
慚
「はははははっ!実に愉快だ!」 シテは叫ぶ。だがその瞬間――。 シテは、自身の顎を掴んでいた。「あ?」 シテの白髪から碧の眼が輝く。「誰だ?お前」 シテは自問自答した。「俺はシテ。お前は?」 突然の状況の変化だった。あまりにも突然で、イアは理解ができなかった。アイを優しく抱えたままシテを見つめる。「おい、なんでお前が目を覚ます!」「俺の身体だぞ、当たり前だろう?で、誰だ」「お前は俺が殺しただろう!」「知らん。目を覚ましたんだから返せよ」 ―――何が起きている。 イアは状況を整理するかのように思考した。 まず、シテの様子がおかしかった。 淡々としている。が一番近い表現だった。 淡々と物事を語る姿は、善悪を問わない者のようであったからだ。 普段のシテを表すのなら「誠実」だった。 誰よりも真っ直ぐに人を見て、判断する。 そして、何よりの異常。 シテは巫一族しか使うことのできない、
『盤面切替』を行った。 そして現在、は自分の顎を掴み自問自答中。 何が起きているのか。『......まさか』「あぁ......巫様は気づくか」 その言葉によって、違和感は確信へと変わる。『禁忌を犯したな...罪人!』 その言葉に、シテの中にいる死者は言う。「俺の面は『罪』なんだろう?ピッタリだ」 死者が死者を器とする。 巫一族が最も忌み嫌う禁術である。「イア」 柔らかな声がした。「5分意識を持たせてみせる」 この声音だけで、イアは何故か思う。 ―――シテが、戦っていると。 死者が死者を器とする行為が禁忌とされている理由は二つあった。 一つは、意識の混濁。 死者の記憶が混ざり、真実が分からなくなることだった。 二つは、身体の乗っ取り。 まだ舞台を済ませていない者であった場合、意図しない舞台が創られる可能性がある。 今回の場合、イアが恐れたのは前者であった。「頼んだ」 しかし、シテは『頼んだ』と言う。 その呼びかけに応えるかのように―――。 面師・アイは桃花の眼を開かせた。「巫一族。面師の肩書きの下、力を行使する」『アイ、落ち着け、無茶をするな!』 イアの叫び声を無視して、アイは言う。「禁忌を犯した罪人に罰を」 その瞬間、パリン...と音がした。 鏡の間が割れたのかとアイは思った。 しかし、違った。 山が割れた。パリンという音と共に。 鏡に映った山が、パリンと。パリンと。「はっ...割りやがったな、少年...いや」 アイは手元に集まった光を掴む。 今度は、割れる音はしなかった。「慚!」
アイは面をかけた。 眉間には僅かな皺が刻まれ、伏せられた眼差しは、誰かを責めることなく地面を見つめている。 固く結ばれた唇には、言葉にならなかった謝罪が残っていた。 泣いているようにも見えた。 それでいて、泣くことすら許されない者の顔にも見えた。 それは怒りの面ではない。 悲しみの面でもない。 己の罪を、己だけが知っている者の面だった。 瞬間、アイの着ていた軽やかな白の反物は厳かな衣装へと変わる。今までと違う点で言えば、模様がまるで血飛沫のようであるという点だ。『...アイ』「イア。二度は言わん、聞け」 アイは強張った顔つきで言う。「慚の望みは、灰ではない」『...』「消滅だ」『......承知』 パン、と乾いた音が響いた。『そこの少年、こんばんは』 イアは軽い足取りで割れた鏡に触れる。 その瞬間、面をかけたアイとシテに乗り移った亡霊の姿が映る。『さぁ、今宵の舞台は――』『此方の少年の、罪の話のようでございます』 イアはパン...と手を叩いた。 少し濡れたその音は、緊張の証だった。 その瞬間、一辺が山に変わる。 シテの心の中ではない。 イアが用意した舞台だ。 静寂の中、苦しみを嘆くように言う。『あぁ、如何してだ』『あぁ、如何してだ』『如何して、お前は弱いのだ』『あぁ、如何してだ』『あぁ、如何してだ』『如何して、お前は醜いのだ』 イアはヒュウッッと指笛を吹く。 途端、その音は笛の音となる。 それに合わせるかのように、アイは言う。『お前は弱い、だから俺が護る』『松とし聞かば 今帰りこむ』 イアはヒュウッと指笛を吹いた。 やがてその指笛は笛の音となる。 柔らかな風に乗り、旋律へと変わる。 そして続くようにパンと手を叩いた。 その音は、低い大鼓の音となる。 柔らかな風に乗り、音を支える。『あぁ、如何してだ』『あぁ、如何してだ』 慚は強く大地を踏み締めた。 その瞬間、イアは思う。 ―――アイが完全に『映った』! 囃子がない為、イアは自身の身体を囃子とするしかない。 自身の指を笛に。手を鼓に。 アイは面に上手く乗れない。 何故なら本来の感情を持つ者は、今目の前にいるからだ。然るべき手順を無視した方法は、アイの足取りを重くさせた。 しかし、慚に乗ることができた。 その証拠として、舞働と呼ばれる動きを見せてくれている。 倒れ込むかのように、
全てを薙ぎ倒すかのように。 慚は、舞う。『何故、皆俺を置いていく』『何故、皆俺より先に逝く』『何故、俺だけが残る』 慚はひたすらに舞う。 それに合わせ、進行役は言う。『何故、何故、何故、何故、何故、何故』 風が音を囃子に。 風が囃子を静寂に。 全ての囃子が、ピタリと止んだ。『俺は、生き延びるのだ』 その瞬間、イアは手を叩いた。 乾いた音が、こだまのように響いた。『罪人が願ったものは、一つ』 ゆっくりと、言葉を選んだ。『松が言っている。さぁ――――』 イアは、慚を見つめた。『いってらっしゃい』 その瞬間、慚の面は剥がれた。 そして、シテの身体から光が溢れる。『安心しろ、私が見届ける』「...感謝する、巫様」 静かに、ゆっくりと。 淡い光がシテの身体から離れていく。『意思は光に。光は粒子に。粒子は大地に還る』 イアはそう言いながら「ふっ」と息を吐く。 すると、粒子が大地に散らばっていく。「...イア」 慚の面が粒子へと変わる。 アイの桃花眼が、少しだけ揺れた。『松とし聞かば、今帰り来む』 イアは、小さく呟いた。『...終演で、ございます』 慚
「はははははっ!実に愉快だ!」 シテは叫ぶ。だがその瞬間――。 シテは、自身の顎を掴んでいた。「あ?」 シテの白髪から碧の眼が輝く。「誰だ?お前」 シテは自問自答した。「俺はシテ。お前は?」 突然の状況の変化だった。あまりにも突然で、イアは理解ができなかった。アイを優しく抱えたままシテを見つめる。「おい、なんでお前が目を覚ます!」「俺の身体だぞ、当たり前だろう?で、誰だ」「お前は俺が殺しただろう!」「知らん。目を覚ましたんだから返せよ」 ―――何が起きている。 イアは状況を整理するかのように思考した。 まず、シテの様子がおかしかった。 淡々としている。が一番近い表現だった。 淡々と物事を語る姿は、善悪を問わない者のようであったからだ。 普段のシテを表すのなら「誠実」だった。 誰よりも真っ直ぐに人を見て、判断する。 そして、何よりの異常。 シテは巫一族しか使うことのできない、
『盤面切替』を行った。 そして現在、は自分の顎を掴み自問自答中。 何が起きているのか。『......まさか』「あぁ......巫様は気づくか」 その言葉によって、違和感は確信へと変わる。『禁忌を犯したな...罪人!』 その言葉に、シテの中にいる死者は言う。「俺の面は『罪』なんだろう?ピッタリだ」 死者が死者を器とする。 巫一族が最も忌み嫌う禁術である。「イア」 柔らかな声がした。「5分意識を持たせてみせる」 この声音だけで、イアは何故か思う。 ―――シテが、戦っていると。 死者が死者を器とする行為が禁忌とされている理由は二つあった。 一つは、意識の混濁。 死者の記憶が混ざり、真実が分からなくなることだった。 二つは、身体の乗っ取り。 まだ舞台を済ませていない者であった場合、意図しない舞台が創られる可能性がある。 今回の場合、イアが恐れたのは前者であった。「頼んだ」 しかし、シテは『頼んだ』と言う。 その呼びかけに応えるかのように―――。 面師・アイは桃花の眼を開かせた。「巫一族。面師の肩書きの下、力を行使する」『アイ、落ち着け、無茶をするな!』 イアの叫び声を無視して、アイは言う。「禁忌を犯した罪人に罰を」 その瞬間、パリン...と音がした。 鏡の間が割れたのかとアイは思った。 しかし、違った。 山が割れた。パリンという音と共に。 鏡に映った山が、パリンと。パリンと。「はっ...割りやがったな、少年...いや」 アイは手元に集まった光を掴む。 今度は、割れる音はしなかった。「慚!」
アイは面をかけた。 眉間には僅かな皺が刻まれ、伏せられた眼差しは、誰かを責めることなく地面を見つめている。 固く結ばれた唇には、言葉にならなかった謝罪が残っていた。 泣いているようにも見えた。 それでいて、泣くことすら許されない者の顔にも見えた。 それは怒りの面ではない。 悲しみの面でもない。 己の罪を、己だけが知っている者の面だった。 瞬間、アイの着ていた軽やかな白の反物は厳かな衣装へと変わる。今までと違う点で言えば、模様がまるで血飛沫のようであるという点だ。『...アイ』「イア。二度は言わん、聞け」 アイは強張った顔つきで言う。「慚の望みは、灰ではない」『...』「消滅だ」『......承知』 パン、と乾いた音が響いた。『そこの少年、こんばんは』 イアは軽い足取りで割れた鏡に触れる。 その瞬間、面をかけたアイとシテに乗り移った亡霊の姿が映る。『さぁ、今宵の舞台は――』『此方の少年の、罪の話のようでございます』 イアはパン...と手を叩いた。 少し濡れたその音は、緊張の証だった。 その瞬間、一辺が山に変わる。 シテの心の中ではない。 イアが用意した舞台だ。 静寂の中、苦しみを嘆くように言う。『あぁ、如何してだ』『あぁ、如何してだ』『如何して、お前は弱いのだ』『あぁ、如何してだ』『あぁ、如何してだ』『如何して、お前は醜いのだ』 イアはヒュウッッと指笛を吹く。 途端、その音は笛の音となる。 それに合わせるかのように、アイは言う。『お前は弱い、だから俺が護る』『松とし聞かば 今帰りこむ』 イアはヒュウッと指笛を吹いた。 やがてその指笛は笛の音となる。 柔らかな風に乗り、旋律へと変わる。 そして続くようにパンと手を叩いた。 その音は、低い大鼓の音となる。 柔らかな風に乗り、音を支える。『あぁ、如何してだ』『あぁ、如何してだ』 慚は強く大地を踏み締めた。 その瞬間、イアは思う。 ―――アイが完全に『映った』! 囃子がない為、イアは自身の身体を囃子とするしかない。 自身の指を笛に。手を鼓に。 アイは面に上手く乗れない。 何故なら本来の感情を持つ者は、今目の前にいるからだ。然るべき手順を無視した方法は、アイの足取りを重くさせた。 しかし、慚に乗ることができた。 その証拠として、舞働と呼ばれる動きを見せてくれている。 倒れ込むかのように、
全てを薙ぎ倒すかのように。 慚は、舞う。『何故、皆俺を置いていく』『何故、皆俺より先に逝く』『何故、俺だけが残る』 慚はひたすらに舞う。 それに合わせ、進行役は言う。『何故、何故、何故、何故、何故、何故』 風が音を囃子に。 風が囃子を静寂に。 全ての囃子が、ピタリと止んだ。『俺は、生き延びるのだ』 その瞬間、イアは手を叩いた。 乾いた音が、こだまのように響いた。『罪人が願ったものは、一つ』 ゆっくりと、言葉を選んだ。『松が言っている。さぁ――――』 イアは、慚を見つめた。『いってらっしゃい』 その瞬間、慚の面は剥がれた。 そして、シテの身体から光が溢れる。『安心しろ、私が見届ける』「...感謝する、巫様」 静かに、ゆっくりと。 淡い光がシテの身体から離れていく。『意思は光に。光は粒子に。粒子は大地に還る』 イアはそう言いながら「ふっ」と息を吐く。 すると、粒子が大地に散らばっていく。「...イア」 慚の面が粒子へと変わる。 アイの桃花眼が、少しだけ揺れた。『松とし聞かば、今帰り来む』 イアは、小さく呟いた。『...終演で、ございます』