第八話 動き出す闇
月の国がリン・シャロルの民をシンファにしたという噂は瞬く間に国中を駆け回り、その日の内に五国全土に知れ渡った。
月の国から最も遠い位置にある大地の国にも、その噂は夜更け前にレゴル王の耳に届いたが、王はまるで興味を持つ様子はなかった。
レゴル王は就寝前、時折王族専用の書物庫に向かうことがある。王宮でも王族に近しい者しか入ることのできない場所にあり、特にその書物庫は王の許可がなければ何人たりとも入ることはできなかった。
書物庫には、国々の成り立ちや歴史を記した多くの歴史書の他にも、神話にまつわる本や伝説上の生き物の本など様々なものが並んでいる。中には、歴代の王が記した日誌など、決して外には出回らない読み物も多くある。書物庫には書物の他にも、歴代の王が集めた宝石や歴史的に価値がある置物なども置かれており、いわば王たちの宝部屋のようになっていた。
その書物庫の奥に置かれた質素な椅子に座り、一人きりの空間で本を読むことをレゴル王は好んだ。レゴル王は今年で七十二歳になり、五国の王の中で最も年長である。高齢なため王宮の中でも間もなく王位継承が行われているのではないかと何年も前からささやかれているが、レゴル王自身まだ王位を譲る気はなかった。
大地の国の王族は皆、紫の瞳に紫の髪を有しているが、レゴル王の髪は全て白色になっており紫色の面影はない。しかし、その瞳だけ、未だ色褪せず紫色に輝いている。
ユキが月の国に来たその日も、レゴル王は書物庫に入りいつものように壁に背を向け椅子に座った。王が手に持っているのは『創国神記』という、五国の中でも最古の読み物とされている本だ。神が五国を創るまでの神話を記したものであり、レゴル王は特にこの本を好んで読んでいた。
王は発光石の穏やかな光に照らされながら、静かに本を読んでいく。
途端、王の後ろの壁がトンと静かに鳴った。
王が座っている位置からでしか聞き取ることのできないような音で、たとえ聞き取れたとしても誰も気に留めないであろうほどの小さな音だった。
「リン・シャロルの民が来たそうだ」
王は本から目をそらさず静かに言う。
『存じ上げております』
王の真後ろの壁から、低い、まるで闇から響くかのような静かな声が響いてきた。
「夢幻の白華を使いなさい」
王はまた静かに言う。
『はい』
壁からそう声が響いてきたが、それ以降何の音も聞こえなくなった。
王は何事もなかったかのように本を読み続け、紙をめくる音だけが静かに部屋に響く。
発光石は、依然として穏やかに王を照らし続けている。
その夜は五国中に月明りの降りそそぐ穏やかな夜であったが、静かに、そして確実に、月明りも届かぬ闇の中で何かが動き出していた。