12『宣言』
私はいつものように大聖堂の一番後ろの椅子に腰かけていた。そして、何気なく掌のリンゴを意図的に落とした。その瞬間、それの運命は決まった。
しかし、リンゴはぷかぷかと宙に浮いていた。無様に床に落ちて形が崩れる運命を、私が変えたんだ。
――だから何だというんだろう。
ステンドグラスを眺めながら、リンゴを口元に寄せて、しゃくっと瑞々しい音を上げながらかじった。零れる果汁も膜を出せば服が汚れる心配はないし、床に垂れる心配もない。これがこの五年間で一番の発見だと言っても過言ではないと思う。
「物思いにふけっているところ悪いですが――」
溜息を吐きながら隣にエリスティアが座った。私は軽く頭を下げ、リンゴを食べ進めた。
「お行儀が悪いですよ。あと場所も悪い」
最近エリスティアは細かく注意をしてくる。大聖堂はみんなの場所だし、手を使わずにリンゴを食べられるならそれでいいのではないか。
「そうだ。ここをアイリス自治区にしましょう」
私はエリスティアに提案し、椅子一つ分の領地を得た。彼女は鼻で笑っていたが、否定もしなかった。
「使用人が探していましたよ。あまり困らせてはいけません」
探している理由は分かっている。だから、わざと逃げているんだ。彼女らは私を『お嬢様』にしようとしてくるから。
「今日はあなたの十五歳の誕生日です。伝えたいことがあるのでしょう?」
今まで誕生日を祝ってくれたのは、エリスティアが十回、セラティスとレオネスが四回ずつだ。大男たちと出会ってからは三人で集まることが恒例になっていた。意外にもセラティスは料理上手で、毎回焼き菓子を作ってくれていた。あの時感じた違和感が、本当だったなんて思いもしなかった。
「三人が祝ってくれればそれでいいのに」
口にした瞬間、しまったと思った。エリスティアは私が孤独を感じていることをひどく気にしている。私は「大勢は緊張する」と付け足した。
「それはまた近いうちにやりましょう。それに、今日もあの二人は来ますよ」
私は大きく溜息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。すると、大聖堂の入り口から使用人たちが慌てた様子で入ってきた。
「いいですか? お行儀よく、上品にですよ? 間違えても皮肉など言うことの無いように」
この女性は私を未だに子供扱いしているのか? 私はもう十五歳なのに。
「分かりましたよ。エリスティア様」
エリスティアがため息を吐き「そういうところですよ」と言った。私は静かに微笑んで手を振り、使用人たちと大聖堂を出た。
◇◇◇
私は自室で着替えをさせられていた。使用人が服を脱がし、着させている。私はただぼーっと立っていればいいだけだ。籠の周囲の空間を広げて、脱がした服が落ちるのを遅くしたり、回れ右と言ってこちらに向かってくる失礼な男を部屋から出したりして、暇な時間を有意義に過ごした。
「アイリス様、できましたよ」
『使用人たちの長』が「お美しい!」と大袈裟に褒めながら言った。白いドレスに黄色のアクセントが付いている。私は肩を落とし、溜息を吐いた。
「お気に召しませんでしたか? とてもよく似合ってますよ」
彼女が下手なお世辞を言い、頭を下げてから部屋を出て行った。
――やるべきことが終わったら早く解散するようにお婆様にお願いしてみよう。
私はできるだけ背筋を伸ばし、大広間へと向かった。
◇◇◇
大広間に向かう途中でエリスティアに会った。彼女はすごく慌てた様子で口を開いた。
「アイリス! 何故一人で出歩いているのですか。ルークはどうしたのですか?」
ルーク......察するに、男の名前だ。私が着替えさせられてから男を見たのはあの時だけ......
「あ......多分壁に向かって歩いている気が......でも、女性の着替えの最中に入ってくるのは――」
部屋を出る時に解くのを忘れていた。しかし、それは彼が悪い。
「遊びで『神威』を使うのはやめなさい。呼んでくるので、あなたはここで、ずっとにこやかにして、待っていなさい」
お婆様が落ち着いた色のドレスをゆらゆらと揺らしながら走っていった。私は壁に寄りかかり、ふてくされながら帰りを待った。
◇◇◇
しばらくすると、エリスティアとルークと呼ばれる男が近づいてきた。私は姿勢を正し、にこやかに出迎えた。
「ご機嫌よう、エリスティア様。あら、あなたが......ルーク様ですね? 先ほどは失礼いたしました。しかし――」
私が続きを言おうとすると、エリスティアが鋭い眼差しでけん制してきた。仕方なく、彼に向けてニコッと微笑むと、ルークの顔が赤く染まっていった。お婆様は呆れた様子で「早く行きなさい!」と言っていた。
「アイリス様! こちらです」
ルークが足早に案内を始め、私はそれについて行った。
「ルークはいつも何をしているのですか?」
見た感じだと三十歳前後に見える。使用人の制服を着ていないし、護衛団だろうか。
「いつもはこの『神聖域』を守るための護衛団として従事しています」
護衛団とは『神聖域』内の見回りをしたり、領内の小さな争いを防いだり止めたりしている集まりだ。私の遊びに従ったところを見るに、あまり強い部類には入らないのだろう。
「領地を守ってくださってありがとうございます。あなた方のおかげで私たちは安心して暮らしていけるのですね」
前を歩くルークの耳が赤くなっていた。あとは首だけかと、私は思った。
◇◇◇
大広間は人で賑わっていた。私はその隣の部屋で出番を待っている。エリスティアの話を聞くと、どうやら誕生パーティーとは楽しくお喋りする場所ではないらしい。名前が呼ばれたら、入ってきたドアとは反対側のドアが開き、優雅に前進してにこやかに手を振る。そして、エリスティアの前に着くまで、首をゆっくりと振りながら歩き、皆に向かってスピーチを行う。このスピーチのために、こんな面倒なパーティーを開いたんだ。やるしかあるまい。
急にドアが開いたかと思うと、セラティスとレオネスが入ってきた。セラティスが私の頭を撫でようとしたため、頭を傾けたが撫でられた感触はなかった。多分、髪が結われていたためだろう。
「大きくなったな! 五年前はこんなにちっこかったのになー!」
相変わらずとっても声が大きい。レオネスが「めでたいな」と、一言祝ってくれた。私は満面の笑みを彼らに向け「ありがとう」と伝えた。
「お二人に祝っていただくだけでいいのに......もちろん、お婆様のことは忘れてませんよ」
少し話をした後、二人が部屋を出て行った。少しの間だったが、彼らと話すことが出来て良かったと思った。すると、ドアがノックされ、ゆっくりとドアが開いた。入ってきた男は、ダークグレーの長髪に、首を隠すくらいの髭面で、仰々しい服に包まれている。
「失礼するよ。おや? おやおや。また一段と美しく成長したな。アイリスよ」
ドラシオンが椅子に座り、タルトを一口食べた。
「お嫌いなのではなかったのですか? 国王陛下様」
彼は大袈裟に笑い、パクっと残りを一口で食べた。
「アイリスはタルトが好きだろう? 皆の見本にならねばならない吾輩がタルト一つ食べられないでどうする」
皆の見本......か。それは、味方を優遇し、敵を冷遇することを言うのだろうか。
「とにかく、誕生日おめでとう。自分のことのように嬉しく思う」
私は頭を下げて「それはそれは、大変喜ばしいことですね」と礼を伝えた。
「では、ここら辺で失礼するよ。また会場で会おう」
ドラシオンが、小さく頭を下げてから、ドアの方へ歩いて行った。私はべーっと舌を出したい気持ちを抑えながら彼の後ろ姿を見送った。
「例の件、考えてみてくれたまえ」
ドアに指を掛けながらそう言って、出て行った。
「考えるまでもない」
私はそう呟いて、立ち上がった。すると、ドアが三回響いた。ゆっくりと開かれ、部屋を出る。一度立ち止まって、大広間にいる人たちを見渡した。右側にはドラシオンやマチルダなど大勢が並び、左側にはセラティスやレオネス、その他の貴族が立っていた。中央だけが開いており、その先には微笑みながら手を叩いているエリスティアが立っていた。
私はゆっくりと歩き、左右を交互に見ながら手を振った。たまに頭を軽く下げ、にこやかに進んだ。やがてエリスティアの前に辿り着き、頭を下げた。そして、頭を上げてから、こくんと頷いた。皆の方へと身体を向け、ニコッと微笑んでから口を開けた。
「本日は、私のためにお集まりいただき、誠にありがとうございます」
礼を伝え、私は大きく息を吸った。
「僭越ながら、皆様にお伝えしたいことがございます。」
――これを今伝えることに意味がある。私は、そう信じている。
「私、アイリス・グラネイアは......正式に次期当主を目指すことを宣言いたします」
会場にいる人たちが騒めいた。笑う者、疑いの眼を向ける者、明確な敵意を向ける者。その反応は様々であったが、大半は否定的な表情をしている。
「様々なご意見があることは、重々承知しております。ですが、我が神『テレイア』に誓いましょう」
三人の顔を順番に見つめ、最後に自らに問いかけ、宣言した。
「私は必ず、当主になります」
拍手は無かった。しかし、いつものように、手をバチバチと鳴らしながら大きく叩き、大袈裟な笑い声が、一つだけ大広間に響き渡った。その隣には「やってみせろ」と言っているように腕を組んで私を見つめている男がいる。一番近いところには、涙を抑えきれていない祖母の姿があった。