ホーム永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌竜の血脈01 雪暮れの墓標
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竜の血脈01 雪暮れの墓標

死者に手向けられた百合のごとく、深緑の外衣が汚れるのもかまわずに地面に膝をついていたカーラインは、ふと顔をあげた。
 吐きだした息が白くたちのぼる。
 鈍くかがやく銀色の空からまるで引きちぎられた天使の羽根のように、雪片が風に踊り、音もなく吸いこまれていく。仰向けた彼女の顔に、石の十字架のうえに、供えられた薔薇の色褪せた紅に。白く、白く、地上はただひとつの色に染められ、眠るように息絶えていく。

 夏が終わったあの日から彼女は髪を切るのをやめた。肩に触れるぐらいだった髪は、今では波打ちながら背中へと流れている。そして、着ているものは男物の外衣ではなく、貴族の姫にふさわしい金糸で刺繍されたもの。

 男のように髪を短くしても、男の服を着ていても、女という性を偽ることはできない。

(わたしは嫌になるほど女だ)

 あの男と出逢っていなければ、まだ彼女は自分から逃げていただろう。女であることから、領主としての務めから、自分を縛るすべてから。“彼”のいないこの地上に彼女を繋ぎとめるものなどなかった。

 ――なかったはずだった。


 城という鳥籠に戻った彼女は、その日から長かった留守を埋めるべく仕事に没頭した。荘園の経営についての報告を聞き、荘園と城の運営を指図し、領地を巡回し――

 そうして森が燃え立つ色に移ろいゆくように、心の水面みなもに浮かびあがるひとが図体も態度もでかいくせに意外にも繊細な優しさを示す男にかわってしまったのは――刺をうしなった薔薇の紅が夏の終わりを告げたとき。

 物憂いため息とともに彼女の胸によぎるのだ。精彩を放つ濃紺色の瞳にみつめられて、鼓動が高鳴ったことを。豊かな大地のような笑い声につられて吹き出してしまったことを。

 戦場で過ごした日々が遠ざかるにつれて、肌を灼く陽射しが陰りゆき、熱をはらんだ風に冷気が忍びよってきても、胸の奥の灯火ともしびが消えることはなかった。

 そして秋が色褪せ、冬の足音がひそやかに大地を白く染める頃、忘れがたい男からの便りが届いたのだ。おおらかさを感じるあの男らしい字でつづられた手紙からは、遠い異国の匂いがした。

 
 刺の痛みに夜も眠れないオスヴォルトから
 我が心に刺さった薔薇の君カーラインへ

 俺は手紙を書くのは苦手なんだ。いつもは従軍司祭の坊主に書かせてるんだが、愛の言葉を男にむかって囁くのは、嫌なんでな。だから、こうして自分の手で書いているところだ。
 冒頭の貴女への呼びかけは気の利いたものにしようと頑張った。頑張りすぎて、何枚の羊皮紙を無駄にしたことやら。丸めて投げ捨てた紙を従者のユリウスが拾い集めながら、もったいない、もったいないとブツブツ文句を言っている。俺は紙よりも髪の心配をしてほしいね。かきむしっていたんでな。

 まぁ、それはどうでもいいことだ。

 この手紙が貴女のもとに届く頃には雪が降っているだろう。別れたのは夏だったのにな。月日が経つのは早いものだ。

 もう傷は癒えただろうか。癒えたとしても傷は痛むときがある。冷たい風が吹きすさぶ冬には特に。貴女のことだから立派な領主になろうと無理をしすぎてぶっ倒れてないか心配だ。たまには肩の力をぬいた方がいいぞ。

 俺はおおきな怪我もなく、風邪もひかず、いたって元気だ。ただ野郎ばっかりの軍隊暮らしには潤いがなくてな。殺伐とした荒れ地に咲いていた薔薇を思い出すと、なおさら耐え難い。貴女の冷たい視線と鋭い突っこみがないと、冗談を言っても張り合いがないしな。

 戦況についても書いておこう。

 十一月二十日にシチリアの首都パレルモは陥落した。血は流れなかった。シチリア王妃ジビレはまだ幼い息子ヴィルヘルム王を連れてカラタベロッタの城に逃げこみ、残されたパレルモの市民は皇帝陛下を支持したからだ。俺たちは市民の盛大な歓迎を受けてパレルモに入城を果たした。カラタベロッタに逃げこんだ幼い王のために立ち上がる者はいなかった。皇帝陛下も堅固な城を長期間包囲することは避けたかった。そういうわけで、ヴィルヘルム王は先祖代々の領地と生命の保障を条件にシチリア王位を皇帝陛下に譲り渡した。これで今回のシチリア遠征の目的は果たされ、戦は終わった。まだ一波乱ありそうだが......。宮廷に巣くう権力の亡者どもは陰謀が三度の飯より好きだからな。俺は三度の飯よりも愛する女の方が大事なんで、皇帝陛下の戴冠式には参列せずに、さっさと帰ることにしたよ。聖誕祭クリスマスまでには戻ってこられると思う。帰り道にちょうど貴女の城があるんで、立ち寄らせてもらうよ。よろしく頼む。

 パレルモに入城した十一月三十日に記す。



「......これで愛の言葉を囁いているつもりなのかしら」

 カーラインは苦笑した。おそらく、冒頭の薔薇の刺うんぬんの比喩で力尽きたのだろう。そんな無骨さが愛おしかった。自分はよっぽど嬉しそうにしていたらしい。侍女のエルザにからかわれてしまったぐらいだから。

 アルベルトに誓った愛のためにオスヴォルトへの恋情を水底に沈めようとしても、想いは泡のように浮かびあがる。それを止めることはできない。偽ることはできないのだ。

 だから彼女は、従者のマルティンだけを連れて城を出た。幼い頃に母の面影を追って森に向かったように。森の中の修道院へと。

 そうして今、雪まじりの風に打たれ、彼の名が刻まれた墓標にひざまずいているのだった。
 彼女の裏切りを咎める声が聞こえないかと耳を澄ましても、聞こえるのは遠吠えのようにうなる風の音だけ。この土の下に埋められた石棺の中は空虚な闇。彼の体は戻ってこなかった。遠い異国の地で弔われることもなく置き去りにされたまま。ここにあるのは、石の墓標のみ。それでも、彼女は祈る。身を切る冷たさも膝の痛みも感じなくなっていくまで――

「カーライン様。もう日が暮れます。そろそろ帰りましょう」

 ためらいがちに声をかけられ、カーラインは、眠りから覚めたように顔をあげた。
 たしかに日は暮れようとしている。晩課の鐘が雪暮れの空に響いていた。今頃、城では帰りが遅いことを心配しているだろう。

「......そうね、帰りましょう」

 マルティンは赤くなった鼻を啜ると、ホッとしたように笑った。その顔がふいに強ばる。いつでも剣をひきぬけるようにして、彼女の前に体を張って立った。

 粉雪舞う風から染みが浮かび上がるように男たちが姿をあらわし、獲物を包囲していく猟犬のごとく近づいてくる。

 退路はすでに絶たれていた。
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永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌作者:松木響子
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竜の血脈01 雪暮れの墓標

死者に手向けられた百合のごとく、深緑の外衣が汚れるのもかまわずに地面に膝をついていたカーラインは、ふと顔をあげた。
 吐きだした息が白くたちのぼる。
 鈍くかがやく銀色の空からまるで引きちぎられた天使の羽根のように、雪片が風に踊り、音もなく吸いこまれていく。仰向けた彼女の顔に、石の十字架のうえに、供えられた薔薇の色褪せた紅に。白く、白く、地上はただひとつの色に染められ、眠るように息絶えていく。

 夏が終わったあの日から彼女は髪を切るのをやめた。肩に触れるぐらいだった髪は、今では波打ちながら背中へと流れている。そして、着ているものは男物の外衣ではなく、貴族の姫にふさわしい金糸で刺繍されたもの。

 男のように髪を短くしても、男の服を着ていても、女という性を偽ることはできない。

(わたしは嫌になるほど女だ)

 あの男と出逢っていなければ、まだ彼女は自分から逃げていただろう。女であることから、領主としての務めから、自分を縛るすべてから。“彼”のいないこの地上に彼女を繋ぎとめるものなどなかった。

 ――なかったはずだった。


 城という鳥籠に戻った彼女は、その日から長かった留守を埋めるべく仕事に没頭した。荘園の経営についての報告を聞き、荘園と城の運営を指図し、領地を巡回し――

 そうして森が燃え立つ色に移ろいゆくように、心の水面みなもに浮かびあがるひとが図体も態度もでかいくせに意外にも繊細な優しさを示す男にかわってしまったのは――刺をうしなった薔薇の紅が夏の終わりを告げたとき。

 物憂いため息とともに彼女の胸によぎるのだ。精彩を放つ濃紺色の瞳にみつめられて、鼓動が高鳴ったことを。豊かな大地のような笑い声につられて吹き出してしまったことを。

 戦場で過ごした日々が遠ざかるにつれて、肌を灼く陽射しが陰りゆき、熱をはらんだ風に冷気が忍びよってきても、胸の奥の灯火ともしびが消えることはなかった。

 そして秋が色褪せ、冬の足音がひそやかに大地を白く染める頃、忘れがたい男からの便りが届いたのだ。おおらかさを感じるあの男らしい字でつづられた手紙からは、遠い異国の匂いがした。

 
 刺の痛みに夜も眠れないオスヴォルトから
 我が心に刺さった薔薇の君カーラインへ

 俺は手紙を書くのは苦手なんだ。いつもは従軍司祭の坊主に書かせてるんだが、愛の言葉を男にむかって囁くのは、嫌なんでな。だから、こうして自分の手で書いているところだ。
 冒頭の貴女への呼びかけは気の利いたものにしようと頑張った。頑張りすぎて、何枚の羊皮紙を無駄にしたことやら。丸めて投げ捨てた紙を従者のユリウスが拾い集めながら、もったいない、もったいないとブツブツ文句を言っている。俺は紙よりも髪の心配をしてほしいね。かきむしっていたんでな。

 まぁ、それはどうでもいいことだ。

 この手紙が貴女のもとに届く頃には雪が降っているだろう。別れたのは夏だったのにな。月日が経つのは早いものだ。

 もう傷は癒えただろうか。癒えたとしても傷は痛むときがある。冷たい風が吹きすさぶ冬には特に。貴女のことだから立派な領主になろうと無理をしすぎてぶっ倒れてないか心配だ。たまには肩の力をぬいた方がいいぞ。

 俺はおおきな怪我もなく、風邪もひかず、いたって元気だ。ただ野郎ばっかりの軍隊暮らしには潤いがなくてな。殺伐とした荒れ地に咲いていた薔薇を思い出すと、なおさら耐え難い。貴女の冷たい視線と鋭い突っこみがないと、冗談を言っても張り合いがないしな。

 戦況についても書いておこう。

 十一月二十日にシチリアの首都パレルモは陥落した。血は流れなかった。シチリア王妃ジビレはまだ幼い息子ヴィルヘルム王を連れてカラタベロッタの城に逃げこみ、残されたパレルモの市民は皇帝陛下を支持したからだ。俺たちは市民の盛大な歓迎を受けてパレルモに入城を果たした。カラタベロッタに逃げこんだ幼い王のために立ち上がる者はいなかった。皇帝陛下も堅固な城を長期間包囲することは避けたかった。そういうわけで、ヴィルヘルム王は先祖代々の領地と生命の保障を条件にシチリア王位を皇帝陛下に譲り渡した。これで今回のシチリア遠征の目的は果たされ、戦は終わった。まだ一波乱ありそうだが......。宮廷に巣くう権力の亡者どもは陰謀が三度の飯より好きだからな。俺は三度の飯よりも愛する女の方が大事なんで、皇帝陛下の戴冠式には参列せずに、さっさと帰ることにしたよ。聖誕祭クリスマスまでには戻ってこられると思う。帰り道にちょうど貴女の城があるんで、立ち寄らせてもらうよ。よろしく頼む。

 パレルモに入城した十一月三十日に記す。



「......これで愛の言葉を囁いているつもりなのかしら」

 カーラインは苦笑した。おそらく、冒頭の薔薇の刺うんぬんの比喩で力尽きたのだろう。そんな無骨さが愛おしかった。自分はよっぽど嬉しそうにしていたらしい。侍女のエルザにからかわれてしまったぐらいだから。

 アルベルトに誓った愛のためにオスヴォルトへの恋情を水底に沈めようとしても、想いは泡のように浮かびあがる。それを止めることはできない。偽ることはできないのだ。

 だから彼女は、従者のマルティンだけを連れて城を出た。幼い頃に母の面影を追って森に向かったように。森の中の修道院へと。

 そうして今、雪まじりの風に打たれ、彼の名が刻まれた墓標にひざまずいているのだった。
 彼女の裏切りを咎める声が聞こえないかと耳を澄ましても、聞こえるのは遠吠えのようにうなる風の音だけ。この土の下に埋められた石棺の中は空虚な闇。彼の体は戻ってこなかった。遠い異国の地で弔われることもなく置き去りにされたまま。ここにあるのは、石の墓標のみ。それでも、彼女は祈る。身を切る冷たさも膝の痛みも感じなくなっていくまで――

「カーライン様。もう日が暮れます。そろそろ帰りましょう」

 ためらいがちに声をかけられ、カーラインは、眠りから覚めたように顔をあげた。
 たしかに日は暮れようとしている。晩課の鐘が雪暮れの空に響いていた。今頃、城では帰りが遅いことを心配しているだろう。

「......そうね、帰りましょう」

 マルティンは赤くなった鼻を啜ると、ホッとしたように笑った。その顔がふいに強ばる。いつでも剣をひきぬけるようにして、彼女の前に体を張って立った。

 粉雪舞う風から染みが浮かび上がるように男たちが姿をあらわし、獲物を包囲していく猟犬のごとく近づいてくる。

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永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌作者:松木響子
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