剣の乙女07 悪夢
「遅かったですな」
帰りが遅いのを心配していたとグスタフの顔にありありと書かれている。カーラインは、からかうように笑いかけた。
「心配性ね。遅くなったのは立ち話をしていたせいよ」
グスタフはうなずきながら、マルティンをちらりと見た。あとで説明しろという合図だ。
「伯爵閣下、遅いお帰りですな。あまりグスタフ爺に心配かけさせちゃいけませんよ。白髪が増えちまう」
陽気な兵士の声に次いで、どっと男たちの笑い声があがった。もうだいぶん酒がまわっているようだ。
焚火の周りを囲んで、食事にありついていた兵士たちが、カーラインのために席をあけてくれる。彼らはサイン伯の居城で守備隊を務めている兵士たちであり、カーラインを姫として崇拝してきた。ただそれだけに、男装して遠征軍に加わった彼女にどう接してよいのか戸惑っていたのだ。
その手に酒杯が渡され、葡萄酒が溢れんばかりに注がれる。
「乾杯しましょう! 閣下の初陣を祝って」
「王旗を振って勇敢に突っ込んでいく姿を見てたら、胸がカーッと熱くなって、我々は恐怖なんて忘れて閣下に続いて走り出してました!」
その感極まった言葉にみながうなずく。
自分が勇敢だとは思っていなかった。ただ死にたくなくて無我夢中で剣を振るっていただけで。王旗を引き受けたことも、自分の近くに旗があったからだ。それが男たちの尊敬を勝ち得ることになるなんて。
男装して戦場に出ることは、今までの自分のいた場所から踏み外すことだ。異端である女に世間の目は厳しい。傷つけられた心の痛みにうめき、涙を流した孤独な夜を幾度過ごしたことだろう。
そして今、自分で居場所を勝ち取ったのだ。
彼女は誇り高く背筋をのばし、酒杯をかかげた。
「あの死と背中合わせの戦場であなたたちが生き残り、こうして一緒に酒を酌み交わせることを嬉しく思っています。勝利と何よりみなの生還を祝って、乾杯!」
歓声が弾けた。
酒は喉を熱く焼いた。
暖かい橙色の炎が踊る。
あぶられる肉の香ばしい臭いがたちこめ、肉汁を滴らせ、かぶりつく。
酒を一杯飲んだだけで赤くなったマルティンはからかわれて、さらに顔を真っ赤にして怒り、興奮のあまり鼻血を出してしまった。
弾ける笑い声。その輪の中で、カーラインもまた楽しげに笑っていた。
こうして夜は更けていった。
***
扉を勢いよく開けた。
ここにもいない。
目の前に次から次へ扉があらわれ、開けては落胆のため息をつく。
また、この扉が無数にある迷路に迷いこんでしまったのだ。姿を消してしまった彼を探しまわる夢の中へ。
松明に照らされ、大きく伸び上がった影が追いかけてくる。心の奥深くに沈めた夢の結末を囁くために。
聞きたくない。きつく耳をおさえ、螺旋階段を下へ下へ。靴音が虚ろに反響する。地下から忍び寄ってくる、夜より深い人の子の絶望の深淵から溢れでた闇が、自分を呑みこもうとまちかまえている。
この先は行きたくない。行っては駄目。でも探さなくては。震えてすくむ足を叱咤して、地下奥深く湿った臭いのする、罪人がつながれる牢獄へ。
そして、赤錆の浮いた鉄の扉が開けられるのを待っていた。
死人の冷たい手によって心臓を握りつぶされたように立ちすくんだ。遠く近く、寄せては返す波のように意識の隅に響く警告の声。
だが扉を開けようとする引力に逆らうことはできない。
軋む音とともに扉が開き――そして血の臭いが吹きつけてきた。
大地に轟く喇叭の音、喚声、馬のいななき、剣戟の音が洪水のように押し寄せてくる。
喚きながら自分に向かってくる兵士の剣の閃き。脳裏が白く染まり、気がつくと脇腹に剣が吸いこまれていくのを呆然と見つめていた。いつのまに自分の手に剣が握られていたのか。
兜がずり落ちていき、月の光を思わせる白金の髪がひろがり、翡翠色の瞳から光が失われていく。
それは探していたひとだった。会いたかったひとだった。
「アルベルト!」
嘘だ。わたしがアルベルトを殺すなんて――
崩れ落ちる彼を支えようとして、その重みを受けきれず、自分も血だまりの中に膝をついた。
わたしはアルベルトを殺した名も知らぬ兵士を憎んだ。
絶対にわたしは許さない。
わたしは殺した。アルベルトの無事を祈っていたように、帰ってくるのを待っていた人がいたであろう兵士たちを。
決してわたしは許されない。
息絶えたアルベルトを抱きしめて、血と混じりあった涙を流し、愛おしいその名を叫びつづけた。