夢路
「...う、うわぁぁぁぁぁっ!」
シテは叫んだ。理由は一つ。
空に浮いていたからだ。
空に浮かぶという行為は不思議な感覚なのだろうか。
シテは灰と碧の眼を右往左往させる。
「あ、夢かコレ」
夢と理解ると、もう怯える必要はない。
それよりも、自身が重力に逆らって浮くことのできる『夢』という存在そのものに不思議だと焦点を当てられるくらいには冷静だった。
「便利なものだな、夢って」
その瞬間、シテの目の前に光の粒子が集まる。
粒子は徐々に形を帯びていく。
『夢ではない。此処は狭間だ』
粒子は人の形へと模していき、やがて色付く。
「びっくりしたぁ!」
イアが目の前で空に浮かんでいた。
珍しい桃花眼が空によく映えた。黒い髪が重力に逆らっている。白の反物は、雲のように清らかであった。
『聞こえなかったか?此処は狭間だ』
「それは聞こえてるから!」
『お前の心の中を写す。その写し出されたモノから舞台は造られるんだ』
「さっきから思ってたけどマジで説明意味不明だからなそれ」
『ではこうしよう』
イアはパン、と手を叩いた。
次の瞬間、シテの目の前に山が広がった。
新緑の木々。太陽の祝福を受けた影は風に揺れて舞う。遠くから聞こえる鳥の囀りは心を落ち着かせてくれた。
「山...ってか、松の木?」
イアはシテの後ろに立っていた。
『お前の心の中を写すのに選ばれたのは山だった訳だ』
「他はどんなのがあるんだ?」
その言葉に、イアはすぐに返す。
『他人の心の中を、説明することは失礼だろう』
「それもそっか」
山を見渡すシテを見て、不意にイアは思う。
―――待て、何故松の木だと理解ったのだ?
『松の木と言ったが、何故分かった?』
イアのその言葉に、シテは「どういう意味だ?」と返す。
『私には、ただの山にしか見えん』
「でも近づいたら松だぜ?」
あまりに答えにはなっていない。
然し、イアは素直に『そうか』と返した。
人の心の中とは多様。人の数だけ答えがある。
シテの言葉もまた、一つの『答え』なのだ。
「なあ、イア」
『なんだ?』
「俺、舞台やるの?」
松の木を見つめながら、シテは呟く。
『わからん。必要な者は演る。ない者は演らん』
「...俺、死んだんだよ」
『知っている』
「でも、何で死んだかは、分からない」
『中々特殊な事例ではあるが、稀に起こる』
「なあ、イア」
『なんだ』
シテは、イアの方を見つめた。
灰の眼がイアを捉える。
「俺、舞台をもっと観たい」
『構わんが?』
「えっ」
『いい機会だ、勉強させてやろう』
そう言いながら、イアはゆっくりと地面に触れた。すると、松の木は徐々に退けていく。やがては視界が良好なほど見渡しがいい野原になる。
『我々が行う舞台とは、この世に未練を持つ死者が生者に未練を語る』
そう言いながらイアはゆっくりと野原を歩く。
『そして、旅立つんだ』
イアは野原に触れた。
「...ええ...むずい、もっと簡単に言って」
『舞台に立つ者は皆、誰かに想いを聞いてほしいと思っている者ばかり。即ち!』
桃花眼は、キラキラと輝いて見えた。
『お前が舞台を観ることを、拒む者はいない』
その言葉に、シテは問う。
「さっきの少年のも、届いたのか?」
『それは分からない』
「えっ...」
『伝えようとすることに意味がある』
イアは白の反物から扇子を取り出した。無駄な装飾が一つもない白の扇子は、まるで心を映す白紙のようにも見える。
『伝えられなかった想いを伝え、旅立つ未練を無くす者。それが我らの使命だ』
「イア、かっけぇ!」
『ありがたくその言葉を受け取ろう』
その瞬間、イアは消えた。
「イア?おーい」
『どうか、良い夢を』
「......うん、おやすみイア」