ホーム永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌剣の乙女14 小夜啼鳥
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剣の乙女14 小夜啼鳥

歌っているのはだれ。
 朝には遠すぎる深い夜に優しく歌いかけるように。
 目覚めれば忘れてしまう。夢のなかでしか聞くことのできない歌声。涙が頬をつたいおちていくこともしらず。
 あれは小夜啼鳥ナイチンゲールが鳴いているの。
 夜ひとり目覚めて闇の深さにふるえないように。
 歌いかけてくれた、あのひとの声に似ている。

 頬をぬらしていくひんやりとした感触に、泣いているのだと気づいた。
 目をひらいて、まだ夢から覚めていないのだろうか、と不思議に思っていた。
 切なく胸をかきならしていくリュートの音色も、バラッドをうたう声も。手をのばせば届くところに、彼がいるのも。
 しろい月のひかりを浴びて冴え冴えとかがやく髪、繊細なまつげが翡翠の瞳に翳りをおとす。この世のものとは思えなかった。美しい夢がひとの姿をとったようだった。
 そう、これは夢。この世から旅立った彼と会えるのは夢のなかだけだから。
 手をのばせば届くところにいるのに、触れることをためらう。泡のように消えてしまうのではないかと怖くて。
 ただ、彼の歌声だけを聞き、彼の姿だけを見つめていた。
 甘く切ない恋歌をささげるひとはただひとり。澄んだ綺麗な瞳に映すのもひとりだけ。わたしだけを見つめて、彼はやさしく微笑む。あの無邪気でいられた、彼方に去ってしまった日々に戻れた気がして、また涙が頬をこぼれていった。

「眠っているかい
 それともおきているのかい
 ぼくがあなたにあげた
 信念と真心を返しておくれ」

 なのに彼が歌っているのは、恋人が亡霊になって訪れるバラッドだなんて。つづけて歌い返しながら、背筋が冷たくなる。

「信念と真心は返せない
 二人の愛は裂かれない
 あなたが部屋に入ってきて
 頬と顎に接吻をしてくれなけりゃ」

 月明かりに浮かびあがる蒼白い肌はろうのよう。経帷子に包まれた死者のよう。
 いいえ! いいえ! 彼は生きて帰ってくれたのよ。約束を守って。
 なのに帰ってきた恋人が歌うのは、亡霊となった男が恋人を訪れる歌だなんて。

「ぼくの唇はとても冷たい
 いまでは土の臭いがする
 あなたの唇に接吻すれば
 あなたの命は長くない」

 その蒼冷めたくちびるは、冷たくて土の臭いがするのだろうか。
 それでもいい。たとえ命を落としても。あなたがわたしに接吻してくれるなら。

 「おんどりがはれやかに鳴いている
 野鳥が夜明けを告げている
 信念と真心を返しておくれ
 そうしてぼくを行かせておくれ」

 わたしは、がんぜない幼子のように かぶりを振って、叫んだ。

「信念と真心は返せない
 二人の愛は裂かれない
 あれは小夜啼鳥が啼いている
 夜明けはまだ遠い 帰るにはまだ早い」

 わたしは、歌を変えてしまった。
 真心を返して、行かせてあげなくてはいけなかったのに。
 正しい答えを返さなかった。
 真心を返したくなかった。あなたを帰したくなかった。
 ああ、それなのに。彼は哀しく微笑んで、歌うのだ。燃えるような夜明けの風に炙られ、溶けていくように。

「おんどりがはれやかに鳴いている
 野鳥が夜明けを告げている
 神の御賛歌がうたわれる
 さあ もうぼくは行かねばならぬ」

 行かないで。わたしを置いて行かないで。
 朝のひかりをうけて薄れていく彼を抱きしめようと腕をのばした。
 だが、その手がつかんだのは――

 カーラインの手は、むなしく くうをつかんでいた。
 その手を握りしめたまま、くちびるを噛みしめる。
 眠りに落ちる度、波がひたひたと押し寄せるように、あのひとの夢をみる。その度にこれは夢ではないのだと涙を流して、目覚めればやはり夢でしかないことを思い知らされる。繰り返し、繰り返し。寄せては返す波にさらわれて。
 口にひろがる塩辛い味。これは涙。それとも血。
 カーラインは獣のようにうめき、肌に爪をたてる。その痛みも、心を引き裂いていく痛みを薄れさせてはくれない。
 あのひとが死んだとき、わたしの心も一緒に黄泉におちたのだ。だから、目覚めるとき、こんなにも心が痛い。半身を引き裂かれるように。
 いいえ。まだバラッドは終わっていない。だから、夢は終わっていない。

「靴下と靴をはき 上着をつけたわたしは
 塀を越えて追いかけました」

 彼女は、歌う。夜に鳴く鳥のように。バラッドをつづけるために、夢をつづけるために。
 垂れ幕をはねのけて、駆けだす。リンネルのシャツは白い蝶々のように風にたわむれて。
 野営地からはなれるその姿を照らすのは、孤独な月だけ。

「やってきたのは緑の森
 彼の姿が見えません」

 木々は影となってわだかまり、吹きぬけていく風に枝葉をゆらす。ときにはわめき声をあげ、嘲笑をあびせかけ、子守歌のように囁いている。
 森のなかで、彼女はひとり。

「その枕辺へ入れるかしら
 その足もとへ入れるかしら
 その脇へ入れるかしら
 そこでわたしは眠りたい」

 歌いながら、膝からくずおれた。そこがまるで彼の墓であるかのように手をついて。湿った黒い土が爪に入りこむ。腐葉土の濃厚な匂いが鼻腔を満たしていく。
 つぎは彼が歌う番だった。だが声はいつまで待っても聞こえてこない。地面に耳をよせてみても。
 響いているのは虚ろな女の声。バラッドを歌うのは彼女だけ。

「この枕辺には入れない
 この足もとへは入れない
 でもこの脇には
 女が眠る場所がある」

「冷たい土がぼくの蒲団
 それはまた経帷子
 ぼくの寝床は土の中
 飢えた虫たちと眠るのだ

「冷たい土がぼくの蒲団
 それはまた経帷子
 露がおりたら
 たちまち寝床はぬれそぼつ」

 バラッドは終わってしまった。夢も終わってしまった。
 もう涙も枯れてしまった。
 このまま、腐った落ち葉が降り積もる冷たく湿った土を蒲団にして眠ろう。
 目を閉じた。
「おい、そんなところで寝たら風邪ひくぞ」
 呆れているのか、心配しているのか。この太い男臭い声は、彼女の聞きたい声ではないはずなのに。なのに、なぜ。
 涙がじわりとあふれそうになるのだろう。断じて嬉しいからではない! と即座に否定する。
 いったいいつから見ていたのか。そう思っただけで、体から熱が戻ってくる。ふつふつと沸き上がってくるのは怒りだ。
 許せなかった。
 どうしてこんな見られたくないときに限って、あらわれるのだろうこの男は!

 だが、オスヴォルトのおかげで、哀しみに飲みこまれ、死者のように蒼冷めていた彼女の顔にふたたび生気がともったのだった。
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歌っているのはだれ。
 朝には遠すぎる深い夜に優しく歌いかけるように。
 目覚めれば忘れてしまう。夢のなかでしか聞くことのできない歌声。涙が頬をつたいおちていくこともしらず。
 あれは小夜啼鳥ナイチンゲールが鳴いているの。
 夜ひとり目覚めて闇の深さにふるえないように。
 歌いかけてくれた、あのひとの声に似ている。

 頬をぬらしていくひんやりとした感触に、泣いているのだと気づいた。
 目をひらいて、まだ夢から覚めていないのだろうか、と不思議に思っていた。
 切なく胸をかきならしていくリュートの音色も、バラッドをうたう声も。手をのばせば届くところに、彼がいるのも。
 しろい月のひかりを浴びて冴え冴えとかがやく髪、繊細なまつげが翡翠の瞳に翳りをおとす。この世のものとは思えなかった。美しい夢がひとの姿をとったようだった。
 そう、これは夢。この世から旅立った彼と会えるのは夢のなかだけだから。
 手をのばせば届くところにいるのに、触れることをためらう。泡のように消えてしまうのではないかと怖くて。
 ただ、彼の歌声だけを聞き、彼の姿だけを見つめていた。
 甘く切ない恋歌をささげるひとはただひとり。澄んだ綺麗な瞳に映すのもひとりだけ。わたしだけを見つめて、彼はやさしく微笑む。あの無邪気でいられた、彼方に去ってしまった日々に戻れた気がして、また涙が頬をこぼれていった。

「眠っているかい
 それともおきているのかい
 ぼくがあなたにあげた
 信念と真心を返しておくれ」

 なのに彼が歌っているのは、恋人が亡霊になって訪れるバラッドだなんて。つづけて歌い返しながら、背筋が冷たくなる。

「信念と真心は返せない
 二人の愛は裂かれない
 あなたが部屋に入ってきて
 頬と顎に接吻をしてくれなけりゃ」

 月明かりに浮かびあがる蒼白い肌はろうのよう。経帷子に包まれた死者のよう。
 いいえ! いいえ! 彼は生きて帰ってくれたのよ。約束を守って。
 なのに帰ってきた恋人が歌うのは、亡霊となった男が恋人を訪れる歌だなんて。

「ぼくの唇はとても冷たい
 いまでは土の臭いがする
 あなたの唇に接吻すれば
 あなたの命は長くない」

 その蒼冷めたくちびるは、冷たくて土の臭いがするのだろうか。
 それでもいい。たとえ命を落としても。あなたがわたしに接吻してくれるなら。

 「おんどりがはれやかに鳴いている
 野鳥が夜明けを告げている
 信念と真心を返しておくれ
 そうしてぼくを行かせておくれ」

 わたしは、がんぜない幼子のように かぶりを振って、叫んだ。

「信念と真心は返せない
 二人の愛は裂かれない
 あれは小夜啼鳥が啼いている
 夜明けはまだ遠い 帰るにはまだ早い」

 わたしは、歌を変えてしまった。
 真心を返して、行かせてあげなくてはいけなかったのに。
 正しい答えを返さなかった。
 真心を返したくなかった。あなたを帰したくなかった。
 ああ、それなのに。彼は哀しく微笑んで、歌うのだ。燃えるような夜明けの風に炙られ、溶けていくように。

「おんどりがはれやかに鳴いている
 野鳥が夜明けを告げている
 神の御賛歌がうたわれる
 さあ もうぼくは行かねばならぬ」

 行かないで。わたしを置いて行かないで。
 朝のひかりをうけて薄れていく彼を抱きしめようと腕をのばした。
 だが、その手がつかんだのは――

 カーラインの手は、むなしく くうをつかんでいた。
 その手を握りしめたまま、くちびるを噛みしめる。
 眠りに落ちる度、波がひたひたと押し寄せるように、あのひとの夢をみる。その度にこれは夢ではないのだと涙を流して、目覚めればやはり夢でしかないことを思い知らされる。繰り返し、繰り返し。寄せては返す波にさらわれて。
 口にひろがる塩辛い味。これは涙。それとも血。
 カーラインは獣のようにうめき、肌に爪をたてる。その痛みも、心を引き裂いていく痛みを薄れさせてはくれない。
 あのひとが死んだとき、わたしの心も一緒に黄泉におちたのだ。だから、目覚めるとき、こんなにも心が痛い。半身を引き裂かれるように。
 いいえ。まだバラッドは終わっていない。だから、夢は終わっていない。

「靴下と靴をはき 上着をつけたわたしは
 塀を越えて追いかけました」

 彼女は、歌う。夜に鳴く鳥のように。バラッドをつづけるために、夢をつづけるために。
 垂れ幕をはねのけて、駆けだす。リンネルのシャツは白い蝶々のように風にたわむれて。
 野営地からはなれるその姿を照らすのは、孤独な月だけ。

「やってきたのは緑の森
 彼の姿が見えません」

 木々は影となってわだかまり、吹きぬけていく風に枝葉をゆらす。ときにはわめき声をあげ、嘲笑をあびせかけ、子守歌のように囁いている。
 森のなかで、彼女はひとり。

「その枕辺へ入れるかしら
 その足もとへ入れるかしら
 その脇へ入れるかしら
 そこでわたしは眠りたい」

 歌いながら、膝からくずおれた。そこがまるで彼の墓であるかのように手をついて。湿った黒い土が爪に入りこむ。腐葉土の濃厚な匂いが鼻腔を満たしていく。
 つぎは彼が歌う番だった。だが声はいつまで待っても聞こえてこない。地面に耳をよせてみても。
 響いているのは虚ろな女の声。バラッドを歌うのは彼女だけ。

「この枕辺には入れない
 この足もとへは入れない
 でもこの脇には
 女が眠る場所がある」

「冷たい土がぼくの蒲団
 それはまた経帷子
 ぼくの寝床は土の中
 飢えた虫たちと眠るのだ

「冷たい土がぼくの蒲団
 それはまた経帷子
 露がおりたら
 たちまち寝床はぬれそぼつ」

 バラッドは終わってしまった。夢も終わってしまった。
 もう涙も枯れてしまった。
 このまま、腐った落ち葉が降り積もる冷たく湿った土を蒲団にして眠ろう。
 目を閉じた。
「おい、そんなところで寝たら風邪ひくぞ」
 呆れているのか、心配しているのか。この太い男臭い声は、彼女の聞きたい声ではないはずなのに。なのに、なぜ。
 涙がじわりとあふれそうになるのだろう。断じて嬉しいからではない! と即座に否定する。
 いったいいつから見ていたのか。そう思っただけで、体から熱が戻ってくる。ふつふつと沸き上がってくるのは怒りだ。
 許せなかった。
 どうしてこんな見られたくないときに限って、あらわれるのだろうこの男は!

 だが、オスヴォルトのおかげで、哀しみに飲みこまれ、死者のように蒼冷めていた彼女の顔にふたたび生気がともったのだった。
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