序幕01 ただ黒い染みとして
風が唸っていた。
谷底から吹き上げる風が黒い外套をはためかせ、病的に痩せた男の顔を露わにする。
落ち窪んだ眼窩は虚ろだった。
雪に覆われた道は細く、踏み外したら最後。真っ逆様に崖から落ちる。
以前の彼なら、悲鳴をあげて、恐怖に足が竦んでいただろう。
谷底から噴き上げてくる風によろめきながら、夢見るように、ふらふらと。
彼の視界に映らないが、谷底のあちこちから細い煙が立ち昇っていた。
暖炉の火を囲む家族。その笑い声など、彼には聞こえるはずもない。
ヨハネスと呼ばれていた男は振り返らなかった。
白く塗りつぶされた道の辿り着く先。
黒々と口を開けて彼を待っている。
ひび割れた口が動き、白い息が吐き出された。
雪の中を進む黒い外套の影は、次第に小さくなり、白と黒の境界の中へ溶けていった。
それはまるで巨大な闇に落ちた一滴の、
黒い染み。
ただそれだけのものとして。