10『本質』
『王都テオランド』――『神々の地』と名付けられたこの国の首都だ。広くはないものの城壁で囲われており、中心に佇む王宮の周りには、湖のように広い水堀が張り巡らされている。王宮には王族が暮らす屋敷としてだけではなく、国の方針などを決める機能もある。
更に馬車で出入りできるのは、水堀の手前までであり、王宮までの道のりは徒歩で行く必要があった。全ては旧三柱連合というよりかは、セイス家主導の元で設計されたらしい。何故ここまで露骨に旧三界連合を刺激するような造りにしたのかは分からない。
◇◇◇
お婆様の部屋を訪れてから一ヶ月が過ぎた。私はその間『テレイア』についてを調べていた。しかし、神そのものについての資料はほとんどなく、なんなら大聖堂のステンドグラスが一番詳しいのではないかと思った程だった。丁度、私が大聖堂でそれを眺めていた時に、お婆様から二日後に『王都』に行くと告げられ、今に至る。
私たちは、無駄に長い桟橋を渡った後、豪勢な門をくぐった。そこにはちょっとした広場があり、旧三柱連合の当主たちの石像が台座の上に並んでいた。中心にドラシオン・セイスが威厳に満ちた顔で立ち、右側にテリオス・レイステラがドラシオンを見守るように肩に手をかけている。左側のヴィレオン・レイバーだけは、表情が読みにくくよくわからなかった。
王宮の中へと入ると、使用人が駆け付けてきて、私たちを案内してくれた。『イリスティア』と刻まれた、オーク製の重厚な扉を開けると、毛織絨毯が敷き詰められており、私たちの足音を消した。大理石で作られたらしい暖炉が目立ち、その他の調度品も豪華なものばかりであった。大きなテーブルが中央を陣取り、派手な彫刻が施されたハイバックチェアが並んでいる。
「何度来てもここは肩が凝りますね」
お婆様は王宮があまり好きではないらしかった。王都へ向かう馬車の中でも愚痴をこぼしていた。実際、この王宮は権威を主張しすぎているように見えてとても息が詰まる。
「誰が聞いているかわかりません。軽々しい発言は控えたほうが良いかと思います」
私は首を回しているお婆様に向かって言った。お婆様は「あら手厳しい」とお茶目に笑った。
◇◇◇
私は今とても動揺している。お婆様が椅子に座ったから私も隣に座ってみた。ごく普通のことだと思う。問題はここからだ。無駄に椅子が高いせいで私の足が床に届いていない。そのせいで、私の足は無様にゆらゆらと揺れている。こんなこと、許されないはずだ。
「あら、こんなところでも十歳を見ることが叶うなんて。目的は既に達成されたも同然ですね」
キリっとお婆様を睨み付け、ジーっと見つめた。そして、そっぽを向いた後『頭を下げさせるリスト』にお婆様も加えようかと真剣に検討した。あと一回十歳とバカにしたら加えるとしよう。
どうやって頭を下げさせるかを考えていたところ、ノックが三回部屋の中に響いた。私はぴょんと椅子を降り、扉の方に身体を向けた。少しの間の後、扉がゆっくり開き、一人の男性が部屋に入ってきた。
「遅れて申し訳ない。おや、この子が噂のアイリスかな?」
ダークグレーの髪がゆらゆらと揺れ、髭は首を隠すくらい長い。顔は彫りが深く、眉間に皺が刻まれている。
「お初にお目にかかります。アイリス・グラネイアと申します。」
挨拶をすると、ドラシオンは「よせよせ」と言いながら向かい側の椅子に座った。直後、またノックが聞こえたと思うと、使用人が数人入ってきて、紅茶とたくさんの菓子がテーブルに並んだ。
「さあ、アイリス。好きに飲んで食べておくれ。おかわりが欲しかったら持ってこさせよう」
低い声をむりやり高くしようとしているように感じた。この男は私を完全に子供扱いしている。
「ご配慮いただきありがとうございます。ですが......とても食べきれる量ではないと思います」
テーブルの上には焼き菓子や果物などが所狭しと置かれている。『爆食のアイリス』という噂が流れているのだろうか。
「それで、雑談をしたくてお呼びしたのですか?」
機嫌が悪そうにお婆様が言った。私はこんなお婆様を見たことがない。
「そう邪険にしないでくれないか。統一戦争を共に戦った仲ではないか」
お婆様がため息を大きく吐いた。
「何度も言っていますが、当家は戦場に出ていません。あくまでも、三柱連合を支持したに限ります。そして、現在は中立を宣言しています。私が当主の間はどちらも支持するつもりはありません」
お婆様が言い切ったあと、沈黙が流れた。ドラシオンがフルーツタルトを口に運ぶと、顔をしかめた。
「やはりタルトは苦手だ。何故かわかるか?」
お婆様は答えなかった。タルトは、リンゴや洋梨、ブドウが乗った甘そうなタルトであった。
「甘いものが苦手......だからでしょうか」
「不正解だ。私は甘いものが大好きでね」
......これは正解しないといけないのだろうか。いや、問われたからには正解しなければ私の気が済まない。私はドラシオンを観察すると、あることに気が付いた。
「髭に、タルト生地が落ちるから......でしょうか」
ドラシオンが私の瞳を見つめた。鷹のように鋭い目つきで睨まれているように感じ、目が離せなかった。
「よくわかったな。大体は問答しながら答えにありつくのだが、それをしないで辿り着いた者はそう多くない。将来がものすごく楽しみだ」
お婆様が部屋に響くほどの大きなため息を吐いた。『国王の前でなんてことをするのですか』と注意したい気持ちが喉の先まで出そうになる。しかし、ドラシオンも特に気にしていない様子だったため、その言葉が外に出ることはなかった。
「おいおい、今日はやけに毒舌だな。お前と吾輩の仲ではないか」
「狙いがあからさまだからです」
お婆様が「それに吾輩も似合いません」とすぐさま付け加えた。ドラシオンが髭を撫で、低い声で笑っている。この二人は過去にどのような関係だったんだろう......
「そうか。甘いものは好きだと思ったのだが......エリスティア、お前は孫を溺愛しているな?」
急にドラシオンの声質が変わった。低く重たく、荒々しい。全てを見透かしているような瞳が恐ろしく感じる。
「わかるぞ。この子は美しく、聡い。それにまだ十歳ときた」
――この男は何を考えているんだろう。お婆様が私を溺愛している気持ちがこの男にも分かる? 何がしたいのかがよく分からない......
「お前が裏で何をしているのかも、吾輩は知っている」
ドラシオンが肘をつき、顔の前で手を組んだ。その鋭い眼差しは、私の思考を妨げるには十分なものだった。
「アイリスよ。知りたくないか? 大好きなお婆様が何をしようとしているのか。君が知りたいことは、なんでも教えてあげよう」
ドラシオンが「いつでも。何度でも。誰も教えてくれないことでも」と付け加えた。
「どうだ? お婆様に一言助言してくれるだけでいいんだ。『このおじさんの話を聞いて』と。それだけで君が喉から手が出るほど欲しい情報が、すぐに手に入る」
私は固唾を呑みこみ、お婆様の顔を見た。そして、ドラシオンに戻す。
「吾輩は即断即決がモットーでね。次はない。今、決めるんだ。お婆様は違うようだが」
そんなお婆様を裏切るようなこと、できるはず......いや、でも......
「あ、貴方は......私の何を知っているのですか......答えを知っている、根拠が無い......」
ドラシオンの髭に埋もれた口角が上がっているように感じた。
「何でも知っているとも。だが、そうだな。君の意志を尊重しよう。根拠だな? では、君の悩みを一つ言い当てようではないか」
――もし当てられてしまったら......どうしたらいいのか......私は、この男を拒否することはできるのか。
「ほうほう。君の悩みは一つではないな? 三つ、四つ......いや、もっとある。苦しいだろう。『自分自身が何者であるか』を思い悩むのは」
急に胸が苦しくなった。呼吸が早くなり、鼓膜に心臓が引っ付いているのかと思うくらい大きい。この男は全てを知っている。理性では『聞いてはいけない』と警鐘を鳴らしているが、私の知的好奇心がそれを上回りそうになる。
「吾輩はメティオスとも深い付き合いをしていてね。グラネイアの神である『テレイア』についてもある程度知っている。若しくは『神威』についての方が知りたいかな?」
私はガタガタと震える唇をゆっくりと開いた。ドラシオンは優しく頷いている。この男が何を聞いて欲しいのかは分からないが、お婆様が上手く処理すればいいだけの話だ。私に責任はない筈だ。
「お、お婆様......? あの、国王の話を――」
――――人から与えられてそれで満足するんですか? そうでないでしょう。アイリス、自分の本質を忘れないでください。
私が『話を聞いてもいいのでは』と言おうとした瞬間、頭の中に別の声が響いた。防衛本能なのか、理性なのか。いや、きっと私は自分でも分かっていたんだ。自分で答えに辿り着くからこそ、意味があることに。
「もう一押しかな? これは、誰にも言っていない君の深層心理だ。アイリス、君はお婆様の中立宣言が――」
私はドンと、テーブルを叩き、ドラシオンを睨み付けた。こんなことしても良いのかは分からないがこうしないとまた誘惑に負けてしまう気がした。
「......とても有意義な時間でした。国王陛下のお陰で、また一つ自分について知ることができたような気がします。結論を申し上げますが......私には貴方の教えは紅茶の一滴さえも必要がないみたいです」
ドラシオンが「君のためになれて嬉しいよ」と、顔はにこやかにしているにもかかわらず、歯切れが悪そうに言った。私は椅子から飛び降り、別れの挨拶もせずにドアへと向かった。
「では、交渉は決裂したようですので、私たちはこれで失礼しますね。国王陛下様」
続いて、お婆様が大袈裟に頭を下げ、私たちはその部屋から退出した。隣を歩く彼女を見上げると、いつものように優しく微笑む祖母が私の頭を撫でてくれた。
◇◇◇
「お婆様、私は大きな過ちを犯したのではないでしょうか」
桟橋を渡りながらお婆様に問いかけた。
「何も気にすることはありません。あの場は公のものではありませんし、あんなことで折れる人間ではありません」
なるほど。公のものでは無かったらある程度は許されるのか。良いことを聞いた。
「......人によりますよ? 誰にでも何でもしていいわけではありません」
......考えを修正する必要がありそうだ。
「連れてきた私が言うのもなんですが、王国派には気を付けることです」
恐らく連れて来ざるを得なかったのだろう。理由までは分からないが。そうでなくては、あの恐ろしい男の元に私を連れて行くことはしないだろう。
ドラシオンは危険な存在だった。私が知りたいものを当ててきたし、その答えを知っているようだった。あそこで欲に負けていたらお婆様はどんな顔をしたんだろう。途中で言いかけた時、どんな顔をしていたんだろうか。私に失望し、今後一切口を聞いてくれなくなっていたかもしれない。そんなことを乗り込んだ馬車の中で延々と考えていた。
◇◇◇
ドラシオンとの会談から数日後のことだ。私は中庭に呼び出され、急いで向かった。
......見間違いだろうか。それとも、幻覚を見せられているのか。視線の先には、ロイヤルブルーの髪をゆらゆらと揺らし、人形を膝の上に大量に乗せて座っている男が座っている。その後ろには、体の大きさに合わないエプロンと鉄鍋を持ったアイボリーの髪をかき上げた大男が、キッチンを模した玩具の前に膝立ちをしている。
「あの......何をされているのですか?」
目の前の異様な光景に私はただただ困惑した。偉大な二人にこんなことを考えるのは極めて失礼であるが、ものすごく気持ちが悪い。ついさっき食べたフルーツタルトを吐き出しそうにもなってきた。
「遅いぞ。ままごとは既に始まっている」
レオネスはいつもと変わらない真剣な表情で私に向かって言った。セラティスは鍋を豪快に振っている。誰かこの状況を説明してくれ。夢なのか、現実なのかだけでもいい。いや、そんなことは言われなくても分かっている。
――小さい子を連れてくるという発想は、なかったのか......
そう思いながら、ゆっくりと敷物に腰を下ろした。