序幕02 暖炉の火影
暖炉の薪が爆ぜた。
石造りの部屋は暗い。
小さい窓は鎧戸で閉ざされて、朝が来ていても気付けないだろう。
底冷えする寒さが忍び寄ってくる。
吐く息が白い。
だが部屋の中は暖炉のおかげで外にいるよりはマシだ。
オスヴォルトは身を起こした。
隣では彼の妻となったカーラインが眠っている。
暖炉の炎と同じ栗色の髪が枕に広がり、繊細な金の睫毛に見惚れてしまう。
寝息は静かだった。
オスヴォルトは思った。
鼾かかないんだな。
俺は鼾をかくらしい。うるさいと鼻を摘まれたことがあった、と。小さく音を立てずに笑う。
彼女の滑らかな頬に手を添えたかったが、やめておいた。
その穏やかな寝顔を見ているだけで満たされていた。
扉が遠慮がちに叩かれた。
「オスヴォルト様、就寝中のところ、申し訳ございません」
従者の声は、主人の新婚の夜を邪魔したくないんですけど、と言いたげだ。
「ヨハネス殿の件で、ご報告がございます」
オスヴォルトは眉を寄せた。
外衣を肩に羽織り、立ち上がる。
妻を起こさないように静かに。
やがて年配の兵士が部屋へ通された。
ヨハネスの後を追わせていた守備隊の一人だ。
顔を上げた兵士の目に逡巡の色を読み取ったが、オスヴォルトは何も言わず、ただ頷いた。
分厚い外套から雪がこぼれ、床を濡らした。片膝をついたまま、兵士は声を抑えた低い声で報告した。
「......ご命令通り、ヨハネス殿を追っていたのですが、洞窟の最深部にて見失いました」
兵士は項垂れた。
「申し訳ございません。駆けつけた時には、もうお姿はありませんでした。......立坑に落ちたのではないかと思われます」
ドラッヘンフェルスにまだ金脈があった頃に掘られた立坑が脳裏に蘇った。
落ちたのか。暗黒が口を開いて、生臭い息を吹きかけてくるような、あの深淵に。
奴の逃げる場所など最初からなかった。目立つ風貌、領地で奴がやってきた非道の数々。金があっても、何も買えまい。黴びた黒パンでさえ手に入らない。
結局は、あの闇の底、奈落にしか戻れる場所がなかったのだ。
それ以上の報告はあったのかどうか。
兵士が退出したことも気にしていなかった。
暖炉の薪が崩れる。
赤い火の粉が舞う。
急に息ができなくなる。
まだ幼かった頃。
あいつは、稽古場の隅で、剣が重くて持てないよ! と泣いていたな。
枯れ枝みたいに細い腕に、鉄でできた剣は重いに決まっている。
木剣から練習しろよ。と声をかけたら、あいつはまさか声をかけてもらえるとは思っていなかったのか、目をまん丸にして、口をパクパク開けては閉めて、いつもは俺の神経に触るようなことしか言わないのに、何も言葉にできなかったみたいだった。
ただ、顔色の悪い顔が赤くなっていた。
紺碧の空みたいな瞳が潤んで見えた。
俺の双子の片割れ。
影の中にいつもいた。
否、アイツは、ヨハネスは、俺の影じゃなかった。
だが、もう。
背後で衣擦れの音がしたが、オスヴォルトは振り返らなかった。
肩が大きく震えて、震えが止まらなくなる。
握り締めた拳に、そっと温かなものが触れた。
オスヴォルトは途方に暮れた顔で振り返り、寝台から身を乗り出している妻が、精一杯手を伸ばして、指先だけが彼の手に触れているのが、その姿があまりにも愛おしくて。
いつものように笑おうとした。
だが言葉にならなかった。
その美しい手を彼は壊れものを扱うように自分の無骨な手で包んだ。
カーラインも何も言わない。
どれほどそうしていただろう。
「お腹が空いたわ」
カーラインの唐突な言葉に、オスヴォルトは目を瞬いた。
いつもと変わらない朝の会話だった。
「焼きたてパンにチーズを乗せてね。搾りたての山羊の乳もお願い」
その琥珀の瞳は、暖炉の炎のように暖かった。
オスヴォルトは小さく息を吐いて、笑った。
夜明けを告げる鴉の声が、遠くで鳴いていた。