03『自己誓約』
応接室を出てから少しの間歩いていると、先ほどの従者が後を追ってきた。ドレイクほどではないが、よく見ると図体が大きくてがっしりしている。これで、足が震えていなかったのなら、さぞや頼もしい従者であっただろう。
「お、お待ちください......シーク様の元へ、ご案内いたします!」
これで部屋を一つ一つ調べなくても良くなった。私は頭をゆっくりと下げ、向き直ってから言葉を発した。
「お心遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
私たちは従者に連れられ、重厚な両開きのドアの前へと辿り着いた。
「こ、こちらは、大広間へと繋がるドアにございます。どうぞ、お入りください」
従者がコンコンとノックをしてから、ドアを引いた。中には丸テーブルがいくつも並んでおり、その上には大きな鉄製のシャンデリアが灯りをともしていた。見栄えはしないが、武骨なドレイクらしいなと思った。中央付近には男女がこそこそと話をしている。
「おぉ! これはこれは。麗しきレディ。迷子かな?」
目が合うなり私の手の甲に唇を近づけてきたこの男性は、レイルであろう。ドレイクの言う通り、確かに愚息だ。すぐに後ろに立っていた従者が、彼を私から引き剥がした。
「どういうことだ? 我を誰だと思っているのだ。イェステル家の長子、レイルと知っての行いか? さあ、お嬢さん。ダンスでも踊ろうではないか!」
何故だか急に頭が痛くなってきた。私は愚者の横を通り過ぎ、部屋の中心で固まっている女性の元へ歩いた。
「貴女が、シークさんで間違いないですね? そして、あそこの阿呆はレイルで合ってますか?」
後ろから「阿呆とは何事か!」と聞こえてきたが、聞こえないふりをした。
「いかにも。わたくしがシーク・ヒュンレイと申します。貴女は、かの御高名なアイリス様かとお見受けいたします。この度はご足労いただき感謝申し上げますわ」
シークが大袈裟にドレスの裾を摘まみ、頭を下げた。その仕草はとてもではないが華麗とは言い難い。なぜなら、彼女の腕はレイルより二倍は太く、胸の厚みは三倍ほどあり、足なんて五倍は太かった。
「堅苦しい挨拶はやめましょう。私は少しだけ忠告に来ただけです」
ぴくっとシークの腕の筋肉が上下した。軽く岩を砕けそうだなと思った。
「言いたいことは分かっておりますわ。わたくし、一途な男性と生涯を共にしたいのです。あちらの彼は、わたくしだけを見ていただけませんの。先ほどだって、あなたを見た瞬間飛ぶように駆け付けたでしょう? そ、それに......キッスまでしておりましたわ! 破廉恥です!」
シークは、筋肉を見せつけるように腕を挙げ、勢いよく肘を曲げポーズを取っていた。何がしたいのかはわからないが、その筋肉にはどこか美しさがあるような気がした。
「あぁ! いけないよお嬢さん。そんなに難しい顔をするなんて。美しいお顔が台無しだ」
......こいつ、拘束されていた筈では?
後ろを振り向こうとすると、レイルが私の頬を掌で押さえ「だめだよ、レディ」と気持ちの悪い言葉をかけてきた。私はその手を払い、一歩後退った。
「そんなに怯えないでおくれよ! 我が悪者の様ではないか! 心配せずとも其方を傷つけるようなことはせぬよ。美しい女性は丁重に扱わねば! むさ苦しい男は別だがね」
その直後、背後で何かが倒れる音とともに、鉄の匂いが漂ってきた。
「ご自分が何をなされたのか、分かっておられるのですか?」
目の前の男は不気味な笑みを浮かべ、両手を大きく広げた。その背後には、漆黒の片翼が羽ばたくように暴れている。辺りには黒い羽がふわふわと泳ぐように浮いていた。
「勿論さ! 其方は、アイリス・グラネイアであろう? 愚かな父上と共謀して、我をそこの愚者と結婚させようとしておる! 我は美しい女性に生涯を捧げると決めている! 其方は今回は『否認します』、次回『承認します』と言えばいいのだ。......おわかりかね?」
彼が片翼を羽ばたかせる度に暴風が起こり、丸テーブルは壁に叩きつけられ、原形が崩れた。私はすぐさま薄い膜を出現させ、従者の周りを囲んだ。風で舞った羽が私の頬や腕などを切り裂いた。転がっていた丸テーブルの影に身を隠し、自分の周りにも膜を張った。
「成程。流石は、『飛翔の女神』の加護を受けているだけのことはありますね。片翼は裏切りの証というところでしょうか」
ちらりと様子を窺うと、レイルの背後にはこれだけの暴風をものともせず仁王立ちしているシークの姿があった。何故そうしているのかを考えようとした直後、シャンデリアがガシャンと大きな音を立てて落ちてきた。部屋を照らしていた灯りが消え、レイルの方翼だけが薄黒く光っていた。
――これ以上被害を大きくしたくない。それに、従者......ディオスの容態も悪い。......やるしかないか。
暗闇の中で思考を重ね、私は覚悟を決めた。物陰から立ち上がり、目の前に膜を張り直した。
――――我が神よ。己に誓約を課しましょう。三度の神威の後、二十四時間使用を禁じます。
『自己誓約』を課した瞬間、天から賛歌が降り注ぐように鳴り響いた。その美しい旋律を祝福するかの如く、世界が神秘的な光に包まれていく。
――――身の程を知れ――――
暴風が静まり、レイルの片翼が光の残滓を残して消え去った。彼は狼狽え、祈るように膝を折る。
――――平伏せよ――――
レイルが腰を折り、頭を垂れた。地に付いた腕は小刻みに震え、口からは涎が垂れていた。少し遅れて、シークが重い足取りで彼の隣に膝を折り、地に伏した。
「アイリス・グラネイアの名のもとに婚姻を承認します。新郎レイル・イェステル。シーク・ヒュンレイを生涯の妻とすることを誓うか」
彼は額を地に付けたまま、力なく答えた。
「我が神、エルテに誓いを捧げます。シークを生涯唯一の妻として受け入れ、共に歩んで参ります」
私は静かに頷き、シークの元へと歩を進めた。
「シーク・ヒュンレイ。貴女には慈悲を授けましょう。レイルと共に歩むことを誓うか。若しくは、生涯孤独を貫くか」
彼女の筋肉がガタガタと震え、周りには水溜まりができていた。
「わ......わたくしは、誓いますわ。我が夫、レイルに生涯を捧げましょう」
シークが言い切ったと同時に、ドアが音を立てて開いた。入ってきたのは......ドレイクとレイラだった。
「何事か! 一体全体何をしたらこのようなことになるというのだ! ご、ご説明......いただけますかな?」
ドレイクが床を揺らしながら近づき、遠慮がちに私の目の前に立った。その後ろには、隠れるようにレイラが震えながら立っている。
「丁度婚姻の儀が終わったところです。失礼ながら、当家の従者が重傷を負いましたので予定を早めました。経緯は、そこに伏している方々からお聞きください」
――――偽りは許さぬ――――
この部屋にいる全ての人間に命じた。そして、ドレイクの横を通り過ぎ、ディオスの腕を拾い上げた。彼は「申し訳ありません」と言いながらなんとか立ち上がり、大広間を後にした。
◇◇◇
外に出ると、お婆様が立っていた。深く頭を下げ、言葉を待つ。
「ひとまずは、ご苦労様でした。話は後です。」
ディオスを馬車に乗せ、横にならせた。中は狭く、図体の大きい彼は足を折りたたんでいた。
「ディオス。すみません。私のせいで傷だらけにしてしまいました。せめて、足を伸ばせるよう、頭を乗せてください」
私はディオスの傷付いた頭をグイっと持ち上げ、膝の上に乗せた。「私には勿体ない場所にございます」と言ったが、頭を撫でながら「動くことを禁じます」と命じた。
顔色が悪く、傷だらけの彼を見ると、何故だか瞳から雫が零れた。瞬きする度に水滴が落ち、声を押し殺しながら「傷に染みますよね......すみません」と言った。やがて鼻を啜りながら、室内には私の嗚咽だけが響いた。
◇◇◇
その後、グラネイア領地に辿り着き、ディオスを見送った後にお婆様とゆっくり歩いていた。
「さて、言いたいことはたくさんありますが、まずはあなたの意見を聞きましょうか」
私は俯きながら、経緯を話し始めた。既に涙は枯れており、その声に迷いはなくなっていた。