第二話 月の兵舎 前編
王宮を出ると空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。王宮から兵舎まではそう遠くないが、着く頃には暗くなっていそうだった。
ここから東だとルカはユキに話しかけて歩き出す。王宮の前にある道は石畳で綺麗に舗装されており、目の前には夕陽を浴びた三人の影が伸びていた。
「ねぇ、ルカ。 結構重大なことに気付いたんだけどさ」
レイがルカの横に並んで話しかける。ルカが「なんだ?」と顔を向けると、困ったような顔をしたレイと目が合った。
「兵舎って女人禁制じゃなかったっけ」
ピタリと足を止めたルカに二人も合わせて立ち止まる。ルカは思わず「しまった......」と声を漏らした。確かに重大なことを忘れていた。
止まってしまったルカたちをユキは首を傾げて見上げた。その目は、平常時の色である黒色に戻っている。
「でも、私は心響使いになれるんですよね? シンファなら女でも兵舎に入れるんじゃないですか?」
ユキは不安そうな顔をしてルカを覗き込んでいる。先ほどの気迫はなく、ギールや高官たちに刃向かった女には見えなかった。それほど自分のことを頼ってくれているのだとルカは気付き、自分まで不安になってはいけないと気を引き締め直す。
「だと思うが......まずはシンファの証をもらう必要がある。そのためにはこの国のシンファをとりまとめるシンファ長の元へ行って、面接して簡単な書類を書いて提出するだけだからそれほど難しくはない。問題は、そのシンファ長が兵舎の中にいるってことだ 」
え、とユキは眉をしかめた。その目がわずかに紫色に染まる。これは困惑の色だ。
「......つまり、私は女なので兵舎に入れない。シンファならば女でも入れるかもしれないけど、その証をもらうには兵舎の中のシンファ長の元へ行かなければならない。結果、私は兵舎に入れないってことですか」
「まぁ、そうなるな」
ルカがそう返すと、隣で聞いていたレイも「うーん」と頭を悩ませた。
「昔は女性でもシンファの家族なら、顔を見に来たってことでちょっとだけ兵舎の中に入れたらしいけどね。妹だって嘘ついて女を連れ込むやつが多くて、完全女人禁制になったんだよ。どうする、ルカ。入門許可証もらえるか分かんないけど、ジェクロさんのとこ行ってこようか?」
ルカは少し考えて「それしかないな」と応えた。
月のシンファの訓練所の敷地内に入るには、原則として入門許可証が必要だ。許可証にはシンファ長と副シンファ長の署名が必要で、シンファ長のジェクロさんならば許可してくれる可能性はあるだろう。
しかし、あの厳格な副シンファ長のドドリゴさんが女を兵舎に入れ、さらにシンファにするなど簡単に許してくれるような気はしなかった。
しかもハクの妹だと言ったらよけいややこしいことになりそうな気がする。
まぁ、いざとなったらジェクロさんに書類持って出て来てもらえばいいかと、ルカは前向きに考える。
「ジェクロさんって確か副シンファ長の方ですよね?」
ユキはなおも顔を上げて話しかける。そこまで知っているのかと驚きつつ、ルカは「いや」と返事をした。
「色々あって前任が辞め、昨年からジェクロさんがシンファ長になったんだ」
「そうですか......」
ルカの説明に複雑そうな顔でユキは頷く。「色々」と言うのが兄の件と大きく関わっているということを、きっとユキは察しているのだろうとルカは思う。
「そんなに心配そうな顔しなくても、ジェクロさんはいい人だから大丈夫だよ。気さくだし、人を差別しないし。さっきみたいにシンファになりたいって強い気持ちを伝えれば、シンファにしてくれると思うけどな」
レイはユキに向かって微笑んだ。その言葉に安心したのか、ユキの瞳は黒色に戻る。相変わらず面白い瞳だと、ルカは昔の記憶と重ねて思う。
「まぁ、とにかく兵舎に向かおう。早くしないと日が暮れてしまう」
陽はだんだんと沈んでいき、向かう先はだいぶ夜の帳が降りてきている。「そうだね」とレイが言い、また三人で歩き始めた。
今はもう三ノ月である花咲月も終わり頃だが、夜も近くなると肌寒い風が吹いてくる。先ほど侍女がユキに着せた服は下女が王室で着るなかなか上等な服であるが、夜風に当たるには薄いだろうなとルカは思った。
そんなことを考えながら歩いていると、「あの......」とユキはまたルカを見上げていた。「ん?」とルカはユキに顔を向ける。
「今、兵舎に向かっていますが、そこには先ほど私を王宮に連れてきた兵士たちも住んでいるのですか?」
ルカはなぜ先ほどの兵士の話が出てくるか分からず言葉に詰まったが、すぐに意図が分かり「あぁ」と声を出す。
「いや、さっきの兵士は王宮付きの兵士で、シンファとは関係ない。王宮の敷地内の兵舎で暮らしている。俺たちが今向かっているのは『月の兵舎』で、シンファしかいないさ」
「そうですか」とユキは安心したような顔になった。兵舎と聞けば、兵士がいると思うのも無理はない。王宮であんなことがあった後で、兵士になど会いたくないだろう。
「まぁ、ややこしいよな。今では月の宿舎とか寮とか言われてるけど、『月の兵舎』って言うのが昔から一般的なんだ。
シンファは元々兵士として戦わされてたから、その名残なんだよ。五十年くらい前まで国同士の武力での争いが絶えなかったから、今でもシンファは兵士だと思ってる人もいるし。今ではシンファは兵士じゃなくて心闘の選手であることの方が多いんだけどな」
ユキは興味深そうに頷きながらルカの話を聞いている。そう言えばハクは兵舎よりも寮と呼ぶ方を好んだから、ユキへの手紙でも兵関係のことはあまり書いてなかったのかもしれないなとルカは思った。
こんなに目を輝かせて聞いてくれるのなら、もっとこの国のことを話してやりたくなる。
「シン・ルッカのことは知っているか?」と聞くと、「はい」とユキは返事をする。
「シン・ルッカはシンファ同士の戦いで、小さな試合を含めると毎日のように行われている。それの最も大きなもので、年に一度五つの国で一番のシンファ隊を決めるのが、お前が優勝すると豪語した五神祭だ。表面上では国同士の友好を深めるための祭りだが、国同士の優劣を決める戦いだと勘違いしてる奴らもいる。......まったく、戦争は終わったっていうのにシンファを駒に使うのはやめてほしいもんだ」
ルカは忌々しげに言ってちらりとユキの顔を見ると、彼女はまた不安そうな顔になっていた。
「ルカ、ユキはせっかく希望を持ってシンファになりたいと言ってこの国に来たのに、暗い部分を言うのは早すぎるよ。もうちょっとゆっくりいこう」
レイに言われ、ルカは「すまない」と口を閉じた。国への鬱憤などユキに言っても仕方のないことだ。それに、シンファの暗い部分など兄を失った彼女が一番分かっているだろう。
「......シンファには兵士になる人もいるのですか?」
ユキはまたルカに話しかける。「そうだな」とルカは頷いた。
「さっきシンファはシン・ルッカの選手を指すことが多いと言ったが、シンファから兵士になったやつも結構いる。他の仕事とかけもちしながらシンファとして試合に出てるやつもいるし、まぁ、色々だ」
「そうなんですか」とユキは言ってまた静かに歩き始めた。ユキはこの国の全てが珍しいようで、キョロキョロしながら周辺を見渡している。王宮の近くは店や民家が少なく静かだ。途中で何回か馬車が横切ったが、それすらもユキには珍しいようで、見えなくなるまでじっと見つめていた。ハクも最初に来た時はこうだったなと、ルカに懐かしい思いがまた込み上げてきた。