10.裏面
「貴方だよね?白鷺くんに悪口を言ったのは」
冷たい太陽が天高く登る冬の昼間。
普段の温厚な雰囲気からは想像できないほど、極寒を体現したかのような冷え切った声。
寒々しい乾いた風が吹く中、藤宮は重々しく口を開いた。
「なん――」
男が何か話そうとして、その言葉を切った。
単に臆病だったからでも、眼の前に自らが好む女性がいるからでもない。
酷寒の冷気を放つ彼女の視線を、真正面から受け止めたからだった。
まだ出会って二日も経っていない僕でも、彼女から放たれる冷気は異様なものだと感じた。
「私はね、他人の感情をある程度読むことができるの」
男の疑問に、彼女は鋭く細い目で見据えながら答えた。
「え?」
男は顔を歪ませながら笑った。
「だからというかなんというか、今、貴方が何を考えているかぐらいならすぐわかる」
男の顔を見れば明らかだった。
引きつった笑顔の裏に咲く、最早裏とは言えないほど隠せていない動揺、焦燥、困惑。
「なんでこんなことをしたのかは知らない。けど、確かにわかる。白鷺くんを嫉妬したんでしょ」
まるで責め立てるように、追い詰めるように。
彼女はその藍色の眼を冷たく光らせ、男の瞳をまっすぐに見た。
かじかんだ男の指とともにその身体が震えた。
「今朝、彼が靴を履き替えた瞬間に元気がなくなったのにも気付いた」
気づいていたという事実に、かすかに頭が揺れた。
揺れる意識は藤宮への疑問をいくつか上げる。
すぐに人気者だから、と結論が出た。
「そこまで正確に読めるのか......」
彼女たちに聞こえないようポツリと呟く。
再び意識を扉の向こうに集中させた。
ふう、と藤宮は大きくため息を吐いた。
「その様子だと、下駄箱に何か仕込んだのは本当みたいだね」
彼女の言葉に、男は初めて笑顔を消して顔を歪める。
足が一歩引かれた。
「大方、貴方が彼の下駄箱に手紙でも入れたんでしょ。何でも良いけど、例えば『藤宮葵と離れなければ何かする』とか」
また一歩、男は後ずさる。
それでも強がるように、男は弱々しい声で放った。
「そ、そんなことしたっていう証拠はないよね?」
「そうかな?」
確かな事実。
それでも藤宮は強気な姿勢を崩さず、今も尚睨み殺さんばかりに男を見据えていた。
「証拠がなくても、仮にこの噂が出回ったら貴方はどうなるのかな」
藤宮の確かな認知度に、人気度。
普段僕に向けられる視線の量が、彼女のそれを示している。
「うっ」
男の顔は青ざめ、倒れるように地面にへたり込む。
藤宮は瞼を閉じ、大きくため息を吐いた。
「......杉本くんとは良い友人だと思ってたんだけどね」
からりとこぼれた言葉は、乾いた風に乗り宙へと消える。
再び開かれた瞳は、一切揺れ動いていなかった。
「もう、話しかけてこないでくれるかな。顔も合わせたくない」
そうまっすぐに言い放ち、彼女は踵を返す。
ほんの一瞬、その場の異様な空気と集中力が判断を鈍らせた。
「ん?」
へたり込む男と、視線があった。
「やば」
咄嗟に顔を窓から外し、足に思い切り力を込める。
解放された足は、扉から離れ静かに、されど急いで階段を駆け下りる。
階段から見えない壁に隠れ数瞬で深呼吸をし、屋上に続く階段を横切った。
「何してるの?」
階段の上方向から冷気のこもった声が響く。
わかりやすく小首を傾げ、階段の上で留まる彼女を見た。
「何って?」
スッと彼女の眼が細まり、鋭い視線が肌を刺す。
「見てたの?」
「何の話だ?」
その声には、先程とは違って冷たい熱がこもっていた。
「じゃあ、貴方はなんでここにいるの?」
「少し野暮用があったんだ。今はたまたまここを通っただけ」
僅かに微笑みを覗かせながら、軽快さを意識しながら告げる。
「用事、ね」
瞳にこもる威圧感が更に勢いを増し、身体に圧迫感を与えた。
嘘じゃない。
彼女がどこにいるのか探すという用事があったのだから。
「どんな用事?」
「部活で部品を運ばなければならないからな。たった今終わったところだ」
笑みが優しげに深まっていくのを肌で感じた。
「幽霊部員なのに?」
「な」
思わずにこやかに浮かんでいた笑みが消え、彼女を見返す。
――僕としたことが、下手な嘘だった。
仮に先生に頼まれて、と言ったところで情報の照合をされて気づかれる。
部品を運んだといえば、通じると思っていた。
が、まさか彼女が僕の部活動状況まで知っているとは――。
「幽霊部員だからって、部の用意をしないわけじゃないぞ」
「貴方、未だにちゃんと部活参加してないでしょ」
鋭利に放たれた言葉は、次に言おうとした言葉を消し去った。
「顔すら覚えられているか怪しい貴方に頼むのは、おかしい話だと思うんだよね」
「これでも有名人なんだが?」
「学年で有名人だとしても、部活にいるかどうかは知られてないんじゃないかな?」
次いで開いた口は、喉の奥で何かがつまり引き出せない。
「ま、そこはいいや」
彼女は小さくため息をつき、瞼を閉じる。
その顔にいつものハツラツとした元気さはない。
再び彼女は瞼を開き、力強く僕を見た。
「誰に頼まれたのか教えて。確認してくるから」
「そんなことしなくて良い」
突き詰められた事実に、無意識のうちにため息がこぼれる。
されど、いつものような鬱屈とした気持ちはなかった。
「なんで? やっぱり嘘だから?」
「ああ」
虚をつかれたのか、彼女の鋭い瞳が一瞬緩む。
すぐに、細まった。
「......嘘なんだ」
軽く頭を下げ、藤宮に正面から向き合う。
「ごめん。少し気になったんだ。藤宮がどこまで嘘を見抜けるのか」
「ふ〜ん......」
ジッと、後頭部に視線が刺さっているのが肌で感じられる。
数秒ほど経った頃だろうか。
「ま、いっか。いいよ、頭上げて」
彼女はため息を吐きながら階段を降りる。
僕は頭を上げた。
「それさ、必要あった?」
「ない。ただの興味本位だし」
「え〜」
普段通りの明るさをともした声音に戻る。
けれど、どこか圧迫感が残っていた。
「まさか契約で嘘ついてないよね」
藤宮が階段を降り終え、僕の顔を覗き込むように隣に立つ。
「今のところは多分」
「そこはっきりしといてほしいんだけど」
はあ、と至近距離で疲労を含んだため息を吐く。
藤宮はそのまま三階へと続く階段を降り始める。
僕も続いた。
「ごめんな。疲れさせたろ」
藤宮は不承不承ながら四階にたどり着き、口を開いた。
「ほんと、変に心労かけさせられたよ。屋上の話も聞いてたの?」
「不本意だったけどな」
彼女は考え込むように僅かに俯いた。
「......ふ〜ん、そっか〜」
彼女は唇を尖らせ、一歩距離を取る。
「悪い、聞かない方が良かったな」
「謝らなくていいよ。皆知ってることだし」
三階に降りた頃。
予想外の言葉に思わず隣にいる彼女の瞳を見る。
嘘をついているわけではなさそうだった。
「どういうことだ?」
疑問符を浮かべるとともに、曲がり角を曲がる。
「人気者だとさ、告白とかナンパとか多いの。そんな時はさっきみたく冷たい反応してるんだよ」
知らなかったの、と藤宮は小首を傾げる。
「初耳だ」
「本当に知らなかったんだね」
呆れたような視線が肌に刺さる。
「仕方ないだろ。知らないものは知らないんだ」
「まあそれはいいんだけどさ」
ガラガラと。
空き教室の扉を開いた。
藤宮は教室内に視線を滑らす。
瞬間、彼女は黒板の上に立てかけられている古びた時計を見て焦り始めた。
「って、昼休み後十分しかないじゃんっ! 早く食べよっ!」
「後十分はあったんだぞ。まさか、そんなわけ――」
教室に入り、黒板の上を見る。
彼女の言う通り、昼休み終了の予鈴が鳴るまで残り三分を指していた。
「......急いで食べるか」
「そうじゃなくてっ、私弁当教室に置いてきてるのっ」
「それなら――」
先程まで座っていた机の上に足を向ける。
藤宮も後ろに続いた。
「――ほらこれ」
言いながら、机の上に載せてあるレジ袋を丸ごと藤宮に差し出す。
「え」
藤宮は驚いたように目を開きながら、両手でそれを受け取る。
ガサガサと音を立てながら中を見れば、おにぎりにサンドイッチまで入っていた。
「今日の夜食用だったやつ」
「夜食コンビニで済ませようとしてたのっ?」
――今はそこじゃないだろ。
「それ、昼食用に食べろ」
「そんなっ。悪いよ」
歯切れ悪く、藤宮は言い淀んで袋を僕に手渡そうと差し出す。
「契約の先払いということでどうだ? 給料じゃないが、これくらいの手伝いはするつもりだ」
六枚目の五行目。
僕は元より藤宮にも協力するつもりだった。
「うっ......。でもっ」
「なら僕は今日、夜食でこれを食べよう」
「なら食べますっ」
パッと袋が僕の前から消える。
ビリビリという音のすぐ、藤宮はおにぎりを口にしていた。
先程まで張り詰めていた藤宮の顔が、ほんの僅かに緩んでいた。