1.出会い
『御曹司』という言葉を聞くと、どんな性格を思い浮かべるだろうか。
親に甘えるお坊ちゃん。
庶民を煽るうざいやつ。
いや、僕━━白鷺秋夜が思うに『御曹司』はそんな性格では駄目だ。
『目立たない』
これがこの世の御曹司が取るべき選択である。
『――秋夜』
ふと、視界の閉ざされた暗闇の中。
少し柔らかい声が僕の名を呼び、意識は闇の底から浮かび上がる。
ゆっくりと目を開けば、腕の痺れる感覚と、ほんの僅かに香る机の匂いが鼻を掠めた。
「......ふう」
身体を机にうつ伏せの状態から起こし、片手で口元を抑えながら大きく息を吐き出す。
目元に自然と液体が溜まり、目をこすった。
ふと視線を窓の外にすべらせれば、登校した時はまだ完全に登りきっていなかった太陽も、完全に顔を出している。
「......もうこんな時間か」
下を見れば、枯れた木々が立ち並んでいる。
その間を見慣れた制服を身に着けた数多くの学生が歩いていた。
教室内は既に暖房が効いており、こもった暖かさは先ほどまであった眠気を今一度身体に蘇らせる。
再び大きな欠伸がもれ、授業中の眠気を抑えるために机に伏せようかと考えたその時。
「ねえ君」
寒さで僅かに赤らんだ細い指。
白く透き通るような手が机の上に置かれる。
その手に沿って視線を上にあげ、眠たげな目を開く。
話しかけてきた彼女の深い藍色に染まった眼が視界に入った。
不思議と魅入ってしまい黙っていると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「ねえ」
再度話しかけてくる彼女の顔を見て名前を思い出そうとする。
が、寝起き故か、霞がたった頭に情報は見当たらなかった。
「......む」
言葉を紡ぐことなく、腕を机の上で組んで顔を下げる。
一限目は何だったかと思い出そうとしたその時。
「ねえ、あれ......」
と小さく会話する高めの声が耳に入った。
僅かに腕の枕から顔を上げ、意識を周囲に向ける。
その女子たちに限らず多くの生徒が視線を窓側一番後ろの席に集中させていた。
ジクジクと、胸の奥を何かが小突き、眠気がどこかに飛んでいく。
「あいつ......」
「ああ、あの人が......」
気持ち悪さと同時に異常な量の鋭い視線が肌に刺さり、その方向を見れば何人かの人と目が合う。
ボソボソ、と多くの生徒がジッと彼女を見ていた。
静かに立ち上がり、眠たげな目で扉へと足を向ける。
「え、ちょっと」
焦ったように彼女も僕を追いかけるが、静止の声が耳に入る頃には、既に教室を出ていた。
その足は、保健室に向かっていた。
・・・・・・・・・・
各々が部活に向かうか帰るかする中。
軽く時間を潰した後に鞄を背負う。
窓から覗く太陽を横目に廊下へ出た。
窓から漏れ出る鋭い冷気は眠気でだらけきった身を突き刺す。
それは今日あった出来事を鮮明に脳裏に映し出した。
朝の逃避行の後。
休み時間全てを藍色の髪を持つ女子生徒に追いかけ回され、姿を見つけられては逃げるを繰り返した。
授業後はすぐにトイレに駆け込み。
昼休みはバレないよう人が集まりにくい屋上で昼食を取り。
背後から鋭い視線を感じたらその場から離れる。
一般男子高校生の日常生活ではありえないことばかり。
「......なんでここまで」
吐き出した息は、身体に残る怠けを含んでいて重い。
それでもと心に僅かな気力を宿して、玄関に向けて歩を刻み続ける。
冬も近く、地平線に近づく太陽がこの身を照らす中、玄関を出た。
「む」
玄関を出て、校門へと続く一本道に視線を向けたその時。
予想とは裏腹に、普段より多くの生徒が談笑していた。
部活はないんだろうか、と小さな疑問が浮かぶが、すぐに消える。
帰ろうかと一歩足を踏み出したその時。
俯いた視界に乾いた風が木の葉を運び眼前を通り過ぎた。
足が止まり、その赤く染まった木の葉の行く先を見つめる。
木の葉はどこかに流されるように宙を舞っていく。
その視線は学校の設立者の銅像。
正確には、銅像の前で佇む女性で止まった。
本来であれば、ただ待ち合わせをしているだけの普通の女子生徒。
まるで裏路地にぽつんと咲くガーベラのように。
彼女は夕焼けが照りつける中で花開いていた。
僅かに青みがかった藍色の髪。
未だ幼さの抜けきらない端正な顔つき。
大人びた女性のように長く揃ったまつ毛。
そしてそれらを統合させた周囲を引き付ける存在感。
髪は肩にかからない程度に短く揃えられ。
瞳も髪同様に藍色に染まっている。
俯きがちの彼女の髪を風が緩やかに揺らし、艷やかな藍色の髪は夕焼けに照らされた。
――美少女。
美貌などには疎い僕でもひと目で綺麗だな。
そう感想を浮かべるくらいに、彼女は整っていた。
見惚れたのも一瞬で、脳裏に今日の出来事が映り込みその印象は崩れ去る。
一体彼女のせいでどれだけ逃げたと思ってる。
生まれたほんの僅かな苛立ちを、白い息に混ぜて吐き出した。
何も気にしなくて良い。
そう自分に言い聞かせながら足を進め彼女の横を通り過ぎる。
横を通り過ぎたその時。
俯いていた彼女の顔がハッと上がり、風を切る音が聞こえた。
「ちょぅっと待った」
小さな衝撃が肩に走り、静止の言葉に足を止める。
流石に肩に手を置かれ逃げるわけにも行かず、その事実に諦念を抱いた。
面倒くさい、と心の中で苦言をこぼしつつ、彼女に振り向いた。
「どうかしたか」
肩に置かれていた手は離され、眼を細めて彼女の瞳を見つめる。
「ようやく返事してくれた」
真っ直ぐに見つめれば、彼女は朗らかに笑みを浮かべた。
穢れを知らない純粋な瞳、抑揚のある明るい声音、控えめながらいじらしい笑顔。
唯一の欠点は、人が自ら離れていっているのに追いかけるその豪胆さだろう。
「......っ」
理由を聞こうと口を開いた瞬間、全身に鋭利な何かが刺さる。
ふと周囲に意識を向けたその時、乾いた空気が涼やかに揺れ彼女が一歩踏み出す。
肩から手を離して僕の隣に立った。
「用事に関しては、帰りながら話そっかな」
彼女はそのまま通り過ぎ、校門へと向かう。
呆気に取られていると、彼女は眉間に皺を寄せて振り向いた。
「ほら、なにしてるの。早く行くよ」
何とも言えないムッとした威圧感に、なぜか拒否の言葉は消えていた。
「わかった」
半ば強制的に一緒に帰ることとなった。