9.冷気
『今すぐ藤宮葵と縁を切れ。でなければ、貴様に不幸を与えてやろう』
地平線からほんのりと覗く太陽に、吹き抜ける風が冷たい寒々しい朝。
新聞の文字を切って貼り付けている、異質感があふれる一枚の紙が下駄箱の中に入っていた。
「......さて」
――どうしたものか。
手紙の内容自体はそこまで驚異ではない。
問題は、今、一つ下駄箱を挟んだ向こうに藤宮がいるということだ。
これを見れば、彼女は何を思うのか。
想像に難くない。
そう思考を続ける最中、視界の隅でチラリと。
校内側の下駄箱の陰から藍色の髪が映る。
即座にポケットに手紙を突っ込み、上履きを地面にぽんと放り投げる。
「ん?」
疑問の声が耳に入るが、気にせず靴を変える。
下駄箱の中に外履きを放り入れた。
「どうかしたの?」
藤宮は僕の隣に立ち、小首を傾げる。
目を閉ざし、深く息を吐いた。
――心は常に冷静に。
そう言い聞かせ、ゆっくりと目を開いて彼女を見返した。
「いや、なんでもない。行こう」
「そう? なら良いんだけど」
一歩、藤宮を通り過ぎて校舎内に向かう。
藤宮も隣に続いた。
登校時はよく話していた藤宮だったが、何故かこの時だけは静かだった。
階段を登り終え、自分の教室の前で立ち止まる。
振り返ると、少し離れたところで藤宮が小さく手を振っていた。
「じゃ、またお昼ね」
「ああ、昼までここに来るなよ」
「ちぇっ。ケチー」
そう不満げな顔で言い残し、藤宮は去っていった。
「......」
教室に入り、荷物をまとめて自分の席に座る。
窓から空に浮かぶ雲を見つめ、思考を巡らす。
──御曹司という肩書が広まってからというもの、ある程度の嫌がらせは受けてきた。
流石に手紙まで渡されるのは久々だが、対処方法は覚えている。
ああいった輩は、標的の嫌がる顔を見たいだけということが多い。
スルーが一番だろう。
無論、他の理由という可能性もあるが、そうだとしてもこれが最も効果を期待できる。
仮にこれで悪化する場合は直に対処する。
これからは少し、忙しくなるだろうしな。
そう思い、僕は授業に身を乗り出したのだった。
・・・・・・
「妙だな」
昼休み。
窓の向こうの冷たい空気とは裏腹に、温かい空き教室で数十分経った頃。
僕は空いた席に座り、窓の外を眺めながら疑問を口にした。
昼休みになってそれなりに時間は経ったが、まだ彼女が教室にこない。
場所を決めたのも、時間を決めたのも藤宮だ。
約束した側が、更に言えば藤宮が遅れる、というのは妙な話。
ふと、今朝の出来事が脳裏に蘇った。
『ほんと、あそこはやめといた方が良いよ。絶対に。告白成功スポットみたいな場所だから』
「......ふむ」
一度、息を吐く。
――可能性がないわけではない。
念の為、見に行ってみるとしよう。
そう思い、僕は弁当箱を手に廊下を出る。
空き教室とは逆に冷えた廊下を歩み始める。
別段、この学校の屋上は生徒が入れるというわけではない。
なんなら校則で禁止されてもいる。
ただ、放課後は業者が行き来するため、鍵は常時空いている。
故に、半分黙認といった形が取られている。
先生方も時折休憩に使っているようだし。
空き教室から屋上は意外と近く、すぐそばの階段を二階上ればたどり着く。
階段に足をかけ、上る。
コツンコツン、と自分の足音だけが鳴り響く。
五階に上り終える頃には、人の気配もしなくなっていた。
屋上へ続く階段の手前には、赤いコーン二つと『立入禁止』と書かれた黄色いテープ。
それを跨って超え、また上る。
コツンコツン、と静寂の中を突き進む。
「―――で―――」
その時、ふと声が僅かに耳に入る。
一瞬足を止め、意識を声の方向に向ける。
二人だろうか。
会話をしていた。
足音を控え、静かに上っていく。
「――だから――」
上り終えても、少しばかり声が途切れていた。
扉についてる窓には顔を出さないよう意識しつつ、扉を背にするように立つ。
意識をその向こうに向け、話し声に耳を立てた。
「――で? どういうつもりなの?」
冷たい声が、扉越しから心を凍てつかせる。
普段からは考えられないような冷え切った、女性の低い声音。
だが、聞き違えるわけもない。
僅かに身を乗り出し、扉の窓から姿を確認する。
吹いている風が、彼女たちの髪を揺らしていた。
藍色の髪はこっちに背を向け、相対する男はひどく狼狽した顔で立っていた。
「な、なんの話をしているのかな?」
上ずった震える低い男子生徒の声。
けれど、取り繕おうとしているのか、歪んだ笑顔を浮かべていた。
一度扉から身を離し、座り込む。
――さて、どうしたものか。
藤宮との約束もあったが、これでは話すことすらできない。
これならまだ放課後に話に行ったほうが――。
「だから」
その時、扉の向こうから鋭い威圧感が肌を刺した。
思わず立ち上がり、こっそりと扉の窓から彼女らを見る。
威圧感の源は男からではない。
「貴方だよね? 白鷺くんに悪口を言ったのは」
彼女は重々しく、口を開いた。