12.同棲
「私、今日から泊まるつもりだから」
先ほどの硬直など嘘のように身体は固まり、空気が静まり返る。
泊まる、という言葉は何度も脳内を反芻し、数十回も繰り返してからようやく飲み込むことが出来た。
同時に、いくつもの疑問が頭を埋め尽くす。
「......いくつか聞きたいことがある」
「どーぞ」
ズズ、とココアを啜る音が静寂の中を突き進む。
ぐるぐると螺旋階段の如く回る思考を止めつつ、その言葉を紡いだ。
「僕の許可は」
質問に対し、彼女は視線を電球に向けてぼーっと考える。
「必要なくない? というか泊まった方が修行効率良いかなと思って来たんだし」
つまり、僕のメリットになるから構わないだろうと判断。
「これでも僕は男なわけだが」
「何かしてこようものなら蹴り上げるし、翌日から貴方の人生は終わるよ」
どこに、とは言わないがある一箇所に寒気が走った。
「家族の許可は」
「必要なーい」
瞼を閉じ軽快に、されど端的に説明されたその言葉は、どこか目をそらすように見えた。
ただ、触れることも許されないほんの一瞬。
瞬きした後には、彼女は気だるそうにため息を吐いていた。
「こっちに住んだ方が私も学校行きやすいし、私にもちゃんとメリットはあるんだよ」
「だとしても互いに背負うリスクが大きい気がするぞ」
「それはそれ。白鷺くんのお父様が来るまで後一ヶ月ぐらいでしょ? 通い詰めじゃ間に合わない」
「そんなに給仕修行したかったのか?」
僕としてはかなりのリスク以外不都合のない泊まり込みではある。
が、こき使われるのが嫌だというような発言をした彼女が給仕好きというのは妙な話。
再び彼女は瞼を閉じてココアを啜った。
「好きってわけじゃないけど、契約した以上ちゃんとしないとね。貴方もその方が都合いいでしょ」
「そうだけどな」
「ならはい、この話は終わり。私は泊まります。細かいルールはまた今度決めるということで」
「せめて一日くらい猶予は欲しいぞ」
「貴方の場合また明日ねとか言って家に上がらせないでしょ」
開いた口が閉ざされる。
図星だった。
「それと、前にストーカーの件があったばっかりだし、一人で暮らすのも結構危ないと思うんだよねー」
「それは、まあ」
こともなげに言い放つ彼女だが、実際、彼の他にストーカーがいないとも言い切れないのが現状だ。
彼女と関わって数日だが、この数日間で彼女を好む人間が二人もいることが発覚している。
一方は殺人未遂、一方は脅迫、最早犯罪の域に足を踏み込んでいる。
「藤宮一人暮らしだったよな」
「うん」
なら、もう犯罪しても良いか、と自暴自棄で藤宮の家に押しかける可能性も零じゃない。
給仕業に支障が出れば彼女だけでなく契約者である僕も困ることになる。
既に父さんが来るまで二ヶ月を切っている以上、給仕係の急遽変更は得策ではない。
なら、都合上我が家に泊めることが一番の得策ではあるが、そう簡単な話で済むのか。
彼女が我が家に泊まっていることが周囲にバレれば、平穏な生活は容易く消える。
かといって彼女を一人にするのも気が進まない。
「......三つ、条件がある。それをのんでくれるならこっちも受け入れよう」
「ものによるかな。なに?」
藤宮は焦った様子もない。
「まず、僕らの細かい関係はほとんどの人には他言無用だ」
家族はともかく、仮に学校の人間にバレたらそれこそ殺される。
「もう一つ、仮に家の中で価値観の違いがあった場合は基本こっちに合わせてもらう」
一緒に暮らす時にぶつかる最大にして最速の山、価値観。
それが原因で契約不履行は考えたくない。
「基本?」
「藤宮の家にもうちより良いルールはあるかもしれないしな。その時はこっちが折れる」
「なるほどね」
納得したように藤宮は頷く。
「最後、家事は基本半分ずつやる。どうだ? 」
「うん、良いんじゃないかな。異論なし」
飲み終わったマグカップを静かに置き、立ち上がる。
「んじゃ、そういうことで」
「どこに行くつもりなんだ? 」
キャリケースを置いたまま彼女は小さい鞄を肩にかける。
「ん〜、ちょっと泊まる用の荷物を取りにね」
「そのキャリーケースは泊まる用じゃないのか? 」
「そのキャリケースにある程度の必需品が入ってるのは事実だけど、私がこれだけで満足すると思った? 」
確かに、キャリーケースは二ヶ月泊まるにしては小さいなと思っていた。
そこでようやく違和感に気づき、疑念を抱きながら藤宮を見た。
「まさか、趣味のものまで持ってくるわけじゃないよな? 」
「じゃ、いってきまーす」
揺れる髪は満面の笑みとともに扉の向こうへと消えた。
もう夜遅くだし後日にしろ、と浮かんだ言葉を送る相手は既にいなくなっていて。
ある連絡先にメールを送って再び大きくため息をつくのだった。
・・・・・・
苦い豆の香りが舌を包み、コーヒーは波打つ。
ぼーっと黒く染まった水面を覗き込む。
先ほどの騒がしさが嘘のように家は静まり返っていて、どこか寂しさも感じられた。
「やるか」
重たい腰を上げ、背伸びをしながらぐっと立ち上がる。
彼女が家を出てから二十分が経過しており、電車の時間も考えればそろそろ駅を降りた所だろう。
彼女曰く泊まり込みでの修行とのことなので、当然のことながらそれなりに準備は必要だ。
まず、部屋。
この家は父さんが残してくれた一世帯が住むことを概算されて作られたものだ。
急遽僕が一人暮らしすることになったため、意外と部屋は余っている。
適当な部屋でも見繕って譲れば良い。
生活上で細かいことなら下着の洗濯だとかバスタオルの使用だとか化粧品類だとか、上げればキリがない。
まあ、そこら辺は言い出しっぺの彼女が何とかするはず。
でなければ互いに困る。
問題は、タンスなど持ち運びが難しい家具類。
幸い、我が家にはタンスも余っているが、問題はベッドだ。
果たして、普通の家に余りのベッドがあるのか。
いや、ない。
普通はない。
だが、これでも一介の御曹司。
一応会社を経営している。
部下は聡いもので、我が家に足りなさそう或いは壊れたものがあればすぐに持ってくる。
そのため、余りのベッドが不思議とある。
階段を上り、左に曲がって一番奥の部屋を開く。
側にあるスイッチを押し電気の電源を入れれば、辺り一面に広がる段ボールの山が視界に入った。
掃除は行き届いており、虫の気配もなければホコリの気配もない。
そろそろ片付けるべきだろうか、と半ば呆然と思うもすぐにその思考は消え、ベッドの存在が脳にちらつく。
隅にある小分けにされた段ボールを持ち上げ、彼女が使う隣の部屋へと運んだ。
ほとんど鍛えられていないこの身体でもそこまで重くなく、その製品の機能も確かなものだと判断できた。
数分で運び終わり、座り込んでリビングから持ってきたカッターでガムテープを裂く。
中から説明書を取り出し、じーっと見つめる。
ベッドは組み立て式となっていて、マットレスや布団と豪華特典付きだ。
部下には感謝しきりである。
段ボールから土台となる部分を取り出し、説明書通りに設置する。
少し間違えれば寝付きが悪くなるのが組み立て式の痛いところではあるが、最近では技術が発達して問題ないようである。
数十分で組み立ては終わり、いかにもネットショッピングらしいベッドが出来た。
その時、ふと違和感を覚えた。
僕の会社はネットショッピングしていないはず。
なら、部下はこのベッドをどこでいつ手に入れたんだ?
まさか部下の一人が自分で買ったものをいらないからと僕に押し付けてきたわけじゃあるまいし。
一人だけ心当たりがいたが、問い詰めるのも面倒だと思考を放棄する。
「そろそろか」
もうすぐ彼女も我が家に着く頃合いだ。
流石の僕も、給仕業は専門ではない。
修行をつけてもらうなら、その道のプロに教えてもらうべきだろう。
携帯をつつき、懐かしの電話番号へコールボタンを押す。
プルルル、と一度だけ音がなってはすぐにガチャリと鳴った。
「高杉さんか? 少し我が家に来てほしいんだが」
『給料は』
開口一番がそれである。
「出る。早めに来てくれ」
『了解しました。主様』
主様、という言葉に眉をしかめる。
「その呼び方、やめろと言ったはずだ」
『とりあえずそちらに向かいます。五分ほどで到着します』
返しの言葉と同時にツーツーと一定のリズムが繰り返された。
ふう、と息をつき、ベッドに座り込む。
「昔はあんな性格じゃなかったはずなんだけどな」
そう過去に想いを馳せながら。