22.馴化
翌朝。
眠たげな目をこすり、朝日が差し込むカーテンを開いて日光を全身で浴びる。
ふと視界の隅に電子時計が映る。
時刻は七時を指していた。
「......寝坊した」
普段朝食と弁当の用意で六時には起きるようにしていたが、昨日の疲れだろうか。
ベッドから降り立ち、背伸びをしたところでその違和感に気づいた。
「ん」
首元をさすり、あー、と出せば若干かすれた声が部屋の中を木霊した。
風邪なのだとすれば、昨日の夜に半裸でゴキブリ退治に奔走していたし、それが原因だろう。
昼間の杉本との出来事も含めれば当然の結果だった。
ハンガーにかけられているスラックスに手をかける。
足を通してベルトを閉めた。
真白のシャツに腕を通して一個ずつボタンを止め、上からセーターを被った。
制服と黒いリュック、ネクタイを腕に掛ける。
扉を開けて廊下に出れば、やはり寒々しい空気が目を覚まさせた。
階段を降り、制服から覗く手でゆっくりと開く。
「おはよう」
「あ、白鷺くんおはよう」
声の主に視線を向ける。
彼女はキッチンで制服の上からエプロンをして立っていた。
食卓には丁寧に並べられた二つの目玉焼きが。
「悪い、朝ごはん作ってくれてたのか」
「気にしなくていいよ。昨日は疲れてたんだろうし」
言いながら、菜箸でフライパンに黄色く広がった物体をつつく。
「高杉さんは?」
「今日は早めに出社したいからって先行ったよ。それと、帰りは遅くなるかもって」
「そうか」
腕にかけていたブレザーとネクタイを椅子にかける。
リュックをソファーの側に置いた。
彼女の邪魔にならないようキッチンに入る。
コーヒーポットにお湯を注いでいった。
「コーヒー淹れるけど、何か飲むか?」
「じゃ、たまには私もコーヒー飲もっかな」
「砂糖は?」
「五個で」
「了解」
相変わらず甘党な藤宮にバレないよう苦笑する。
ポットのスイッチを押して彼女に向き直った。
その手元では巻き付いた卵焼きが皿に移されていた。
「何か手伝えるか?」
「手伝ってほしいけど、その前に顔洗ってきなさい」
「はいよ」
言われた通り扉を開き、洗面所にて蛇口をひねる。
冷水が温水になるのを待ち、両手ですくって顔にかける。
淀んでいた意識が呼び覚まされる感覚が僕を襲った。
タオルで顔と手についた水滴を拭い、息を吐いて扉を開く。
「終わったぞ」
「それじゃ、そこにあるやつを弁当に入れてほしいかな」
「わかった」
菜箸でさした方向には、大きめの皿。
その上に彩り豊かな野菜、タコの形をしたウィンナー、そして茹で卵が乗っていた。
水切りかごから二つの弁当箱を取り出す。
もう一セット菜箸を手にとって完成された料理をつまむ。
彼女の作った彩りを無駄にしないよう細心の注意を払う。
弁当に敷き詰めていく。
「なんというか、さ」
ふと声がし、視線を向ければ皿に卵焼きを移し終えた。
藤宮が虚空を見つめながら固まっていた。
「ん?」
「私すっごいこの家に馴染んでるよね」
視線を手元に戻し、せっせと料理を詰め込んでいく。
「そりゃまあ、一週間も住んでたらな」
「逆だよ? 一週間しか経ってないんだよ?」
「にしては料理の腕も上達してるな」
食卓を見れば、色鮮やかな料理。
藤宮は菜箸を僕に向け身を乗り出し、ふふんと鼻を鳴らした。
「でしょ? 頑張ったと思わない? 褒めてよ」
「頑張った頑張った、すごいすごい」
「なんかすごい適当感がするんだけど」
褒めろと言っておきながらなんだ。
「実際、すごいとは思うぞ。料理の腕は日に日に上達してるし、所作もだいぶ洗練されてきた」
高杉さんの教え方が上手なのもあるだろうが、藤宮の努力が大半を占めている。
ただ恥ずかしいからと素直に褒めておかなければ、後々拗ねるだろう。
一瞬黙り込む彼女を横目で見れば、若干耳先が赤く見えた。
「そんなに褒めても、何も出ないよ」
「褒めろって言ったのそっちだよな」
「知ーらなーい」
ぷいっとそっぽを向いて片付けを始める藤宮。
そっと小さな息がこぼれた。
「湧いたコーヒーを出してくれ。手、空いてるんだろ」
「そりゃ良いけど」
若干唇を尖らせながら、藤宮は菜箸を置いて振り向く。
仄かなコーヒーの匂いがキッチン内を埋め尽くす。
マグカップに注がれる音が響いていた。
そんな中、クシュン、と鼻が音を鳴らした。
「風邪?」
注ぎ終え、マグカップを食卓に運びながら藤宮が言い放つ。
「かもな。今日家帰ったらゆっくり寝る」
菜箸を水につけ、手を洗いながら鼻をすする。
藤宮はエプロンを食卓の椅子にかけ、その隣に座った。
「貴方生活リズム悪そうだし、ちゃんと治したほうが良いよ」
「誰かさんのせいである程度は治ったほうなんだよ」
「家に呼んだの貴方では?」
「まあな」
藤宮と関わり始めた当日、ちょうど体調が悪化してきたと改善したところだ。
更に高杉さんと藤宮が泊まり込みをするようになって、本格的に生活リズムを治す羽目になった。
おかげでしたいことができない。
そこまで考えて、その違和感に気づいた。
「......家に来るの提案したのは藤宮じゃないか?」
「バレたか」
指摘すれば眉を若干下げて苦笑を浮かべる。
僕も吊られて苦笑を浮かべながら、蛇口を捻って水を止めた。
「食べるか」
「だね」
タオルで手を拭い、息をついて食卓の椅子に座る。
「いただきます」
「いただきます」
こうして、僕らの一日は始まった。