第三話 月のシンファ長 前編
「驚いたよ、最初はレイが冗談を言っているのかと思っていた」
ジェクロは三人に笑いかける。夜中の園地には、彼の穏やかな声だけが静かに響いていた。ジェクロは顎に生えた髭を軽くなぞりながらレイの方に顔を向ける。
「『ハクの妹が心響使いになりに来たから外まで出て来てくれ』ってね。新手のイタズラか何かかと思って困惑してたんだけど、レイの真剣な表情が嘘に見えなくてね。そしたら、ちょうどその時王宮から文書鳥が来たのさ」
王宮という言葉でルカの頭に一瞬ギールの顔がよぎり、なんだか嫌な予感がした。王宮から兵舎に文書鳥を寄越すなんてよほど急いでいる時ぐらいだ。そんな思いに気付いたように、ジェクロは今度はルカの方に顔を向けた。
「文書鳥が持っていた手紙の差出人はギールからでね。お前のとこのシンファがリン・シャロルの女をそっちに連れてったから覚悟しとけって、そんな感じの内容だった。それでその女はハクの妹だって書いてあるものだから、さらに驚いたさ。かっこいいな、ルカ。お前ユキくんを助けるためギールに逆らったんだってな」
あぁ、やっぱりあいつかと、ルカは嫌な気持ちになった。いったい王宮での出来事を周りにどんな風に報告されているのかと思うと頭が痛かった。
「ユキくんもすごいな。とんでもない量のシンを放出させたんだろう? 部屋の壁に少しヒビが入ったから修繕費を出せとも書いてあったよ」
「すいません......」とユキが謝ると「そのくらいいいさ」とジェクロは笑った。
「......覚悟しておけとはどういうことですか? まさか、ユキを奪いに来るつもりでなないでしょうね」
ルカは険しい表情でジェクロに問いかけた。王宮での出来事はすでに月の王にも届いているはずだ。王がリン・シャロルの女を欲しいと言えば、ユキは王宮に連れて行かれるだろう。自分に罰則が科せられるだけならいいが、ユキを王宮に差し出すなんて死んでも嫌だった。
ジェクロは「いや」と穏やかな顔で否定した。
「王はユキくんを侍女にするおつもりはないらしい。すでに王宮にはたくさん侍女が働いているからね。でも会いたいとは言ってるらしいから、そのうちみんなで王に謁見しに行こうか。覚悟しろっていうのは、女で、しかもハクの妹であるユキくんを月の兵舎に連れて行くととんでもない騒ぎになるから覚悟しとけって意味だと思うよ」
ルカはほっとして息をはいた。ユキも心なしか安堵した表情になっている。ジェクロさんは直接的に言わないが、ハクの妹であることも王が侍女にすることを嫌がる理由の一つだろうとルカは思う。ハクの美しさに入れ込み過ぎた太陽の王が破滅したことから、一部の人間にリン・シャロルの民は災いをもたらすとささやかれるようになってしまったからだ。
「まぁ、ここで立ち話もなんだから、続きは中に入って話そうか。シンファになる手続きもしなきゃいけないしね」
そう言ってジェクロはユキに一枚の紙を手渡した。ユキはきょとんとした顔をしてその紙を受け取り、ルカはその紙を横から覗き込んだ。
「......入門許可証!」
ユキは嬉しそうに紙に書かれた文字を読み上げた。その紙にはシンファとなるためユキの月の兵舎への入門を許可すると書かれており、ジェクロと副シンファ長のドドリゴの署名がされている。
「ドドリゴさんが許可したんですか?」
ルカは素朴な疑問をジェクロに言った。シンファ長の権限があれば可能なのであろうが、あのドドリゴさんが快く了承したとは思えなかった。ジェクロはにやりと微笑んで口を開いた。
「特別な理由がない限りは彼も認めないさ。でも今回は特別だろう? なんたってこのクィージェナの地で史上初の女シンファが誕生するんだからね!」
ジェクロは楽しそうに「さぁ、行くか」と言って兵舎に向け歩き始めた。
「よかったね、ユキ」とレイはユキに笑いかけ、ユキも嬉しそうに「はい!」と言った。
どう言ってドドリゴさんに署名させたのだろうかとルカは考えながらジェクロの後を追った。
「......入門許可証がもらえたんなら、お前がそれ持って来ればわざわざジェクロさんに出て来てもらう必要なかったんじゃないか?」
ルカはレイの横に並び声をひそめて話しかけた。
「俺もそう思ったんだけどね、『僕が一緒に付いていれば誰も偽物だと疑わないだろう』ってジェクロさんが言ったんだ」
レイも同じく声をひそめてルカに言った。「あぁ......」とルカは納得しかけたが、「それにね」とレイは言葉を続けた。
「ユキに会った時は平然を装ってたけど、ジェクロさんハクの妹がすぐそこにいるって知った時『すぐに行く!』って部屋を飛び出しそうになって、ドドリゴさんに止められてたんだよ」
「なるほど」と、ルカは納得したように笑った。
ルカたちは裏門を通り、月の兵舎の南棟正面までたどり着いた。この国でも大きい建物の部類に入る月の兵舎は北棟と南棟に分かれており、北棟が主にシンファたちの宿舎で南棟にはシンファ長の部屋や会議室、書庫室などがある。ルカにとって毎日見ているものなので普段は何も感じないが、今だけはどこか新鮮な気持ちで南棟の玄関を見つめていた。
この時間北棟にも南棟にも玄関には鍵がかかっている。外出許可証がなければ鍵を持って出て行ってはならない決まりになっているため、基本的に兵舎で生活しているシンファは勝手に夜間に外出することを禁じられている。今日は王宮へ出向く用事があったためルカは鍵を持っていたが、それは使わずジェクロが持っていた鍵を使って中へと入った。
シンファ長の部屋は三階にあるため、階段を目指して廊下を歩いて行った。向こうから三人のシンファたちが談笑しながら歩いて来て、先頭を歩いていたジェクロに気が付きこちらに顔を向けた。
「あぁ、ジェクロさん、お帰りなさい......」
一人が親しげにジェクロに話しかけたが、後ろに目を向けて息を詰めてしまった。他の二人もジェクロの後ろにいたユキを見て目を見開いて立ち止まった。
そんな三人を特に気にせず、ジェクロは「ただいま」と行って横を通り過ぎた。ルカもレイも同じように気にせずに通り過ぎる。ユキは自分に向けられている視線に居心地が悪そうな表情になったが、何も言わずに三人の横を通り過ぎた。
「リン・シャロル......?」
ルカたちの後ろで三人の内一人が震える声でつぶやいた。無論、その声はルカたちに届いていた。
「なんでリン・シャロルの女がここに......?」
「ジェクロさんと一緒にいたの、月虹隊のやつらだよな? またあいつらが関わってるのか?」
「なぁ......今の女、ハクに似てなかったか?」
「ば、馬鹿なこと言うなよ......」
三人の声を聞きながら、ギールの手紙の通り面倒なことになりそうだとルカはため息をはいた。
三階まで上がり廊下をしばらくあるくと、ジェクロはユキにここだよと話しかけてシンファ長の部屋を開け中に入った。ルカとレイは失礼しますと礼をしてから中に入り、ユキもそれにならって失礼しますと礼をして中に入った。
部屋に入ると正面の奥にはシンファ長が仕事を行うための机と椅子が置かれており、机の上は書類が山のように積まれていた。手前側には客人と話をするために長机と、それをはさむように二つの長椅子が置かれている。左右の壁際には棚が置かれていて、中にはぎっしりと本や書類が詰め込まれていた。
部屋に入ったルカは嫌な顔をしないよう意識を集中させた。なぜならシンファ長の机の横には厳しい顔でルカたちをにらむドドリゴが立っていたからだ。
ジェクロはシンファ長の机に座り、「さて」と声を出した。ルカたち三人もその机の前まで行き、ドドリゴの視線を気にしないふりをしてジェクロの言葉を待った。
「いまからシンファの資質があるかどうか見るため、いくつか質問させてもらうよ。まぁ、試験みたいに難しいものじゃないから肩の力を抜いていいよ」
「はい」と、ユキは少し緊張したように返事をした。
「......何をしに来た」
突然ドドリゴが話し出し、皆驚いてそちらを見た。ドドリゴの意志の強そうな黒い瞳は、容赦無くユキをとらえていた。
「......シンファになりに来たのです」
ユキは臆することなく黒い瞳を見つめ返す。ドドリゴは依然として厳しい表情でユキを見つめている。
「......目的は何だ。女であるお前がなぜシンファになる必要があるんだ」
「兄の代わりに五神祭で優勝するためです」
「ほう」とジェクロは感心したように声を出し、ドドリゴは眉をしかめるとまた何か言おうと口を開いた。
「いいじゃないか、ドドリゴ。彼女は兄の代わりに兄の夢を果たそうと勇気を出してここに来たんだ。これ以外に理由がいるのかい?」
ドドリゴの言葉を遮るようにジェクロは言った。ドドリゴの厳しい視線はユキから外れ、代わりにジェクロへと移った。
「......お言葉ですがジェクロさん、あなたは危機感がなさすぎるのです」
ドドリゴは厳しくジェクロに言った。
「素性も何も分からない異種族の女を、なぜ疑いもせず受け入れようとしているのですか。女がシンファになりたいなど聞いたことがない。ハクの妹だと言っているが、それも本当か分からない。この国で行動しやすくするための嘘かもしれない。......それにリン・シャロルの者を受け入れることが他国にどのような影響を与えるかお分かりにならないのですか?」
ドドリゴの言葉にユキの眉がピクリと動くのをルカは見逃さなかった。確かにドドリゴの言うことは一理あるが、こんなあからさまにハクの妹であることを疑われてはユキもいい思いはしないだろうとルカは思う。ユキは本当にハクの妹だと言ってやりたかったが、何の証拠も持っていないためルカは大人しく口をつぐんだ。
「君もギールと同じようなことを言うんだなぁ」と、ジェクロは静かにため息をはいた。
「そんな嘘をついても、ユキくんに何の利点もないと思うけどね。一体この子に何ができると言うんだい? 異種族と言っても普通の女の子だ。まさか君もリン・シャロルの民には呪いの力があるなんて言うんじゃないだろうね」
ジェクロは穏やかに言ったが、ドドリゴを見つめる瞳は厳しさを含んでいた。
ハクが死んだ時、多くの人々は太陽の王を非難しハクを擁護してくれたが、太陽の王と親しい関係にあった者の中にはハクを蔑み、呪いの力により王を貶めたと言い張る者もいた。当時ルカはそのことを聞くたび怒りに身を震わせていたが、今となっては馬鹿なことを考えるものだと呆れるばかりだ。
ジェクロはまたドドリゴに向かって口を開いた。
「ハクを思い出してくれ。あの子は確かに虹色に変わる瞳と飛び抜けた強さのシンを持っていたけれど、それ以外は同い年の子と何ら変わらない普通の少年だった。彼はユキくんと同じ、ただ純粋にシンファになりたかっただけだった。それを女で、リン・シャロルの民だという理由だけでシンファなる資格すら与えないのかい? それは五国が定めたシン・ルッカの掟に背くと思うけどね」
ルカはジェクロの言葉を聞きながら、自分も同じようなことを王宮でギールに叫んだのを思い出した。シン・ルッカの掟にはシンファを志す者を身分、種族の違い等を理由に拒むことはできないとある。未だに奴隷の身分であったものをシンファにすることに難色を示す者もいるが、ジェクロはそのような差別は決してしなかった。
ジェクロは確かに穏やかすぎて危うく感じる時もあるが、シンファたちのためならば必ず声を上げ助けてくれるため、月の国のシンファは皆ジェクロのことを信頼している。その穏やかさの裏にある心強さを、シンファたちは皆感じていた。
ドドリゴは黙ってジェクロの話を聞いていたが、やがて諦めたように目を閉じため息をはいた。
「分かりましたよ、ジェクロさん。あなたの意志に従います」
それを聞いてジェクロは「ありがとう」とほほ笑み、ルカたちのほうを向きなおした。ルカたちもほっとしてジェクロの顔を見た。