第六話 兄の最期 中編
ルカは当時を思い出す。
人だかりの中で、血を流して倒れている赤髪の少年を見て、ルカは絶句した。
そこにいたのは紛れもなくヒリンであり、前日とは変わり果てた姿だった。
他の金獅子隊の隊員がヒリンの死体の近くで泣きながら彼の名前を呼んでいるのを見て、そのあまりの悲痛さにルカは胸が張り裂けそうになった。
「うつ伏せに倒れていたヒリンの背中には、心臓の位置に小刀が突き刺さっていた。......殺害されていたんだ。
ほどなくして治安部隊が到着して、俺たちは森から追い出された。
ひどい混乱の中、俺たちはただ森の外で立ち尽くしていた」
予選会場でヒリンが殺された話は瞬く間に広がり、国中に混乱を招いていった。
そしてその混乱は、あまりにも速く他の国々にも広がっていった。
「驚いたことに、まだヒリンの死体が発見されて数刻しか経っていないというのに、不自然なほど速く太陽の国の治安部隊が現場に到着した。
さらに混乱を招いたのが、太陽の国がヒリン殺害の調査の主導権を握ると言ったことだった。通常ならば、他国の人間が事件に巻き込まれた場合、事件の調査はその人間の出身国ではなく事件が起きた国が行うことになっている。だが、ヒリンの事件だけは特例として太陽の国が主体で調査することになった。
......なぜならば、ヒリンは王族の人間だったからだ」
森から退避を命じられたシンファたちは、そのまま月の兵舎で待機することになった。その兵舎まで向かう最中に、太陽の国の治安部隊とすれ違ったのだ。その不自然さにシンファたちはみな違和感を覚えた。そして兵舎に着き、待機していたシンファたちをさらに混乱させたのが、太陽の国が主体として事件の調査をすると伝えられたことだった。太陽の国の使いの者はその理由をヒリンが王族であるからだと説明し、ヒリンが月の国で殺害されたことは、太陽の国との問題にも発展しかねないと言い出し、ヒリンが死んだことをまだ受け止め切れていないシンファたちの不安をさらに煽っていった。
「様々な調査が行われ、その場にいたシンファたちにも事情聴取が行われた。そしてその日の夜に、五神祭の予選は延期すると正式に発表された。......あれだけのことが起きたのだから、延期されることは予想していたが、それでも衝撃は大きかったさ。俺たちは結局誰がどうしてヒリンを殺したのか分からず、事件の調査状況も分からないままその日は終わっていった。......誰もろくに眠れやしなかったさ」
シンファたちの心労は大きく、特に太陽の国のシンファたちの憔悴具合は酷いものだった。ヒリンと親交があり、何度も試合をしていたハクは、ずっと青白い顔で瞳を青く濁らせていた。その場にいた誰もが、これからとんでもなく悪いことが起こるのではないかという予感を漠然と感じ取っていた。
「次の日、また何人かに事情聴取がなされた。事件前日から、発見されるまでのヒリン行動を知るために、その時間ヒリンと接した者や同じ宿に泊まっていた者が治安部隊に呼ばれていった。......だが、その中にはなぜかヒリンと接点のないうちのレイも呼ばれた」
「え」と、ユキは眉をしかめる。どうやらユキは、ヒリンが殺害された事件について何も知らないようだった。
「俺たちもどうしてレイが呼ばれるのか分からず、呼びに来た治安部隊に理由を聞いた。そしたら、とんでもない答えが返ってきた。
......ヒリンの心臓を貫いていた小刀には、ヤン族の伝統的な模様が刻まれていたとな」
「それって」と、ユキは身を乗り出し赤い瞳を輝かせ、レイは悲しそうに金色の瞳を伏せた。
「はめられたのさ」
シノは忌々しげに言った。
「人を殺す時に、自分の身元が分かるようなもん使うわけねぇだろ。疑惑をヤン族に向けるために使ったに決まってる。普通に考えりゃ子供でも分かることだ。それなのに、太陽の国の差別好きの奴らは、ヤン族の刀だったから犯人はヤン族だって決めつけやがった。
......しかも、よりにもよってレイを疑いやがったのさ」
シノの吐き出すような言葉のひとつひとつに、怒りがこめられていた。
月の国のシンファたちは、レイが疑われるようなことをするような人間でないことを知っていた。それでも、ヤン族のレイが疑われたという事実は、噂として形を変え恐ろしいほど速く広がっていった。
「その時治安部隊が言ったのは、『ヒリンの殺害にヤン族伝統の模様が刻まれた小刀が使われた』と、それだけだった。それなのに、いつの間にか『ヒリンはヤン族に殺された』とねじ曲がった噂が広がっていった。ヤン族出身のシンファがいるのは月の国だけだ。しかも、予選に出場した選手の中でヤン族出身だったのはレイだけだったから、余計にレイが疑われた。......シノが言った通り、俺たちは誰かにはめられたのさ」
ルカは苦しそうに顔を歪める。当時、レイがヤン族の出身だというだけで疑われていると知った時の衝撃は今でも忘れられなかった。太陽の国は、五国の中でも元奴隷の種族であるヤン族やイルーダ族に対する差別がまだ色濃く残っている。そのことをルカは知っていたが、それでもまさか心優しいレイが疑われるとは夢にも思っていなかった。
「事件の前日からヒリンの死体が発見されるまで、レイはずっと俺たち月虹隊や他の月のシンファたちと一緒にいた。だからレイがヒリンを殺せる訳がない。だけど、太陽の国の治安部隊の奴らは、同じ月の国の人間の証言は信用できないと一蹴した。あまりにも横暴で、俺たちじゃなく他の国のシンファたちもさすがに不審がった。もちろん、レイを擁護してくる人も多くて、太陽の国以外のシンファ長たちも調査をやり直すように言ってくれた。それでも、太陽の国は話をどんどん大きくしていき、俺たちは何もできずただ不安だけが募っていった」
「酷すぎる......」
ユキは思わず声を震わせて言う。
ユキだけでなく、この話を聞けば誰もが太陽の国の横暴さについて憤りを感じるだろう。それでも、当時ヒリンが殺害された混乱の中では、人々の真実を判断する能力が鈍っていたのかもしれない。
「第一、レイさんがヒリンさんを殺して何の得があると言うんですか?」
怒ったようにユキはルカに言う。目を赤色に輝かせ、またシンを放出させそうな勢いだった。
「......金獅子隊は、俺たち月虹隊と予選の一回選で当たる相手だった。ヒリンを殺したのは相手の戦力を削ぐためだとあいつらは考えたらしい。
結局、ひと月経ってもヒリンを殺した犯人は見つからず、その小刀以外に何の手がかりも発見されなかった。ヤン族に疑いがかかったまま時間が過ぎ、やがてヤン族をシンファにしたからこんなことが起こったのだと陰で言われるようになっていった。そして、太陽の国のやつらはヒリンが殺害されたことに対し月の国に責任を取るように責めたてた。ひと月経っても犯人を捕まえられない太陽の国の治安部隊に対する民の不信感を、ヤン族を悪者にし、月の国に責任を取らせることでそらせようとしたんだ。......太陽の国のやつらは、ヤン族をシンファから辞めさせろと言ってきたのさ」
太陽の国の王室の者たちが、直接太陽の国の王にそう言ったのではない。しかし、本当にヤン族の者がヒリンを殺したと思い込んでいる太陽の国の者たちが束になり、ヤン族をシンファから辞めさせるよう月の国の王に声を上げ始めたのだ。
「もちろん、ヤン族が犯人だと確定していないのに、そんな馬鹿げた意見をドゥアン様は受け入れなかった。しかし、月の国で太陽の国の王族が死んでしまったこと、そして月の国の治安部隊も何の手がかりもつかんでいないことは確かだった。月の国も、太陽の国に対して強く出ることができなかったのさ。そんな状態の中で、太陽の国と月の国の関係は次第に悪化していった。月の国に対する風当たりはどんどん強くなって、五神祭で月の国のシンファの出場停止を求めたり、月の国との交易を止めると言ってきたり、もう散々だ」
太陽の国と月の国の関係は昔から友好的ではなかったが、ヒリンの事件により目に見えて悪化していった。太陽の国の民は月の国の民を蔑むようになり、ヤン族のことをさらに差別するようになっていった。ヒリンは王の妹の息子であるため王位継承権は低かったが、国代表のリーヤになった実力者であり、性格も温厚で民から好かれていた。そのため、太陽の国の民がヒリンの殺害を防ぐことのできなかった月の国の者たちを責めるのは無理のない話ではあった。
「そんな状態が続いたある日、キンジュアはある案をドゥアン様に持ち掛ける。その案を飲めば、ヒリンが死んだことによる責任の一切を月の国に求めないと言ってきた。......その案というのが等価刑だ」
「等価刑?」
聞き慣れない言葉にユキは思わず聞き返した。
「だいぶ昔からある刑だが、古すぎてもう何百年も使われていなかった刑だ。それをキンジュアは急に使うと言い出したんだ。等価刑とは、簡単に言えば罪を犯した者にはその罪と同等の罰を与えるというものだ。相手の骨を折った者は同じ場所の骨を折る。相手の目を潰した者は同じく目を潰す......そんな刑だ。
キンジュアはその刑で月の国に何を要求したかというと、太陽の国は優秀なリーヤを失ったのだから、そちらの国の優秀なリーヤをよこせと言った。......つまり、ハクをよこせと言ってきやがったんだ」
「はぁ!?」
耐えきれずユキは叫ぶ。太陽の王がそう要求してきた時も、月の国のシンファたちは同じように声を荒げたものだった。
「全て、キンジュアが仕組んだものだったのですか?」
ユキは震える声でルカに聞く。
「兄が欲しいためだけに、自分の甥を殺し、国中をめちゃくちゃにしたんですか?」
「落ち着け、まだ続きがある」
ルカは冷静にユキに言う。内心ルカも怒りが湧き上がっていたが、平静を装い話を続けた。
「もちろん、全員が同じようなことを考えた。ハクを欲しいがためだけに、キンジュアがヒリンを殺したのではないかとな。しかし、何の証拠もない。相手は王だ、平民の俺たちがどんなに異議を唱えてもどうにもならない。ドゥアン様やシンファ長たちはハクを差し出すこと頑固として拒んでくれた。しかし、拒めば拒むほど、太陽の国との関係は悪化していき、本当に月の国を孤立させようと動き始めやがったんだ」
太陽の国は条件を飲まねば本当に月の国との交易を断つと言ってきた。月の国が接している国は太陽の国だけであり、太陽の国との交易が絶たれれば実質他の三国との交易も絶たれることとなる。痩せた土地が多く、農作物があまり取れない月の国にとって、交易を断たれることはかなりの痛手だった。
「月の国としても、そんな事態は避けたい。そのためには何としてもヒリンを殺した犯人を捕まえたかったが、もし本当にキンジュアが関わっているのなら無理にも近い話だ。二国間に緊張した空気が流れていた時、......ハクが自らキンジュアの元へ行くと言い出した」
ルカは思わず言葉を詰まらせる。
あの時、この部屋で、今みたいに月虹隊で円になって座って、ハクが静かにそう切り出したことをルカは思い出していた。
美しい黒い瞳で、まっすぐにハクは言ったのだ。
「全員反対した。なぜお前が犠牲にならなければいけないんだと。行けば、すべてあいつの思い通りになってしまうと。......でも、どれだけ俺たちが引き留めようと、ハクは自分の意見を変えなかった。シンファ長も、ドゥアン様も最初は強く反対したが、ハクは自分の意思で行くのだと、自分が行けば全て丸く収まるのだと、そう言ってきかず、ついにドゥアン様が折れて、ハクはキンジュアに召し上げられることになった。
ハクは国のため自分から望んで太陽の王のものとなったと人は言ったが、実際は少し違う。ハクは、キンジュアから脅されていたんだ。ハクがお前に送った手紙に書いてあったように、王の元へ行かなければ俺たちを殺すと脅されていたのさ」
ルカは自分でも声が震え始めていることに気付いた。
キンジュアの手の内で弄ばれていることに酷い怒りを感じながらも、ハクを助けることができなかった自分の無力さに絶望したことを思い返していた。