第一話 星降る山脈の民
兄の犯した禁忌は、やがて神をも巻き込む禁断の歴史を目覚めさせる
「私を『心響使い』にしてください!」
女はその細い体から想像もつかぬほどの大声で叫んだ。
一瞬の沈黙の後、男たちのざわめきが場を埋め尽くす。
ルカも呆然として女を見つめた。
その女の後ろに控えた他の献女たちも、信じられないという顔で女を見た。女は服を全て剥ぎ取られ、一糸纏わぬ体に手枷をはめられているという憐れな姿であるはずなのに、その凜とした立ち姿には憐れさの欠片も見受けられなかった。
気狂いの女か、と男たちは鼻で笑った。
王宮にはしばしば献女として見目のいい奴隷の女が献上される。大抵は下女として働かされるが、高官たちに気に入られれば側女として仕えさせられる。中でも美しい女は王に召し上げられることもある。ただのシンファであるルカには関係のない話であるので、献女には興味がなかったが、今日だけは別だった。
今日の献女には『星降る山脈の民』がいると聞き、ルカは思わず来てしまったのだ。
たった今シンファにしてくれと叫んだ女こそ、そのリン・シャロルの民であろう。王宮に入ってすぐにある、訪問者を審査するこの部屋には六人の女がいたが、その女ほどリン・シャロルの民の特徴を有しているものはいなかった。
美しい顔立ちに透き通るほどの白肌と対照的な漆黒の髪、そしてリン・シャロルの民最大の特徴である『虹石の瞳』を有している。感情によって虹色に変わるその瞳は、今は燃えるような赤色に染まっている。
赤は怒りと興奮の色だ、とルカはすぐに思い出す。
「感情が隠せなくて困るんだ」と、遠い昔に見た困り顔が脳裏に浮かんで、胸がズキリと傷んだ。
「献女が勝手にしゃべるな」
うら若い王の側近は冷たく言った。女の言葉など、気にも止めていないようだった。
「お前がリン・シャロルの女だな。お前は一度王の元へ連れて行く。下女たちに服を着せてもらえ」
そう言って側近は下女を呼び寄せようとしたが、女はまた叫んだ。
「私をシンファにしてください!」
女の清冽な声が部屋中に響き渡る。周りからは呆れたような、困惑したような声が漏れた。シンファとは、この国で最も歴史ある競技である『心闘』の選手のことを指す。異国の奴隷の女がシンファになれるはずがないと、皆思っているだろう。
「頭はおかしいようだが、若くていい女だなぁ。 見ろよあの白肌、真珠のように光って見えるよ」
「あぁ、まあどうせ王のものになるのだろうがな。 なんせあのリン・シャロルの女だ」
と男たちの卑しい声がする。
男たちは女の胸や足をじっとりと見つめていたが、ルカは右目のすぐ下の、横一列に並ぶ三つのほくろから目が離せなかった。ドクリドクリと鼓動が大きくなるのを感じる。ある夜に、月の光を浴びて淡く輝く白肌に見とれていたのを思い出す。
「可哀想だな、あの子。まだ十五歳くらいじゃないか? もう自由に生きられないなんてな」
ルカの後ろでレイがつぶやいた。レイも献女にさほど興味はないが、今日はルカに付き添って来てくれていた。
王の女になれば、もうこの王宮から出ることはできないだろう。献女の運命など昔から知っていて、それが当たり前のことなのに、ルカはなぜか無性に胸が傷むのを感じていた。
「私をシンファに......」
「うるさい!」
側近はついに耐えかねて叫んだ。何人かがびくりと体を震わせたが、女は臆する素振りなど見せなかった。
「しゃべるなと言ったのが聞こえなかったのか? 気狂いの女め、しゃべれぬようにそののどを切り裂いてやっても構わないのだぞ」
側近が目配せすると、献女たちを連れてきた兵士の一人が剣を抜き、女ののどに剣先を突きつけた。後ろの献女の短い悲鳴をよそに、女はその兵士を一瞥して側近に向き直る。その目は、依然として赤色に輝いている。
女がまた口を開こうとしているのに気付き、兵士はぐっと剣先に力を入れた。
「待て!」
思わずルカは叫んだ。
場の注目がルカに集まる。後ろからレイの「ルカ?」と困惑した声が聞こえた。
しまったとルカは思ったが、湧き上がる感情を抑えることができなかった。
「何の真似ですか、ルカ」
明らかに苛立った声で側近は言った。
「ただのシンファであるあなたが、献女の扱いに口を出す権利はないはずです。この王宮に仕える下女の管理は私と、女官長が決めているのですよ」
シンファという言葉に、女が目を見開いてルカを見た。初めて正面から見たその顔に、ルカの心はひどく乱された。
「すみません、ギール様。しかし、この者はシンファになりたいと申しております。
差し出がましい意見ですが、この者にシンファの資格があるかどうか見極めてから扱いを決めてもよろしいのではないですか」
ルカは自分でも馬鹿な意見だと思った。案の定、側近のギールは大げさに肩をすくめて笑った。
「何を言うのかと思えばルカ、お前はこの奴隷の女の意思を尊重しろと言うのですか」
ギールの言葉に、周りの男たちも笑い始める。
「馬鹿なことを言うな。だいたい、女がシンファになれるわけがないだろう? そもそも女には心響がわずかしかないと言うのに......」
高官の一人が笑って言ったが、突然の騒音に言葉は遮られた。
何かが内側から爆発するようなその音は空気を痺れさせ、献女たちは悲鳴をあげた。女の近くにいた兵士の剣は空に弾かれ、兵士の目の前に真っ逆さまに落ちると、彼は驚いて尻餅をついてしまった。
ルカは目を見開いて女を見た。
今のはシンの放出だ。
体の内側から己のシンを放出させ、相手を威嚇することよくあることなので、それ自体に驚きはない。
問題はシンの量だ。
シンの放出だけでここまで空気を痺れさせることができる人間を、ルカは一人しか知らなかった。
「......お前がやったのか」
ギールは険しい表情で女を見た。
「もう一度お見せいたしましょうか?」
女は口角を上げでギールに言った。
ギールは忌々しそうに口元を歪め、何か言おうとした時、
「じ、呪術師だ!!」
と、高官の一人が怯えたように叫んだ。
思いがけぬ言葉に驚いてルカはそいつを見た。こいつらはシンの放出を身に受けたことがないのかと、笑ってやりたい気分だった。
「ギール様!この女は呪術師でございます! このような者を王宮に入れてはなりません! お前、突っ立ってないで今すぐこいつを捕らえろ!」
高官は兵士に向かって叫んだ。先ほど尻餅をついた若い兵士はびくりとして女に剣を向ける。しかし、怯えているのかそれ以上近づこうとしない。「何をしている!」と高官の声に兵士は意を決して近づこうとしたが、それよりも先に女の方が兵士に近づいた。
「と、止まれ、貴様......」
兵士の制止も聞かず、女は手枷のついた右手で兵士の剣先を掴んだ。そして間を置かず、自分の首筋に剣を刺した。
「⁉」
皆驚いて女を見る。剣先はわずかしか刺さっていないが、そこからは糸のように赤い血が流れ、胸の間を通ってへそを伝い、床へポタポタと落ちていく。白い肌に伝う鮮血は、いっそ美しくさえ見えた。
女は静かに高官の方に顔を向ける。
「呪術師は呪術を使うたび、その身も呪われるため血は黒く染まっていくと聞きます。私に流れるこの血の色を見ても、呪術師だと言われますか?」
どこまでも清冽な女の声に、高官は口を震わせ何も言えないでいた。兵士も呆然とした顔で女の首から剣を抜き、おろした。
「......見事なシンだ」
ルカは思わず声をもらした。
女はまたルカの方を見る。張り詰めた赤い瞳は、心なしか揺れているように見える。
「お前、兄はいるか」
突然の質問に、また注目がルカに集まる。
女の目は、今度こそはっきりと揺れた。
「......いました」
女の声が初めてわずかに震えた。男たちは困惑した顔のままであったが、レイだけ「まさか」とつぶやいた。
ルカの心はまたドクリと鳴る。
「兄の名は」
ルカは自分でも驚くほど震える声を出した。声だけでなく、指先も、心も、どうしようもなく震えていた。
女の目も震えていた。わずかな戸惑い後、女は口を開いた。
「ハク」
ルカの心臓は、爆発しそうなほど熱くなった。
今までずっと、ずっと、胸の奥に閉じ込めていた全てが、弾けて蘇るのを感じた。
周りからは悲鳴のような声が上がっていた。ギールすらも驚きのあまり目を見開いていた。
震える胸を抑えて、ルカは誰かが口を開く前に叫んだ。
「ギール様! この者を私のシンファの隊である『月虹隊』に入れたいと思います!!」
「えぇ!?」とレイが叫んだが、それよりも多くの叫び声が場を埋め尽くす。
「馬鹿なことを!」と、ギールの怒声が響いた。
「女をシンファに⁉ 五百年以上男だけで構成されてきたシンファの歴史に泥を塗るつもりか!?」
「歴史など、変わるものでございます‼」
ギールに負けぬ声でルカは叫ぶ。ここでギールに言い負かされてはいけないと感じていた。ここで負けると、心の何よりも大切なものが崩れさっていくだろうと、ルカは直感していた。
「最初は貴族の遊びであった心闘は時を経て庶民にも伝わり、今では階級など関係なくシンファになれます。また、奴隷の民族であったイルーダ族やヤン族の参加が三十年前に認められました。
そしてシン・ルッカの掟にも、身分や種族の違いを理由にシンファにすることを拒むことはできぬとあります。
なのに、女ということでシンファにすることを拒むのですか!
そして見たでしょう、この者のシンの量を!
これほどの強さを持つ者は、今どの国のシンファを探してもおらぬでしょう‼」
しんと、場が静まり返った。女は依然としてルカを見つめ、その張り詰めた目は痛いほどまっすぐだった。
「し、しかしなぁ、ルカよ」
年配の高官がためらいがちに話しかける。
「女子をシン・ルッカに出場されるのはかわいそうではないか? 訓練は厳しく、男でも音をあげ辞めていく者が多い。それに男しかおらぬ中にこんな美しいリン・シャロルの女子を入れてみよ、どんな目にあうか......」
そうだと、周りからも声があがる。
「本人がなりたいと言うなら、構わないのではないですか」
ルカもわずかにその心配はあったが、悟られぬよう冷徹を装い声を出す。入った後のことなど、その時に考えればいい。今はとにかく、この女を自分の手の中に納めなければならないと、自分に言い聞かせていた。
「しかしなぁ、考えてみろ、女よ。王の女になれば、これほど楽なことはないんだぞ? 身の回りの世話は下女がやってくれるし、毎日美味いものが食える。王の子を身籠れば、それこそ一生王宮で遊んで暮らせるというのに」
高官は穏やかに女に話しかける。
あぁ、この者は少しもこの女のことを心配していないのだと、ルカは気付いた。
古臭い歴史だの規律だのを守るために、人の人生を平気で狂わせることができるのだ。
「......ハクと同じ目に遭わせるつもりですか」
ルカは自分でも驚くほど冷たい声を出した。ハクの名を口にした途端、また場が静かになる。
「王に気に入られたがためにシンファを辞めさせられ、挙句殺されたハクと同じ目に遭わせろと?」
思い出し、口に出すたび、ルカの胸は引き裂かれるように傷んだ。
ハクは美しい男だった。
美し過ぎるが故に穢され、殺された。
「何を言うか、あの者は自ら望んで太陽の王の男となったのです。そして王を破滅に追い込んだ魔性の者よ」
ギールの声に、ルカの体中はざわめき、体の奥底が熱くなった。腹わたが煮えくりかえるように熱い。
自ら望んでだと?
そんなことあるわけがない。
王に召し上げられる前の夜、二人で密かに会い、肩を抱き合って泣いたのをルカは昨日のことのように思い出せた。
王の元に行かねば、ルカを、仲間たちを殺すと脅されたのだと、震える声で自分だけに告白してくれたのを覚えている。
ルカが怒りに任せ口を開こうとすると、また空気が痺れた。
女の方を見ると、怒りをむき出しにしてギールを睨んでいた。
先ほどよりも強い殺気の混じったシンが身体中からほとばしっている。兵士は後ずさり、男たちからはヒイ......と弱々しい声が上がった。ギールすらも女にひるんでいるように見える。
「もう一度言います、ギール様。この女を月虹隊にください」
なるべく落ち着いた声でルカは言ったが、怒りを隠しきれてはいなかった。
ギールは顔を歪め、ルカを見た。
「......ハクの妹だからだろう」
ルカは黙ってギールを見つめ返す。
フンと、ギールは笑った。
「お前とあの男が親友であったことを、知らぬ者はいないさ。あの男の代わりが欲しいだけだろう。まあ、この女が代わりになるか分からんがな」
嘲笑いながらギールは言う。ルカはまた怒りが湧き上がるのを感じたが、静かに呼吸をして心を落ち着けた。
「あいつの代わりなどいりません」
ルカはギールの目をまっすぐに見つめた。
ギールは笑うのをやめ、無表情にルカを見つめ返す。場はしんと静まり返った。
しばらく見つめあっていると、ギールの方が先にルカから目を逸らした。
「その女を連れて、さっさと王宮から出て行け」
どよめきがあたりを覆い尽くす。
「で、ですがギール様......」と高官が慌てて止めたが、ギールは忌々しげに右手で追い払う仕草をした。
「早く出て行け!」
「はい、今すぐに」
ルカはギールに軽く礼をし、女に向き直った。
「来い。今からお前はうちのシンファだ」
「はい」
そう言って女は兵士の方を向いた。兵士は驚いた顔で女を見つめる。
「手枷を外してください」
女は凛とした声で兵士に言った。兵士は「あ、あぁ」と弱々しい声で鍵を取り出し手枷を外した。武装した男よりも、全裸の女の方が凛々しく見えるのがルカにはおかしかった。
「どうも」
女は穏やかな声でそう言うとくるりとルカの方を向き、その場の男たちに一瞥することなくまっすぐにルカの方へ歩いてきた。男たちは何も言わず、まるで奇妙な獣を見るかのような目で女を見つめ、道を開けていた。後ろにいた献女たちは、どこか輝いた瞳でこの女を見つめている。
「行くぞ」
女が自分元へたどり着いた時、そうレイに告げ歩き出した。「うん」とレイは言い女の後ろについて歩いた。
男たちはなおも呆然としてルカたちを見つめていたが、ギールだけはずっと顔を背けたままだった。
部屋を出て広い廊下をしばらく歩くと、緊張した空気から解放されたことにルカは大きくため息をはいた。
「あーびっくりした」
ルカが思わず言うと、レイは「それはこっちの台詞だ」とルカを軽く小突いた。
「いきなり女をシンファにするとか、自分の隊に入れるとか、ハクの妹だとか、もう凄いことがいっぱい起こりすぎて俺全然整理ついてないよ。 なんでハクの妹だって気付いたの?」
レイは疲れ果てた顔で女の方を向いた。
「......最初顔立ちが似てるなと思った。でも確信を持ったのはほら、この右目の下のほくろ」
ルカに言われた通りレイが女の顔に視線を向けた途端、明らかに顔が輝いた。
「三つ並んでる......。確かにハクと一緒だ。君の顔、さっきの俺の位置からはよく見えなかったんだよね」
レイは「似てるなー」まじまじと顔を眺め、そして急に「あっ!」と声を上げた。
「ルカ、それよりも服だよ服! すっかり違和感なかったけど、ハクの妹全裸だよ」
「あ」とルカも思わず声が出る。確かに、この状態で王宮の外に出るのはまずい。血は止まっているようだが、先ほどの血の跡がはっきりと残っている。
「そうだな。聞きたいことは山ほどあるけど、まずは服だ。侍女はどこかに......」
女の顔を見て、ルカは思わずぎょっとしてしまう。女の目からポロポロと涙がこぼれていたのだ。
「ど、どうしたいきなり?」
「ま、待って、今すぐ服探してくるから!」
レイは慌てて廊下を走り出した。ルカは急に二人きりにされてどうすればいいかわからずその場に立ち尽くす。背を撫でてやろうかと思ったが、女の素肌に触るのには抵抗がある。
「す、すみません......なんか、急にホッとして......」
女は涙をぬぐい、途切れ途切れに話し出す。ふと見ると、女の目はもう赤色ではなく、暖かな橙色へと変わっていた。
ルカはこの色の目にも見覚えがあった。これは安堵の色だ。
「殺されると思った......」
女はため息のようにつぶやいた。ルカも思わずため息をはく。
「そうなってもおかしくなかったぞ」
静かに声をかけると、「はい......」と女は小さくうなずいた。初めてこの女が歳相応の少女に見えた。
「......なんで来たんだ」
ルカは厳しい口調で言った。兄が殺されたというのに、リン・シャロルの民がこの国に来ることの危険性を知らなかったというのだろうか。それに、こんな危険な目に遭ってまでシンファになりたがる理由が分からなかった。
女は涙をぬぐうと、美しい目でルカを見た。
「......あなたがルカさんだと、一目で分かりました」
なぜかズキリとルカの胸が痛む。女の瞳が、彼女の兄の面影と重なって見えた。
「......兄は手紙で、よくあなたのことを書いていました。他にも、この国でどんなことが起こっているのか、シンファの訓練はどんなことをするのか、試合のことや、月虹隊の人たちのこと、この国の行事のこと、珍しい食べ物のこととかも書いてあった」
女は懐かしそうに微笑む。あいつ、いつの間に手紙を書いていたんだろうかとルカは思った。ハクが郵便屋に行っているところなんて見たことないし、そもそも謎の種族であるリン・シャロルの元へどうやって届けるというのだろう。
「でもある日、手紙が届かなくなったんです。嫌な予感がして、私は不安でたまらなかった......。そしてようやく届いた手紙が、最後の手紙となりました」
声が急に暗くなる。ルカは黙って次の言葉を待った。
「そこには、信じられないことが書いてあった。
シンファを辞めたこと、その理由が、太陽の王に召し上げられることになったからだということ。
断ると、月虹隊の人たちを、あなたを、酷い目に遭わせると言われたこと。
そして、最後にあなたへの想いが書いてあって、そこで気付いたんです。
この手紙は、あなたに宛てた手紙だったのだと」
女は震える声で言葉を継ぐ。
ルカは胸が熱くなる。この妹は、全て知っているのだと思った。
「しばらくして兄が死んだことを知った時、私にこれまでに感じたことのない怒りが湧き上がりました。なぜ死んでしまったかも、過去の手紙の内容から推測することができた」
語尾が怒りで震えているのが分かる。ルカにもその怒りがよく分かった。一年前に自分を襲った、胸がはち切れそうなほどの怒りだ。
「行き場のない怒りを感じるとともに、私は直感しました。
あなたに会いに行かなければならないと。
兄が私に託した想いを、あなたに伝えなければならないと」
全てを見据えるような目にルカは胸が詰まった。この目の前には何も隠せないのだと、何年も前から知っていた。
「それで、その手紙を俺に渡すために来たのか? わざと捕まり、献女となり、この国に入り込んだのか?」
リン・シャロルの民はここからはるか北の大地に住んでいる種族だ。二百年ほど前に発見され、その見目の美しさと虹石の瞳を持つことから人身売買が絶えなかった。しかし、捕まった者はどんな拷問にかけられようと自らの村や種族のことを決して語らないため、未だに謎の多い種族であり、どこでどのような生活を送っているのか分からない。最近ではリン・シャロルの民を見つけることは酷く難しく、ハクのようにシンファになるため自らこの国へ現れるのは異端であった。
普通なら捕まるはずのないリン・シャロルの民であるのに、その手紙のためだけにここに来たのだろうか。どんな目に遭うか知っているのに。
女は静かに首を横に振った。
「手紙は持ってきませんでした。なぜなら献女は着ているものを全て脱がされると兄の手紙で知っていましたから。兄が最初この国に来た時そうだったように」
そうだったとルカ思い出す。あいつも最初は献女の扱いでこの国に来たのだから。リン・シャロルの民は男女問わずとても美しいからだ。しかし、あいつはシンファとしての実力を買われ、その時は献女となることはなかった。
「でも、内容は全て覚えているため、書き写してあなたに渡すことができます。しかし、それよりももっと大事なことのために私は来たのです」
女は目を輝かせ、まっすぐにルカを見る。
「ルカさん、あなたたち月虹隊を、この国で一番のシンファ隊にするために来ました」
「は?」と、ルカは思わず声が出る。
「だって、言ったじゃないですか、私をシンファとして月虹隊に入れてくださると。それに、私は自分のシンの強さに自信があります。兄ほどの役には立ってみせましょう」
女はにこりと微笑んだ。確かに月虹隊に入れるとは言ったが、本気でハクの代わりになろうとしているのかとルカは驚いた。
確かにこいつのシンの量はハクと互角であったし、さっきのシンの放出から見て並みのシンファよりシンを操る才能はありそうだ。
月虹隊はこの月の国では強い方であったが、一年前ハクが抜けた穴は大きく、未だに年に一度の五つの国代表のシンファ隊が戦う五神祭本選に参加できたことはない。また、歴代一と謳われたハクの後釜になるのが嫌なのか、誰も月虹隊に入ろうとするものがおらず、正直五神祭に選ばれることを諦めているのが本心だった。
『ルカ、レイガナンド、シノ、ハオルド、俺の大好きな月虹隊のみんな。
俺は二度とそこに戻ることはできないけど。
どうか、どうか、五神祭の代表になって、優勝して、五神の柱にその名を刻んでください。
四年前月虹隊を作った時、みんなでそう誓ったように』
女は丁寧にそう言って、「兄の手紙の最後の文です」と付け加えた。
五年前、五人で月虹隊を作った時、五神祭で優勝すると誓い合ったことをルカは思い出した。まだ何も知らず、みんなでただ純粋にシンファとしての腕を磨いていたあの頃だ。懐かしさが込み上げて、一年間忘れていた感情が蘇るのを感じた。
「おまたせ! 服持って来た!」
ようやくレイが侍女を連れて戻って来た。侍女は全裸の女を見ると「大変!」と慌てて持ってきた服を着せ始める。
「すごいぞ、レイ。こいつは俺たちを五神祭で優勝させるためにここに来たんだそうだ」
「え、そうなの? てか何で急に五神祭の話になってんの?」
レイは困惑したように眉を寄せる。
「待って、なんでハクの妹がここに来たのかとか、これからどうするのかとか、もろもろの話はシノとハオを交えてゆっくりしよう。まずは服着て、ここから出て、兵舎に向かうのが先だよ。いや、まずは自己紹介だ。
俺たちまだハクの妹の名前すら知らないし」
確かに、とルカは頷く。女はすでに服を着終えており、「では、私はこれで失礼しますね」と、侍女も急いだ様子でこの場から去っていった。女はこの国の服が珍しいのか自分の体をじっと見ていたが、視線を感じたらしくルカの方を向き直した。
「まぁ、今更だけど俺はルカ。ハクと同い年で、今年で十七歳だ。この月の国のシンファで、月虹隊の隊長をやっている。これからよろしく」
言い終えてレイに目配せをする。
「俺の名はレイガナンド、同じく十七で、月虹隊の隊員。縮めてレイでいいよ」
そして二人同時に女の方を見る。ルカたちに見つめられると緊張したように橙色の瞳を瞬かせ、女は口を開いた。
「ユキです。十四歳で、ハクの妹です」
よろしくお願いします、とユキは深々と頭を下げた。レイは穏やかに笑って「よろしく」と返す。
ルカはというと、思いもせず一年ぶりに動き出した時間に、胸の高鳴りを抑えることができなかった。