
第ニ十一話 冷やすなや!
店の扉を開けると、鈴が鳴った。前に来たときと同じ音。同じ店。棚に魔道具が並んでいる。陣紙に魔石。小さな器具。整然と。朝の
光が斜めに差して、棚の端に細い影を作っている。 店主が奥から顔を上げた。 眼鏡越しに、こちらを見る。メリアを見る。その脇のリナを見る。そしてメリアが両腕で抱えているものを見た。木製の羽根。四枚。中心に軸。表面にびっしりと刻まれた回路。 一拍の間があった。「......物騒だね」 店主が言った。「せやろ!?」 リナが即座に反応する。待ってましたとばかりに。「危なくない。改良に来た」 メリアが言った。「改良前がこれ」「ふむ」 店主は眼鏡の位置を直した。立ち上がって、カウンターを回って
くる。試作機の前に立つ。羽根を覗き込む。回路を目で追う。刻まれた線を、指でなぞりそうにして、やめた。「式が粗いさね」「わかってる」「刻み直す気かい?」「魔石を先に」 店主が顔を上げた。「これ、魔石で動かすつもりかい?」「風属性の小型のものがあれば」 しばらく間があった。店主は試作機を見て、メリアを見て、また
試作機を見た。「......持続させる気かい?」「それが目的です」「止め方は?」「魔力を引けば止まる」「他人でも止められるかい?」 メリアは少し考えた。「......改良する」「そういうのは先に言いな」 店主は棚の奥に引っ込んで、小さな木箱を持ってきた。蓋を
開ける。中に、親指の爪ほどの石が並んでいる。薄く青みがかって
いる。「風属性の小型。これが一番安定するね」 値段を聞いて、メリアは硬貨を数えた。リナがこっそり財布を
出しかけ、メリアに止められた。――
作業はその場で始まった。店主がカウンターの端を貸した。何も
言わずに空けた。メリアは試作機を置いて、中心部を開ける。軸の
根元。そこに小さな空洞を彫る。魔石を収める大きさに。慎重に。削りすぎない。「手伝うかい?」 店主が聞いた。「大丈夫」「そうかい」 それだけ言って、店主は自分の仕事に戻った。魔道具の在庫を
確認している。でも、時おり視線をこちらに向けていた。 魔石を収める。固定する。回路と接続する。細い線で、魔石から
羽根の式へ。丁寧に。一本ずつ。 リナが覗き込む。「......もっとびっしりなってへん?」「魔石との接続線を追加した」「余計こわなってるやん」 メリアは気にしない。刻み終わる。回路を確認する。接続を
確認する。軸を指で押す。 回る。ぶぉ......前より低い音。安定している。魔石が光る。青白く。薄く。羽根の回路に光が流れる。回転が上がる。 ぶぉぉぉ......
「おぉ!」 リナが声を上げた。「前より速い!安定してる!」「魔石駆動」 風が出ている。前より強い。持続している。止まらない。 店主が顔を上げた。試作機を見る。少し目を細める。「......回るね」「回る」 メリアはまだ手を動かしていた。今度は中心部に、小さな式を
一つ追加で刻んでいる。「何を足す気?」「少しだけ、熱を引く」――
「は?」 リナと店主が、ほぼ同時に言った。「気化熱対策」「乾かすんやろ!?なんで冷やすねん!!」「冷やしません。摩擦熱を、気化熱で相殺するだけ」「同じやろ!」 メリアは手を止めずに言った。「羽根が高速回転すると、摩擦で熱が出る。何もしなければ、
周りの温度が上がっていく」「......それが普通やろ」「でも、そこに水分があれば気化が進む。気化するとき、
水は周りから熱を奪う」「......つまり」「摩擦で出た熱を、気化熱で相殺する。温度は上がらない。むしろ、気化が進む分だけ乾きが速くなる」 リナが額を押さえた。「ややこしいねん!」(気化熱でちゃんと相殺できてる。乾燥効率は、
たぶん一・四倍くらい)
れもんの声が、メリアの耳の奥に届いた。「わかった」「誰と話しとんねん!」 店主が腕を組んで、試作機を眺めていた。回転している羽根を。流れている回路を。「......理屈は通っているさ」 静かに言った。「摩擦熱で湿度が上がるのは本当のこと。回転機構の欠点の一つ」「知ってたの?」「魔道具屋だから。回転式の魔具は扱いが面倒で廃れたんだよ。そこが理由の一つ」 メリアは顔を上げた。「廃れた?」「昔はあったさ。今はほとんど見ない」「なぜ廃れたの?」「うるさい。怖い。止め方がわかりにくい」 店主は眼鏡の奥で、どこか面白そうな目をしていた。「あんたのそれも、同じ問題を抱えているさね」「......改良します」「そうしな」 刻み終わる。接続する。確認する。メリアが魔力を流した。――
ぶぉぉぉぉ......
音が変わった。前より低く、落ち着いている。回転が安定して
いる。光が流れる。青白い輪が、羽根の回路を走る。風が出た。前より強い。持続している。「......なんか、ひんやりする」 リナが手をかざした。「なんで冷たいねん!?洗濯物乾かすのに冷たい風いらんやろ!」「ひんやりするのは、気化が進んで周りの熱が持って
いかれてるから。洗濯物への風は適温」「信用できへん!」 メリアは小さく頷いた。(湿度、下がってきてる。想定の範囲内)
「......やっぱり誰かおるやろ!」 リナが食い気味に来た。メリアは気にしない。 店主がカウンターに肘をついて、試作機を眺めていた。「効くのかい?」「効く」「証明できるかい?」「実践で証明する」 店主は少し黙ってから、頷いた。――
月兎亭の裏庭に戻ったのは、昼前だった。試作機を物干し
ロープの前に置く。起動する。 ぶぉぉぉ......
回る。光る。風が出る。女将が縁側から見ていた。「......また回り始めましたな」「改良した」「怖さは、変わってへんけど」「効率は上がった」 女将は洗濯物を見た。風が当たっている。布の端が揺れている。前よりしっかりと。持続している。 しばらく経った。「......あら」 女将が洗濯物に近づいた。端を手で触る。「軽うなってる」「乾いてきた」「早いわ」 女将は少し目を丸くした。それから静かに微笑んだ。「楽になりましたわ。ほんまに」 リナが腕を組んで、試作機を見ていた。「見た目は怖いけどな!」「慣れます」「慣れへんわ!」 次に厨房の前にも一台置いた。夏は終わっているが、窯の前は
秋でも暑い。調理中の熱気がこもる。試作機を起動する。回る。風が流れる。熱気が散る。「......あ」 リナが厨房の入り口で止まった。「なんか、楽」「気流が改善された」「汗、減ってる」「熱がこもらない」 リナはしばらく厨房の中に立っていた。風を感じている。顔が
少しほぐれた。「......まぁ」 言いにくそうに。「ええかもしれへん」「ありがとうございます」「褒めてへんからな!」――
夕方。 裏庭の試作機は、まだ回っていた。日が落ちてくる。空が
橙になる。試作機の回路が青白く光る。魔石が中心で脈動する。一定のリズムで。光って、少し落ちて、また光る。 羽根の回路に光が流れる。四枚の羽根を、途切れなく巡る。円環のように。 路地の向こうから、子どもの声がした。「あっ」 泣き声ではなかった。「ひかってる!」 子どもが裏庭の入り口から顔を覗かせていた。目が丸い。怖がっていない。むしろ、目が輝いている。「光っとるな!」 リナが叫んだ。「怖くないの!?」「きれい!」「きれいじゃないやん!呪物やろ!」「ひかってる!まわってる!」 子どもは入ってきそうな勢いだった。リナが慌てて止める。 メリアは試作機を見ていた。「効率は上がりました」(改良余地は、まだある)
れもんが静かに言った。「わかっている」 回転は止まらない。光は流れる。風は続く。洗濯物はもう、
ほとんど乾いていた。 第ニ十一話 冷やすなや!
店の扉を開けると、鈴が鳴った。前に来たときと同じ音。同じ店。棚に魔道具が並んでいる。陣紙に魔石。小さな器具。整然と。朝の
光が斜めに差して、棚の端に細い影を作っている。 店主が奥から顔を上げた。 眼鏡越しに、こちらを見る。メリアを見る。その脇のリナを見る。そしてメリアが両腕で抱えているものを見た。木製の羽根。四枚。中心に軸。表面にびっしりと刻まれた回路。 一拍の間があった。「......物騒だね」 店主が言った。「せやろ!?」 リナが即座に反応する。待ってましたとばかりに。「危なくない。改良に来た」 メリアが言った。「改良前がこれ」「ふむ」 店主は眼鏡の位置を直した。立ち上がって、カウンターを回って
くる。試作機の前に立つ。羽根を覗き込む。回路を目で追う。刻まれた線を、指でなぞりそうにして、やめた。「式が粗いさね」「わかってる」「刻み直す気かい?」「魔石を先に」 店主が顔を上げた。「これ、魔石で動かすつもりかい?」「風属性の小型のものがあれば」 しばらく間があった。店主は試作機を見て、メリアを見て、また
試作機を見た。「......持続させる気かい?」「それが目的です」「止め方は?」「魔力を引けば止まる」「他人でも止められるかい?」 メリアは少し考えた。「......改良する」「そういうのは先に言いな」 店主は棚の奥に引っ込んで、小さな木箱を持ってきた。蓋を
開ける。中に、親指の爪ほどの石が並んでいる。薄く青みがかって
いる。「風属性の小型。これが一番安定するね」 値段を聞いて、メリアは硬貨を数えた。リナがこっそり財布を
出しかけ、メリアに止められた。――
作業はその場で始まった。店主がカウンターの端を貸した。何も
言わずに空けた。メリアは試作機を置いて、中心部を開ける。軸の
根元。そこに小さな空洞を彫る。魔石を収める大きさに。慎重に。削りすぎない。「手伝うかい?」 店主が聞いた。「大丈夫」「そうかい」 それだけ言って、店主は自分の仕事に戻った。魔道具の在庫を
確認している。でも、時おり視線をこちらに向けていた。 魔石を収める。固定する。回路と接続する。細い線で、魔石から
羽根の式へ。丁寧に。一本ずつ。 リナが覗き込む。「......もっとびっしりなってへん?」「魔石との接続線を追加した」「余計こわなってるやん」 メリアは気にしない。刻み終わる。回路を確認する。接続を
確認する。軸を指で押す。 回る。ぶぉ......前より低い音。安定している。魔石が光る。青白く。薄く。羽根の回路に光が流れる。回転が上がる。 ぶぉぉぉ......
「おぉ!」 リナが声を上げた。「前より速い!安定してる!」「魔石駆動」 風が出ている。前より強い。持続している。止まらない。 店主が顔を上げた。試作機を見る。少し目を細める。「......回るね」「回る」 メリアはまだ手を動かしていた。今度は中心部に、小さな式を
一つ追加で刻んでいる。「何を足す気?」「少しだけ、熱を引く」――
「は?」 リナと店主が、ほぼ同時に言った。「気化熱対策」「乾かすんやろ!?なんで冷やすねん!!」「冷やしません。摩擦熱を、気化熱で相殺するだけ」「同じやろ!」 メリアは手を止めずに言った。「羽根が高速回転すると、摩擦で熱が出る。何もしなければ、
周りの温度が上がっていく」「......それが普通やろ」「でも、そこに水分があれば気化が進む。気化するとき、
水は周りから熱を奪う」「......つまり」「摩擦で出た熱を、気化熱で相殺する。温度は上がらない。むしろ、気化が進む分だけ乾きが速くなる」 リナが額を押さえた。「ややこしいねん!」(気化熱でちゃんと相殺できてる。乾燥効率は、
たぶん一・四倍くらい)
れもんの声が、メリアの耳の奥に届いた。「わかった」「誰と話しとんねん!」 店主が腕を組んで、試作機を眺めていた。回転している羽根を。流れている回路を。「......理屈は通っているさ」 静かに言った。「摩擦熱で湿度が上がるのは本当のこと。回転機構の欠点の一つ」「知ってたの?」「魔道具屋だから。回転式の魔具は扱いが面倒で廃れたんだよ。そこが理由の一つ」 メリアは顔を上げた。「廃れた?」「昔はあったさ。今はほとんど見ない」「なぜ廃れたの?」「うるさい。怖い。止め方がわかりにくい」 店主は眼鏡の奥で、どこか面白そうな目をしていた。「あんたのそれも、同じ問題を抱えているさね」「......改良します」「そうしな」 刻み終わる。接続する。確認する。メリアが魔力を流した。――
ぶぉぉぉぉ......
音が変わった。前より低く、落ち着いている。回転が安定して
いる。光が流れる。青白い輪が、羽根の回路を走る。風が出た。前より強い。持続している。「......なんか、ひんやりする」 リナが手をかざした。「なんで冷たいねん!?洗濯物乾かすのに冷たい風いらんやろ!」「ひんやりするのは、気化が進んで周りの熱が持って
いかれてるから。洗濯物への風は適温」「信用できへん!」 メリアは小さく頷いた。(湿度、下がってきてる。想定の範囲内)
「......やっぱり誰かおるやろ!」 リナが食い気味に来た。メリアは気にしない。 店主がカウンターに肘をついて、試作機を眺めていた。「効くのかい?」「効く」「証明できるかい?」「実践で証明する」 店主は少し黙ってから、頷いた。――
月兎亭の裏庭に戻ったのは、昼前だった。試作機を物干し
ロープの前に置く。起動する。 ぶぉぉぉ......
回る。光る。風が出る。女将が縁側から見ていた。「......また回り始めましたな」「改良した」「怖さは、変わってへんけど」「効率は上がった」 女将は洗濯物を見た。風が当たっている。布の端が揺れている。前よりしっかりと。持続している。 しばらく経った。「......あら」 女将が洗濯物に近づいた。端を手で触る。「軽うなってる」「乾いてきた」「早いわ」 女将は少し目を丸くした。それから静かに微笑んだ。「楽になりましたわ。ほんまに」 リナが腕を組んで、試作機を見ていた。「見た目は怖いけどな!」「慣れます」「慣れへんわ!」 次に厨房の前にも一台置いた。夏は終わっているが、窯の前は
秋でも暑い。調理中の熱気がこもる。試作機を起動する。回る。風が流れる。熱気が散る。「......あ」 リナが厨房の入り口で止まった。「なんか、楽」「気流が改善された」「汗、減ってる」「熱がこもらない」 リナはしばらく厨房の中に立っていた。風を感じている。顔が
少しほぐれた。「......まぁ」 言いにくそうに。「ええかもしれへん」「ありがとうございます」「褒めてへんからな!」――
夕方。 裏庭の試作機は、まだ回っていた。日が落ちてくる。空が
橙になる。試作機の回路が青白く光る。魔石が中心で脈動する。一定のリズムで。光って、少し落ちて、また光る。 羽根の回路に光が流れる。四枚の羽根を、途切れなく巡る。円環のように。 路地の向こうから、子どもの声がした。「あっ」 泣き声ではなかった。「ひかってる!」 子どもが裏庭の入り口から顔を覗かせていた。目が丸い。怖がっていない。むしろ、目が輝いている。「光っとるな!」 リナが叫んだ。「怖くないの!?」「きれい!」「きれいじゃないやん!呪物やろ!」「ひかってる!まわってる!」 子どもは入ってきそうな勢いだった。リナが慌てて止める。 メリアは試作機を見ていた。「効率は上がりました」(改良余地は、まだある)
れもんが静かに言った。「わかっている」 回転は止まらない。光は流れる。風は続く。洗濯物はもう、
ほとんど乾いていた。