竜の血脈03 追跡
グスタフは白が目立ちはじめた眉をひそめた。
監視塔の狭間から身を乗り出すようにして見渡したが、城を包囲している森が闇に沈み、ぼんやりと霞んでいるのが見えるだけだ。
剣を捧げた主君は、日暮れ前には帰ると告げて、サイン伯家が建立した一族の菩提を弔っている修道院へと向かった。だが、森の方から晩課の鐘の音が響いているにもかかわらず、戻ってくる様子がない。
重苦しくたちこめていた薄墨色の雲から音もなく雪が舞い落ちて、森の木々を白く塗りつぶしていく。しんしんと。日が暮れて夜の帳がおりても。
うら若い女主人は帰ってこない。
「......何かあったな」
低く独り言ちると、彼のうしろに立っているカラス男と呼ばれる見張りに向かって命じる。
「おまえは引き続き、見張れ。カーライン様の姿が見えしだい、喇叭を吹いて知らせるんだ」
見張り番の返事を背に受け、グスタフは外套をひるがえして、大股に歩きだした。
修道院は聖なる空間であった。
人里はなれた森のなか、張りめぐらした塀のなか、幾重にも俗世と隔てられ、外の世界で吹き荒れる暴力から守られている聖域。
だが、神の平和は破られた。
晩課の祈りを終えた修道士たちが、ひそやかな衣擦れの音だけをさせて回廊を歩いているときだった。断末魔の叫びが静寂を破ったのは。
慌ただしく走ることを禁じられている修道士たちが悲鳴が聞こえた墓地にたどりついた時にはすでに遅く、殺人を犯した罪人は逃げ去っていた。赤黒い水溜まりに浸かった死体だけを残して。
冬でも柔らかい光がふりそそぎ、さわさわと揺れる梢が子守歌をささやく。永久の眠りが安らかであるように、という祈りに満ちた場所が汚されてしまった。神をもおそれぬ呪われた魂でなければなしえないことだ。
しかし裏門から侵入した賊の狙いは、修道院を略奪することではなかった。この修道院の創設者であるサイン伯家を継いだ女が墓詣でに来ていたはずだが、その姿が忽然と消えていた。さらわれたのだ。
そしてサイン伯の従者が雪を朱く染めて倒れているのがみつかった。ただちに修道院内にある施療院に運ばれたおかげで命は取り留めるだろう。物言わぬ骸となって転がっている男は三人ともサイン伯のお仕着せを着ていなかったので、賊の一味だと思われた。
それにしても、誰が三人の男を殺したのか。まだ少年の従者が一人で倒したとは考えにくい。
まさか女であるサイン伯が? いや、その方がありえない。
修道士たちは、聖域でおこなわれた凶行に激怒し、恐怖し、混乱していた。沈黙を課している彼らが慌ただしく動きまわってはこのことを口々に話しあっていたその頃。
知らせを送る前にサイン伯家の守備隊長が兵を率いてやってきたのだ。
薬草の匂いがこもった薄暗い施療所には血の匂いがまじっていた。
寝台に横たわっている少年の青ざめた顔をのぞきこみ、グスタフは溜息をついた。
話ができるような状態ではないのはわかっていたが、状況をマルティンからくわしく聞かなくてはならない。施療院に来るまでに修道士から聞いた話だけでは不十分だ。主人をさらったのは誰なのか、手がかりがほしい。
看護についている修道士の方をうかがう。
「本来なら薬湯を飲んで睡眠をとらないといけないのですが......致し方ありませんね。なるべく手短にお願いします」
修道士の了承を得てから、そっと少年の名を呼ぶとマルティンはうっすらと目を開けた。
「カーライン様をさらった奴らのことを聞かせてくれ」
手短にすませるために容態を気遣う言葉もなかったが、長らく守備隊長として部下を大声で叱咤してきたせいでしわがれてしまった声にはいたわる響きがあった。
「......すいません。オレ、」
いつもは溌剌としている声が傷の痛みだけではない傷心のために弱々しく掠れていた。絞りだすようにして続けようとした言葉をさえぎる。
「おまえは悪くない。護衛の兵をつけなかった私の責任だ」
たとえ主人がそれを望まなくても、護衛をつけるべきだった。城から目前にある修道院といえども、決して安全ではないのだから。
「おのれの無力を責める気持ちはわかる。だが、なにもかも一人で背負い込むな。今おまえがしなければならないことは、知っていることをすべて話した後でぐっすり寝て怪我を早く治すことだ」
「......了解しました。隊長」
唇をなんとか笑いの形にしてみせると、マルティンは主人が掠われた顛末を話し始めた。
聞き終わった後、グスタフは顎髭をひっぱりながらうなった。
「嫌がる女を略奪するときに一輪の薔薇を贈る男か。しかも金で雇ったごろつきにまかせて本人は出てこない。生白い顔をした貴族のお坊ちゃんだろうな」
その条件に合う者に心当たりがあった。
「おまえのおかげで見当がついた。あとは私にまかせろ。必ずカーライン様を無事に連れ戻す」
決意をこめてマルティンに頷いてみせると、いつもの彼らしくニッと歯をみせて笑った。
「隊長ならやってくれるって信じてますよ」
怪我を押して話した疲れがどっと出たのだろう、瞼がいまにもくっつきそうだ。
グスタフは後の世話を修道士にまかせて立ち去ろうとしたが、ふと思い出したように振り向いた。
「――それから薬湯はちゃんと飲めよ」
マルティンは嫌そうに顔をしかめた。
グスタフは率いてきた十人の衛兵に手がかりがないか調べさせていたが、たいしたことはわからないだろう。雪が積もった地面を忌々しげにみる。主人をさらったならず者の足跡も馬の蹄の跡もこの雪が消し去ってしまったにちがいない。
「隊長! 坊やの具合はどうでしたか」
墓地にたどりついたグスタフのもとに部下が集まってくる。
「ああ、大丈夫だ。すぐに手当が受けられたからな」
「襲撃を受けたのが修道院で助かりましたね。坊やは運がいい」
「まったくだ。それで何かわかったことはあるか」
修道士が聞いたら激怒するようなことを言う部下に重々しく頷いてみせると、足下の死体に目をやった。
「どの死体も下品な顔してますね。汚れ仕事をするために雇われた傭兵くずれのごろつきなのは間違いないでしょう。しかし、こいつらをぶっ殺したのが坊やだけだとは思えないな。......きっと返り討ちにあったんだろうなぁ。信じられないという顔で息絶えているよ。同情はしないけど」
独り言の締めくくりに十字を切ると、報告をつづける。
「えー、足跡は雪のせいで残ってませんでしたが、猟犬どもに臭いを嗅がせたんで追跡はできますよ。あ、それとこんなものが落ちてました」
グスタフは一輪の薔薇を一瞥すると、眉をしかめた。
「こんなふざけた真似をするヤツに心当たりがある」
「......早く助け出さないといけませんね。自己愛はげしそうな変態の臭いがプンプンしますよ」
グスタフの眉間にさらに皺が深く刻まれた。女領主との結婚が目当てである以上、命を奪われる心配はないだろう。だが――女にとって殺されるよりも非道いことがある。
ぎりりと奥歯を噛みしめた。一刻も早く助け出さねばならない。グスタフは矢継ぎ早に指示をとばした。伝令として一人を城に送り出し、いつでも出撃できるよう備えさせる。残りの者は主人を掠った者どもを追跡する。すでに雇い主のもとに逃げ込んでいるだろうが。
必ず取り戻してみせる。
猟犬を先頭にたてて松明を片手に夜の森を駆けぬけていく。
濃密な森林の匂いが水の湿り気を帯び、せせらぎの音が聞こえはじめたかと思うと、さっと視界がひらけた。
河が黒々と横たわっていた。猟犬が臭いを追跡できるのはここまでだ。
だが、ここまでたどることができれば十分だった。
主人を拉致した者が逃げ込んだ場所は、グスタフが予想していたとおりだったからだ。
河の向こう側は、領土の拡張をめぐってサイン伯と長年あらそってきた領主の居城があった。
――不気味にそびえるドラッヘンフェルス城が。