ホーム理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-第十話 薬草辞典
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第十話 薬草辞典

 二階講義室を出ても、メリアの頭の中ではまだ風の軌道が回って
いた。指先に残る熱が、現実と訓練の境界を曖昧にしている。

 階段を降りると、ロビーは昼の活気に満ちていた。依頼書を前に
相談する冒険者、報告を終えて笑い合う者、鎧を脱いで安堵する者。
講義室とはまるで違う空気だ。

「......お腹すいた」

 思わず零れた言葉に、柔らかな声が重なる。

「メリアさん。お昼ご一緒しませんか?」

 振り向くと、リシェルが微笑んでいた。押し付けがましくない、
誘うというよりそっと余白を差し出すような優しさだった。



 食堂のテーブルに向かい合う。湯気の立つスープの香りが、
緊張をゆっくり溶かしていく。

「依頼はね、報酬や難易度だけで決めないほうがいいの」

「......はい」

「時間帯も見るの。森は朝と夕方で、まるで顔が違うから」

 リシェルは言葉を急がない。相手の理解速度に合わせる
話し方だった。

「初心者なら、午前の森がいいわ」

「どうしてですか?」

「光が安定しているの。足元も見やすいし、森の生き物も
落ち着いている時間だから」

 少し考え、続ける。

「最初は小さな依頼でいいの」

 それは講義の指示とは違った。評価も冷たい指摘もない。
ただ、寄り添う助言だった。



 午後四時、ロビーは昼の喧騒を終え落ち着きを取り戻していた。
窓辺の丸テーブルに夕陽が差し込み、木目が黄金色に浮かび上がる。

「今日は早上がりなの。少し勉強しませんか」

 私服に着替えたリシェルは、制服姿よりも柔らかい印象だった。挿絵
彼女が取り出したのは、使い込まれた薬草図鑑だった。角は
丸くなり、ページの端には何枚も付箋が挟まっている。

「まず、森の入口付近に多いのはこれ」

 開かれたページには、細い葉、浅い鋸葉、茎の赤みが描かれて
いる。

「似ている植物があるから、葉脈の分かれ方を見るの。
ここ、主脈からの分岐が三対」

 リシェルの指が図を押さえる。メリアは顔を寄せた。

「毒草のほうは四対なの」

 声は穏やかだが、説明は具体的だった。

「群生地では、根元の土も見るの」

「土ですか?」

「湿り気と匂い」

 図鑑の余白には書き込みがあった。採取時期、発見場所、注意点。

「......全部覚えているんですか?」

「覚えるというより、何度も見てるだけよ」

 リシェルが笑う。だがその目は真剣だった。

「森はね、焦ると何も見えなくなるの」

 そう言って、深呼吸をしてみせる。吸って、止めて、吐く。

「まず、呼吸」

 メリアも真似する。胸の奥の緊張が少しほどけた。



 ページをめくる音が静かに響く。

「採取は量じゃないの。状態が大切なの。花の開き具合、
葉の張り、虫食いの有無」

 リシェルの説明は、知識を詰め込むものではなかった。観察の
目を育てるものだった。

 メリアはノートに書き写す。だが途中で手が止まる。理解が
追いついている。知識が線でつながる感覚。

「......なんだか、見える気がします」

「そう。それでいいの」

 リシェルはすぐに肯定した。否定しない、急かさない。
その距離感が、メリアの中に静かな自信を育てていく。

 夕陽がページを橙色に染めるころ、図鑑は静かに閉じられた。
リシェルは付箋を整えながら、最後に言った。

「森はね」

 ほんの一瞬だけ言葉を切る。

「焦らなければ答えてくれるの。見ようとすれば、
ちゃんと見えるから」

 その言葉は強くない。けれど、芯があった。



 月兎亭へ戻る道、メリアの頭の中では葉脈や土の匂いが何度も
反復されていた。部屋に戻ってからも、図鑑の挿絵がまぶたの裏に
浮かぶ。

 魔法と、少し似ている。観察すれば、見えてくる。

 眠りに落ちる直前、ひとつの考えが浮かんだ。

 ――明日、森へ行こう。
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理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-作者:シラン
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 二階講義室を出ても、メリアの頭の中ではまだ風の軌道が回って
いた。指先に残る熱が、現実と訓練の境界を曖昧にしている。

 階段を降りると、ロビーは昼の活気に満ちていた。依頼書を前に
相談する冒険者、報告を終えて笑い合う者、鎧を脱いで安堵する者。
講義室とはまるで違う空気だ。

「......お腹すいた」

 思わず零れた言葉に、柔らかな声が重なる。

「メリアさん。お昼ご一緒しませんか?」

 振り向くと、リシェルが微笑んでいた。押し付けがましくない、
誘うというよりそっと余白を差し出すような優しさだった。



 食堂のテーブルに向かい合う。湯気の立つスープの香りが、
緊張をゆっくり溶かしていく。

「依頼はね、報酬や難易度だけで決めないほうがいいの」

「......はい」

「時間帯も見るの。森は朝と夕方で、まるで顔が違うから」

 リシェルは言葉を急がない。相手の理解速度に合わせる
話し方だった。

「初心者なら、午前の森がいいわ」

「どうしてですか?」

「光が安定しているの。足元も見やすいし、森の生き物も
落ち着いている時間だから」

 少し考え、続ける。

「最初は小さな依頼でいいの」

 それは講義の指示とは違った。評価も冷たい指摘もない。
ただ、寄り添う助言だった。



 午後四時、ロビーは昼の喧騒を終え落ち着きを取り戻していた。
窓辺の丸テーブルに夕陽が差し込み、木目が黄金色に浮かび上がる。

「今日は早上がりなの。少し勉強しませんか」

 私服に着替えたリシェルは、制服姿よりも柔らかい印象だった。挿絵
彼女が取り出したのは、使い込まれた薬草図鑑だった。角は
丸くなり、ページの端には何枚も付箋が挟まっている。

「まず、森の入口付近に多いのはこれ」

 開かれたページには、細い葉、浅い鋸葉、茎の赤みが描かれて
いる。

「似ている植物があるから、葉脈の分かれ方を見るの。
ここ、主脈からの分岐が三対」

 リシェルの指が図を押さえる。メリアは顔を寄せた。

「毒草のほうは四対なの」

 声は穏やかだが、説明は具体的だった。

「群生地では、根元の土も見るの」

「土ですか?」

「湿り気と匂い」

 図鑑の余白には書き込みがあった。採取時期、発見場所、注意点。

「......全部覚えているんですか?」

「覚えるというより、何度も見てるだけよ」

 リシェルが笑う。だがその目は真剣だった。

「森はね、焦ると何も見えなくなるの」

 そう言って、深呼吸をしてみせる。吸って、止めて、吐く。

「まず、呼吸」

 メリアも真似する。胸の奥の緊張が少しほどけた。



 ページをめくる音が静かに響く。

「採取は量じゃないの。状態が大切なの。花の開き具合、
葉の張り、虫食いの有無」

 リシェルの説明は、知識を詰め込むものではなかった。観察の
目を育てるものだった。

 メリアはノートに書き写す。だが途中で手が止まる。理解が
追いついている。知識が線でつながる感覚。

「......なんだか、見える気がします」

「そう。それでいいの」

 リシェルはすぐに肯定した。否定しない、急かさない。
その距離感が、メリアの中に静かな自信を育てていく。

 夕陽がページを橙色に染めるころ、図鑑は静かに閉じられた。
リシェルは付箋を整えながら、最後に言った。

「森はね」

 ほんの一瞬だけ言葉を切る。

「焦らなければ答えてくれるの。見ようとすれば、
ちゃんと見えるから」

 その言葉は強くない。けれど、芯があった。



 月兎亭へ戻る道、メリアの頭の中では葉脈や土の匂いが何度も
反復されていた。部屋に戻ってからも、図鑑の挿絵がまぶたの裏に
浮かぶ。

 魔法と、少し似ている。観察すれば、見えてくる。

 眠りに落ちる直前、ひとつの考えが浮かんだ。

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