05『家族』
夕食を終え、お婆様と別れた私は、どこまでも続いているようにも感じる廊下を歩いていた。真鍮の燭台が規則正しく並び、ゆらゆらと暖かな光を灯している。少し進むと、歴代当主の肖像画が壁に掛かっており、一番右側には祖母のエリスティアが威厳に満ちた表情で描かれている。その左には先代当主であり、私の曽祖父でもあるメティオスがいる。未だ存命ではあるものの、滅多に部屋から出てこない。記憶がある中ではこの人にいい思い出が一つもない。狡猾で意地悪な人間だ。
そんなことを考えていると、いくつかの足音が石の壁を反響させながら近づいてきた。
「あらあら! こんなところに雑草が生えてますわ。お母様!」
私はその声の方を見向きもせず、第三十六代当主の肖像画を観察していた。
「ルージュ、いけないわ。あれはあれで一生懸命生きているのよ? それより......何か変な匂いがしない?」
相変わらず元気なようで安心した。強烈な香りは恐らく腰にぶら下げているポマンダーのせいだろう。気にせずに二十四代当主の肖像画を眺めていると、大きな手が私の肩を掴んだ。グイっと強制的に向きを変えられると、十三歳上の兄であるジェイルズが私を見下した様子で立っていた。
「相変わらずお元気そうで安心しました。ご活躍はかねがね伺っております。仲良く手でも繋いで歩けば宜しいのでは? お三方は強い絆で結ばれているようですので。羨ましい限りです」
甲高い声が二つジェイルズの後ろから聞こえてきた。
「ばあさんのお気に入りだからと言って、調子に乗るな。......あぁそうか。口が悪いのはあいつの影響か。可哀そうに」
私の頭を乱暴に撫でた後、その手を服で拭っていた。私はよろめき、その場に片膝をついた。
「俺が口のきき方を教えてやろうか? 今なら特別に一度の『神威』で許してやろう」
「お兄様だけずるいわ! 私を仲間外れにしないでください!」
姉のルージュがジェイルズの腕を掴みながら、楽しそうに笑った。私は静かに立ち上がり、ため息を吐いた。
「そこで呆けているお母様も仲間に入れてあげなくても宜しいのですか? 仲間外れは可哀そうでしょう」
すぐにお母様......いや、マチルダがコツンコツンと、踵を鳴らしながら二人の間に入った。彼女は口角を限界まで上げ、前に出た。
「大変申し訳ないのだけれど、雑草を抜く趣味はありませんわ。どうしても相手をしてほしいのなら、それ相応の態度というものが、欲しいわね」
私は膝をゆっくりと曲げ、腰を垂直に落とした。目の前の三人は愉快そうに笑い、私に称賛の拍手を浴びせていた。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきましょう。どなたからお相手をしていただけるのですか?」
ルージュが無い胸を張りながら一歩前に出た。頭の中が『地に伏せよ』という言葉に支配され、それに従おうとするかのように膝が痙攣し始めた。
「お姉様? まだ遊んでくれないのですか?」
顔を真っ赤にしたルージュの手をジェイルズが引き、次は彼が勢いよく一歩前に出た。
「悪いな。ルージュはまだまだ未熟なのだ。中途半端な神威を食らって辛いだろう。今楽にしてやる」
ルージュは私の九つ上の姉だ。未熟であるはずがない。そう思った瞬間『分を弁えよ』という言葉に思考を上書きされたような感覚に陥った。
......私は、分を弁えなければ――
「......どうやらお兄様は精神干渉が得意ではないようですね? 不得意なことをお願いしてしまい、申し訳ありません」
すると、マチルダが勢いよく前に出てから、人差し指を天に掲げた。
「最後に遊んで差し上げましょう。聞いたわよ。あなた『神威』を使えないようね。ふふふ......楽しくて笑いが止まらないわ!」
マチルダはひどく歪んだ表情で腕を振り降ろした。途端に空気に押しつぶされ、立っているのもやっとの状態になった。
「本当にプライドだけは高いわね! 人間の癖に神の真似事を。身の程を――」
すると、 急に空気が軽くなり、呼吸が楽になった。何事かと思ったが、遠くからの足音で納得した。
「神威が使えない十歳の少女を三人がかりでどうにもできないのですか? 将来のグラネイアが心配だわ」
お婆様がゆっくりと距離を潰し、マチルダの背後で立ち止まった。
「お......お母様。こんなの児戯に決まっているでしょう。誰がこんな未熟な雑草と本気で......あり得ませんわ」
「そうですか。それを聞いて安心しました。では、攻守交替といきますか? アイリス、一度だけ神威を使うことを許します」
誓約の制限を操作した? そんなこと......いや、恐らくお婆様が何か『誓約』を課したに違いない。
「お母様、お兄様、お姉様。この度は私の我儘に乗っていただき、誠に感謝申し上げます。是非、お楽しみください」
私は丁寧にお辞儀をし、満面の笑みを見せた。三人は背を向けまばらに駆け出した。
――――分を弁えよ――――
地を蹴る音が、一つ消えた。また一つ。最後に、三度の足音の後、静寂が訪れた。
「お婆様、一体何を誓約されたのですか。私の制限を操作したなんて、にわかには信じ難いですが」
お婆様が悪戯な顔で微笑んだ。皺が深く刻まれたその顔が少女のように見えた。
「ものが違うだけです。いずれわかるでしょう。それよりも、大分無茶をしましたね?」
わざと目を合わせないように、失禁して倒れている者の側へ歩いた。
「確かに、年頃のお姉様もいたことですので、失神くらいに抑えた方が良かったかもしれません」
お婆様が手を鳴らすと、遠くから使用人たちが駆け付けた。素早い手付きで三人を抱え、廊下の闇へと消えていった。
「たまたま、私が来たから良かったものの......アイリス、あまり無茶をしてはいけませんよ。『神威』を使えない状況では尚更です。まあ、特にあの三人の前ではあなたのプライドが許さないのでしょうが。うまくその場を切り抜けることも必要です」
私は「肝に銘じます」と一言返し、お婆様を見送った。静寂に戻った廊下で一人、歴代当主の肖像画を『第四十七代当主エリスティア』から順番に改めて眺めた。