8.登校
翌日、朝。
寒々しい風が吹き渡り、晴れる空には僅かながら薄い雲。
道の地平線の先に輝く太陽は、ほんの僅かに身体を温める。
長いコート、教材の入った重めの鞄を背負っているが、風はかすかに衣服の間を抜ける。
呼吸するたびに、白い息がこぼれた。
コツン、コツンと。
背後から少し硬質な足音が耳に入る。
カツカツと、段々と足音は早くなっていく。
「ん?」
足を止め、振り返る。
見覚えのある制服を纏った一人の女子生徒。
彼女は小さく浮かんだ笑顔でこっちに向かって駆けていた。
「おはよー」
「藤宮?」
疑問が生まれたのも束の間。
藤宮は隣で止まった。
「なんでここにいるんだ?」
ゆっくりと、足を動かすのを再開する。
藤宮も隣に続いた。
「ん? ああ」
藤宮の肩は小さく揺れる。
吐かれる息は頻度が高かった。
「ここ、私の通学路なんだ」
「ここが?」
「そうここが」
確かに、昨日別れた十字路は数分前に通り過ぎている。
けれど、会ったことに驚愕を隠せなかった。
「こんな裏道選ぶなんて珍しい」
「白鷺くんも人のこと言えないよね?」
不思議そうに藤宮は小首を傾げる。
――この道のいくつか隣には大通りがある。
そこを通ればいいだろうに。
と、疑問が生まれていた。
「僕はこっちのほうが落ち着くんだよ」
「私も似たようなもんだよ」
あっけらかんと言う藤宮。
思わず彼女の立場になって考えた。
「......藤宮の場合、目線集めそうだからな」
駅のホームに降り立つ彼女に視線を向ける男の姿がはっきりと脳裏に浮かぶ。
藤宮は控えめに笑いながら首を振った。
「いやいや、流石に大通りじゃそこまで目立たないよ。女優じゃあるまいし」
「それでも、女優だと言われて大半は信じるだろ」
「冗談やめてよー」
「その謙遜は嫌味でいいか?」
「意外と喧嘩っ早いね白鷺くん」
――そのモテのせいで出会った日からずっと視線が痛いというのに。
彼女は気づいているのだろうか。
いや、気づいての発言だろう。
でなければおかしい。
と、そんなことを考えていると、藤宮は笑顔を消す。
呆れ半分、疲労半分でため息をこぼした。
「本当に、モテてる自覚はないんだよ」
「僕、モテるかどうとか言ってないぞ?」
「う......」
「というか昨日、自分でモテてるとか言ってなかったか?」
「......」
わかりやすく、藤宮の視線が僕のいる反対の空に向かう。
彼女の顔から消えていた笑顔も、ほんの僅かに蘇っていた。
「有罪」
寒さ故か、それ以外か。
藤宮は小刻みに身体を震わせながらこっちを見る。
「......執行猶予は?」
「三が日までで」
「ならいっか」
ふう、と藤宮は息を吐き出し、肩から力を抜く。
空に低く浮かぶ太陽がそれを照らした。
ようやく頭の靄が晴れ、昨日の出来事が鮮明に思い出される。
「それで、今日の夜、なんで家に来るんだ?」
――昨日。
藤宮と契約し、家に来ると聞いたその時。
すぐ疑問を口にした。
『なんで家にくるんだ?』と。
だが、その時はもう既に暗くなってきていた。
故に、翌日の昼休みに話すという方針に決めていた。
「それは、まあ予定通り昼に話そうよ。お昼一緒に食べよ」
「......えー」
思わず眉間にシワが寄る。
「流石にあからさますぎない? そんなに嫌?」
「面倒だ」
不服そうに目を細め、藤宮は小首を傾げる。
同種の視線を返しながら、言葉を続けた。
「藤宮、昨日の朝教室に来たときのこと覚えてるか?」
「え?」
きょとんと目を丸くする。
「そりゃまあ。白鷺くんが勉強好きなのが判明した時だし」
「そうじゃない」
「え、勉強好きじゃないの? 朝からやってるのに?」
「それは物による......と、そうじゃなくてだな」
考えようと視線を上に向ける。
話が逸れてるのに気づき、顔を下げて軽く左右に首を振った。
「視線めちゃくちゃ集まっただろ。人の少ない時間だったのに」
「あー」
藤宮が声を上げながら、控えめに空を見上げる。
一度、藤宮は虚空を見つめながら頷いた。
「うん、確かに場所変えたほうが良いかもね」
「屋上とかどうだ?」
「え」
一瞬、藤宮が僕の顔を見て固まる。
瞬きする間に、藤宮はぶんぶんと勢いよく首を振った。
「ほんと、あそこはやめといた方が良いよ。絶対に。告白成功スポットみたいな場所だから」
首を振るのをやめ、隣りにいながらも真っ直ぐに僕の目を見つめる。
確かな熱意が感じられた。
「......そんなにやばい場所なのか?」
グッと、藤宮は一歩僕に近づいた。
「やばいってもんじゃないよ。だってほぼ毎日そこで告白劇場だよ? まともにご飯なんて食べられないって」
「そ、そうか」
一歩藤宮から離れ、頷く。
――正直、そんな場所なら逆に気になるわけだが......。
「だから、空き教室。空き教室にしようよ。三階隅っこの」
「わかった」
未だ勢いが残る藤宮。
空き教室、という言葉に頷いた。
ちょうど十字路で、車が右側から迫る。
足を止め、車が通り過ぎるのを確認する。
一歩踏み出し、ふとその車が来た方向に視線を向けた。
「ん」
見覚えのある制服だった。
「藤宮、ちょっと待て」
右腕を彼女の前に翳す。
藤宮は目を丸くして止まった。
「どうかしたの?」
「学校の生徒だ」
「ここからは僕が先に行くし、藤宮は数十メートル離れて登校してくれ」
「え?」
藤宮は角にある家の外壁からこっそり顔を覗かせる。
その男子生徒の手には携帯が握られていた。
ジッと、彼は手元に集中していた。
藤宮は覗くのをやめ、ジッと僕を見上げる。
僅かに小首を傾げていた。
「なんで一緒にいたらまずいの?」
「昨日のこともあればそりゃあ――」
「私達『友達』だよね?」
藤宮がほんのり笑顔を浮かべる。
キュッと、ほんの少しだけ心臓が締め付けられた。
「そうは言ってもな......」
「これ昨日も話したでしょ。『友達』に関する内容は私の方が優先される。いいね?」
そう言って、藤宮は一歩前に踏み出す。
男子生徒が一瞬顔を上げた。
「ほら何してんの。行こうよ」
くるりと身体を回転させ、藤宮はわざとらしく僕を見て告げる。
それなりの声量で。
「......わかったよ」
そう言葉を吐き出して、僕は彼女について行ったのだった。
・・・・・・
「それじゃ、また後で」
「ああ」
学校につき、玄関の前にて。
藤宮は小さな笑顔とともにその場から離れ、隣の下駄箱置き場に向かった。
僕も自分の下駄箱に足先を向ける。
なぜだか疲労がたまり、思わず息を吐いた。
昨日よりは幾分かマシな、その周囲の視線がチクチクと肌に刺さる中、下駄箱を開く。
普段ならば、ただ内ばきが鎮座しているのみ。
「ん?」
扉が開いた風でひらりと一通の紙が下駄箱から落ちる。
しゃがみ込んで拾い上げる、軽くホコリを払う。
この時代にはあまり見かけない角形封筒が、黒のシールで封をされていた。
前面にはシール、後面は何もなしと、差出人が記されていない。
珍しいこともあるな、と。
そう感想をこぼしながら、シールを剥がし中から一枚の紙を取り出す。
新聞の文字を切って貼り付けており、まるで推理ドラマを彷彿とさせる。
そこには、こう書かれていた。
『今すぐ藤宮葵と縁を切れ。でなければ、貴様に不幸を与えてやろう』
と。