06『分岐』
『グラネイア神聖域』――そう呼ばれるようになって十二年。連合王国内でも特異な土地である。他家の『神威』を弱める効果があるため、並の使い手では使うことさえ叶わない。
翌日、私はお婆様を広場の噴水の前で待っていた。ようやく『神威』の制限から解放され、これから何をするのかが楽しみで仕方がなかった。すると、突然分厚い雲が空を覆い、雷鳴と共に砂埃が舞った。やがて砂埃が晴れると、クレーターの中心には大男が立っていた。
私はこの男を知っている。『雷霆セラティス・フルグラル』......この国で最強の男だ。気怠そうな彼の瞳には私の姿が写っていた。一瞬の沈黙の後、広場にいた人たちが一斉に騒ぎ出した。我先にと逃げる者、足を震わせて動けない者、「命だけは!」と慈悲を求める者。
「おいおい、俺から目を離していいのかぁ? がっかりさせないでくれよ」
分厚い雲がゴロゴロと鳴り、雷鳴とともに稲妻が奔る。私は瞬時に広場を覆うように膜を張った。
「フルグラルの当主が何故ここに! 婚姻の儀は明日のはずです!」
大声でセラティスに話しかけたと同時に膜が破られた。すぐさま張り直したが、それもすぐに無意味と化した。
「上ばかり気にしてていいのかー? お前、もう百回は死んでるぞ?」
――怪物め。
長いアイボリーの髪をかき上げながら、その男は欠伸をしていた。何を考えているのか全く分からない。
「攻撃の理由を教えてください! 敵対するおつもりですか!」
そもそも、神聖域内では他家の『神威』は通常使えないはずだ。使えたとしても......いや、このレベルにでもなると意味を為さないのか。それとも、弱まった状態でこの威力だというのか......
「堅苦しいことはよせよ。今は、楽しもうぜ?」
セラティスが腕を伸ばしている。しかしそれは私の方を向いていない。そこには――
――――飛散せよ――――
セラティスから放たれた稲妻が、赤茶色の長い髪の女性の目の前で飛散して消え去った。あと一歩遅かったら死んでいただろう。彼女はその場に崩れ落ち、ガタガタと涙を流しながら震えていた。
「セラティス様。一つだけ......お願いがあります」
「なんだぁ? 怖気ついちまったか?」
私は地に膝を付き、頭を垂れた。
「一つだけ、願いを聞き入れてはいただけないでしょうか」
「言え」
「攻撃の対象を、私一人に限定していただきたいのです」
少しの沈黙の後、「しょうがねえな」と声が聞こえた。私は顔を上げ、震える身体を必死に押さえながら覚悟を決めた。
「慈悲を賜り、感謝申し上げます。確認ですが、攻撃は私一人にしていただけるのでしたね?」
セラティスが頭を掻きながら「そうしてやるって言ってんだろ」と言った。その瞬間、二人の間に誓約が課された。
「結構です。あなたは、もう私にしか攻撃できない」
彼は「はっ! そういうことかよ」と呟き、にやりと笑った。
――――平伏せよ――――
『神威』に乗せて言葉を放ったが、彼はピクリとも動かなかった。
「なんかしたかぁ? 開始ってことでいいんだよな?」
やはり格が違いすぎる。私は目の前に半円の膜を創り出し、空間を曲げた。セラティスから稲妻が奔ったが、膜に当たった瞬間屈折するように軌道を変えた。
「ほぉ! うまいもんだな! じゃあこれはどうだ!」
ゴロゴロと空が呻き、先程とは比べ物にならないほどの雷が落ちてくる。私は腕を天に上げ、空間を固定した。その中には、稲妻がおびただしい音を上げながら渦巻いている。
「お返しいたします」
稲妻の先をセラティスに向け、解放した。すると、当たったはずの稲妻が彼の掌に収まっていた。バチ......バチ......と、徐々に音が大きくなり、稲妻の数が更に増えていく。
「こんなもんかぁ? 欠伸が出るぜ」
――――誓約を課しましょう。この戦闘では『結合・排斥』のみを使用します。
ゴロゴロと鳴り響いていた空から雲が消え、祝福の賛歌が鳴り響いた。
「おぉ! そんなこともできるのか!」
セラティスは子供のようにはしゃぎ、手を叩いて喜んだ。手を叩くたびに、稲妻が奔り、噴水の石像が崩され、周囲の木々は倒れていく。
――――飛散せよ――――
彼の周りを奔っていた稲妻が光の残滓を残して消えた。
「これ以上、貴方の稲妻は私には届きません。もうや――」
何が起こったのかがわからなかった。全身が突然痺れ、身体の自由を失った。
「もうや? もうやっていいってか? まさか、もうやめてくださいじゃねーよなぁ!」
セラティスの背後に太鼓のようなものが現れ、手の中には雷でできたバチを持っている。
――――飛散せよ――――
私の『神威』を無視するかのように、彼がそのバチで太鼓を叩いた。目にも止まらぬ稲妻が、四方から私を取り囲んだ。
――――収束せよ――――
稲妻が寸前のところで方向を変え、頭上で爆散した。私は爆風に飛ばされ、地面に叩きつけられた。すぐに顔を上げると、セラティスがゆっくりと近寄ってきている。
――に、逃げないと......殺される......!
――格が......違いすぎる......
立ち上がろうとするも、足が言うことを聞かない。腕を伸ばし、地面を這いつくばった。『死の足音』が聞こえる。少しずつ、確実に近づいている。何故殺されないといけないんだ......こんな意味の分からない状況で......
「ひ、飛散......せよ......」
――あれ......『神威』ってどうやって使うんだっけ......
「やだ......だめ......」
身体の向きを変え、彼を睨みつけた。唇を噛み締め、涙が頬を伝っているのが分かる。
「ふざけるな! このようなこと......許されるはずがない!」
自分の声とは思えないくらい掠れた声だった。彼は何も言わず、バチバチと稲妻を飛ばしながら迫ってくる。もうすぐそこだ。
「やめて......こ、来ないで......く、来るなぁあああ!」
とうとう目の前に怪物がやってきた。私は手当たり次第に土を掴み、彼を目掛けて投げつけた。
「そんなに、生きたいのか?」
「あ、当たり前だ! 私は......こんなところで死ぬわけにはいかない!」
セラティスの大きな手が近づいてきた。私は大きく口を開け、噛み千切ろうと迫った。すると、彼が突然私の頭を撫で始めた。何が何だかさっぱりわからない。
「や、やめてください。なんのつもりですか......」
いつの間にか太鼓は消え、穏やかな風が葉を楽しそうに鳴らしていた。
「悪いな! ま、なんだ。悪ノリしちまった!」
悪ノリ? 私は死を覚悟したんだ。それが、遊びだったと?
「......私は、あなたが大嫌いです」
目の前の男は腹を抱えながら笑っていた。バチバチと音が鳴って怖いからやめてほしい。
「がはは! 俺にそんなことを言えるのはお前くらいかもな!」
一生許してなるものか。この借りは、絶対に......
「おいおい、そんな睨むなよ。謝っただろ? なあ、エリスティア! どうにかしてくれよ!」
お婆様!? いたのなら早く助けてくれれば良かったのに。
「すみませんね。私は誓約で姿を現すことを禁じられていたものですから」
遠くからいつもの女性の声が聞こえた。
「何故そのような誓約を......それよりも、この男を叱ってください! 許せません! 死ぬかと思ったんですよ!? 失禁が児戯に思えるようなものすごいものを......早く!」
私はお婆様に詰め寄った。「さあ、早く! 遠慮をしてはいけません!」と大男を指さしながら叫んだ。
「ふふっ。この男にそんなことを言うのはあなたくらいです」
お婆様が私の耳元に寄り「後でお説教しておくので安心して」と、呟いた。私は何度も首を縦に振り、「すっごいのをですよ!」と言った。
「さて、そろそろですかね」
「あぁ。そろそろだ」
私は首を傾げ、何がそろそろなのかを考えていた。
いつの間にか二人が遠くに離れており、不思議に思っていた。すると、広場の噴水があった場所に巨大な渦が現れた。風が渦に飲まれるように吹き荒れ、大地が揺れた。私は飛ばされないように木につかまりながら、片腕で目元を庇った。
徐々に渦が小さくなり、その中からまたしても大男が現れた。セラティスと同じくらい大きく、ロイヤルブルーの髪が揺らめいている。
「貴様がアイリス・グラネイアだな。少しは楽しめるのであろうな」
私はお婆様とセラティスを睨みつけた。二人はばつの悪い顔で見つめ返した。
――絶対に、許さない。
私はゆっくりと立ち上がり、「ご機嫌よう」と挨拶をした。
「今日はとっても素敵な一日になりそうです。レクマリノス家当主である、レオネス様が遊んでくださるなんて」
レオネスがにやりと笑い「来い」と言った。
――――誓約を課します。この戦闘では、一度の『神威』のみを使用します。
いつものように賛歌が鳴り響いた。
「レオネス様。私は今、怒りに満ち溢れています。どうなっても、知りません。文句がお有りでしたら、あちらの二人にお願いします」
レオネスが、先端が三つに分かれた槍を創り出した。その槍は、水で創られており、蒼く透き通っている。それを私に向けて構え、何かを仕掛けてきそうな予感がした。私は深く息を吸い、吐き出した。目の前に立つ大男をじっと見つめ、腕を前に差し出した。
「その槍で私と力比べをしようとしているところ申し訳ありませんが、あまり思い上がらぬことです」
――――我が御前での『神威』を禁ずる――――
大気が震え、大気がジリジリと不気味な音を鳴らした。一歩前に進むと、レオネスの槍が形を失った。二歩、三歩と距離を詰めると、砂が舞い、石は不規則に飛び跳ねた。レオネスが腕を私に向けるが、何も起こる気配はない。
そして、レオネスの前に辿り着いた。
「私の負けです。肉弾戦で勝てるとは思えません。貴方が女性を殴れないのなら勝機はありますが」
レオネスが声を上げて笑い、私の頭をポンポンと叩いた。私は、その場に膝から崩れ落ちた。
「無茶をさせてしまったな。悪かった」
「わかっているのなら、やめていただきたいです」
私はその場に仰向けで寝転がり、天を眺めた。雲一つない空を鳥が自由に飛び回っている。
「レオネスさんよぉ! なーに負けてんだぁ? 腑抜けちまったなー!」
セラティスがレオネスの胸を叩きながら、茶化している。レオネスは、「煩い」と一言返していた。
「アイリス、無茶をさせてしまってすみません。明日は休んでもいいですよ。どうせ婚姻の儀のみですから」
「......明日は休みません。同行させてください」
寝転んだまま、お婆様に言った。そして、そのあとに一言付け加えた。
「セラティス様に加えて、レオネス様も叱ってください。徹底的に」
お婆様は、ふふっと笑ってから頷いた。
「あと......あの......おんぶ......してください。身体が動かないので。仕方なく......」
頬が赤くなり、身体が徐々に熱を帯びていく。お婆様が私を背中に乗せ、歩き出した。
「セラティス様! レオネス様! 今日は、その......ありがとうございました!」
私はお婆様の背中に顔を隠したまま大声を出した。すると、二人分の大きな足音が近づいてきた。
「久々に楽しかったぜぇ! また遊んでくれや!」
「何かあったら我を頼れ。力になろう」
背中から少しだけ二人を覗き込み、小さく頷いた。
「私達の『神威』は本来戦闘に向かないのです。他の遊び、例えば......ままごとなら、やってみたいです」
「じゃ! そういうことだからよ! レオネスの兄さん頼んだわ!」
セラティスが手を上げながら去っていった。レオネスは、少し慌てた様子で「承知した」と、震えた声で答えた。
「ふふっ。貴方がそんなに狼狽えるところを見られるなんて。アイリスのお手柄ですね」
レオネスは私のことをじっと見つめていたが、やがて去った。
「アイリス。本当に無茶をさせてしまってすみません。見たところ『神威』の使い過ぎによる疲労だと思いますが、医者に診てもらいましょう」
その後、お婆様の背中の温もりを思う存分に堪能し、ゆらゆらと心地良い振動もあってか、眠りについていた。