ほほえんだ。

「そろそろ着きますよお嬢様じょうさま」
 素榛すばるが車を停とめ、ドアを開く。そこは、静謐せいひつな空気が肌はだに触ふれる、詫わび寂さびの効いた古き良き邸宅ていたくだった。

「こちらにどうぞ」
 華緋はるひが扉とびらを開け、俺は奥おくの部屋に通とおされた。



 ―――

 ――― 宝生院邸にて



 昔ながらの畳たたみ。仄ほのかに香かおる陽ひだまりに照てらされたイ草ぐさの、青く乾かわいた匂におい。足裏で感じる畳たたみの凹凸でこぼこは滑なめらかで、毎日丁寧ていねいな手入ていれがされているのが、肌越はだごしに伝つたわってくる。正坐せいざで組もうとすると、早七さなは胡坐あぐらでいいと言ってくれたため足を楽にさせて座すわった。

 風通しがよく襖ふすまを開あけた先には、和モダンな日本にほん庭園ていえんが広がる。冷つめたそうな水玉みずたま模様もようの飛とび石、規則きそく正しく敷しき詰つめられた白川しらかわ御影みかげ砂利じゃり。その中心に、うねるような威圧感いあつかんを持って鎮座ちんざする三波石さんばせき。素榛すばるが点たててくれた抹茶まっちゃの深い苦にがみと熱あつさが、じんわりと五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡る。

「さて...まずは現状げんじょう知っておかなければならないことについて、情報を共有いたしますわ。陽大ひなた」
 呼びかけに応じ、空気がわずかに爆はぜるような気配けはいと共ともに影かげが現あらわれた。

「お呼びになりましたか?」

「最近の動向どうこうについて目立ったところはありましたか?」

「特にありません!引き続き監視かんししますっ!」
 ドロンと、煙けむりのような質感しつかんだけを残のこして跡形あとかたもなく消きえた。

 俺は目をまんまるにして驚おどろいていると、彼女はクスリと笑った。
「彼女はクノーでしてよ。あなたの先輩にあたる人ってところかしら」

(ふむ...同じ学校の先輩もいるのか...)
 俺はふと疑問に思ったことを話した。

「早七さなの財団ざいだんって、俺の学校を運営うんえいしてるの?」

「そうよ、あの学校にあなたを入れたのも私の手筈てはずなのよ」

「ってことは、あの生徒会長も?」

「えぇ、彼女は陽大ひなたの妹ですね。彼女の手腕しゅわんにはとても感心しているんですよ」

(全て彼女の計算通りってことか...)
 俺には以前から聞きたかったことがある。

「甘奈あまなは今どこにいるんだ?ここ最近見かけないんだが」
 早七さなの柔やわらかな笑えみが消きえ、空気がピリリと引き締しまるような真剣しんけんな面持おももちに変かわった。

(まさか...)俺は固唾かたずを飲んだ。



「彼女なら無事ぶじよ...今のところはね...」

 俺は少しだけ安心した。
「場所は?どこなんだ?」

「それが実は分かってないの、妹さんを別の場所で預あずかってて彼女ずっとうなされているのよね」
 胃の腑ふを冷つめたい手で掴つかまれるような、気味きみの悪い感覚。それでも彼女たちを救すくわねばならないという決意けついが、腹はらの底そこで固かたまった。

「...それだと俺の妹の安否あんぴが心配だな...」

「それについてはご安心ください。彼女は当家とうけにも出入りできるように許可きょかしましたので、いつでも来これますよ」

「しかし...かなり距離きょりがあるじゃないか」

「少しだけあなたの能力のうりょくを借りるわよ」
 そう言うと彼女は指をパチンと鳴らした。すると、俺の身体からだから透明とうめいな熱気のような「何か」が抜ぬけ出だし、みるみるうちに実体じったいを持って、一人の女子高生の姿として目の前に顕現けんげんした。

「う、うわぁぁあああ!!!!なんだこれは!?」

「まぁそう驚おどろかないでね。彼女まだ眠ってるから。華緋はるひ、彼女を起こしてあげなさい」
 そう言うと華緋はるひは、そのギャルっぽい見た目の女子高生を起こしてあげた。

「んみゃぁ...まだ寝たいんだけどぉ...うちなんで起こされてんの?」
 彼女は目をこすり周囲を見渡みわたすと、早七さなたちが放はなつ威圧感いあつかんに圧倒あっとうされ、瞳ひとみを潤うるませた。

「うぅ、うちもう帰ってもいいすか?」

「ダメですよSCP-S759、もとい七本ななもと 彩福あやねさん」

「うげっ、なんで私の名前知ってるし!?」
 彼女は勘弁かんべんしてくれという顔で「堪忍かんにんつかぁさい」と言いながら俺に懇願こんがんしてきた。いや、俺も今初はじめて知ったから驚おどろいているんだが。

「紹介しょうかいしましょう、彼女はロードLordの本体とも言える中核ちゅうかくの存在ですわね」

「なんで早七さなが知っているんだ...?」

「それは...」
 彼女は頬ほほを朱しゅに染め、モジモジと指先を動かした。
「...乙女おとめの秘密ひみつってことにしていただけませんかしら?」

 えぇ...そんなことある?

 そう思っていると彩福あやねは、こちらを見て不服ふふくそうに言った。
「乙女おとめの秘密ひみつを暴あばこうとするだなんて最低な男っすね」

(いや、そんなこと俺に言われても困るんだが!?!?)

 そんな理不尽りふじんをよそ目に、早七さなは話を続けた。
「実は彼女、元々は普通の女子高生だったんですけど、誤あやまって能力を発動してあなたの中にずっといたんですよ」
「それであなたと同調どうちょうしていくうちに、あなたの能力そのものになっていったんです」

「えっとつまり...?」
 俺は彩福あやねを見ると、少しバツの悪そうな顔をして話した。

「えぇと...実は...『パラサイトparasite プロトコルprotocol』ってのを発動しちゃいまして...」

(???なんだその能力は)

 華緋はるひが解説かいせつを挟はさんだ。
「つまり彼女は誰かの同意どういを経へることなく、宿主やどぬしに寄生きせいして栄養分えいようぶんを吸すい続つづけることに特化とっかした能力の持ち主です」

「えーっとつまり...居候いそうろう?」
 俺は彩福あやねを見ると、どこからともなく取り出した鳩はとのお菓子かしを投なげつけてきた。

「誰があんたの寄生虫きせいちゅうですか!!!ウチだって役に立ってたし!!!」
 ポカポカと、猫ねこのパンチのような感触かんしょくで殴なぐってくる彩福あやねを宥なだめるべく、早七さなに目配めくばせすると鶴つるの一声ひとこえを放はなった。

「彩福あやねさん、彼の妹をここに連れてこられますか?」

「えぇ...めんどっちぃし...」

「今ならこのお屋敷やしきでゲームやお菓子かし三昧ざんまいで過すごせるように、手配てはいしてもよろしくてよ」

「やります!!やりますっ!!いえ、ぜひやらせてくださいっ!!」

「ふふ、聞きき分わけの良よい子ですわね」
 現金げんきんなやつだ。尻尾しっぽを振ふる子犬のように従順じゅうじゅんになった。

「はぁ...俺が主人なんだけどな」

 そう言うと彩福あやねは口を尖とがらせキャンキャン吠ほえ始めた。
「うるさい!都合つごうのいい時だけ呼よび出だす奴やつとは大違おおちがいなんだよ!」

「では早速さっそくやっていただけるかしら」

「もちろんです姉御あねご!!!」

「早七さなと呼よんでも構かまいませんわよ」

(まったく、これじゃあどっちが主人なんだか...)

 彼女はロードLordの力を使い、時空間じくうかんを繋つなげ始はじめると歪ゆがんだ扉とびらが出現しゅつげんした。
 ぬるりと人の肌はだが見えたと思ったその時、確たしかに俺の妹の姿すがたが見え始めた。

「...!!未夏みか!!」
 俺はその手を掴つかんだ。手繰たぐり寄よせた彼女の身体からだから、懐なつかしく確たしかな体温たいおんが伝つたわってくる。

「...お兄ちゃん...?」

「俺だよ、未夏みか。待またせてすまない」
 俺はそう言うと未夏みかを抱だきしめると、未夏みかはボロボロと泣なき始めた。

「夕方ゆうがた戻もどらなかったの、ホントに心配しんぱいしたんだからね!!!バカッ!!バカお兄ちゃん!!」
 胸むねに響ひびく、彼女の小ちいさな拳こぶしの痛烈つうれつな衝撃しょうげき。俺は彼女が泣なき止やむまで、その重おもみをしっかりと受うけ止とめた。

「ほーん?これはもう出来ちゃってるって感じ?」
 彩福あやねがそう言って俺たちをからかった。少し驚おどろいた顔で未夏みかが振ふり返かえると俺に聞いてきた。

「お兄ちゃん、この人たち誰?」

「えっと...話せば色々長くなるんだけど。こっちが俺の姉の早七さな。こっちは...」
 俺が言い終おわらないうちに彩福あやねは割わり込こんできた。

「どうも~彼んとこに居候いそうろうしてた彩福あやねって言いま~す。これからよろしくね!未夏みかちゃん!」
(あ、やべこれは怒られるやつだ)

「お兄ちゃん...これってどういうつもり???」

「えっと、これには深いわけがあってだな...」
 未夏みかの手が、俺の頬ほほを鋭するどくビンタした。パァンと乾かわいた音おとが響ひびき、熱あつい痛いたみが走はしる。

「お兄ちゃんのバカッ!!!!」

(はぁ、心配してくれるのは嬉うれしいんだが、もう少し手心ってやつをだな...)
 俺は何も言いい返かえさず、彼女の怒いかりが鎮しずむのを待まつしかなかった。



 ―――

 ――― しばらくして



「えっとつまり彩福あやねさんは、お兄ちゃんの中にずっといたってわけ?」

「まぁそうなるっしょ!あぁ大丈夫だいじょうぶ!!あんたの恥はずかしい姿すがたは見てないからねっ!!」

 未夏みかは顔を真まっ赤かにし、熱ねつが出たように目を回して体育たいいく座ずわりで顔を伏ふせた。
「うぅ...穴があったら入りたいよ...」

 俺はそんな妹の肩かたをさすった。
「俺はもう気にしてないから...な?」

「...でも私が一番納得なっとくしてないし...」
 未夏みかは悶々もんもんとしていた。

「それでは早速さっそくだけど、素榛すばる、彩福あやね。こちらにいらして」
 早七さなは別室べっしつに俺たちを招まねき入いれた。

「華緋はるひ、弟君の妹をお願いね」

「仰おおせのままにお嬢様じょうさま」

 俺たちは廊下ろうかを出て通路つうろを突つき進すすむ。

「えっと、なんでうちが呼よばれたし」

「あなたがいないと話にならないからですわよ」

「ちぇ...ゲーム三昧ざんまいで毎日過ごせるかと思ったのに」

「何か文句でも?」

「い、いえ!!全くございませんっ!!」

「素榛すばる、あなたは入り口を守ってくださいな」

「承知しょうちいたしました」

 早七さなが俺たちを招まねき入いれたのは、装飾そうしょくを削そぎ落おとした、静謐せいひつで狭せまい和室だった。

「えぇと、こういうのって詫わび寂さびってやつ?」

「そうね。ここには最低限しか置かないですから」
「座布団はご自分で持っていらしてよ」

 早七さなが持もち出だした座布団ざぶとんのところから彩福あやねの分ぶんまでとり彼女に渡した。
 使い込こまれた布ぬのの感触かんしょくを指ゆびに感じながら、俺たちは机つくえも置かれていない畳たたみの上で向むかい合った。

「これで一安心ひとあんしんですわね」

「ふと疑問ぎもんに思ったんだけどさ」

「なんでしょうか」

「俺たちを恐れているのなら、なんで殲滅せんめつをせずに監視かんしなんかしてるんだろう」

「それにはSCPの生態せいたいが関かかわっています」
 彼女は、重おもい真実しんじつを一つ一つ置くように語かたり始めた。
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ゲマトレイル Gematrail — 残響領域の観測者 — 紅蓮よ、咲き誇れ作者:⛰️終末 金剛山
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