7.盲点
機械的な温もりが肌を包み、仄かな苦味が身体全体に染み渡った。
テーブルの上にあるのはマグカップ置き用の小皿二枚と、十枚が束ねられた契約書。
茶色ベースの趣のある喫茶店にて。
僕と藤宮はテーブル席についてお互いにマグカップを口につけていた。
「それでさ、私の仕事は?」
藤宮はゆっくりと小皿の上にカフェオレのマグカップを置く。
僕も同じようにして、コーヒーが残り半分のマグカップを置いた。
「ああ、今度から放課後にうちに来て給仕の修行をしてもらう」
「......修行?」
藤宮は僅かに目を丸くする。
「三が日だけじゃないの?」
「三が日にうちの父さんが帰って来るんだ。それに向けてそれなりの修行しとかないとやばいぞ」
「やばいって?」
そこで自分の失言に気づいた。
これは藤宮に関係のない話だ。
「......これは僕の都合の話だ。君が修行しなくても君に害はない」
「なら良かった」
藤宮は胸を撫で下ろし、息をこぼす。
「残念ながら、修行は強制だぞ」
「え」
安堵していたのも束の間。
藤宮が目を見開いて硬直する。
「今藤宮が承諾したばかりじゃないか」
「まさかっ」
焦った声で藤宮はテーブルの隅にある契約書を手に取る。
パラパラとめくっていく。
「三枚目の五行目」
言葉と同時に、藤宮はページを戻す。
開いた口は、塞がっていなかった。
「『藤宮葵は白鷺自宅で修行を行い、三が日に備える。修行内容は白鷺秋夜に聞くこと』......?」
「後補足で五枚目の二行目も」
数枚めくり、藤宮はマジマジとその文を見つめる。
「『白鷺秋夜は藤宮葵のプライベートに侵入することを禁ずる。これは修行内容にも含まれる』......」
「つまり、変なことは頼まないって話だ」
――まあ、仮に僕が危ない内容を藤宮に頼んだ場合、翌日生徒に殺されそうだが。
藤宮はそれでも見開いた目を戻せず。
けれど口だけは閉じた。
「......嵌められたっ」
藤宮は俯き、机の上で拳を握る。
「こればっかりはちゃんと契約書を示さない藤宮が悪い」
バッと、藤宮の顔が上がった。
そこには僅かな希望が見える。
「クーリング・オフを求めたいっ!」
「......藤宮の契約内容、僕は守ったよな?」
自然と視線が細まる。
「うっ」
明記されていないがストーカーはいなくなったし、友達にもなった。
既に藤宮の要望二つも聞いているのにキャンセルというのは、些か面白くない。
「でも、白鷺くんが手を出すって可能性もあるし......」
藤宮は視線をそらしながら小声で言う。
「ちゃんとそこら辺も明記してあっただろ。僕が手を出したら法的機関に突き出せ」
真っ直ぐに、泳いでいる藤宮の目を見つめる。
一瞬、藤宮が僕の目を見て、すぐ逸らす。
だがまた僕の瞳を見た。
遠慮がちに、けれど探るように。
周囲には暖房が動く音と、店主が皿を洗う音のみ。
前方から、ぬるい水のように、僅かに温かい風が顔に当たる。
それが鼻腔をくすぐり、甘い花の香りが鼻をつついた。
ジッと、数秒がたった頃だろうか。
「......わかったよ」
藤宮はため息をこぼし、自身の手元にあるマグカップに視線を落とす。
僕も残り半分のコーヒーを口に含んだ。
「......私からも、一ついい?」
「ん」
コーヒーを二割ほど残して口から離す。
ゴクリと、苦い風味を喉に通した。
「ああ、どうかしたか?」
口に残った苦みが、花の香りと混ざる。
苦み八割、甘み二割。
香水とはまた違う、柔らかな芳香。
藤宮は真っ直ぐに目を見つめて、その言葉を紡いだ。
「明日の夜、家に行くから」
「......え」
思わず、そう言葉をこぼした。