15.目標
「結果、午後のパフェが非常に美味しくなるのです」
「な、なるほど......それならポン酢を選ぶのも仕方ない」
瞼を閉じ、ズズズ、と昨日残った味噌汁を啜る。
ふう、と口に籠った熱を吐き出し、目を開いて姿勢よく前に座る二人に目をやった。
「話は終わったのか?」
「白鷺くんは参加しなくてもよかったの? 塩こしょうだけど」
「主様が参加していれば議論は更に白熱していたでしょうね。塩こしょうですが」
「塩こしょうに文句でもあるのか」
「別に」
「別に」
そっぽを向く二人に目を細めて視線を向けるも、瞼を閉ざしたまま優雅にコーヒーを飲み続ける。
葵が何かに気づいたように口元から離し、マグカップをチラリと見る。
ふうと息を吐いて机の上にそれを戻した。
「それで、何の話だっけ?」
藤宮は食事の手を止め、彼女から見て左上にあるシャンデリアに視線を向ける。
「まだ思い出そうとしてるのか」
「だって、忘れたなら思い出そうとするのが普通じゃない?」
「僕なら忘れる程度のことかって放っておくけどな」
塩こしょうがついた白身部分を切り取り口に運ぶ。
続いて白ごはんを口に含めば、ほんのりとした辛さが舌を包んだ。
「なーんか白鷺くんの思い通りになっている気がするんだよな〜」
「気のせいだろ」
瞼を閉じながら、最後に割れていない黄身の塊を丁重に含む。
歯を通せば、とろりとあふれた黄身が口の中を潤す。
目を開けば、ジーッと目を細めて怪訝そうに僕の顔を見る藤宮の姿が映った。
「どうかしたか?」
「絶対何か隠してるでしょ」
「さて、何のことだ?」
ご馳走様、と食器を手に立ち上がれば、彼女は小さくため息をついた。
「まあ、今回はいいけどさ」
拗ねたようにそっぽを向いてご飯を口に運んでいく。
反対に僕はシンクから水を出し、使った食器をすすいでいく。
その様子を見てか、高杉さんは味噌汁を飲み終え息を吐いた後、口を開いた。
「そういえば、主様。葵さんに正確な目標は伝えましたか?」
突然の質問に思わず一瞬目を見開き声の主に視線を向けるも、高杉さんは素知らぬ雰囲気で食事を進めているだけだった。
彼女も僕の動揺には気づいていない。
視線を手元に戻し、スポンジに洗剤をつけてゴシゴシと食器を拭っていく。
「勿論だ」
食器を水切りカゴにしまい終え、冷えていく指先をお湯で温めていく。
「人数も?」
その言葉にハッとしたように、藤宮が顔を上げた。
「それだっ!」
思わず大きくため息をつき、高杉さんに目を向ける。
やはり素知らぬ顔で食事をしているだけだった。
藤宮はご馳走様でした、と食器を持って隣に立つ。
タオルで濡れた手を拭い、場所を譲れば手慣れた手つきで皿を洗っていく。
「白鷺くん、なんで準一級より下の人数は教えてくれないの?」
視線を落としながら藤宮は若干不機嫌そうに告げる。
その隣でタオルを持って待機していれば、濡れた皿が運ばれてきた。
できる限りの水滴を拭きながら水切りかごに置いていく。
「教える必要がないと感じたからな」
「一級は教えたのに?」
手渡される皿に僅かな力が込められており、彼女に視線を向ければ不服そうに目を細めていた。
「一級は特別だ。人数も少ないし」
取り合うことなく皿を緩やかに奪い取り、拭く。
「じゃあ準一級より下は人数が多いの?」
「......さあ」
沈黙を貫き、皿洗いを終えた僕はキッチンを離れて食卓の椅子に座りコーヒーを啜る。
続くように、彼女が目の前に座った。
瞼を閉じているというのに、鋭い視線が顔をチクチクと突き刺していた。
「別に、白鷺くんが教えてくれなくても高杉さんに聞くつもりだけど」
責め立てるように紡がれたその言葉にため息をつき瞼を開く。
彼女の瞳は細待っていて疑念が籠もっていた。
「......やる気をなくさないならいいぞ」
「勿論っ」
意気揚々と放たれた言葉に一瞬訝しむ視線を向けて、言葉を続けた。
「まず、三級は三万人で、準二級は一万人。二級は五千人」
なだれ込んでくると同時に口の中に広がる苦みを噛み締め、再び口を開こうとして気づく。
段々と青くなっていく彼女の表情を見て、一度言葉を切った。
「準一級は言わない方が良いか?」
くるりとマグカップを回し問いかければ、藤宮はふるふると首を振った。
「......ううん、言って。今のうちに教えてもらっておいたほうが覚悟も固まるからっ......」
最早やけ気味の彼女の前に手を翳し、五本の指を見せつける。
数回の瞬きの後に、藤宮は口を開いた。
「あ、五千人?」
「五百人だ」
顔色が戻ったのも束の間、言葉を聞くと同時に彼女は机に突っ伏した。
「狭き門っ......!」
「だな」
あまり見ないほうが良いと判断した僕は視界をシャットアウトし、取り乱す彼女から視線を外す。
代わりに口元にマグカップを運んだ。
「......ちなみに受けた人の何パーセントが受かってるの?」
コーヒーを口に近づけたまま目を開けば、僅かに顔を上げ縋るような視線を向ける彼女の姿があった。
「準一級は7%。ついでに、一級は0.01%だな」
ポツリと事務的に告げれば、青く染まっていた顔が今度は小刻みに震え始める。
「それ、国内の話だよね......?」
「残念ながら世界単位の話だ」
まるで雷鎚が落ちたかのように藤宮の身体が跳ね、彼女の瞳から完全に光が消え失せた。
「低くない?」
「だから言わなかったんだよ」
受験料も無料なため、当然の如く受ける人も多い。
近年は減ってきていたが、特に専業主婦が大半を占めているのが現状。
そんな家事を専門としている人たちでも、執事三級を得るのは難しいと言われている。
「まあ安心してくれ。言ってなかったけど高杉さんは元一級だし、執事の心得に関して彼女の右に出るものはそういない」
「え、一級?」
再び僅かに光を灯した藤宮は顔を上げ、高杉さんの顔を横目でジッと見た。
信じられない様子、と言うよりはどこか品定めする目に近い。
「高杉さんは準一級までどれくらいかかったの?」
一度箸を止め、目玉焼きを飲み込んでから口を開く。
「私が初めて受験・合格したのは大学卒業後すぐでした」
マグカップを机の上に戻し、硬く言葉を紡いだ。
「準一級は冬夜様......坊ちゃまのお父様に雇っていただいた後なので、二十五歳頃でしょうか。修行期間はおよそ三年ですね」
「これが世界で一番早いぞ。しかも全て一発合格だしな」
「冬夜様の指導が素晴らしかったので」
色々な業界を知っている僕も、執事業に関してはあまり詳しくはない。
せいぜいが基礎知識。
だが、父さんは雇った高杉さんを準一級、更には一級まで育て上げ、その名を業界の中ではあるが世に知らしめた。
彼女の合格の早さは、それこそ右に出るものはいない。
「つまり私に世界記録を更新しろと?」
「ああ、安心してくれ。藤宮葵の名前が世界に轟かないよう注意は払っておくから」
「白鷺くんじゃないんだから、そこは気にしてない」
冗談じゃない、とでも言うように彼女の鋭い視線が僕を射抜く。
素知らぬ顔でコーヒーをすすれば、諦めたような大きなため息が耳に入った。
「まあ、やるしかないよね......」
「じゃないと違約料金払ってもらうことになるしな」
「え」
冷たく告げれば、彼女が目を丸くして僕を見た。
「そんなのあったっけ?」
「面倒くさいって言って内容見ずにサインするからそうなるんだよ」
小さくため息をつき、首をふる。
藤宮の将来に不安を感じた。
「ちなみにいくら?」
「百万」
予想以上だったのか、藤宮は一瞬言葉を失った。
若干唇を震わせながら言葉を紡がせる。
「......ドル?」
「なんでわざわざ米ドルにするんだ。円だよ」
「高くない?」
「ドルにしろ円にしろ高いだろうに」
呆れのこもった息が、重たく口から落ちる。
藤宮は小さくグッと拳を握った。
「......これは、宝くじを当てるしかなさそうだね」
「違約する前提なのはやめてくれ」
空になったマグカップを手に立ち上がれば、ちょうど食べ終わったのか高杉さんも皿を手に立ち上がる。
「まあ、そういうことだし頑張ってくれ」
「......はーい」
どこまでも暗く淀んだその言葉に、表情を変えることなくキッチンに立つ。
そうは言っても、藤宮に違約金を払ってもらうつもりはない。
仮に達成できなさそうであれば直前に僕が契約違反をして払えば良い。
百万というプレッシャーがあった方が彼女も腹をくくるというものなのだから。
高杉さんの食べ終わった皿を洗っていると、隣から高杉さんの細めて見るその視線に気づいた。
「どうかしたか?」
「いえ、何でも」
「そうか」
ゴシゴシ、とスポンジで汚れを拭き取っていく。
ザー、と水が流れる音とともに、側で小さなため息が聞こえた。