2冊目 エルフさん、絵本を買いに来る。
「では、また来るぞ」
「はい。ありがとうございました。またお待ちしてます」
買ったばかりの本が入った袋を大事そうに抱え、ラヴィアは店の出入口へ向かう。ガラス張りの引き戸へ手を伸ばした――その時だった。
カラン。ラヴィアが触れるより一足早く、扉が外側から開いた。
「いらっしゃ――」
「ラヴィアちゃーん! 会いたかったわよ~!」
「......ア?」
祐介が挨拶を言い終えるより早く、店内へ飛び込んできた人影がラヴィアへ一直線に突進した。
「うわっ!? ちょ、待て――」
ぎゅむっ。
そのまま、小柄なラヴィアの身体が抱き締められる。
「やっと会えたわ~! もう、どれだけ会いたかったと思ってるの? ここを探すの大変だったのよ~」
「ええい! 離せ! 離さんかっ!」
「もうっ。久しぶりだからって、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのよ~」
「誰が恥ずかしがっておるか!」
ラヴィアの抗議など聞こえていないらしい。
突然現れた女性は、嬉しそうにラヴィアの頬へ自分の頬をすり寄せていた。祐介はカウンターの向こうから、その光景を呆然と眺める。
女性はかなりの長身で、祐介よりも頭一つ近く高く、腰近くまで伸びた淡い金色の髪。そして何より目を引くのは、人間のものより遥かに長く、横へすっと伸びた耳だった。
「あの......ラヴィアさん。この方、お知り合いですか?」
「ええい! 説明するから、先にこやつをなんとかせい!」
「なんとかって言われても......」
相手は見るからに上機嫌である。
無理矢理引き剥がしてよいものか迷っているうちに、ラヴィアの顔が女性の胸元へ埋もれていった。
「むぐっ......! く、苦しい......!」
「――あら?」
女性の目と祐介の目が合う。そこでようやく女性は腕の力を緩めた。
「ごめんなさいね。久しぶりに会えたものだから、つい嬉しくなっちゃって」
「ああ、いえ......お気になさらず」
祐介はとりあえず、店内の隅に置いてある休憩用の椅子を二脚持ってきた。
「立ち話もなんですし、よかったらこちらへ」
「まあ、ご親切にありがとうございます」
二人が腰を下ろしたところで、ラヴィアは乱れたフードを直しながら大きく息を吐いた。
「まったく......突然現れて何をするんじゃ」
「だって、ラヴィアちゃんが全然顔を見せに来てくれないんですもの。もう寂しくて毎晩の様に泣きながら過ごして来たわ」
「妾にも妾の都合というものがあるのじゃ。お主に構ってばっかりは出来ん」
ぶつぶつと文句を言ってから、ラヴィアは祐介の方へ向き直った。
「コホン。紹介するぞ」
一度咳払いをしてから、隣に座る女性を指し示す。
「こやつの名は――エルグラン・フェルシル・マーガレット・ディル・ラミア・フリューゲル、じゃ」
「......はい?」
祐介は固まった。
「すみません。もう一度お願いしてもいいですか?」
「んあ? 聞き取れんかったか。良いか、こやつの名はエルグラン・フェルシル・マーガレット・ディル・ラミア・フリューゲルじゃ」
「............」
今度こそ聞き逃すまいと集中したものの、途中から何が名前の始まりで何が終わりなのか分からなくなった。そんな祐介の反応を見て、女性は口元へ手を添えて上品に笑う。
「ふふ。お気になさらないでください。初対面の方は、だいたい同じ反応をされますから」
「すみません」
「我々エルフには、先祖の名を代々受け継いでいく風習があるのです」
「風習ですか?」
「ええ。親から子へ、そのまた子へ。長く続いた家系ほど、受け継がれる名も多くなっていきます。ですから、わたくしくらいの家柄になりますと――」
「こうなるわけじゃ」
「なるほど......」
理解はできた。けれど、自己紹介をするたびにあの長さを口にするのは大変そうだ。エルフにとってはこれが普通、なんだよな。
「もっとも、普段からすべて名乗っているわけではありません。それに周りからはフェルシルと呼ばれております。みな覚えるのは苦手なので」
そうなんだ......。
「じゃあ、俺もフェルシルさんって呼ばせてもらいます」
「ええ。ぜひ」
フェルシルはにこやかに微笑んだ。
「俺は祐介です。この店で時々店番をしています」
「ユースケ様ですね。よろしくお願いいたします」
「さ、様はいらないですよ。普通に祐介で大丈夫です」
「では、ユースケさんと」
「はいっ」
柔らかい物腰。丁寧な話し方。先ほど店へ飛び込んできた時の勢いさえなければ、いかにも気品のあるエルフという印象だった。
「それで、フェルシルさんはラヴィアさんとお知り合いなんですよね?」
「――いいえ」
「え?」
「知り合いなどという程度の関係ではございません」
フェルシルは微笑みながら、隣に座っているラヴィアの肩を抱き寄せる。
「わたくしたちは――家族なんです!」
「か、家族!?」
祐介の声が裏返った。それと同時にラヴィアの怒鳴り声も響く。
「違うわアホ! 何を勝手なことを言っておる!」
「あら? だって昔はずっと一緒に暮らしていたじゃない」
「それとこれとは話が別じゃ!」
「毎日ごはんを作ってあげて」
「ム......」
「髪を梳かしてあげて」
「グ......」
「着替えも手伝って」
「お、おい」
「寝る時には子守歌まで――」
「待て待て待て!」
ラヴィアが慌ててフェルシルの口を塞ごうとする。だが、身長差がありすぎて届かない。ラヴィアが精いっぱい腕を伸ばしても、フェルシルは少し上体を反らすだけで簡単にかわしてしまう。
「あと、おしめだって替えてあげたことが――」
「おわああああああっ!」
ラヴィアが椅子から飛び上がった。
「余計なことを言うでない!」
「もう。そんなに照れなくてもいいじゃない」
「照れておらん!」
顔を真っ赤にするラヴィアを見て、フェルシルは楽しそうに笑っている。
「というわけで、わたくしにとってラヴィアちゃんは娘のようなものなんです」
「妾たちは家族ではないと言っておろうが!」
「じゃあ、妹?」
「違う!」
「孫?」
「もっと違うわ! と言うかどれもこれも家族と同じ意味じゃ!」
「あ、あはは......」
祐介は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
話を聞く限り、二人の付き合いが相当長いことだけは分かる。そういえば、前に長寿種の話を聞いたっけ。エルフも長寿みたいだけど――この人、いったい何歳なんだ......?
「ん? どうかされましたか、ユースケさん」
「い、いえ。なんでもないです」
祐介がフェルシルに目線を向けていると、それに気づかれてしまった。
にこりと微笑まれ、祐介は反射的に視線を逸らした。
女性に年齢を尋ねるのは失礼だ。たとえ、その相手が何千年単位で生きていそうなエルフであっても。
「あ、そうだ。よければ店内をご案内しましょうか?」
話を聞く限りでは、ここに来るのは初めての様だったので、祐介はそう提案した。
すると、フェルシルは改めて周囲を見渡す。
本棚にぎっしりと並べられた色とりどりの本。表紙に大きく人物の絵が描かれたものもあれば、文字だけが並んだ分厚い本もある。
「......そういえば、見慣れないものが多いですが。こちらは、いったい何のお店なのでしょう?」
「ここは書店、異世界の本を売っているお店です」
「書店......ですか」
「妾たちの世界で言えば、魔導書店に近いかのう」
横からラヴィアが口を挟んだ。
「もっとも、売っておるものはまったく違うがな」
「魔導書ではないのですか?」
「ウム。じゃが、こっちの世界の本は面白いぞ! 妾たちとはまるで違う発想や価値観が詰まっておる!」
先ほどまでラブコメの新刊に大喜びしていたラヴィアが、得意げに胸を張る。
「ラヴィアちゃんがそこまで言うのであれば、少し興味が湧いてきました」
「それじゃあ、一緒に見て回りますか?」
「ええ。ぜひお願いいたします」
「では、こちらへどうぞ」
三人は並んで店内を歩き始めた。
まず祐介が足を止めたのは、色鮮やかな表紙がずらりと並ぶ一角だった。
「ここがライトノベルのコーナーです」
「らいと......のべる?」
フェルシルが聞き慣れない響きを、一音ずつ確かめるように口にする。
「文字を読みながら、登場人物や景色を頭の中で思い浮かべて楽しむのじゃ。妾も最初は戸惑ったが、慣れるとなかなか奥深いぞ」
「なるほど......想像しながら物語を楽しむのですね」
なぜかラヴィアが説明役を買って出る。フェルシルは一冊を手に取り、パラパラっとページを数枚めくる。読み終えたのか、それをそっと元の位置に戻した。祐介が「では」と声をかけ、続いて向かったのはその隣。
「こっちは漫画コーナーです」
「まんが?」
「こっちは絵が中心ですね」
祐介が一冊を手渡す。するとラヴィア再び説明をする。
「絵の横に文字が書いてあってのう。こちらは先ほどの本よりも、見たまま楽しめるぞ」
「ラヴィアさん、もう完全にこっちの本に詳しくなってますね」
「当然じゃ。妾を誰だと思っておる?」
「......常連客ですかね」
「妾は高位のドラゴンじゃぞ! 肝心な所を忘れるでない!」
ぷい、とラヴィアが顔を背ける。
フェルシルはそんな二人のやり取りを見て、楽しそうに微笑んでいた。
「そして、こちらが趣味や実用書のコーナーです」
「じつようしょ?」
「料理とか、編み物とか、農家とか。何かを学んだり、生活に役立てたりする本ですね」
「こっちは触れたことが無かったが、異世界の知識が記されておる本というわけじゃな」
するとラヴィアは一冊の本を手に取る。
「......初心者でもできる家庭菜園。ラヴィアさん、畑でも始めるんですか?」
「やらぬ」
「じゃあ戻してください」
それからも三人は、店内をゆっくりと見て回った。
料理本を開いて見たことのない料理に驚いたり。旅行雑誌に載っている地球の風景を興味深そうに眺めたり。動物図鑑を見て、「そちらの世界にはずいぶんと小さな魔獣が多いのですね」と感心したり。
最初こそ物珍しそうに辺りを見ていたフェルシルだったが、やがて店を一周する頃には、すっかり本の世界を楽しんでいた。
「いかがでした? 何か気になる本はありましたか?」
「そうですね......」
フェルシルは考えるように頬へ手を添えた。
「どれもわたくしたちの世界にはない発想や知識ばかりで、大変興味深くはあります。ただ、今すぐ欲しいと思うものは――」
「そうですか......」
「あら?」
辺りを見ていたフェルシルが足を止める。
その視線の先にあったのは、店内の一番低い棚。そこには、他の本とは少し違った、大きく色鮮やかな本が並んでいた。
「ユースケさん。こちらは?」
「ああ、それは児童書のコーナーですね」
祐介は棚から一冊を取り出した。
「俺の世界では、基本的に絵本って呼んでます」
「えほん......」
フェルシルは受け取った本を、そっと開く。見開きいっぱいに、大きな絵が描かれていた。
森や動物。小さな家。そして......その下には短い文章。
「これは......」
フェルシルの表情が変わる。
先ほどまでの「珍しいものを見る」目ではない。本そのものへ強く興味を惹かれている顔だった。
「子ども向けの本なんです。文章を読むのがまだ難しい子でも、絵を見れば物語が分かるように作られています」
「絵で......物語を」
フェルシルは一枚、紙をめくった。すると今度は大きな竜と、小さな少年が一緒に空を飛んでいる絵。彼女はしばらく無言で、それを見つめていた。
「......素晴らしいです」
「え?」
「実はわたくし、時々子どもたちにお伽話を聞かせているんです」
フェルシルは絵本から目を離さないまま、穏やかな声で続ける。
「みんな、とてもいい子たちで。いつも静かに話を聞いてくれるのですが......時々、『それってどんなものなの?』『どんな姿なの?』と聞かれることがあるんです」
「ああ......」
「言葉で説明しても、実物を知らない子どもたちには上手く伝わらないことも多くて」
更にもう一枚、紙をめくり、指先で描かれた絵をそっとなぞる。
「ですが、この『えほん』なら――物語を聞きながら、同時にその世界を見ることができる」
「ええ。俺たちの世界でも、実際そういう使い方をすることが多いですよ」
「そうなのですか?」
「はい。大人が子どもに絵本を読んであげることを、『読み聞かせ』って言ったりします」
「読み聞かせ......」
フェルシルは祐介の言葉を大切そうに繰り返す。その声には、隠しきれない感動が滲んでいた。
「ユースケさん!」
「は、はい!」
突然、フェルシルが勢いよく顔を上げる。
「こちらの絵本を十冊ほど頂けますか!」
「じゅ、十冊!?」
予想外のまとめ買いに、祐介の声が裏返った。
「ええ! できれば、子どもたちが楽しめそうなものを」
「ありがとうございます! じゃあ、俺が何冊かおすすめを選びますね!」
フェルシルは祐介が選んだ本を、一冊一冊、楽しそうに中身を確かめていく。そうして選び終えた十冊を会計し、祐介は二つの大きな紙袋へ丁寧に詰めた。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
フェルシルは紙袋を受け取ると、宝物でも抱えるように胸元へ寄せた。
「今日は、とても良い一日になりました」
満足そうな笑顔を浮かべる。そして隣にいるラヴィアへ視線を移した。
「それから、ラヴィアちゃん」
「なんじゃ」
「時々は顔くらい見せに来てくださいね?」
「......気が向いたらな」
「もう。本当に素直じゃないんだから」
「余計なお世話じゃ」
フェルシルはくすくすと笑うと、祐介へ軽く頭を下げた。
「それでは、ユースケさん。また伺わせていただきますね」
「はい。またお待ちしてます」
カラン。ベルの音を残して、フェルシルは店を出ていった。ガラス越しに、大きな紙袋を二つ抱えた背中が遠ざかっていく。
その姿が見えなくなったところで――。
「まったく......相変わらず騒がしいやつじゃ」
ラヴィアが盛大にため息を吐いた。
「最初はびっくりしましたけど、いい人じゃないですか」
祐介は椅子を片付けながら笑う。
「子どもたちのために絵本を十冊も買っていくなんて、かなり子ども思いですよね」
「昔から誰かの世話を焼くのが好きなんじゃ、あやつは」
「ラヴィアさんも、その一人だったんですよね?」
「......大昔の話じゃけどな」
「おしめまで替えてもらってたんでしたっけ」
「ユースケ」
「すみません」
ものすごい目で睨まれ、祐介はすぐに謝った。
「あっそういえば」
「んあ?」
「フェルシルさんと最後に会ったのって、いつなんですか?」
「最後に?」
ラヴィアは少し考え込むように腕を組む。
「そうじゃなぁ......割と最近じゃぞ」
あれだけ「久しぶり」と大騒ぎしていたから、数年ぶりかと思ったけど。
「じゃあフェルシルさん、ああ見えて、意外と寂しがり屋なんですね」
「お主にはどう見えとったんじゃ? どっからどうみても、ただの寂しがり屋じゃろ」
ラヴィアは何でもないことのように答える。
「それに、最後に会ったのは三百年くらい前じゃ」
「あー三百年......え?」
祐介の手が止まった。
「どうしたんじゃ? 妖精に化かされたような顔をして」
「今、何年前って言いました?」
「三百年ほど前じゃと言ったのじゃ」
「いやいやいやいやっ」
聞き間違いではなかった。
「三百年前って、全然最近じゃないですよ!?」
「そうかのう?」
「そうですよ! 三百年あったら俺なんて何回生まれて死んでると思ってるんですか!」
「人間はせわしないのう」
「寿命の問題です!」
祐介のツッコミにも、ラヴィアは不思議そうに首を傾げるだけだった。
どうやら長寿種にとっての三百年という時間は――俺たち人間にとっての、三日くらいの感覚らしい。
「......そりゃ、年齢聞けないわ」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ。何も」
本日の異世界での営業時間は、まだ始まったばかりです。