剣の乙女15 夜が明ける
怒りで震えているカーラインの肩に、無造作にサーコートがかけられた。
男の匂いが残る温もりに包まれて、体が冷え切っていたことに気づく。そして自分が肌着であるリンネルのシャツ姿だということにも。
さらなる羞恥に焼かれ、きつくサーコートをかきあわせながら、今にも穴を掘りそうな勢いで地面を睨みつけていると、隣にオスヴォルトが心もち距離をあけて座る気配がした。
サーコートだけかけて、そっと立ち去ってくれたら感謝したのに。気が利かない男ね。
独りにしてほしいという切なる願いを無視する男を心のなかで罵る。
「飢えている狼たちの前でウサギがさあ食べてくださいと言っているようなもんだぞ、その格好は」
苦笑するようにもらされた吐息が触れるほど近くに感じて、カーラインの肩がふるえる。自分がどれほど無防備か思い知らされて。剣を持ってきていない今、襲われたらどう身を守ればいい。体を硬くして、警戒の眼差しを向けたのを男は感じたのだろう。そんな彼女を笑う気配がした。
「うまそうなウサギちゃん。食ったりしないから、安心しろ。最初にみつけたのが俺で運が良かったな」
と、狼が、からかうように言う。
「ウサギを甘くみないことね。蹴りは強烈だし、血が吹き出すほど噛むわよ」
面白がっている低い笑い声。
「......たしかに、見かけによらず凶暴なんだよな」
カーラインはそれには答えず、鼻にしわをよせて冷たく言った。
「あなた、酒臭いわよ」
「出陣前の景気づけに、軽くな。その酒盛りの帰りに森のなかに駆け込む白ウサギをみつけて、追いかけたわけだ。俺以外に食べられたら困るだろ」
「......最初から見ていたわけね」
地を這うような声。恥ずかしさがよみがえり、拳を握りしめた。猛烈に殴りたい気持ちだ。
朝剃っても夜になると無精髭がはえる顎をかきながら、オスヴォルトはめずらしく神妙に言った。
「悪かったな。見ない振りしようと思ったんだが、そんな薄着でこんなところで寝転がっているのを放置するわけにいかんだろう。風邪ひくのは間違いないし、襲われたらどうする? 俺がここにいれば飢えた狼どもも襲ってこないだろう、と思ってな。帰るときまで護衛するよ。お節介だろうが」
「......優しいのね。本当は呆れているんでしょう? それとも気が狂った女と思っているのかしら」
彼女が自虐的に唇をゆがめると、オスヴォルトはため息をついた。
「呆れてなんかいないさ。死んだ恋人のことを気が狂いそうになるほど想っているんだろう。それをどうして笑える? 正直言って俺は焼けつくようにうらやましい。そこまで想われているあいつが。そこまで強く想うことができるあんたが」
夜の森のなかでは、暗くて互いの表情がわからない。だからこそ、むきだしの心をさらけだせるのだろうか。
カーラインは涙がでそうになるのをこらえ、深く息をつく。
「......子どもの頃から一緒だった。どんなときでもそばにいてくれた。でも、彼が十字軍に加わってからのこと、なにも知らないわ。父をかばって命を落としたと聞かされただけ。だからいまだに信じられないのね。彼が本当に亡くなったことを受け容れられなくて、こんなみっともない姿をさらしてしまう」
しばらく無言だったオスヴォルトが口をひらいた。
「あいつは、なんで男なんだと残念なくらい美人だったな」
自分の知らない十字軍にいた頃のアルベルトの話。ずっと聞きたいと思っていた。語り出しがあれなのは、この男だから仕方がない。
「なんていうか空気が違うんだ。人がたどりつけない森の奥深くの泉のように澄んでいて、浮世離れしていた。リュートを弾きながら歌えば、長く過酷な遠征に荒んだ野郎どもまで涙を流す。剣を握れば、敵にとっては悪魔の化身。それぐらい凄まじく強かった」
彼女は黙って耳を傾けていた。
「当然、女にももてた」
「......」
「なのにあいつは、鼻の下を伸ばしたりもしないんだ。こちらが遊びに誘っても、心に決めたひとがいるから、と絶対にのってこなかった。三年ちかくも女なしでいられるなんて、本当に男なのかと思ったな」
「当然ね」
あなたとは違うわ、という言外の響きをもたせる。
「アルベルトは浮気なんかするわけないもの」
オスヴォルトから返ってきたのは苦笑か失笑か、とにかく笑われたのは確かだ。
「なにがおかしいの?」
「おかしくはないさ。ただ、若いなと思っただけだ」
「そういうあなたは、年を取って純粋な気持ちを失ってしまったのね」
返ってきたのは、今度は間違いなく苦笑だ。
「寝たか寝ないかで誠実を決めるなら、俺だって誠実だぞ。この遠征中、すくなくとも惚れた女ができてからは、禁欲しているんだからな!」
「それがどうしたの」
カーラインはどこまでも冷たい。
オスヴォルトは気落ちしたように肩を落としてみせた。髪をぐしゃぐしゃとかきまぜながら、こちらを見る。思わずいじめたくなるほどしおらしく。
「何がいけないんだろうな。俺は口説き方を間違っているのか。ユリウスの奴が告白するのに決闘申しこんでどうするんだと言っていたし」
と、ぶつぶつと言っている。
彼女は呆れて言った。
「告白、あれが? 喧嘩売られたとしか思ってなかったわ」
「......よし。仕切り直しだ」
握り拳をつくって宣言すると、オスヴォルトは正面から彼女をまっすぐに見た。
カーラインも目をそらすことなく、睨むように見据えた。また喧嘩を売るつもりなのだと思ったのだ。
「............おい。なんで睨む?」
「............あなたが睨むからでしょう」
息詰まる沈黙を破ったのは、オスヴォルトのため息だった。
「もうすぐ夜が明ける」
枝葉の隙間から曙光がさしこみはじめた空を見上げて言う。
彼女も明けていく空を見上げた。
「死ぬなよ」
耳をかすめた声に目を見開いて男を見た。
「死んでしまったあいつの後を追っていくな。殉じるために戦場に来たのではないと言った言葉が誠なら、生き抜いてみせろ」
それは熱く、差し貫くような眼差しだった。
それがこの男なりの告白なのだろう。
「わたし、こうみえてもしぶといのよ。死にたくても死ねないの。ギリギリのところで生きたいと思ってしまうのよ」
自嘲するように、カーラインは微笑む。
その暁の空に透けていく微笑にオスヴォルトは言葉をなくした。
小夜啼鳥が歌っている
明けない夜に震え
愛しいひとを探して
ああ、だけど、あの人はもういない
全身全霊を恋の炎と燃えれば
その炎を失うとき
小夜啼鳥の命もまた
消える