ホーム
← 前の話目次次の話 →

「はははははっ!実に愉快だ!」
 シテは叫ぶ。だがその瞬間――。
 シテは、自身の顎を掴んでいた。
「あ?」
 シテの白髪からみどりの眼が輝く。

「誰だ?お前」

 シテは自問自答した。
「俺はシテ。お前は?」
 突然の状況の変化だった。あまりにも突然で、イアは理解ができなかった。アイを優しく抱えたままシテを見つめる。
「おい、なんでお前が目を覚ます!」
「俺の身体だぞ、当たり前だろう?で、誰だ」
「お前は俺が殺しただろう!」
「知らん。目を覚ましたんだから返せよ」

 ―――何が起きている。

 イアは状況を整理するかのように思考した。
 まず、シテの様子がおかしかった。
 淡々としている。が一番近い表現だった。
 淡々と物事を語る姿は、善悪を問わない者のようであったからだ。
 普段のシテを表すのなら「誠実」だった。
 誰よりも真っ直ぐに人を見て、判断する。
 そして、何よりの異常。

 シテは巫一族しか使うことのできない、
 『盤面切替』を行った。

 そして現在、は自分の顎を掴み自問自答中。
 何が起きているのか。
『......まさか』
「あぁ......巫様は気づくか」
 その言葉によって、違和感は確信へと変わる。
『禁忌を犯したな...罪人!』
 その言葉に、シテの中にいる死者は言う。

「俺の面は『罪』なんだろう?ピッタリだ」

 死者が死者をうつわとする。
 巫一族が最も忌み嫌う禁術きんじゅつである。
「イア」
 柔らかな声がした。
「5分意識を持たせてみせる」
 この声音だけで、イアは何故か思う。
 ―――シテが、戦っていると。
 死者が死者を器とする行為が禁忌とされている理由は二つあった。

 一つは、意識の混濁。
 死者の記憶が混ざり、真実が分からなくなることだった。

 二つは、身体の乗っ取り。
 まだ舞台を済ませていない者であった場合、意図しない舞台が創られる可能性がある。

 今回の場合、イアが恐れたのは前者であった。
「頼んだ」
 しかし、シテは『頼んだ』と言う。
 その呼びかけに応えるかのように―――。
 面師・アイは桃花の眼を開かせた。
「巫一族。面師の肩書きの下、力を行使する」
『アイ、落ち着け、無茶をするな!』
 イアの叫び声を無視して、アイは言う。
「禁忌を犯した罪人に罰を」
 その瞬間、パリン...と音がした。
 鏡の間が割れたのかとアイは思った。
 しかし、違った。
 山が割れた。パリンという音と共に。
 鏡に映った山が、パリンと。パリンと。
「はっ...割りやがったな、少年...いや」
 アイは手元に集まった光を掴む。
 今度は、割れる音はしなかった。

ザン!」挿絵AIで作った挿絵

 アイは面をかけた。
 眉間には僅かな皺が刻まれ、伏せられた眼差しは、誰かを責めることなく地面を見つめている。
 固く結ばれた唇には、言葉にならなかった謝罪が残っていた。
 泣いているようにも見えた。
 それでいて、泣くことすら許されない者の顔にも見えた。
 それは怒りの面ではない。
 悲しみの面でもない。

 己の罪を、己だけが知っている者の面だった。

 瞬間、アイの着ていた軽やかな白の反物は厳かな衣装へと変わる。今までと違う点で言えば、模様がまるで血飛沫のようであるという点だ。
『...アイ』
「イア。二度は言わん、聞け」
 アイは強張った顔つきで言う。
ザンの望みは、ではない」
『...』
「消滅だ」
『......承知』
 パン、と乾いた音が響いた。

『そこの少年、こんばんは』

 イアは軽い足取りで割れた鏡に触れる。
 その瞬間、面をかけたアイとシテに乗り移った亡霊の姿が映る。

『さぁ、今宵の舞台は――』
『此方の少年の、罪の話のようでございます』

 イアはパン...と手を叩いた。
 少し濡れたその音は、緊張の証だった。
 その瞬間、一辺がに変わる。
 シテの心の中ではない。
 イアが用意した舞台だ。
 静寂の中、苦しみを嘆くように言う。

『あぁ、如何してだ』
『あぁ、如何してだ』

『如何して、お前は弱いのだ』

『あぁ、如何してだ』
『あぁ、如何してだ』

『如何して、お前は醜いのだ』

 イアはヒュウッッと指笛を吹く。
 途端、その音はの音となる。
 それに合わせるかのように、アイは言う。

『お前は弱い、だから俺が護る』
『松とし聞かば 今帰りこむ』

 イアはヒュウッと指笛を吹いた。
 やがてその指笛はの音となる。
 柔らかな風に乗り、旋律へと変わる。
 そして続くようにパンと手を叩いた。
 その音は、低い大鼓の音となる。
 柔らかな風に乗り、音を支える。

『あぁ、如何してだ』
『あぁ、如何してだ』

 アイは強く大地を踏み締めた。
 その瞬間、イアは思う。
 ―――アイが完全に『映った』!
 囃子はやしがない為、イアは自身の身体を囃子はやしとするしかない。

 自身の指を笛に。手を鼓に。

 アイは面に上手く乗れない。
 何故なら本来の感情を持つ者は、今目の前にいるからだ。然るべき手順を無視した方法は、アイの足取りを重くさせた。
 しかし、ザンに乗ることができた。
 その証拠として、舞働まいばたらきと呼ばれる動きを見せてくれている。
 倒れ込むかのように、
 全てを薙ぎ倒すかのように。
 アイは、舞う。

『何故、皆俺を置いていく』
『何故、皆俺より先に逝く』
『何故、俺だけが残る』
 アイはひたすらに舞う。
 それに合わせ、進行役イアは言う。

『何故、何故、何故、何故、何故、何故』

 風が囃子はやしに。
 風が囃子はやしを静寂に。
 全ての囃子はやしが、ピタリと止んだ。

『俺は、生き延びるのだ』

 その瞬間、イアは手を叩いた。
 乾いた音が、こだまのように響いた。
『罪人が願ったものは、一つ』
 ゆっくりと、言葉を選んだ。
『松が言っている。さぁ――――』
 イアは、アイを見つめた。
『いってらっしゃい』
 その瞬間、ザンの面は剥がれた。
 そして、シテの身体から光が溢れる。
『安心しろ、私が見届ける』
「...感謝する、巫様」
 静かに、ゆっくりと。
 淡い光がシテの身体から離れていく。

『意思は光に。光は粒子に。粒子は大地に還る』

 イアはそう言いながら「ふっ」と息を吐く。
 すると、粒子が大地に散らばっていく。
「...イア」
 ザンの面が粒子へと変わる。
 アイの桃花眼が、少しだけ揺れた。

『松とし聞かば、今帰り来む』

 イアは、小さく呟いた。
『...終演で、ございます』
シェア
← 前の話
面師
次の話 →
水鏡
作者:結弦
目次を見る
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム
← 前の話目次次の話 →

「はははははっ!実に愉快だ!」
 シテは叫ぶ。だがその瞬間――。
 シテは、自身の顎を掴んでいた。
「あ?」
 シテの白髪からみどりの眼が輝く。

「誰だ?お前」

 シテは自問自答した。
「俺はシテ。お前は?」
 突然の状況の変化だった。あまりにも突然で、イアは理解ができなかった。アイを優しく抱えたままシテを見つめる。
「おい、なんでお前が目を覚ます!」
「俺の身体だぞ、当たり前だろう?で、誰だ」
「お前は俺が殺しただろう!」
「知らん。目を覚ましたんだから返せよ」

 ―――何が起きている。

 イアは状況を整理するかのように思考した。
 まず、シテの様子がおかしかった。
 淡々としている。が一番近い表現だった。
 淡々と物事を語る姿は、善悪を問わない者のようであったからだ。
 普段のシテを表すのなら「誠実」だった。
 誰よりも真っ直ぐに人を見て、判断する。
 そして、何よりの異常。

 シテは巫一族しか使うことのできない、
 『盤面切替』を行った。

 そして現在、は自分の顎を掴み自問自答中。
 何が起きているのか。
『......まさか』
「あぁ......巫様は気づくか」
 その言葉によって、違和感は確信へと変わる。
『禁忌を犯したな...罪人!』
 その言葉に、シテの中にいる死者は言う。

「俺の面は『罪』なんだろう?ピッタリだ」

 死者が死者をうつわとする。
 巫一族が最も忌み嫌う禁術きんじゅつである。
「イア」
 柔らかな声がした。
「5分意識を持たせてみせる」
 この声音だけで、イアは何故か思う。
 ―――シテが、戦っていると。
 死者が死者を器とする行為が禁忌とされている理由は二つあった。

 一つは、意識の混濁。
 死者の記憶が混ざり、真実が分からなくなることだった。

 二つは、身体の乗っ取り。
 まだ舞台を済ませていない者であった場合、意図しない舞台が創られる可能性がある。

 今回の場合、イアが恐れたのは前者であった。
「頼んだ」
 しかし、シテは『頼んだ』と言う。
 その呼びかけに応えるかのように―――。
 面師・アイは桃花の眼を開かせた。
「巫一族。面師の肩書きの下、力を行使する」
『アイ、落ち着け、無茶をするな!』
 イアの叫び声を無視して、アイは言う。
「禁忌を犯した罪人に罰を」
 その瞬間、パリン...と音がした。
 鏡の間が割れたのかとアイは思った。
 しかし、違った。
 山が割れた。パリンという音と共に。
 鏡に映った山が、パリンと。パリンと。
「はっ...割りやがったな、少年...いや」
 アイは手元に集まった光を掴む。
 今度は、割れる音はしなかった。

ザン!」挿絵AIで作った挿絵

 アイは面をかけた。
 眉間には僅かな皺が刻まれ、伏せられた眼差しは、誰かを責めることなく地面を見つめている。
 固く結ばれた唇には、言葉にならなかった謝罪が残っていた。
 泣いているようにも見えた。
 それでいて、泣くことすら許されない者の顔にも見えた。
 それは怒りの面ではない。
 悲しみの面でもない。

 己の罪を、己だけが知っている者の面だった。

 瞬間、アイの着ていた軽やかな白の反物は厳かな衣装へと変わる。今までと違う点で言えば、模様がまるで血飛沫のようであるという点だ。
『...アイ』
「イア。二度は言わん、聞け」
 アイは強張った顔つきで言う。
ザンの望みは、ではない」
『...』
「消滅だ」
『......承知』
 パン、と乾いた音が響いた。

『そこの少年、こんばんは』

 イアは軽い足取りで割れた鏡に触れる。
 その瞬間、面をかけたアイとシテに乗り移った亡霊の姿が映る。

『さぁ、今宵の舞台は――』
『此方の少年の、罪の話のようでございます』

 イアはパン...と手を叩いた。
 少し濡れたその音は、緊張の証だった。
 その瞬間、一辺がに変わる。
 シテの心の中ではない。
 イアが用意した舞台だ。
 静寂の中、苦しみを嘆くように言う。

『あぁ、如何してだ』
『あぁ、如何してだ』

『如何して、お前は弱いのだ』

『あぁ、如何してだ』
『あぁ、如何してだ』

『如何して、お前は醜いのだ』

 イアはヒュウッッと指笛を吹く。
 途端、その音はの音となる。
 それに合わせるかのように、アイは言う。

『お前は弱い、だから俺が護る』
『松とし聞かば 今帰りこむ』

 イアはヒュウッと指笛を吹いた。
 やがてその指笛はの音となる。
 柔らかな風に乗り、旋律へと変わる。
 そして続くようにパンと手を叩いた。
 その音は、低い大鼓の音となる。
 柔らかな風に乗り、音を支える。

『あぁ、如何してだ』
『あぁ、如何してだ』

 アイは強く大地を踏み締めた。
 その瞬間、イアは思う。
 ―――アイが完全に『映った』!
 囃子はやしがない為、イアは自身の身体を囃子はやしとするしかない。

 自身の指を笛に。手を鼓に。

 アイは面に上手く乗れない。
 何故なら本来の感情を持つ者は、今目の前にいるからだ。然るべき手順を無視した方法は、アイの足取りを重くさせた。
 しかし、ザンに乗ることができた。
 その証拠として、舞働まいばたらきと呼ばれる動きを見せてくれている。
 倒れ込むかのように、
 全てを薙ぎ倒すかのように。
 アイは、舞う。

『何故、皆俺を置いていく』
『何故、皆俺より先に逝く』
『何故、俺だけが残る』
 アイはひたすらに舞う。
 それに合わせ、進行役イアは言う。

『何故、何故、何故、何故、何故、何故』

 風が囃子はやしに。
 風が囃子はやしを静寂に。
 全ての囃子はやしが、ピタリと止んだ。

『俺は、生き延びるのだ』

 その瞬間、イアは手を叩いた。
 乾いた音が、こだまのように響いた。
『罪人が願ったものは、一つ』
 ゆっくりと、言葉を選んだ。
『松が言っている。さぁ――――』
 イアは、アイを見つめた。
『いってらっしゃい』
 その瞬間、ザンの面は剥がれた。
 そして、シテの身体から光が溢れる。
『安心しろ、私が見届ける』
「...感謝する、巫様」
 静かに、ゆっくりと。
 淡い光がシテの身体から離れていく。

『意思は光に。光は粒子に。粒子は大地に還る』

 イアはそう言いながら「ふっ」と息を吐く。
 すると、粒子が大地に散らばっていく。
「...イア」
 ザンの面が粒子へと変わる。
 アイの桃花眼が、少しだけ揺れた。

『松とし聞かば、今帰り来む』

 イアは、小さく呟いた。
『...終演で、ございます』
シェア
← 前の話
面師
次の話 →
水鏡
作者:結弦
目次
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません