ホーム永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌剣の乙女09 継承
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剣の乙女09 継承

フレグレイ平野の合戦で勝利を収めると、イタリア半島南部にあるシチリア領土の要衝ナポリは皇帝に屈した。
 皇帝軍は色鮮やかな軍旗をなびかせ行軍していく。ぎらつく太陽の下で鎖帷子の銀色はそれ自体ひとつの生き物のごとくうねり、押し寄せていく波濤のようであった。
 次に目指すはサレルノだ。それは前回の遠征で裏切った都市だった。三年前、夫とともに遠征に加わっていた皇妃コンスタンツァは、降伏したサレルノのテッラジェーナ城に入城した。しかし、疫病のために皇帝軍が撤退したのを機に反旗をひるがえし、皇妃を捕虜としたのだった。のちに教皇の調停で皇妃は釈放されたが、裏切りの報いは、サレルノが流す血でしか贖われることはない。
 サレルノが陥落すれば、イタリア半島南部の戦線は崩れ、戦わずして皇帝に帰順していくだろう。


 サレルノの城壁を包囲する色とりどりの天幕の森のなかで、もっとも大きく豪華な天幕に誇り高く鷹の紋章旗がひるがえっていた。
 金糸で刺繍された絹の天幕をくぐったカーラインは、思わず感嘆のため息をついた。
 天幕のなかとは思えないほど、象牙の支柱で支えられた天井は高く広々としており、東方渡りの高価な絹には、金糸銀糸で織られた色鮮やかなタペストリーが飾られている。
 荷台三台分で運ばれてきただけあって、宮廷の大広間がそのまま戦場に移動してきたようだった。これが詩人であれば、己の美辞麗句の限界に挑戦して、君子の天幕の描写だけでも長々と詩を作ってしまうのは間違いない。
 入り口の側にいた召使いがカーラインに水盤をさしだした。手を洗い、さしだされた綿織物で手をぬぐった。
 亡くなった父の後を継ぐために皇帝にサイン伯領の授封を願いでていたが、遠征中のため、封地レーエンの更新が延期になっていた。封地は世襲化されていたが、相続人は一年と一日以内に主君に授封を申請しなければならない。主君と封臣を結びつける誠実宣誓がおこなわれて、晴れて公式に継承が認められるのだ。
 相続は、封地法によって、男性の嫡子だけに認められていたが、前伯には娘が一人いるのみだった。軍役の義務を果たせない女性では相続人として認められない。そういうことになっていた。ただし、何事も抜け道はあるもの。結婚して誕生した息子に譲ることを前提として一時的に継承できる。それまで封臣の義務の数々は、夫が引き受けるわけだ。
 だが、カーラインは、その道は選ばなかった。女性であっても、軍役の義務を果たすことはできるということを証明することで、相続人として認めてもらおうとした。それは茨の道だった。女性としての定められた道を逸脱する者に、世間は冷たく、容赦しない。罵倒されたぐらいで顔を伏せるようでは、この茨の道を行けはしない。
 独身の女性の授封が認められるかどうか。今日で決まる。
「サイン伯ルートヴィヒの娘カーライン」
 紋章官が名前を読みあげた。
 カーラインは、緊張で動悸が速くなっていくのを感じた。乾いた喉を潤そうと何度も唾を飲みこむが、いっそう渇くばかりだ。
 少年のように髪を短く切った男装の少女に向けられていく、列席した諸侯たちの視線、さざ波のように交わされる声。
 カーラインは息を吸いこむと、毅然と顔をあげて、玉座へとつづく敷物を踏みしめて、歩きだす。
 皇帝夫妻が並んで座っている木の壇の階段を上り、凛々しい少年のようにみえる軍衣をまとった少女は、右膝をついた。
 皇帝ハインリッヒは二十代の青年だった。皇帝となってまだ日が浅いのにもかかわらず、すでに冷徹な施政者の感情をうかがわせない目でカーラインを検分してから、口をひらいた。
「サイン伯ルートヴィッヒのご息女、カーライン殿。そなたは今は亡きサイン伯のただ一人の嫡子ゆえ、封地を継承する権利を有しておられる。だが、継承権を持つ者が女性の場合、後見人となる男性が必要だ。そなたにふさわしい結婚相手を予が決めよう」
 カーラインは体から熱が奪われたように感じた。震えながら、意を決して顔をあげる。
「陛下。恐れながら、申し上げます。男性の後見人がいなくとも、わたくしは封臣の義務を果たしております」
「そうですわ。女性の相続を認めない理由は、軍役の義務を果たすことができないからでしょう。この方は女性であっても旗手として勇敢に戦ったではありませんか」
 王妃は、カーラインにほほえみかけた。ほっそりと優美だった身体は丸みを帯びていたが、意志の強い顔立ちは満ち足りた妊婦であるより、夫と共に戦う戦士を思わせる。
 皇帝の薄い唇が笑みの形をつくった。
「たしかに、そなたは立派に義務を果たしているな。この度の戦では、倒れた旗手のかわりに王旗を振って、崩れそうになった我が軍の士気を高めてくれた。旗手はもっとも勇敢な騎士が担うもの。戦場でそれを証明してみせたそなたに後見人は必要ではない」
 こみあげてくる涙をこらえて、少女は深く頭をさげた。嵐の去った朝、髪を切って誓ったあの日から、いままでの苦難の日々が少女の脳裏によぎっていき、想いが胸にあふれて言葉にならない。
 ひろげられた主君の両手のなかに、合わせた手をさしだす。脈打つ鼓動が耳元で轟き、声が震えないようにと祈りながら、口をひらく。
「わたくし、ルートヴィッヒ・フォン・サインの娘、カーラインは、全能の神にかけて皇帝陛下にお仕えし、忠誠を尽くすことを誓います。陛下こそ、わたくしの真にして唯一の主人であることを、陛下より授かったサイン伯の地位にかけて誓います。ここにお集まりになったすべての方々、この誠実の誓いの証人となってくださいますよう!」
 心のこもった澄んだ声が余韻をのこして響くのをかきけすように、「証人となろう!」集まった人々の唱和した大声が天幕をゆるがした。
 正式にサイン伯となった少女が、興奮に頬を染めて見上げると、冷たさを感じさせる青い瞳と目があう。偽りのないまっすぐな視線をうけとめて、皇帝は微笑した。
「王旗をこれに」
 皇帝が命じると、鷲の紋章が織られた旗がうやうやしく差し出された。王旗を手にした皇帝は、厳かに口をひらく。
「カーライン・フォン・サイン。そなたは我が軍の旗手である。勇敢な戦乙女よ。戦場で、王旗を守るのだ」
 主君の手みずから王旗を渡され、カーラインは、身に余る名誉を受けて体が震えるのをとめられなかった。それは喜びだけではなかった。願いが叶うことは解放ではなかった。
 割れるように響く祝福する歓声のなか、王旗を握りしめた少女は、背負わなければならないものの重さにおののいていた。
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永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌作者:松木響子
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フレグレイ平野の合戦で勝利を収めると、イタリア半島南部にあるシチリア領土の要衝ナポリは皇帝に屈した。
 皇帝軍は色鮮やかな軍旗をなびかせ行軍していく。ぎらつく太陽の下で鎖帷子の銀色はそれ自体ひとつの生き物のごとくうねり、押し寄せていく波濤のようであった。
 次に目指すはサレルノだ。それは前回の遠征で裏切った都市だった。三年前、夫とともに遠征に加わっていた皇妃コンスタンツァは、降伏したサレルノのテッラジェーナ城に入城した。しかし、疫病のために皇帝軍が撤退したのを機に反旗をひるがえし、皇妃を捕虜としたのだった。のちに教皇の調停で皇妃は釈放されたが、裏切りの報いは、サレルノが流す血でしか贖われることはない。
 サレルノが陥落すれば、イタリア半島南部の戦線は崩れ、戦わずして皇帝に帰順していくだろう。


 サレルノの城壁を包囲する色とりどりの天幕の森のなかで、もっとも大きく豪華な天幕に誇り高く鷹の紋章旗がひるがえっていた。
 金糸で刺繍された絹の天幕をくぐったカーラインは、思わず感嘆のため息をついた。
 天幕のなかとは思えないほど、象牙の支柱で支えられた天井は高く広々としており、東方渡りの高価な絹には、金糸銀糸で織られた色鮮やかなタペストリーが飾られている。
 荷台三台分で運ばれてきただけあって、宮廷の大広間がそのまま戦場に移動してきたようだった。これが詩人であれば、己の美辞麗句の限界に挑戦して、君子の天幕の描写だけでも長々と詩を作ってしまうのは間違いない。
 入り口の側にいた召使いがカーラインに水盤をさしだした。手を洗い、さしだされた綿織物で手をぬぐった。
 亡くなった父の後を継ぐために皇帝にサイン伯領の授封を願いでていたが、遠征中のため、封地レーエンの更新が延期になっていた。封地は世襲化されていたが、相続人は一年と一日以内に主君に授封を申請しなければならない。主君と封臣を結びつける誠実宣誓がおこなわれて、晴れて公式に継承が認められるのだ。
 相続は、封地法によって、男性の嫡子だけに認められていたが、前伯には娘が一人いるのみだった。軍役の義務を果たせない女性では相続人として認められない。そういうことになっていた。ただし、何事も抜け道はあるもの。結婚して誕生した息子に譲ることを前提として一時的に継承できる。それまで封臣の義務の数々は、夫が引き受けるわけだ。
 だが、カーラインは、その道は選ばなかった。女性であっても、軍役の義務を果たすことはできるということを証明することで、相続人として認めてもらおうとした。それは茨の道だった。女性としての定められた道を逸脱する者に、世間は冷たく、容赦しない。罵倒されたぐらいで顔を伏せるようでは、この茨の道を行けはしない。
 独身の女性の授封が認められるかどうか。今日で決まる。
「サイン伯ルートヴィヒの娘カーライン」
 紋章官が名前を読みあげた。
 カーラインは、緊張で動悸が速くなっていくのを感じた。乾いた喉を潤そうと何度も唾を飲みこむが、いっそう渇くばかりだ。
 少年のように髪を短く切った男装の少女に向けられていく、列席した諸侯たちの視線、さざ波のように交わされる声。
 カーラインは息を吸いこむと、毅然と顔をあげて、玉座へとつづく敷物を踏みしめて、歩きだす。
 皇帝夫妻が並んで座っている木の壇の階段を上り、凛々しい少年のようにみえる軍衣をまとった少女は、右膝をついた。
 皇帝ハインリッヒは二十代の青年だった。皇帝となってまだ日が浅いのにもかかわらず、すでに冷徹な施政者の感情をうかがわせない目でカーラインを検分してから、口をひらいた。
「サイン伯ルートヴィッヒのご息女、カーライン殿。そなたは今は亡きサイン伯のただ一人の嫡子ゆえ、封地を継承する権利を有しておられる。だが、継承権を持つ者が女性の場合、後見人となる男性が必要だ。そなたにふさわしい結婚相手を予が決めよう」
 カーラインは体から熱が奪われたように感じた。震えながら、意を決して顔をあげる。
「陛下。恐れながら、申し上げます。男性の後見人がいなくとも、わたくしは封臣の義務を果たしております」
「そうですわ。女性の相続を認めない理由は、軍役の義務を果たすことができないからでしょう。この方は女性であっても旗手として勇敢に戦ったではありませんか」
 王妃は、カーラインにほほえみかけた。ほっそりと優美だった身体は丸みを帯びていたが、意志の強い顔立ちは満ち足りた妊婦であるより、夫と共に戦う戦士を思わせる。
 皇帝の薄い唇が笑みの形をつくった。
「たしかに、そなたは立派に義務を果たしているな。この度の戦では、倒れた旗手のかわりに王旗を振って、崩れそうになった我が軍の士気を高めてくれた。旗手はもっとも勇敢な騎士が担うもの。戦場でそれを証明してみせたそなたに後見人は必要ではない」
 こみあげてくる涙をこらえて、少女は深く頭をさげた。嵐の去った朝、髪を切って誓ったあの日から、いままでの苦難の日々が少女の脳裏によぎっていき、想いが胸にあふれて言葉にならない。
 ひろげられた主君の両手のなかに、合わせた手をさしだす。脈打つ鼓動が耳元で轟き、声が震えないようにと祈りながら、口をひらく。
「わたくし、ルートヴィッヒ・フォン・サインの娘、カーラインは、全能の神にかけて皇帝陛下にお仕えし、忠誠を尽くすことを誓います。陛下こそ、わたくしの真にして唯一の主人であることを、陛下より授かったサイン伯の地位にかけて誓います。ここにお集まりになったすべての方々、この誠実の誓いの証人となってくださいますよう!」
 心のこもった澄んだ声が余韻をのこして響くのをかきけすように、「証人となろう!」集まった人々の唱和した大声が天幕をゆるがした。
 正式にサイン伯となった少女が、興奮に頬を染めて見上げると、冷たさを感じさせる青い瞳と目があう。偽りのないまっすぐな視線をうけとめて、皇帝は微笑した。
「王旗をこれに」
 皇帝が命じると、鷲の紋章が織られた旗がうやうやしく差し出された。王旗を手にした皇帝は、厳かに口をひらく。
「カーライン・フォン・サイン。そなたは我が軍の旗手である。勇敢な戦乙女よ。戦場で、王旗を守るのだ」
 主君の手みずから王旗を渡され、カーラインは、身に余る名誉を受けて体が震えるのをとめられなかった。それは喜びだけではなかった。願いが叶うことは解放ではなかった。
 割れるように響く祝福する歓声のなか、王旗を握りしめた少女は、背負わなければならないものの重さにおののいていた。
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