09『十歳』
数日後、私はお婆様の執務室を訪れた。仕事用の大きなデスクはオークの木で作られており、お婆様に良く似合っている。そして、入ってすぐのところには、三人掛けの椅子が向かい合せに配置されている。無駄を嫌うお婆様らしく、広い空間の割には物が少なく感じた。
「お忙しい中ありがとうございます」
私は紅茶を入れているお婆様に向かって軽く頭を下げた。話す ことを整理しながら、その様子を眺めていた。
「孫の頼みですもの。時間は作りますよ」
お婆様がティーカップを置き向かい側に静かに置き、腰を下ろした。「ありがとうございます」と伝え、カップを唇に近づけた。すると、信じられないことが起きた。
「っ......!」
芳醇な香りを楽しんでから、口に含んだ瞬間、驚くほどの熱さで舌が悲鳴を上げた。できるだけ悟られないようにゆっくりとカップをテーブルに置いた。
「触れてほしくないかもしれませんが、最近あなたが十歳だと思える瞬間が増えたような気がします」
......バレていたか。完璧に隠したはずなのに......
「冷たいミルクでも入れておけば良かったですね」
この流れはまずい。早く話を変える必要がありそうだと思った。私はゴホンと大きく咳ばらいをしてから「そんなの必要ありません! それより――」と言い、話を続けた。
「一つ、確認したいことがあります。私は、聡いですか?」
ふふっとお婆様が微笑み、少し何かを考えるように「そうですね......」と顎先に指を添えながら呟いた。
「そうですね。十歳とは思えないほどに。大抵の大人たちを凌駕していることでしょう」
つまり、当主には届いていない。当たり前のことだ。相手は私の四倍以上の人生経験があるし、なによりも『統一戦争』を生き抜いた猛者たちだ。
「先日の会談で、レオネス様は『お前はどこまで知っている』と聞きました。私は『自分自身』について理解していないことがあるのではないかと解釈しました」
私はその他の話も説明した。改めて一言一句違わずに話してみると、何か違和感を感じた。
「貴方の考えを聞きましょう。何も考えていないわけではないのでしょう?」
「その前に、何かを......見逃しているような......」
再び頭の中でレオネスとの会話を繰り返した。『自分自身』のことで全て話は通っているような気がする。......彼は私の状況をかなり詳しく知っているような口ぶりだった。つまり、本当に聞きたいことはその先のことなのか?
では、その先とは......例えば『神威の使い方』についてだろうか。だとすると、心当たりがある。私は『自己誓約』で過剰に制限を課す場合があるということだ。イェステル家の時もそうだった。ということは、彼らとの差を私は大きく見積もりすぎているのだろうか。
次に思いつくのは当然『当主』について。実際、私は当主になると神『テレイア』と結ぶことになる『聖約』について何も知らない。というよりも、秘匿事項であるから、なってみないと分からないと言った方が正しい。だとすると、これは違うか......いや、『神』についてだとしたら? 誰もが知っていることと言えば、各家門は信仰している神からの『加護』を受けている。私たちは神の権能を『神威』として使っているにすぎない。ということだ。その先のこと、つまり『聖約』や、『神そのもの』についての話だという可能性は十分にあり得そうだ。
恐らく、まだある気がするが、これを纏めて『どこまで知っている』という問いだった......ということは深読みだろうか。
「あの......いや、まだ全てを理解したわけではありませんが、複数の問いを一つの質問に乗せたという可能性は......あるのでしょうか」
お婆様が立ち上がり、私の隣に座った。私はまだ他の『問い』が残っていないかを考えていた。既に二つ候補が出てきている。
「私から言えることは、貴女はそのままで良い。ということだけです」
......なるほど。一つの質問の答えは一つとは限らない。答えを出したとしても、新たな疑問が生まれる。......どこで終わればいいんだろう。
これは後で考えてみよう。次の質問だ。
「では、私は強いですか」
まじまじとお婆様を見つめ、返事を待った。お婆様は紅茶を優雅に一口飲み、カチャンとソーサーにカップを置いてからニコッと頬見ながら口を開けた。
「アイリス。セラティスと戦ってみてどうでしたたか? レオネスと対峙してみて、何を感じましたか?」
先日の戦闘を思い出すと、まだ『死の恐怖』が残っていることに気付いた。気を紛らわすために紅茶を一口飲み、大きく深呼吸をした。
「まず、圧倒的な程の『格の差』を感じました。私の『精神干渉』が通じなかったことが何よりの証拠です。雷を受けないことだけで手一杯でした。最後は慢心もありましたが」
お婆様は私の目をまっすぐに見つめ首を振った。
「アイリス。『神威』の出力だけで見れば、あなたは私より強い筈です」
訳が分からない。だって、私の『精神干渉』は毛ほども役に立たなかったのに、お婆様はあの二人の膝を折らせた。すごく矛盾している。しかし、お婆様がてきとうなことをここで言うとも思えない。
「やはり『自己誓約』を課さなくても、良かったということでしょうか。あまり信じられない話ですが」
......私が勝手に『格の差』が大きいと思い込んでいたとしたら? その可能性は大いにあるかもしれない。
「では、次は私から問いますが、『神威』の強さとは何だと思いますか?」
「経験や素質でしょうか。今、自分を信じることもそうなのではと考え始めました」
それは、とても難しいことだ。現に、私はまだお婆様より『神威』が強い可能性があることを信じきれていない。
「それもとても大切なことです。但し、信じるだけでは足りません。あとは、貴女の弱点からも考えてみた方が良いかもしれません」
レオネスは、聡いことが弱点になり得ると言っていた。賢いことが、弱点になるのだろうか。
「考えすぎてすぐに結論を出したがることも、弱点かもしれませんね。さあ、もう遅い。眠らないと、大きくなれませんよ」
お婆様が大きく欠伸をした。私はまだ考え込んでいた。もう少しでわかるような気がしたから。
「セラティス様と手合わせをしたいのですが、可能でしょうか」
お婆様は「喜んで引き受けてくれると思いますよ」と言った。
「ですが、次の予定は決まっています。ドラシオンと会います」
現国王のドラシオン・セイスだと思うが、私を国王との予定に連れていく気なのか。
「それは......とても楽しみですね」
私は紅茶をグイっと飲み干した。そのまま立ち上がり、お婆様の方へ向いた。
「きっと答えを出してみせます」
私がそう言うと、お婆様が私の頭に優しく手を置き「急がなくてもいいんですよ」と言った。「それはとても難しいことですね」と返した。部屋から出てからも、頭の中には疑問がたくさんあり、結論を出し続けては新たな疑問が生まれていた。誰かの声が聞こえた気がして勢いよく振り返ったが、特に何もなかった。恐らく、空耳か気付かぬ間に私が独り言を呟いていたんだろうと思った。