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21.飛翔


 階段を上り終え、突き当りを左に曲がって奥の部屋に入る。
 やはり段ボールの山ができていた。

 気にすることなく電気を付けて入れば、藤宮は怪訝そうに山を見つめていた。

「どうかしたのか?」

「これのせいでゴキブリが出たんじゃないの?」

「ちゃんと掃除してるから、月一で」

 言いつつ、一つの段ボール漁る。

「この山を月一で済ませられる貴方に驚きだよ。というか片付けようよ。さっきの言葉撤回しようか?」

 さっきの、というのは御曹司が家事できているという話だろう。

「家事はできてるから」

「掃除とモチベーションは三角で」

 不服極まりない。

 何せ旧友が定期的に段ボールを送ってくるのだから、片付けようにも片付けられない状況だ。

 今度送り返してやろうか。

「にしても、なんでこんな所にガシャポンが?」

「中学の頃よく行ってたんだよ」

「生真面目な白鷺くんが?」

「そういう時期は、誰しもあるもんだ」

 ダンボールを漁っているうちに視界の隅に赤く光る玉が見えた。

「あった」

 ダンボールの隙間から赤く染まった空の玉を取り出す。

「これだけダンボールあって見つかる場所は隙間なんだね」

「うるさいぞ」

 悪態をつきつつ、力を込めて空の玉を開ける。

「ほら、どうやって入れる?」

「どうやって入れようか」

 首を傾げれば、彼女も同様に首を傾げる。

「まさか考えなしに入れ物求めたわけじゃあるまいし、考えはあるよな?」

「虫籠ならやりようはあったけど、流石にこのサイズは考えてないよ」

 淡々と告げる藤宮の言葉に、胸の奥で段々と焦燥感が燻っていた。

「それより、私そろそろ限界なんだよね」

「限界というと?」

「私、別に虫得意じゃないから、今も普通にこれを解き放ちたい」

「やめてくれ。今ここでされるとまた部屋が荒れる」

「これ以上荒れようがなくない?」

「ダンボールの中身が散乱するって話だ」

「ああ、産卵だけに」

「上手くはないぞ」

 ゴキブリを潰して産卵されるのと段ボールの散乱をかけているつもりだろう。
 が、面白くもないブラックジョークだ。

「もう窓開けて解き放つのでも良いかなって思ってるんだよね」

 言いながら、藤宮視線を段ボールから覗く窓に視線を向ける。

「家の近くで放ったら増殖して帰ってきそうだから嫌だな」

「殺すにしても難しくない? 卵持ってるみたいだし」

「やめろ現実を教えてくるな」

「そうは言っても......」

 困ったように首を傾げる藤宮を他所に、ガシャポン片手に立ち上がる。

「まあ、それの処置は下にいる高杉さんと一緒に考えよう」

 高杉さんは元一級執事だし、ゴキブリの対処法についてもよく知っているだろう。

 階段を降り、扉を開けば小説を読み込む高杉さんがいた。

「高杉さん」

「え、はい」

 余程小説に没頭していたのか声で僕の存在に気づき、焦ってしおりを挟んでパタンと本を閉じる。

 平静を取り戻しつつ、丁寧な所作で立ち上がった。

「どうかなさいましたか?」

 親指で藤宮の手元を指さしながら口を開いた。

「ゴキブリを捕まえたときの対処方法を教えてくれ」

 淡々と告げれば、リビングの空気が固まったかのように静まり返る。
 数秒経って、口火を切ったのは若干顔を青くした高杉さんだった。

「いえ、あの秋夜様」

「どうした?」

 珍しく主様呼びしない高杉さんに疑問符が浮かぶ。
 顔を青くしてるのもらしくなかった。

「大変申し上げにくいのですが」

「ああ」

 いつも以上に固まっている口調に、リビングが緊張感で包まれる。

「私、虫あまり得意じゃないです」

 衝撃の事実に、藤宮も僕も口を開いて固まる。
 高杉さんは恥ずかしそうに身体を縮ませ、俯いていた。

「え、あの何でもできそうな高杉さんが?」

 藤宮が至極ごもっともな疑問を口にする。

「ええ、お恥ずかしながら」

 続いて、僕が疑問を口にした。

「一級試験の時はどうしてたんだ?」

 一級と言えば家事も仕事も趣味も含まれている圧倒的高レベル。
 一級の試験官もかなり厳しく精査していると耳にしたことがある。

 虫をさわれないなど一級からすれば言語道断だろう。

「白鷺一家のことで頭いっぱいにしておりました」

「それで良いのか試験官っ」

 思わず拳を握って歯を食いしばる。

 頭をいっぱいにする程度で乗り切れる試験を用意した一級の試験官に一言言ってやりたかった。

「......そもそも試験官って誰だったんだ?」

 試験内容はその時の試験官数人で決めると決まっている。
 もしかしたらたまたま虫が苦手な人が担当していたのかもしれない。

「五人ですね。冬夜様もいました」

 父さん、とまた思わず叫びたくなった。
 まさか身内が遠回しとは言え贔屓していたとは考えたくもない。

「流石に贔屓はありませんでしたが、虫に関する内容は例年より少なかったそうです」

「その代わりに多かったのは?」

「想いやり、道徳心みたいなものでした」

 少し意外な単語に、僅かに目を見開く。
 少なくとも、父さんが考えつくとは思えなかった。

「その試験の内容は誰が?」

「その場にいた試験官の中で最も考えつきそうなのは、藤宮さんでしょうか」

「藤宮?」

 視線を隣にいる藤宮に向ければ、きょとんと首を傾げている。

「私の親戚でもそんなことやってる人って、聞いたことないよ」

 知り合いではないということだろうか。

「やっぱり藤宮って名字はそれなりにいるんだな」

「少なくとも白鷺って名字よりはいる自信あるよ」

「なんで君が自慢げなんだ」

 胸を張る藤宮に思わずため息をつく。
 そこで、ようやく話が逸れていることに気付いた。

「それで、ゴキブリの対処方法は知らないんだったな?」

 視線を高杉さんに戻し問いかければ、恥ずかしそうに俯く。
 
「お恥ずかしながら」

「そうか」

 顎に手をやり、思考を巡らす。
 やがて、数十秒して口を開いた。

「仕方ない。外に解き放つか」

 僕の言葉に、藤宮が目を丸くする。

「え、でも」
 
「近くの公園で」

「......それ、近所の人達が被害遭うんじゃ」

「それに関してはお祈りだな」

 どうしようもないと肩をすくめれば、藤宮は首を傾げた。

「というか、ここらへん公園あったっけ?」

「徒歩数十分圏内にはあるぞ。近くにコンビニもある」

 時折スーパーの帰りでコンビニに寄るが、肉まんやコロッケ。
 更に温かい飲み物は完備されている。

 コンビニと考えれば当然ではあるが、他店舗と比べると味も良い。
 僕としても夏場は重宝していた。

「まあ公園で解き放つのは良いんだけどさ。私この格好のまま出るのやだよ?」

 藤宮の格好は寝る前だからか既に寝巻きに着替えられている。
 気温一桁の外を出歩くには寒々しいと言えた。

「そりゃ上に着れば良い話――」

 とそこまで言って、現在藤宮は両手が手放せない状況だと気付いた。
 コートにせよ上着にせよ袖は通せない。

「――上に羽織っていくだけじゃ駄目か?」

「いや駄目に決まってるでしょ。どんだけ寒いと思ってんの」

 あり得ない、と首を振る彼女に、一つの策が脳裏に浮かんだ。

「帰りにアイスでも買ってやるぞ」

「なっ」

 アイス、という単語にわかりやすく藤宮の身体が揺れる。

「こ、こんな寒い中アイスは邪道でしょっ」

 言いながら、そっぽを向いた。

「確かに。なら、プリンアラモードでも買ってくか」

 そっぽを向いたまま再び藤宮の身体が揺れる。

「いや、アラモードだけじゃ物足りないか。ついでに甘い飲み物でも」

「行くっ」

 藤宮は目を輝かせながら勢いよく振り向く。
 その何とも子供らしい姿にそっと微笑み、自然と心の紐が緩んだ。

「今日はもう遅いし、三人分買って帰ろう」

「やったっ」

 飛び上がり、藤宮は両手を広げて喜びをあらわにする。

 奴も歓喜でもするかのように飛び上がった。


「「「あ」」」


 三人同時に声を上げ、その飛び回る茶色い物体に視線を向け、硬直する。

 空気が固まる中奴は優雅に空を泳ぎ、やがてキッチンへと向かった。

 その背が見えなくなるまで見届け、藤宮に目を向ける。
 ぎこちない笑顔が浮かんでいた。

「ふ、不慮の」

「事故だろ。わかってる」

 顔を青くする彼女に責めないよう優しく声をかければ、笑顔が固まる。

「ただ、おやつは禁止な」

 何を思ったのか、廊下へ続く扉へと足を向ける。

 十秒もしないうちに再び扉が開かれ、殺意が宿るその手には包丁が握られていた。

「許さない......」

 ――自業自得なような気もするが。
 頼んだ側だし責める権限もないか。

 と藤宮に向けて歩を刻み、キッチンと藤宮の間に立つ。

「待て待て、殺すつもりじゃないだろうな」

 手で軽く制せば、足を止めながらも一瞬怒気をこめた瞳が僕を射抜く。
 が、すぐにいつもの笑顔に戻った。

「卵の部分だけを切除して、後は叩き潰す」

 発言が怖いです、藤宮さん。

「だとしても、無闇やたらに殺しちゃ駄目だろって」

「そうですよ、葵さん」

 高杉さんも一歩刻み、僕の隣に立って冷静な面持ちを崩さずに口を開く。

「執事の試験ではいついかなる場合でも冷静な判断が必要とされます。一時の激情に身を任せて奴を殺せば――」

「虫嫌いな二人は黙ってて」

 藤宮の言葉に、僕は愚か、流暢に喋っていた高杉さんも黙り込む。

 この場で奴をどうにかできるのは藤宮ただ一人。
 僕達がどれだけ懇願しようと、全て彼女の意思一つで塗り替えられる。

「それと、卵が飛び散らなければ良いんでしょ」

「そうは言ってもな」

 ゴキブリの産卵器官がどこにあるのかは興味もないし知りたくもないが。
 そこだけを切り取るというのは至難の技であることは確か。

 それこそ、その道のプロでもないと難しいと考えられた。

「なら任せて」

「任せる要素がどこにある。せめて説明を――」

「あ」

 声を上げ、藤宮は僕の後方にある上空を見上げる。
 嫌な汗が背中を伝った。

 ゆっくりと振り向き、その自分に飛びかかってくる個体を見やる。

 もうやるしかないのか、と半ば自暴自棄に脳を真白にする。
 再び意識を取り戻し、拳を握った。

「えいっ」

 先ほどの能天気な声とは違い威圧感のある声と共に、耳元で風が切った。
 瞬きする間に後方から伸びた包丁が腕ごと振り下ろされる。

 直後、破裂する音が辺りを木霊する。
 足に液体のようなものが付着する感覚が僕を襲った。

「あ......」

 視線をおろし、眼下で広がる無惨な光景に開いた口が塞がらなかった。

「これで良いでしょ?」

 ムスッとした声が耳に入るも、言葉は処理されることなく脳内を死骸が埋め尽くしていく。

 脳内で大量の奴らが襲いかかってきたあたりで藤宮に肩を叩かれる。
 僅かに震えながら藤宮に視線を向けた。

「......断じて、良くないんだが」

「卵持ってなかったし、大丈夫そうだったよ」

「あれ、持ってませんでした?」

 隣で高杉さんが冷静を装った声で返す。

「正確には、卵のような何かを持っていた、かな」

 言いながら、藤宮はしゃがみ込み手に持っている包丁で死骸をどかす。

 四肢を横にずらしたところで白い球が見え、それを包丁ですくい僕らに示し出した。

「ほら、何かお腹にくっついてたみたい」

 身を乗り出しその球体を覗けば、確かに白い球が糸を引いていた。

「ビーズか?」

「さあ。この家にそんなものがあるならそうかもしれないけど」

 藤宮の言葉に、首をひねる。
 我が家に昔からそんな洒落た物はなく、仮にあったとしても既に処分しているだろう。

「なら、外で拾ってきたか?」

 身体を起こし、藤宮の顔を覗けば若干濁っていた。

「多分そうだろうね」

 見せつけるのは終わったのか、キッチンに向かい蛇口をひねって包丁を洗う。
 その姿を見て、僕は食卓の椅子に座りそっと息を吐いた。

「悪い。手を汚させた」

「別に気にしてないよ。この包丁は今後使いたくないけど」

「同感だ」

 安心感のせいか、自然と頬が緩む。
 隣に立つ高杉さんに向けて微笑み、口を開いた。

「こればかりは藤宮に感謝だな」

「ですね」

 高杉さんも優しく微笑み、藤宮に視線を向ける。

「これを機にある程度虫は克服してほしいけど」

 唇を尖らせ小さな棘が僕を刺すが、先日耳に入った噂を思い出して苦笑に変わった。

「天下の女神様に救われるなんて、そうそうないからな」

 直後、鋭い殺意が身体を刺し、藤宮の顔を見て笑顔が引きつる。

「......どこで聞いたの?」

 今にも刺殺してきそうなその視線にこらえ、言葉を選んで紡ぐ。

「学校で耳に入ってきたんだ」

 ちょうど今日、杉本との対峙の後『女神様に守られて羨ましい』という言葉を耳にした。

 彼女にもそんなあだ名があるんだな、と当初は少し感心すらした。
 が、そんなものかとすぐに思考を放棄していた。

 しばらく視線のナイフが首筋に当てられ、自然と身体が固まる。
 藤宮が大きくため息をついた頃に、殺意は消えていた。

「まあいいや。次その呼び方したら怒るからね」

「わかった」

 止んだ殺意にほっと胸を撫で下ろし、ふと視線を下ろす。
 しゃがみ込む高杉さんが視界に入った。

「何してるんだ?」

「今のうちにゴキブリを見慣れておこうかと」

「......その努力の心は称賛するよ」
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 階段を上り終え、突き当りを左に曲がって奥の部屋に入る。
 やはり段ボールの山ができていた。

 気にすることなく電気を付けて入れば、藤宮は怪訝そうに山を見つめていた。

「どうかしたのか?」

「これのせいでゴキブリが出たんじゃないの?」

「ちゃんと掃除してるから、月一で」

 言いつつ、一つの段ボール漁る。

「この山を月一で済ませられる貴方に驚きだよ。というか片付けようよ。さっきの言葉撤回しようか?」

 さっきの、というのは御曹司が家事できているという話だろう。

「家事はできてるから」

「掃除とモチベーションは三角で」

 不服極まりない。

 何せ旧友が定期的に段ボールを送ってくるのだから、片付けようにも片付けられない状況だ。

 今度送り返してやろうか。

「にしても、なんでこんな所にガシャポンが?」

「中学の頃よく行ってたんだよ」

「生真面目な白鷺くんが?」

「そういう時期は、誰しもあるもんだ」

 ダンボールを漁っているうちに視界の隅に赤く光る玉が見えた。

「あった」

 ダンボールの隙間から赤く染まった空の玉を取り出す。

「これだけダンボールあって見つかる場所は隙間なんだね」

「うるさいぞ」

 悪態をつきつつ、力を込めて空の玉を開ける。

「ほら、どうやって入れる?」

「どうやって入れようか」

 首を傾げれば、彼女も同様に首を傾げる。

「まさか考えなしに入れ物求めたわけじゃあるまいし、考えはあるよな?」

「虫籠ならやりようはあったけど、流石にこのサイズは考えてないよ」

 淡々と告げる藤宮の言葉に、胸の奥で段々と焦燥感が燻っていた。

「それより、私そろそろ限界なんだよね」

「限界というと?」

「私、別に虫得意じゃないから、今も普通にこれを解き放ちたい」

「やめてくれ。今ここでされるとまた部屋が荒れる」

「これ以上荒れようがなくない?」

「ダンボールの中身が散乱するって話だ」

「ああ、産卵だけに」

「上手くはないぞ」

 ゴキブリを潰して産卵されるのと段ボールの散乱をかけているつもりだろう。
 が、面白くもないブラックジョークだ。

「もう窓開けて解き放つのでも良いかなって思ってるんだよね」

 言いながら、藤宮視線を段ボールから覗く窓に視線を向ける。

「家の近くで放ったら増殖して帰ってきそうだから嫌だな」

「殺すにしても難しくない? 卵持ってるみたいだし」

「やめろ現実を教えてくるな」

「そうは言っても......」

 困ったように首を傾げる藤宮を他所に、ガシャポン片手に立ち上がる。

「まあ、それの処置は下にいる高杉さんと一緒に考えよう」

 高杉さんは元一級執事だし、ゴキブリの対処法についてもよく知っているだろう。

 階段を降り、扉を開けば小説を読み込む高杉さんがいた。

「高杉さん」

「え、はい」

 余程小説に没頭していたのか声で僕の存在に気づき、焦ってしおりを挟んでパタンと本を閉じる。

 平静を取り戻しつつ、丁寧な所作で立ち上がった。

「どうかなさいましたか?」

 親指で藤宮の手元を指さしながら口を開いた。

「ゴキブリを捕まえたときの対処方法を教えてくれ」

 淡々と告げれば、リビングの空気が固まったかのように静まり返る。
 数秒経って、口火を切ったのは若干顔を青くした高杉さんだった。

「いえ、あの秋夜様」

「どうした?」

 珍しく主様呼びしない高杉さんに疑問符が浮かぶ。
 顔を青くしてるのもらしくなかった。

「大変申し上げにくいのですが」

「ああ」

 いつも以上に固まっている口調に、リビングが緊張感で包まれる。

「私、虫あまり得意じゃないです」

 衝撃の事実に、藤宮も僕も口を開いて固まる。
 高杉さんは恥ずかしそうに身体を縮ませ、俯いていた。

「え、あの何でもできそうな高杉さんが?」

 藤宮が至極ごもっともな疑問を口にする。

「ええ、お恥ずかしながら」

 続いて、僕が疑問を口にした。

「一級試験の時はどうしてたんだ?」

 一級と言えば家事も仕事も趣味も含まれている圧倒的高レベル。
 一級の試験官もかなり厳しく精査していると耳にしたことがある。

 虫をさわれないなど一級からすれば言語道断だろう。

「白鷺一家のことで頭いっぱいにしておりました」

「それで良いのか試験官っ」

 思わず拳を握って歯を食いしばる。

 頭をいっぱいにする程度で乗り切れる試験を用意した一級の試験官に一言言ってやりたかった。

「......そもそも試験官って誰だったんだ?」

 試験内容はその時の試験官数人で決めると決まっている。
 もしかしたらたまたま虫が苦手な人が担当していたのかもしれない。

「五人ですね。冬夜様もいました」

 父さん、とまた思わず叫びたくなった。
 まさか身内が遠回しとは言え贔屓していたとは考えたくもない。

「流石に贔屓はありませんでしたが、虫に関する内容は例年より少なかったそうです」

「その代わりに多かったのは?」

「想いやり、道徳心みたいなものでした」

 少し意外な単語に、僅かに目を見開く。
 少なくとも、父さんが考えつくとは思えなかった。

「その試験の内容は誰が?」

「その場にいた試験官の中で最も考えつきそうなのは、藤宮さんでしょうか」

「藤宮?」

 視線を隣にいる藤宮に向ければ、きょとんと首を傾げている。

「私の親戚でもそんなことやってる人って、聞いたことないよ」

 知り合いではないということだろうか。

「やっぱり藤宮って名字はそれなりにいるんだな」

「少なくとも白鷺って名字よりはいる自信あるよ」

「なんで君が自慢げなんだ」

 胸を張る藤宮に思わずため息をつく。
 そこで、ようやく話が逸れていることに気付いた。

「それで、ゴキブリの対処方法は知らないんだったな?」

 視線を高杉さんに戻し問いかければ、恥ずかしそうに俯く。
 
「お恥ずかしながら」

「そうか」

 顎に手をやり、思考を巡らす。
 やがて、数十秒して口を開いた。

「仕方ない。外に解き放つか」

 僕の言葉に、藤宮が目を丸くする。

「え、でも」
 
「近くの公園で」

「......それ、近所の人達が被害遭うんじゃ」

「それに関してはお祈りだな」

 どうしようもないと肩をすくめれば、藤宮は首を傾げた。

「というか、ここらへん公園あったっけ?」

「徒歩数十分圏内にはあるぞ。近くにコンビニもある」

 時折スーパーの帰りでコンビニに寄るが、肉まんやコロッケ。
 更に温かい飲み物は完備されている。

 コンビニと考えれば当然ではあるが、他店舗と比べると味も良い。
 僕としても夏場は重宝していた。

「まあ公園で解き放つのは良いんだけどさ。私この格好のまま出るのやだよ?」

 藤宮の格好は寝る前だからか既に寝巻きに着替えられている。
 気温一桁の外を出歩くには寒々しいと言えた。

「そりゃ上に着れば良い話――」

 とそこまで言って、現在藤宮は両手が手放せない状況だと気付いた。
 コートにせよ上着にせよ袖は通せない。

「――上に羽織っていくだけじゃ駄目か?」

「いや駄目に決まってるでしょ。どんだけ寒いと思ってんの」

 あり得ない、と首を振る彼女に、一つの策が脳裏に浮かんだ。

「帰りにアイスでも買ってやるぞ」

「なっ」

 アイス、という単語にわかりやすく藤宮の身体が揺れる。

「こ、こんな寒い中アイスは邪道でしょっ」

 言いながら、そっぽを向いた。

「確かに。なら、プリンアラモードでも買ってくか」

 そっぽを向いたまま再び藤宮の身体が揺れる。

「いや、アラモードだけじゃ物足りないか。ついでに甘い飲み物でも」

「行くっ」

 藤宮は目を輝かせながら勢いよく振り向く。
 その何とも子供らしい姿にそっと微笑み、自然と心の紐が緩んだ。

「今日はもう遅いし、三人分買って帰ろう」

「やったっ」

 飛び上がり、藤宮は両手を広げて喜びをあらわにする。

 奴も歓喜でもするかのように飛び上がった。


「「「あ」」」


 三人同時に声を上げ、その飛び回る茶色い物体に視線を向け、硬直する。

 空気が固まる中奴は優雅に空を泳ぎ、やがてキッチンへと向かった。

 その背が見えなくなるまで見届け、藤宮に目を向ける。
 ぎこちない笑顔が浮かんでいた。

「ふ、不慮の」

「事故だろ。わかってる」

 顔を青くする彼女に責めないよう優しく声をかければ、笑顔が固まる。

「ただ、おやつは禁止な」

 何を思ったのか、廊下へ続く扉へと足を向ける。

 十秒もしないうちに再び扉が開かれ、殺意が宿るその手には包丁が握られていた。

「許さない......」

 ――自業自得なような気もするが。
 頼んだ側だし責める権限もないか。

 と藤宮に向けて歩を刻み、キッチンと藤宮の間に立つ。

「待て待て、殺すつもりじゃないだろうな」

 手で軽く制せば、足を止めながらも一瞬怒気をこめた瞳が僕を射抜く。
 が、すぐにいつもの笑顔に戻った。

「卵の部分だけを切除して、後は叩き潰す」

 発言が怖いです、藤宮さん。

「だとしても、無闇やたらに殺しちゃ駄目だろって」

「そうですよ、葵さん」

 高杉さんも一歩刻み、僕の隣に立って冷静な面持ちを崩さずに口を開く。

「執事の試験ではいついかなる場合でも冷静な判断が必要とされます。一時の激情に身を任せて奴を殺せば――」

「虫嫌いな二人は黙ってて」

 藤宮の言葉に、僕は愚か、流暢に喋っていた高杉さんも黙り込む。

 この場で奴をどうにかできるのは藤宮ただ一人。
 僕達がどれだけ懇願しようと、全て彼女の意思一つで塗り替えられる。

「それと、卵が飛び散らなければ良いんでしょ」

「そうは言ってもな」

 ゴキブリの産卵器官がどこにあるのかは興味もないし知りたくもないが。
 そこだけを切り取るというのは至難の技であることは確か。

 それこそ、その道のプロでもないと難しいと考えられた。

「なら任せて」

「任せる要素がどこにある。せめて説明を――」

「あ」

 声を上げ、藤宮は僕の後方にある上空を見上げる。
 嫌な汗が背中を伝った。

 ゆっくりと振り向き、その自分に飛びかかってくる個体を見やる。

 もうやるしかないのか、と半ば自暴自棄に脳を真白にする。
 再び意識を取り戻し、拳を握った。

「えいっ」

 先ほどの能天気な声とは違い威圧感のある声と共に、耳元で風が切った。
 瞬きする間に後方から伸びた包丁が腕ごと振り下ろされる。

 直後、破裂する音が辺りを木霊する。
 足に液体のようなものが付着する感覚が僕を襲った。

「あ......」

 視線をおろし、眼下で広がる無惨な光景に開いた口が塞がらなかった。

「これで良いでしょ?」

 ムスッとした声が耳に入るも、言葉は処理されることなく脳内を死骸が埋め尽くしていく。

 脳内で大量の奴らが襲いかかってきたあたりで藤宮に肩を叩かれる。
 僅かに震えながら藤宮に視線を向けた。

「......断じて、良くないんだが」

「卵持ってなかったし、大丈夫そうだったよ」

「あれ、持ってませんでした?」

 隣で高杉さんが冷静を装った声で返す。

「正確には、卵のような何かを持っていた、かな」

 言いながら、藤宮はしゃがみ込み手に持っている包丁で死骸をどかす。

 四肢を横にずらしたところで白い球が見え、それを包丁ですくい僕らに示し出した。

「ほら、何かお腹にくっついてたみたい」

 身を乗り出しその球体を覗けば、確かに白い球が糸を引いていた。

「ビーズか?」

「さあ。この家にそんなものがあるならそうかもしれないけど」

 藤宮の言葉に、首をひねる。
 我が家に昔からそんな洒落た物はなく、仮にあったとしても既に処分しているだろう。

「なら、外で拾ってきたか?」

 身体を起こし、藤宮の顔を覗けば若干濁っていた。

「多分そうだろうね」

 見せつけるのは終わったのか、キッチンに向かい蛇口をひねって包丁を洗う。
 その姿を見て、僕は食卓の椅子に座りそっと息を吐いた。

「悪い。手を汚させた」

「別に気にしてないよ。この包丁は今後使いたくないけど」

「同感だ」

 安心感のせいか、自然と頬が緩む。
 隣に立つ高杉さんに向けて微笑み、口を開いた。

「こればかりは藤宮に感謝だな」

「ですね」

 高杉さんも優しく微笑み、藤宮に視線を向ける。

「これを機にある程度虫は克服してほしいけど」

 唇を尖らせ小さな棘が僕を刺すが、先日耳に入った噂を思い出して苦笑に変わった。

「天下の女神様に救われるなんて、そうそうないからな」

 直後、鋭い殺意が身体を刺し、藤宮の顔を見て笑顔が引きつる。

「......どこで聞いたの?」

 今にも刺殺してきそうなその視線にこらえ、言葉を選んで紡ぐ。

「学校で耳に入ってきたんだ」

 ちょうど今日、杉本との対峙の後『女神様に守られて羨ましい』という言葉を耳にした。

 彼女にもそんなあだ名があるんだな、と当初は少し感心すらした。
 が、そんなものかとすぐに思考を放棄していた。

 しばらく視線のナイフが首筋に当てられ、自然と身体が固まる。
 藤宮が大きくため息をついた頃に、殺意は消えていた。

「まあいいや。次その呼び方したら怒るからね」

「わかった」

 止んだ殺意にほっと胸を撫で下ろし、ふと視線を下ろす。
 しゃがみ込む高杉さんが視界に入った。

「何してるんだ?」

「今のうちにゴキブリを見慣れておこうかと」

「......その努力の心は称賛するよ」
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