
第ニ話 沈黙する杖
朝。 見習い魔術師は、部屋の中で杖を構えていた。昨日、手に
入れたばかりの一本。細い軸。整った装飾。先端の青い宝玉が、
光を受けて静かに輝いている。 見た目は、文句なしだった。安物の杖とは明らかに違う。握り心地も悪くない。重さも、ほんの少しだけ「しっかりして
いる」程度。「......銀貨一枚でこれは当たりだろ」 小さく呟く。口元が、少し緩む。昨日の買い物は、成功だった。そう思っている。まだ、疑っていない。 ⸻
冒険者ギルドの訓練場。 石壁に囲まれた広場。いくつかの標的が並び、焦げ跡や傷が
残っている。朝の時間帯だが、人はそこそこいる。同じような
見習い。新人の冒険者。それぞれが各自の練習をしている。ざわつきは小さい。だが、完全な静寂でもない。 見習いは、その中に足を踏み入れた。「ちょうどいい」 周囲を見渡す。人がいる。見られる距離。それでいい。少しだけ、背筋を伸ばす。杖を、軽く振る。準備は整っている。 ⸻
標的の前に位置を決める。距離も、ちょうどいい。見習いは、
深く息を吸った。そして詠唱を始める。声を張る。響かせる。言葉を整える。火属性。基礎式。だが、動きは少しだけ大げさに。手の動きもつける。杖を振る軌道も、意識する。 視線を感じる。周囲の何人かが、ちらりとこちらを見る。それでいい。ほんの少しだけ、意識する。声が、さらに整う。詠唱が、終盤に入る。流れは完璧だった。言葉も、噛んでいない。リズムも、崩れていない。最後の一節。締める。杖を振る。魔力を流す。 決まった。そう思った。 ⸻
――何も、起こらなかった。 沈黙。 風がわずかに吹く。それだけ。標的は、無傷のまま。焦げ跡も
ない。熱もない。ただ、静かに立っている。 見習いは、固まった。杖を構えたまま。動かない。「......え?」 小さく声が漏れる。遅れて、周囲の空気が変わる。ざわり、と。完全な笑いではない。だが、何かを察した気配。「......あれ?」 誰かが、ぽつりと呟く。それが、やけに響いた。 ⸻
見習いの顔が、じわじわと赤くなる。理解が追いつかない。だが、状況は分かる。出ていない。魔法が。「......いや」 首を振る。もう一度。今度は、見栄を張らない。正確に。確実に。同じ言葉。同じ手順。最後まで整える。杖を振る。魔力を流す。 ――何も、起こらない。 完全な沈黙。さっきと同じ。いや、それ以上に静かだった。 ⸻
見習いは、ゆっくりと杖を見た。 手の中のそれ。青い宝玉。美しい形。だが、反応がない。魔力は
流れている。感覚はある。だが、それが「現象」にならない。 顔が、さらに赤くなる。耳まで熱い。周囲の視線が、刺さる。
原因は、はっきりしている。「......杖だ」 低く、呟く。確信だった。握る力が、強くなる。ぎゅっと。指が白くなるほどに。「......ふざけんな」 感情が、遅れて湧く。恥と、苛立ち。混ざって、熱になる。そのまま、踵を返す。訓練場を出る。足取りは速い。迷いはない。 ⸻
通りを抜ける。人を避ける。一直線に向かう。 あの店。あの武器屋。看板が、少し傾いている店。扉の前で、
止まる。息が、荒い。だが、躊躇はない。扉に手をかける。強く、
押し開ける。 鈴が、大きく鳴った。「返品します」 怒りはまだ冷めていない。その手には、あの杖が握られていた。 第ニ話 沈黙する杖
朝。 見習い魔術師は、部屋の中で杖を構えていた。昨日、手に
入れたばかりの一本。細い軸。整った装飾。先端の青い宝玉が、
光を受けて静かに輝いている。 見た目は、文句なしだった。安物の杖とは明らかに違う。握り心地も悪くない。重さも、ほんの少しだけ「しっかりして
いる」程度。「......銀貨一枚でこれは当たりだろ」 小さく呟く。口元が、少し緩む。昨日の買い物は、成功だった。そう思っている。まだ、疑っていない。 ⸻
冒険者ギルドの訓練場。 石壁に囲まれた広場。いくつかの標的が並び、焦げ跡や傷が
残っている。朝の時間帯だが、人はそこそこいる。同じような
見習い。新人の冒険者。それぞれが各自の練習をしている。ざわつきは小さい。だが、完全な静寂でもない。 見習いは、その中に足を踏み入れた。「ちょうどいい」 周囲を見渡す。人がいる。見られる距離。それでいい。少しだけ、背筋を伸ばす。杖を、軽く振る。準備は整っている。 ⸻
標的の前に位置を決める。距離も、ちょうどいい。見習いは、
深く息を吸った。そして詠唱を始める。声を張る。響かせる。言葉を整える。火属性。基礎式。だが、動きは少しだけ大げさに。手の動きもつける。杖を振る軌道も、意識する。 視線を感じる。周囲の何人かが、ちらりとこちらを見る。それでいい。ほんの少しだけ、意識する。声が、さらに整う。詠唱が、終盤に入る。流れは完璧だった。言葉も、噛んでいない。リズムも、崩れていない。最後の一節。締める。杖を振る。魔力を流す。 決まった。そう思った。 ⸻
――何も、起こらなかった。 沈黙。 風がわずかに吹く。それだけ。標的は、無傷のまま。焦げ跡も
ない。熱もない。ただ、静かに立っている。 見習いは、固まった。杖を構えたまま。動かない。「......え?」 小さく声が漏れる。遅れて、周囲の空気が変わる。ざわり、と。完全な笑いではない。だが、何かを察した気配。「......あれ?」 誰かが、ぽつりと呟く。それが、やけに響いた。 ⸻
見習いの顔が、じわじわと赤くなる。理解が追いつかない。だが、状況は分かる。出ていない。魔法が。「......いや」 首を振る。もう一度。今度は、見栄を張らない。正確に。確実に。同じ言葉。同じ手順。最後まで整える。杖を振る。魔力を流す。 ――何も、起こらない。 完全な沈黙。さっきと同じ。いや、それ以上に静かだった。 ⸻
見習いは、ゆっくりと杖を見た。 手の中のそれ。青い宝玉。美しい形。だが、反応がない。魔力は
流れている。感覚はある。だが、それが「現象」にならない。 顔が、さらに赤くなる。耳まで熱い。周囲の視線が、刺さる。
原因は、はっきりしている。「......杖だ」 低く、呟く。確信だった。握る力が、強くなる。ぎゅっと。指が白くなるほどに。「......ふざけんな」 感情が、遅れて湧く。恥と、苛立ち。混ざって、熱になる。そのまま、踵を返す。訓練場を出る。足取りは速い。迷いはない。 ⸻
通りを抜ける。人を避ける。一直線に向かう。 あの店。あの武器屋。看板が、少し傾いている店。扉の前で、
止まる。息が、荒い。だが、躊躇はない。扉に手をかける。強く、
押し開ける。 鈴が、大きく鳴った。「返品します」 怒りはまだ冷めていない。その手には、あの杖が握られていた。