2.契約
「それで、なんで帰り道に話さないといけないんだ? 学校でも話せたろ」
軽い足取りで隣を歩く彼女に視線を向けることなく、冷たく言い放つ。
彼女は優雅な足取りのままふんと鼻を鳴らし、胸を張った。
「それはね、私がモテるからよ」
「む?」
あまりにも唐突すぎる自信満々な自画自賛に、首を傾げる。
言葉を返さなかったからか、彼女は目を細める。
「......なにその目」
訝しむように僕の顔を覗き込む彼女に、率直な言葉が出た。
「大丈夫か?」
「んなッ?」
最大限の配慮に包まれた言葉は、されど彼女の表情を驚愕に染めた。
聞いたら駄目なことだったか、と心配の視線を向ける。
彼女はその視線に気づくことなく詰め寄るように更に距離を縮めた。
「貴方、もしかして私が誰か知らないのっ?」
やや食い気味に告げる彼女に、疑問符が浮かぶ。
「そう言われても。他クラスの女子を知ってるわけないし」
他クラスの仲の良い同性ならともかく、話もしない女子について知るわけもない。
「男友達の間で話したりは?」
「しない。まず話す友達もいない」
素気なく言い放つ態度が気に食わなかったのか、彼女は眉間にシワを寄せてピンと僕の顔を指差す。
「嘘だ。貴方の周りにはたくさん人がいるじゃん」
「あれは友達、というよりは金目当てだぞ。友達とはいえない」
「捻くれてる」
「そういう人間なんだよ」
情緒が安定しない彼女の言動にそっと息をこぼし、一歩横に動いて距離を取る。
「それで、君は誰なんだ」
横目で隣を歩く彼女を見据える。
彼女は確実に高校生だとわかる胸を張り、自信満々に告げた。
「私の名前は藤宮葵。藤宮に、よく見る葵」
彼女━━藤宮葵は、まっすぐに僕を見た。
「貴方は?」
「知ってるくせに」
「そう言わずにー」
そう言いつつ、僕の頬を触ろうとする彼女の手を制す。
彼女は不服そうに小さく頬を膨らませた。
「白鷺秋夜。白鷺城の白鷺に、秋に夜で秋夜だ」
「知ってる。有名人だもんね」
藤宮に視線を向ければ満足したように微笑み、言葉を続けた。
「お父さんが世界的大企業『白鷺財閥』の社長で、貴方はその息子」
「これ、聞く必要あったか?」
「会話に必要性なんてないでしょ?」
「そんなもんか」
そう告げる彼女は、ニコリと意地悪そうな笑みに変わる。
そっと息を吐き出して、今日の出来事が脳裏に蘇った。
「それで」
眩くいじらしい笑みを浮かべる藤宮は、小首を傾げる。
「君はどういう要件で追いかけ回してたんだ?」
「あ、そうそう。すっかり忘れてた」
藤宮は軽く手を叩いて鳴らし、爽やかな笑みを浮かべ数歩前に出て足を止める。
同様に足を止めて、前で佇む彼女を見やった。
僅かに残った夕日を背が照り輝き、藍色の髪は紅く輝く。
藤宮は振り向いて腕を広げた。
「貴方に頼みたいことがあるの」
やんわりと控えめに、されどはっきりとした口調で放たれる。
間を置くことなく、口を開いた。
「断る」
硬質な声は静寂を突き破り、藤宮から笑顔をさらった。
藤宮は僕に歩み寄り訝しむように瞳を覗き込む。
「なんで聞く前に断るの?」
「理由も何も、面倒くさそうだし」
今日、藤宮に追いかけられる中感じた肌を刺す視線。
彼女の頼みを聞いていては目立つ、という未来が見えきっていた。
「わかった、何も無条件に頼むつもりはないよ。ちゃんと交換条件出すからせめて聞いてよ」
ぷくりと膨らんだ頬とともに放たれる言葉に、大きくため息を吐いた。
「......わかった」
彼女の話を聞く理由は、話の内容に興味があるわけではない。
『交換条件』
その言葉が気になった。
御曹司と言われる僕を、わざわざ動かすほどの交換条件なのか興味を覚えてしまった。
頬の膨らみはしぼみ、彼女は身を引く。
「まず、頼みたいんだけど......貴方、私の友達になってよ」
控えめに告げられた言葉。
されど、答えはすぐに出た。
「断る」
「なんでー」
再度彼女の頬が膨らみ、訝しむ瞳は不満を表にさらけ出す。
「あまり目立ちたくないし」
「なんで。別にいいじゃん、注目されるの」
若干唇が尖る中紡がれたその言葉に、小さくため息がこぼれる。
「君の場合はな。僕の場合、目立つと少し面倒なんだよ」
「え〜、人って承認欲求高いから大丈夫だと思ったんだけど」
「例外で悪かったな」
思わず呆れが瞳にこもり、彼女の顔を見据える。
関われば目立つ、そう思わせるほどに今日の視線の量は異様だった。
「ふ〜ん」
彼女は目を細めて僕を一瞥し、そっと口を開いた。
「貴方も大変なのね」
淡々と、されど情のこもった声音に、心の中に小さな熱が生まれる。
胸の奥で生まれたトゲをそっと吐き出し、抑えきれなかった細まった目は彼女を捉えた。
「それより、交換条件を聞こう」
「んー、条件はね」
ピンと人差し指を僕の顔に向けて指し、僅かに微笑む。
「私が貴方の友人になってあげる」
友人、という言葉が脳内を駆け巡り、思わず身体が固まる。
遅れて理解し、呆れの籠もった視線で藤宮を貫いた。
「それ、僕が得することなくないか?」
「えっ?」
笑みが少し崩れ、首を傾げる。
すぐに彼女は焦ったように手を左右に振った。
「そ、そんなことないよっ!私と仲良くなれば、皆からの視線も変わるよっ!」
「生憎、そういったことは間にあってるしいらない。それに、目立ちたくないって言ったはずだぞ」
ハッとしたように彼女の眼があさっての方向に泳ぎ始める。
モゴモゴと、少しだけ口元を動かしていた。
「じゃあ何したらいいの?勿論だめなことはあるけど......」
弱々しく言う彼女に、白く重たい息がこぼれた。
契約は対等な立場の者がお互いに得するからこそ成り立つもの。
だからこそ、こういった一方的な条件提示はかなりの悪手と言える。
契約を持ち出している側なら尚更。
「そうだな......」
やがて直近の心配事を思い出し、目尻を下げる彼女を横目で見た。
「なら、大晦日から三日まで僕の護衛兼給仕をしてくれ」
放たれた言葉は静寂を突き進み、彼女の顔は固まったまま足を止める。
「えーっと?」
こてんと小首を傾げ、僕は足を止めて彼女に向き直った。
「年末年始の掃除の手伝いとか、家事を手伝ってほしいんだよ」
「それはわかったけど、護衛の方は?」
「これでも御曹司だから、たまに命狙われる。その時に逃げる手助けをしてくれ」
からりと口先から適当な言葉が出る。
きょとんと彼女は目を丸くした。
「え?それだけで良いの?」
「なんだ、妙に自信があるじゃないか」
藤宮はふふふ、と喉を鳴らして不敵に笑った。
「私はこれでも三ヶ月護身術を習っていたからね。犯罪者の扱いには慣れてるよ」
「......そうか」
自信とは裏腹に実績のない言葉に瞳が濁り、素気なく返す。
「ちょっと何疑いの目を向けてるの?」
心を読まないで頂きたい。
「なんでもない。気にしないでくれ」
正直、護衛に関してはどうでも良い。
大事なのは女性が近くにいるということ。
「給料はどれくらいが良い?」
交換条件とは言え、相手を働かせる身。
あくまで仲よさげに見せるためには不満を持たせないのは最低事項。
「給料?普通なくない?対等な取引だし」
「む」
予想外の言葉に、一瞬開いた喉が閉じられる。
「なくても良いなら構わないけど、君はそれで良いのか?」
「良いよ良いよ。同級生から給料もらうとか違和感すごそうだし」
ふるふると手を横に振り、浮かべる笑みに苦いものが混ざる。
「そうか」
そう、あくまで僕らはただの同級生だと、戒めておかなければ。
ほぼないに等しい薄い欲望が、押さえつけられなくなるといった可能性もなくはない。
ブレザーのポケットからメモ用紙と携帯を取り出した。
「これが家の住所。連絡先も交換しておく。話す分には構わないけど、あまり関係ないこと送ってきたら無視するぞ」
「は〜い」
あからさまに残念そうに唇を尖らすが、無視して空を見やる。
既に暗い藍色が紅の空を侵食し始めていた。
「それじゃ、また今度な」
ちょうど曲がり角に来たので、彼女と反対方向に足を向ける。
その時、グッと再び僕の肩を掴まれる感覚があった。
「ちょぅっと待ったぁ。なんか忘れてない?」
気づかれたか、と心の中で小さく舌打ちをする。
「どうかしたか?」
何気ない風に返事をする。
「『どうかしたか?』じゃないでしょ。何こっちの依頼を忘れようとしているのっ」
別に学校で付き添うぐらいなら問題ないか。
少し目立つが、こればかりは契約だし仕方ない。
そう結論付け、深く瞬きをして言葉を紡いだ。
「わかった。それで、なんで君と一緒にいないといけないんだ?」
「それはだって――」
彼女が口を開きかけたその時、背中に鋭利な刃のような何かが突き刺さる。
同時に、藤宮は一瞬僕の後ろを目を見開いて閉口した。
ほんの些細な違和感。
単に何か思い出した、だとか会話が途中で切れたと言い切れる間。
されど、その瞳はどこか怯えるように、ほんの僅かに身体を震わせた。
「だって?」
彼女は避けるように顔をそらし、一歩後ずさる。
「ううん、なんでもない。依頼の理由は後で連絡する」
小さく、僕にだけ聞こえる声量で彼女は言った。
「わかった」
そのまま十字路で足を止め、それに気づいたのか藤宮も遅れて止まり振り返った。
ゆるりと手を軽く開き、前に差し出す。
「どうしたの?」
不安そうに瞳を揺らしていた藤宮は不思議そうに、されど今度はまっすぐ僕の瞳を見つめた。
「契約の証だ」
「契約の証?」
疑問符を浮かべる藤宮に、そっと微笑みかけた。
「白鷺秋夜は藤宮葵の友人となり、藤宮葵は白鷺秋夜の執事となる。異論あるか?」
告げられた言葉は藤宮の目をまん丸く染め、一瞬呆けさせる。
彼女を見据え、数度瞬きした後だった。
「異論なしっ」
手は勢いよく握られ、風が互いの髪を冷たく揺らす。
どこか必死そうな彼女の姿に、自然と笑みがこぼれた。
「契約成立だな」
手の力を緩めれば、彼女も手を緩めて離す。
ふと藤宮に視線を向ければ、ぼーっと僕を見つめていた。
「どうかしたか?」
問いかけたことで意識が戻ったのか、藤宮は身体を揺らした。
「白鷺くん笑うんだね」
彼女の言葉でようやく何に呆けていたのか理解し、思わず口元を覆う。
「......気持ち悪いなら一思いにそう言ってくれ」
「なんでそうなるの。ただ単に意外だったって話」
それはそれで複雑だ、と口から出そうだったが、面倒くさくなりそうだったので声に出せなかった。
「あ、私家こっち」
今一度歩み始めようとしたその時、藤宮はその場から動かず右の方向を指差す。
「そうか。気をつけて帰れよ。もう暗いんだし」
ふと地平線に視線を滑らせれば、冷たく照りつけるそれはだいぶ傾いている。
空も七割近く闇に染まっていた。
藤宮は踵を返し、右手を左右に振る。
「そっちこそね。じゃあね」
「ああ、また後で」
僕も手を振り返し、彼女の姿が見えなくなるまで立ち止まる。
すぐそこの曲がり角を曲がったあたりで腕をおろし、そっと白い息をこぼした。
「......帰るか」
ポツリと呟き、闇に染まりゆくその道を歩み始めた。