第二話 月の兵舎 後編
月の兵舎の裏門近くの公園に辿りついた時には、すでに太陽は沈んでしまっていた。目の前に見える塀の奥には月の兵舎が見え、窓から灯る暖かな光が黒を基調とした壁を照らしていたる。
「じゃあ、俺呼んでくるね」
「あぁ、よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
ユキが軽く頭を下げるとレイは手を振って兵舎の方へと走っていった。
ルカたちは近くにあった園地の長椅子に腰をかける。けっこう明るいなとルカが空を見上げると、雲ひとつない空には半月が輝いていた。ルカは周りを見渡したが二人以外に人はいないようだった。
ふう、と隣でユキが息をはいた。さすがに疲れたんだろうなと思ってユキを見ると、ユキもルカを見ていて目があった。意外にもその目はキラキラと輝いている。
「この国は本当に色んなものであふれてますね!」
急に明るい声で話しかけられてルカは驚く。そんなルカをよそに、ユキは堰を切ったように話し始めた。
「最初王宮に来た時は黒色の壁で少し怖いなと思ってたんですけど、壁には見たことないくらい大きい絵が飾ってあるし、花もたくさん飾ってあってすごく綺麗でした。それに女性にもらった服なんてまるで花束のような香りがするんです!」
そう言ってユキは服の袖をパタパタと振った。確かに服には香を焚きつけてあるのか花のようないい香りがする。まるで田舎の小さな子供が初めて街に来たかのような興奮ぶりで話すので、ルカは思わず笑いそうになったが堪えて話を聞いた。
「それに、ルカさんの髪の色もとても綺麗です! 兄はルカさんの目は青色で、髪は輝くような金色をしているって言ってて、本当にそんな髪色の人がいるのかなって思ってたんです。そしたら、本当に金色でびっくりしました......! レイさんだって褐色の肌に銀の髪で、私の周りには私みたいな肌色の人しかいなかったので、レイさんを見てかっこいいなって思いました......!」
ルカはついに耐えきれず笑ってしまった。金色の髪なんてこの国じゃ珍しいものではない。褐色の肌なんて、かっこいいと思う人間の方がかなり少ないだろう。それなのにユキも、ハクも、何の先入観もない人間はそんな風に思うのだなと思うとおかしかった。
綺麗な目と髪の色だと昔ハクに褒められた時、おまえに言われても嫌味にしか聞こえないと笑ったのをルカは覚えている。
「おまえ、今レイと同じ目の色になってるぞ」
そう言うとユキははっとしたような顔になったが、鏡が近くにない今の状態では自分の目を確認することはできないだろう。今のユキの瞳の色は黄色、見ようによっては金色に輝いて見える。楽しさや喜びを表す色だ。
「すみません、興奮して」とユキは目をそらしたので「別に構わないさ」とルカは返した。あれほどもう一度見たいと願った虹石の瞳を再び見ることができるなんて、自分の方が嬉しくて仕方がないとユキに伝えたい気分だった。
ユキは静かに月を見上げた。月明かりに照らされた肌は白く輝いていて、思わず見とれそうになってルカは目をそらす。数年前に見た面影を重ねてしまいそうだった。
「......私と一緒に連れてこられた女性たちはどうなるんですか?」
ユキはぽつりとつぶやいた。献女たちのことを言っているのだろうとルカは気付く。自分だけ王宮を抜け出したことに罪悪感を感じているのか、献女たちの今後を案じているのかもしれない。
「......まぁ、あのまま王宮で下女として働くことになるだろうな。普通の奴隷として働くより待遇はいいだろう」
「そうですか」とユキはほっとしたように言った。先ほどの献女たちはこの国では一般的な肌色であったので、元々奴隷の種族出身ではなく訳あって王宮に売られて来た女たちはなのだろう。今は昔ほど奴隷の境遇は悪くないので、そんなに酷い目に遭わされることはないとルカは思う。
そのあとユキは黙って兵舎の方を見つめていた。ルカも四階建ての兵舎を見つめ、レイのやつ今どこを歩いてるんだろうかと考えていた。早くシノとハオにもユキを見せてやりたかった。ハクの妹がいきなり現れたら、あいつらどんな顔して驚くのだろうかと考えるだけで胸が踊るのを感じた。
「......星降る山脈の民っていうのはみんな心響が多いのか?」
いきなりの質問にユキは「えっ」と声を出してルカを見た。ルカはあまり考えずにしゃべったものだから、次に繋げる言葉を急いで考える。
「いや、シンっていうのは誰しも心に秘めている力だろ。シンの量には個人差があるけど、ハクもおまえも群を抜いて多いから、リン・シャロルの人間はみんなそうなのかなと思っただけだ」
ユキのシンの量はさっき王宮で見た通りだし、ハクも月のシンファの中では飛び抜けで強いシンを持っていた。リン・シャロルの民は不思議な力を持っていると伝えられているが、シンの強さもその一つなのではないかとルカは考えずにいられなかった。
「......すみません、答えられません」
ユキは申し訳なさそうに言う。「あぁ、そうだったな」とルカは思い出してつぶやいた。
リン・シャロルの民は自分たちのことを他種族の人間にしゃべることを禁忌とすると、昔ハクが言っていた。それは自分たちの種族がどんな特徴を持っているのかの他に、どこに住んでいるのかや、どんな生活をしているのかまで全て秘密にしなければならないらしい。だからどんな小さなことを聞かれてもハクはいつも申し訳なさそうに「言えない」と言っていたし、ルカもハクの過去など何も知らないままでいた。何度も知りたいとは思ったが、それがハクを苦しめると知っていたので何も聞かなかった。
二人の間に沈黙が流れ、あいつはまだだろうかとルカは兵舎の裏門に目を向けた。
すると、暗がりの奥で二つの影が揺れていることに気付いた。ユキも気付いたようでそちらに視線を向けている。
2つの影はやはり人で、こちらに近づいてくるにつれ輪郭もくっきりとしてくる。
影が誰なのだか判断しできる距離まで来るとルカは反射的に立ち上がり、それにつられてユキも立ち上がった。
二人の内一人は銀色の髪を揺らしているレイで、もう一人は背が高く、くしゃくしゃの黒髪に眼鏡をかけた男だった。
男は「お疲れさん」と微笑んでルカとユキの前で立ち止まる。ルカも「お疲れ様です」と返事をして姿勢を正した。
男はユキの顔を見て少し目を見開き、そしてみるみるうちに笑みを広げていった。
「......初めまして、ユキくん。僕はこの国のシンファ長を務めているジェクロだ」
ジェクロは穏やかに微笑むとユキに右手を差し出した。
「初めまして。ハクの妹のユキと言います」
ユキはどこか緊張した面持ちでジェクロと握手をした。
初めて会ったはずなのにどこか懐かしそうな瞳でユキを見つめるジェクロを見て、彼もまたハクの面影をユキと重ねているのだとルカは感じた。