6.成立
空は赤く太陽が地平線に迫っている中。
僕は冷える手をポケットに突っ込み、玄関を出た。
凍える指先はわずかに痛み、億劫な感情が心を覆う。
ゆっくりと重ための足取りで中庭に向かっていた。
寒々しい風が髪を揺らす。
髪の隙間から覗く瞳が、銅像の近くにいる藍の人物を映し出した。
空気に宿る冷気のせいか、ポツンと俯く彼女には凛としたトゲが垣間見えた。
「お、早かったね」
彼女は僕を見てパッ顔を明るくし、軽く手を振る。
同時に、自然と周囲の人間の視線が集まった。
「......」
その事実に、昨日と同じく大きめの白い息をこぼれる。
側まで歩いて立ち止まった。
「どうかした?」
態度に出ていたのか、藤宮は不思議そうに首を傾げる。
「結局視線は集めてるよなって思って」
「人目を気にしてるとはいえ、いるにはいるからね」
さも当然とでも言うような藤宮に、胸の奥で何かがざらつく。
「こればっかりは慣れるしかないよ。一応私も気をつけるし」
「頼んだ」
周囲の視線に鬱屈として霧が生まれ、心を覆う。
それを払うように、藤宮は校門に足を向けた。
「んじゃ、行こうか。良い場所知ってるんだ」
ニコリと明るい笑みを浮かべて、一歩先へ進む。
一瞬、眩さに目が細まった。
「学校の人はいないんだよな?」
「人気だけどそんな場所じゃないよ。落ち着ける場所」
「カフェか?」
「どちらかというと喫茶店?」
「そりゃいい」
次いで足を踏み出し、彼女の後に続く。
「行くか」
小さな期待を胸に、自然と口元は僅かに弧を描いていた。
・・・・・・
寒空の下公園にて。
勢いよく上がっている噴水が木の葉を巻き込む。
その下にある水溜めに降り注いでいた。
茶色をベースにしたシックな扉は、カランカランと軽い音が静かな店内に響き渡らせた。
「いらっしゃいませ」
カウンターから中年を優に超えた男性が声を上がる。
彼に軽く一礼して中に入った。
落ち着いた雰囲気を放つ茶色い屋内。
そこは機械的な温もりで覆われていた。
数個あるカウンター席の向こう側に、老齢の男性が立ちあがる。
奥の壁には英語やフランス語表記のブランド珈琲豆が。
窓から噴水が覗くテーブル席は、店内に更なる趣と落ち着きを与えていた。
「テーブルでいいよね」
「ああ」
藤宮の後ろを追いつつ、周囲の席に視線をやる。
数組の老年夫婦と一人の中年男性がそれぞれ座っていた。
「どうかした?」
「学校の人はいないかなと思って」
藤宮が席につく。
反対側に鞄を置いて腰掛けた。
「お母さんに教えてもらった穴場だし、高校生で来てるのも私くらいじゃないかな」
「そうなのか」
窓の外に映る噴水を一瞥し、小さく頷く。
「ご注文は?」
シワのついた声が聞こえ、黒ベースの衣服を纏った老人の男性店員が立っていた。
その手には古びたメモと万年筆が握られている。
「んー」
藤宮はメニューを見ることなく喉を鳴らす。
すぐに口を開いた。
「私はカフェオレで」
「む」
僕も注文しようとカウンター席の向こうに書かれているメニューに視線を向ける。
「コーヒーでお願いします」
「かしこまりました」
言葉と同時に男性はメモを切り離し、カウンター席の奥に戻っていく。
追うようにして、僕の目は周囲を探っていた。
「思ったんだけどさ」
「なんだ?」
藤宮はぼーっと外の噴水を見つめ、ポツリと言葉を紡いだ。
「白鷺くんって友達いないの?」
「直球だな」
小さく息を吐きながら藤宮は横目で僕を見る。
「これに関しては回りくどい言い方は面倒だと思って。傷ついた?」
「まさか」
そっとため息をこぼし、一瞬視界をシャットアウトする。
懐かしい記憶が脳裏に咲いた。
「前も話したけど、友達はいないぞ」
「ふーん」
喉を鳴らし、青く染まった目が僅かに細まる。
「今ってさ、十一月じゃん」
「そうだな」
小さく頷き、意識を彼女に戻した。
「この半年間友達作らずに何やってきたの?」
「色々だな」
「それを聞きたいんだけど」
窓の外を覗いていた視線。
今度はその瞳は真っ直ぐに僕を見据えた。
「秘密だ」
「秘密主義者」
「また一つ僕について詳しくなったな」
「秘密があるって知っても嬉しくないんだけど」
ぷくりと頬を膨らませながら睨む藤宮。
気を逸らすように、窓の外を見やる。
横目でチラリと見ると不服そうな姿が映った。
小さくため息を吐いてから口を開こうとしたその時。
「おまたせしました」
老年の男性が盆に二つのマグカップを置いて席の前に現れる。
「ん、来たな」
絶好の話題が運ばれてきた。
「注文した後に聞くことじゃないかもしれないが、良いか?」
「ん、何?」
藤宮は運ばれてきたカフェオレを飲み始めていた。
素早い所作で砂糖を入れた後に。
「この店のおすすめってあるか?」
「おすすめ? んー、パンケーキかな」
「パンケーキ?」
「そ。ここのお店は繁華街みたく過剰に甘くないからね。カロリー抑えて美味しく食べれるの」
「なるほど」
確かにそれは大事だ。
「で、何してたの?」
「......」
視線が勝手に外に向く。
子どもたちが鬼ごっこで遊んでいた。
「それで、今日は要件があったんだよな」
「あー、話逸らした」
いじけたようにそう言う藤宮にまぶたを閉じて静寂を返す。
「......まあ良いけどさ」
彼女は小さく諦念の息を吐いた。
「そうだね。いくつか確認したいことがあって」
藤宮が神妙な面持ちで僕を見つめる。
正確には、握っているコーヒーを見つめていた。
流石に飲みながら聞くわけにもいかない。
そう考え、マグカップを机の上に戻した。
「私達、契約上は友達になったよね」
「そうだな」
小さく頷く。
「今回話し合いたいのは、この友達って関係をどこまで公にするか」
「ん」
返事を残しつつコーヒーを飲み込めば、喉の奥に苦い味が広がる。
「私がこの件で聞きたいのは、白鷺くんがどこまで秘密にしておきたいか、だね」
「つまり、契約のことについて他言するかどうかってことか?」
マグカップを置きつつ藤宮を見返せば、コクリと大きく頷いた。
「......そうだな」
契約内容そのものは健全的である。
が、周囲が「あの藤宮が男子と取引した?」なんて耳に入ったらよからぬ噂が流れかねない。
それこそ、また僕が襲われてもおかしくない。
「藤宮はどうしたい?」
「私?」
藤宮が驚いたように目を見開く。
「僕はそもそも言う相手がいないからな。藤宮の方が大事だろ」
「まあ、そんなもん、かな?」
歯切れが悪く藤宮は頷く。
「ん〜」
眉間にシワを寄せながら喉を鳴らし、自分のマグカップを見つめる。
僕は今一度コーヒーをすすり、窓の外を見た。
男の子が走って逃げる女の子をタッチしていた。
「じゃあさ」
「ん」
視線を藤宮に戻す。
未だ少し眉間にシワが寄っていた。
「一部の友達とかには言っていい?」
「一応確認で、大体の人数を教えてもらっていいか?」
「ああ、大丈夫だよ。一人だけだから」
僕の懸念を理解したのか、藤宮はゆるやかに左右に首を振る。
「......藤宮の場合、全校生徒が友達とか言い出してもおかしくないからな」
藤宮はマグカップを持ち、カフェオレを啜る。
「だと思ったよ。流石に私もそこまで人間関係は広くないからね」
藤宮の瞳に呆れがこもる。
が、その表情はわずかに微笑んでいた。
「まあわかった。話はそれで終わりか?」
「あ、もう一個」
マグカップを机に戻し、言葉を続ける。
「給仕と護衛って、私は何をすればいいの?」
「ああ、それな」
脇においてある鞄を開ける。
中から爪の分厚さほどある紙の束を取り出した。
「なにそれ」
「正式な契約書」
A4紙10枚。
表紙には『契約事項』と大きく書かれている。
下には僕のフルネーム、更にその下に少し空間をあけて傍線が引かれている。
「......これ全部読まないと駄目?」
机の上に置かれたそれを、藤宮は触ることなくマジマジと見つめる。
鞄から筆箱を取り出し、ボールペンを出した。
「別に読まなくていいぞ。ほとんど契約するときの一般事項だけだし」
「ならいっか」
藤宮はそう明るく答え、ボールペンを受け取る。
サラサラと小さく丸みのある字で『藤宮葵』と記されていた。
「これで契約成立だ」
ボールペンだけを鞄にしまう。
契約書はテーブルの隅に寄せた。
「これからよろしくな、藤宮」
「よろしくね。白鷺くん」
一方は無表情に。
もう一方は僅かに微笑んで。
その日、契約は成立した。