07『裏条件』
翌日、馬車が石畳を踏みしめ、ガタンガタンと揺れていた。私はフルグラル領の景色を眺めていた。老朽化が進んでいるのかは分からないが、石造りの住居が何故か所々欠けているようにみえた。
「セラティスの仕業ですよ」
私の心を読んだように、お婆様が呆れた様子で呟いた。
「彼は『神威』をまき散らしながら歩かないと気が済まないのです」
そんな馬鹿なことがあるのかと思ったが、容易に想像できてしまう自分が信じられなかった。
「それよりも、忘れていませんよね。絶対にセラティス様とレオネス様を叱りつけてください。挨拶よりも早く。迅速に」
お婆様が「はいはい」と、返事をした。私は本当にしてくれるのかと不安になったが、追及しなかった。そっぽを向くように再び窓に顔を向けると、信じられないことに例の大男が二人立っていた。お婆様は大きくため息を吐き、馬車を止めさせた。
「全く、予定を悉く無駄にする男たちですね。そうしないと気が済まないのかしら」
ぴょんと跳ねながら馬車を降り、セラティスとレオネスの方へ向かった。私はキラキラと目を輝かせ、お婆様を見つめる。お婆様がコホンと小さく咳をし、ゆっくりと口を開いた。
「お二人とも。申し訳ありませんが、孫との約束なので」
『地に伏せよ』と、お婆様の『神威』が辺りに響いた。すると、目の前の大男が膝を震わし、その場に崩れ落ちた。私はその光景を心にしっかりと刻んだ。一歩前に出て、いつもは手を伸ばしても届かない二人の頭を順番に優しく叩いた。
「流石お婆様です! 私の『神威』では全く効かなかったのに!」
その後お婆様が『神威』を切ったのか二人が立ち上がった。呼吸が荒れ、顔が青ざめている。
「おいおい、とんだご挨拶じゃねーか! 喧嘩したいなら先に言え!」
ものすごい形相でセラティスがお婆様に迫っていたが「煩いですよ」と手で払われていた。
「来い! 特別に決闘場で相手してやる!」
お婆様が戦うところは見てみたいが、今はそんなことをしている場合ではない。
「いいんですか? 自領民の前で地を這う姿を晒すことになりますよ?」
いたずらに微笑みながら彼女は言った。セラティスは「おもしれえ! やってみろ!」と楽し気に言った。
「セラティス。そこまでにしておけ。アイリスが混乱する」
私としてはお婆様が戦っているところを見てみたかったが、レオネスが止めてしまった。ロイヤルブルーの髪を揺らした大男が、私の頭を撫で「少し預かる」と告げてからお婆様とセラティスの元から離れた。
「少し苦しいかもしれんが、お前なら大丈夫だろう」
彼は、太くて逞しい腕で私を側に寄せた。すると、突然周囲に大量の水が現れ、ぐるぐると回り始めた。何故か、少しずつ中央にいる私たちに迫ってくる。
「レオネス様!? 何をなされるおつもりですか!」
全力で逃げようとしたが、彼の腕でがっしりと抑えつけられていてピクリとも動かなかった。やがて渦にのまれ、呼吸ができなくなった。
私は急いで掌で口を覆い、息を止めた。身体が宙に浮くような感覚に陥り、力が抜けた。
「着いたぞ」
私が飲み込んだ水を吐き出していると、低い声が背後から聞こえてきた。
――何が起きたんだ......
少しの間の後、私は落ち着きを取り戻し、キリっと睨みつけた。
「今度から何かをするときは......必ず、絶対に、どのような状況でも説明をしてください! また死ぬかと思いました!」
鉄のように固い彼の腹を叩きながら必死に訴えた。しかし、レオネスは何も言わずに後ろを向き、フルグラル家の本堂へと歩を進めた。
――いつか絶対に私の『神威』で頭を下げさせてやる。
私は心に誓いを立て、彼を追った。
◇◇◇
大広間のように広い空間の中心に、ポツンと一卓だけ細長いテーブルが置かれていた。私たちは無言で向かい合って座ると、使用人たちが料理を次々と運び込み始めた。そして、再び静寂が訪れた。
「それで、お婆様と私を離したご理由を教えていただけますか」
先ほどから腕を組んだまま動かない男に向けて話しかけたが、彼は表情を変えずに私を見つめるだけで返事をしなかった。
「先に食べろという意味でしょうか? それとも、心を読む試験か何かでしょうか」
心を読むなんて芸当は聞いたことが無いが。もしかしたらどこかの家門の『神威』にあるかもしれない。
「お前はどこまで知っている」
私が食べ物を口に入れようとした瞬間、レオネスが言った。多分この男は空気を読むことができないのだと思う。
「何を聞きたいのかが分かりません」
きっと当主になる条件に『何を考えているのかわからなくすること』というものがあるに違いない。
「......エリスティアとは長い付き合いになる。未だに底の知れぬ女だが」
昔話でもするつもりなのだろうか。そして、料理はいつ食べたらいいのか。できればお腹が鳴る前に食べ始めたい。
「昨日の件、何故『神威』を一度に制限したのだ」
「私とレオネス様との格の差が明白だったからです。強く制限しなければ、レオネス様の『神威』を禁じることは不可能でした」
彼は相変わらず私のことを探るように見つめている。その瞳に引き込まれたかのように、目を逸らすことができなかった。
「違うな」
彼が短く言い切った。少し考えたが、彼の言うことはとても奇妙だ。まるで『一度に制限しなくても禁ずることができた』と言っているように感じる。
「どうしてそう思うのでしょうか。私はまだ十歳で『神威』も貴方に比べると未熟です」
それに目の前に座る無表情の男は、セラティスと肩を並べる程の人物だ。
「お前は当主になりたいのか? 何を目指している」
当主の裏条件に『話を聞かない』ことも追加することにしよう。きっとこの男は『いい天気ですね』と言われても『将来の夢はなんだ』と答えるに違いない。
「話が見えませんが......まだ決めかねています。私は世界を知らなすぎます」
そろそろ食べても良いだろうか。先ほどまで湯気が揺らめいて食べごろだったはずなのに、訳の分からない話のせいで冷めてしまっている。
「世界は待ってくれないぞ。今、この瞬間にも動いている。エリスティアが明日死んだらどうする」
心臓がドクンと大きく跳ねたような気がした。この人は私に当主になれと言っているのだろうか。全てが足りていない私がなれるはずないのに。
「それは......しかし、まだ私は十歳です。支持は薄く、後ろ盾もありません」
私の知る限りでは、お婆様の長子でもあるマチルダは、当主の座を明確に狙っている。執着心が人一倍強く、メティオスが気に入っているため幅広く支持されているようだ。
「確かに若すぎるな。但し、それだけだ」
私の話を聞いていなかったのか。......いや、裏条件があるんだった。
「知らないようなのでお伝えしますが、私は家族に捨てられた身です。それに、メティオスを始め、本家の中だけでも私を気に入らないと考えている層は多くいます」
私は早口で言った。段々と腹が立ってきた。此方の問いには一切答えず、彼の質問にだけ律義に答える。こんな理不尽なことがあるだろうか。
「無論、知っている」
私は冷めきったスープを一気に飲み込み、皿をガシャンと置いた。見た目は美味しそうなスープだったのに、なんにも味がしなかった。
「マナーも足りないようだな」
確かにその通りだが、こいつにだけは言われたくない。私は他の料理も手当たり次第口一杯に頬張り、鼻を啜りながら完食した。お腹は満たされたはずなのに、苛立たしい気持ちは何一つ晴れなかった。
「先程から何が言いたいのですか。この私に当主になれとでも? 貴方は最初から何を考えているのかがわかりません。これでも大抵の大人たちが何を考えているかくらいは大体分かります。ですが、レオネス様やセラティス様......お婆様もそうですが、何を考えているのかがさっぱりわかりません」
気付かないうちに立ち上がっており、レオネスの前に移動していた。こんなに感情的になったのは生まれて初めての経験だ。
「世間知らずでもあったようだな」
すまし顔で見下してくるこの男が無性に腹が立つ。座っているにも関わらず私より背が高いことにも、何もかも見通しているようなライトブルーの瞳も全てが気に食わない。
「私に何を求めているのですか」
私は鼻息を荒くし、声を荒げたい衝動を何とか抑えながら彼の答えを待った。
「お前は聡い。但しそれが弱点にもなり得る。運命はお前が思っているよりもずっと複雑だ」
また話を変えている。最初はお婆様の話。次は昨日の『自己誓約』。次に当主の話。最後に運命? 話をする気があるのか。いや、ない。
「本質を見失うな」
私は「そうですか」と短く返事をした。それから今までの話を思い出し、彼の言葉を頭の中で繰り返した。少しずつ頭が冷え、もう少しで答えにありつけそうな気がした。
「......貴方は『どこまで知っている』と聞きました。次に、お婆様の話です。そして『自己誓約』。最後に『当主』について。『マナー』や『世間知らず』がどこまで繋がっているかは分かりませんが......つまり『お前は自分自身についてどこまで知っている』かを聞きたかったのでしょうか」
彼はにやりと気味の悪い笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「ままごとはいつやる。我は厳しいぞ」
血管が切れそうになったが、下唇を噛んで何とか抑えた。それに、私の知るままごとに厳しいという概念は無かったはずだ。
「......運命の定める時にでも。是非当家へ遊びにお越しください。あと、ままごとは楽しくするものです」
すると、彼は豪快に料理を平らげ、その勢いのまま席を立った。
「何事にも意味があるものだ」
......まさか『ままごと』に意味を持たせるつもりなのか。いや、この男ならやりかねない。
大広間を出ると、丁度お婆様とセラティスが何かを話しながら、こちらに向かって歩いていた。
「有意義な時間になりましたか?」
お婆様がレオネスに聞いた。
「あぁ。思った通り興味深い会食であった」
それを聞いて、お婆様が「それは何よりです」と返した。今すぐにでも愚痴を言ってやりたかったが、グッと拳を握りしめながら言葉を飲み込んだ。
「こっちはなんにも食べてねーのによぉ! 呑気にお食事かよ!」
セラティスがレオネスの胸を激しく叩いたが「煩い」と一言だけ返していた。
「アイリス、細かい段取りはこちらで話したので、あとは『婚姻の儀のみ』です。まずは、ユーノ家に挨拶に参りましょう」
恐らくお婆様は、レオネスとの話の方が大事だと考えたに違いない。だとすると答えは『自分自身とは』だけではないのかもしれない。
「わかりました。後でお時間をいただきたいです。お話ししたいことがあります」
お婆様が優しく微笑み「分かりました」と頷いた。そして、私たちは大男二人と別れ、ユーノ家の待機室へと歩を進めた。