第四話 神話 後編
学舎での授業が終わった後、ユキは夕飯までの間兵舎にある書庫で本を読むことにした。書庫には誰もおらず、本独特のにおいだけが静かな部屋に充満している。書庫にある書物はシンファに関するものがほとんどだが、この国の成り立ちや神話についての本もある。ユキが読んでみたかったのは、その神話に関する本だ。学舎で子供用の絵本は呼んだし、兄からも簡単には教えられていたが、もっと詳しく知りたかったのだ。
ユキは神話に関する本が並べられている棚を見つけると、その中から一番簡単そうなものを手に取った。『創国神記』という本を子供向けの内容に変えたものらしい。ユキはその本を持って書庫の真ん中に置かれた机に向かう。書庫にある本は基本持ち出し禁止らしく、この書庫の中で読まなければならない。
ユキはやや黄ばんでいる本の表紙を開き読み始める。
―――昔、この地は暗黒に支配されていました。
光もなく、生命もなく、ただただ空虚な闇だけがそこにありました。
しかし、ある日突然遥か上空で光が弾け、始祖の神が太陽とともにこの地に誕生しました。
太陽は地上を照らし、闇は晴れ、この地は光に包まれました。
しかし、光だけでは生命が生きることができないことを知った始祖の神は、次に月を創り、静かな闇が生まれました。太陽と月は交互に空に昇り、この地に昼と夜が生まれました。しかし、それだけではまだ生命が生きることができず、神は次にこの地に水を降らせ川や池、海を創り、また大地を耕しこの地に実りを与え、そして風を吹かせ実りをこの地の隅々にまでいきわたらせました。
やがてこの地に生命が誕生し、人が生まれ、始祖の神の手を借りて生活を送るようになりました。
始祖の神はこの地で人々が暮らせることを見届けると、自身の体から五つの神を創り出し、この地を治めるように言いわたしました。
始祖の神のたてがみからは太陽を司る獅子王が生まれ、牙からは月を司る銀狼が生まれ、角からは海を司る一角が生まれ、羽からは風を司る風鳥が生まれ、鱗からは大地を司る王蛇が生まれました。
この五体の神たちは始祖の神に仕える神獣と呼ばれ、始祖の神が天空へと帰られた後、神獣たちはこの地を治め始めました。
始祖の神が舞い降りられた中央の地は獅子王が治め、北に広がる山々は銀狼が治め、東に広がる海を一角が治め、西に広がる草原を風鳥が治め、南に広がる大地を王蛇が治めました。
やがて各々の神獣が治める地に人々が集まり、国が作られ、五つの国が誕生しました。そして獅子王は太陽の国を守る神獣となり、銀狼は月の国を守る神獣となり、一角は海の国を守る神獣となり、風鳥は風の国を守る神獣となり、王蛇は大地の国を守る神獣となりました。そしてこの地のことは五つの国という意味を持つ『クィージェナ』と呼ぶようになりました。やがて五つの国を人間が治めることになり、その人間は神獣によって選ばれ、王として国を治め始めました。
やがて五体の神獣は国から姿を消し、現在各国に存在する神獣たちはその神々の末裔であるといわれています―――
「あ、ユキ、ここにいたんだ」
本に集中していたユキは、突然の声に驚いて書庫の入り口を見る。
「あ、ごめん、集中してた?」
入り口に立っていたレイはユキに向かって謝った。「あ、レイか」と、ユキはほっとして返事をする。
「ユキ、今日すごい高くまで飛んでたでしょ。俺たちその時練習試合やってたんだけど、そこからもはっきりと見えたよ。みんなすごい騒いでてさ、シノなんてユキを茶化しに行くって言ってたよ。俺もユキと話そうと思って探してたんだけど、こんなところに居たんだね」
レイはユキの隣の椅子に座る。「え、見えてたの?」と、ユキは驚く。あの時は真上か真下しか見ていなかったから気付かなかった。
「それ、創国神記を読みやすくしたやつだよね。だいぶ古くからあるやつだ」
ユキの持っている本を覗き込んでレイは言う。
「うん。この国の神話について知りたくて。......ここに描いてあるのが始祖の神の絵だよね」
ユキは本に描いてある絵を指差してレイにたずねる。
「そうだね。始祖の神の姿は五体の神獣が組み合わさってできるって言われているから、それを想像して描いたものだと思うよ」
「へぇ......」と、ユキは本に目を落とす。顔は獅子王に似ていて、狼のような牙があって、角はたくさんついていて、体は蛇のようで、羽のようなものが生えている。それに牙も爪も大きくて鋭く、とても猛々しい容姿をしている。
「その本、確かユキの故郷についても書いてなかったっけ」
「うん、リン・シャロルについても書いてあるよ。始祖の神が太陽とともに誕生した時、唯一光が届かなかった地って書いてあった。だからリン・シャロルの中は今でも暗闇が広がっていて、『世界の終わりの地』って呼ばれてて、そこに足を踏み入れたら二度と戻ってこれないって言われているらしいね」
「そうだよ。だから昔からみんな怖がって行こうとしなかったんだって。ユキにしてみたら不思議な話だろうけどね」
レイが苦笑しながらそう言うと「そうだね」とユキも似たように笑って返した。まさか自分が住んでいたところが「世界の終わりの地」と呼ばれていたなんて、昔なら思いもしなかったろう。
「ヤン族の神話も似たようなもんなんだよね。リン・シャロルのことを俺たちは『最果ての山』って呼んでて、神々や精霊が住んでいて、近寄ったら祟られるからって誰も行ってはいけなかったんだ」
レイはユキの持っている本を見つめながら懐かしそうに言う。
「え、レイのとこはまた別の神話があるの?」
ユキが驚いて聞くと、レイは「そうだよ」と穏やかに笑って返した。
「ヤン族がやってきた人』、......ヤン族以外の人を指す言葉なんだけど、その人たちに奴隷として連行される前からあった神話だよ。当時のエト・イトンたちはヤン族の生活とか、歴史まで全部否定して、無理やり自分たちの生活や歴史を押し付けてきたんだ。ヤン族は文字を持たない種族だったから、こんな風に本とか残ってなくて、口頭で歴史を伝えていく他なかった。だから、神話とかもっといっぱいあったんだろうけど、今となっては少しか残ってないんだよ。エト・イトンたちの歴史では、ヤン族は昔から自分たちのしもべとしての種族だったみたいに書かれてるけど、本当はヤン族はクィージェナの北西の方に昔から住んでて、そこにエト・イトンたちが領地拡大のために侵略してきたって言われてるんだ」
レイは穏やかに言うが、ユキはなんだか悲しくなって「そうなんだ......」とつぶやくしかなかった。
「そんな青い瞳にならないでよ。遠い昔の話だからさ。まぁ、歴史とか神話なんて、自分たちの都合のいいように書いてあることもあるから、おとぎ話程度に聞くのがいいのかもね」
レイはそう言って微笑む。
「......ヤン族の神話について聞いてもいい?」
ユキがおずおずとたずねると、レイは「いいよ」と笑って言った。
「ヤン族の神話でもね、この地は昔は暗黒で、神様が光とともに舞い降りたってされているんだ。エト・イトンたちの神話ではその後神様から五体の神が生まれたってされているけど、ヤン族では二体の神なんだよ。空の神様と地の神様って呼ばれている。空の神様は天候を司って、地の神様は生命を司っているんだ。大まかに言うとそれぐらいかな。他にも精霊の話とか神様の逸話とか色々あるよ」
「そうなんだ......。やっぱり、種族によって色々違うんだね。イルーダ族っていう人たちにも別の神話があるのかな」
ユキはこのクィージェナの地に住むもう一つの種族、イルーダ族を思い出しながら言った。イルーダ族もヤン族と同じで、元々奴隷として働かされていた種族だ。
「そうだと思うよ。イルーダ族は南の端に住んでいる人たちだから、こことはまったく違った神話かもしれないね。......にしても、リン・シャロルの民っていいよな......」
レイが唐突にそう言うものだから、ユキは「え、何が?」と不思議そうな顔をしてレイにたずねた。
「いや、リン・シャロルって『星降る山脈』って意味だから、綺麗な言葉でいいなって思って......。ヤン族のヤンって『褐色』って意味だし、イルーダは確か『入れ墨』って意味だからさ。なんか適当だなって思って......。まぁ、他人が勝手に付けた名前だから、どうでもいいんだけどね」
レイはそう言って苦笑する。「確かに適当だね」と、ユキは少し怒りを感じながら言った。
「きっとリン・シャロルにもいっぱい神話があるんだろうね。話せないだろうけど」
レイは嫌味なく言うけど、ユキは言葉が胸まででかかって苦しくなる。だから、曖昧に「うん......」とだけつぶやいて誤魔化した。
「学舎では確か最初に文字を読む練習として神話の絵本を読むよね。次はこの国の歴史だっけ。今日はどこまでやったの?」
「今日はね、......昔この地で五国同士戦争を行ってたってのを習ったよ」
ユキは言いにくそうに言った。
―――この五国が誕生したばかりのころ、民たちはそれぞれの領地で静かに暮らしていた。しかし、当時国の境目は曖昧なものであり、国というものができあがるにつれ、国境を決める争いは大きくなっていった。心晶石という資源の研究が進み、どの国も心晶石を探し求め、領地を巡る争いは激化していった。それを憂いた王たちは話し合い、それぞれが平等になるように国境を決め始めた。その結果、それぞれ国の境は山や川、森を基準に決められ、争いは収まったかのように思われた。しかし、山や森を基準とした国の境目は曖昧で、特に太陽の国と月の国、そして太陽の国と大地の国の間での争いは絶えなかった。
二百年前に月の国が北方の山を開拓中にリン・シャロルの民を発見し、その瞳は虹石でできていると噂がたってから、どの国もその瞳を求め、ついには戦争へと発展した。戦争に駆り出されたのはシンファたちがほとんどで、武器の研究が進むにつれ戦場は凄惨なものへとなっていった。多くのシンファたちが傷つき、倒れていき、民の心労は募っていった。それを悲嘆した王たちは長い長い話し合いの結果、戦争を終わらせることを締結させた。しかし、民の不満は収まらず、戦争の火種はどこかしこでくすぶっていた。
そこで王たちは、戦争の代わりとして、五国のシンファたちをシン・ルッカで争わせることにした。それが今の五神祭の始まりである。最初は代理戦争として始まった五神祭も、年月が経つにシンファたちはそれぞれを認め合うようになり、今では五国の友好を深めるための祭りになるようになった。
「......で、その五神祭が始まったのが、今から約百年前なんだよね」
ユキは最近習った歴史の授業を思い出しながら言う。
「そうだよ。それで、来年がその記念すべき第百回目なんだ。だから、どこの国も来年の五神祭には期待しているし、その開催国がこの月の国っていうのもなんか嬉しいよね」
レイは穏やかに笑って言う。五神祭でシンファたちは純粋に技術を競い合い、それによって長く続いた国同士の争いを止めさせた。だから五神祭に参加できるということは、どんなシンファたちにとっても誇りなのだと、授業でナユタが語っていたのをユキは印象に残っている。
「第百回目で月の国が開催国なんだもんね。早く参加できるようにならないとな......」
「そうだね......。俺たちもユキがシンファになって、試合に参加できるようになる二次予選まで三人で勝ち上がらなきゃいけないからな......。俺たち絶対勝ち上がるから、ユキも絶対シンファの試験一発合格してね」
レイはそう言っていたずらっぽく笑った。「分かってるよ」と、ユキも笑って言う。
すると外から九ノ刻を告げる鐘の音が鳴り、書庫の中に音の余韻が響く。
「そろそろ夕飯の時間だね。ルカたちも待ってるかもしれないし、食堂に向かおっか。そろそろ太陽の国に行く準備もしないといけないな......」
「そうだね......旅するの初めてだから、何から手をつけていいのか分かんないや」
太陽の国に行く準備をしなきゃいけないとは分かっているけど、実はユキはまだ何も準備をしていなかった。同室のシノも何も準備していないので、まだ大丈夫かなと思ってしまうのだ。
「あれ、でもユキ、リン・シャロルから月の国に来るほうが長旅だったんじゃないの?」
「え、そうでもないよ。ここに来るときはりっ......」
そこまで言いかけ、はっとしてユキは言葉を飲み込む。レイも「あ」っと声を出す。
「ごめん、危うく掟を破るとこだったね」
レイはそう言って苦笑する。ユキも手を口に当てて頷いた。背中に冷や汗が伝っていく。今、絶対に言ってはいけないことを言いかけてしまったので、本当に危なかった。
「これ以上余計なこと聞いちゃう前に、食堂に行こうか」
レイが立ち上がると、ユキも黙ったまま立ち上がる。そして読んでいた本を元の棚に戻すと、レイの後を追って静かに書庫を後にした。