ホームドラゴンさん、本を買いに来る。1冊目 ドラゴンさん、ラノベを買いに来る。
目次次の話 →

1冊目 ドラゴンさん、ラノベを買いに来る。

 ここは町の片隅にひっそりと佇む、小さな個人書店。
 店先には少し色褪せた看板と、何年も使われている古びたのぼりが立っている。自動ドアなんて洒落たものはない。ガラス張りの引き戸を開ければ、カラン、と小さなベルが鳴る。
 店内には文庫本や漫画、雑誌に児童書。決して広くない売り場に、背の高い本棚が所狭しと並んでいた。
 普段から客の出入りはそれほど多く、今どき本だけを売っていて商売が成り立つほど甘くはなかった。
 そのため、この店の主な収入源は本ではなく、近隣の企業や学校へコピー用紙や文房具、事務用品などを卸すことで、どうにか店を維持している。だから昼間だけを見れば、どこにでもある――いや、むしろいつ閉店してもおかしくない、時代に取り残された町の本屋だった。
 ただ、この店には、店主だけが知る秘密がある。
 ――夜七時前。

「......今日もお疲れさまでした」

 労いの言葉と共に、店の入り口に掛けられていた札を『営業中』から『閉店』へとひっくり返す。カチリ、と鍵を掛け、町の本屋としての営業は、これでおしまい。
 けれど――この店の一日は、まだ終わらない。時計の短針が七を、長針が十二を指した、その瞬間。
 店内の照明が、一度だけ小さく明滅した。
 窓の外に見えていたはずの住宅街が、ゆっくりと闇に溶けていく。

 代わりに現れたのは、石畳の道。木と石で造られた見慣れない建物。遠くには巨大な城壁がそびえ、そのさらに向こうには二つの月が夜空に浮かんでいた。日本にあったはずの小さな書店は、夜七時から翌朝三時までの八時間だけは――。

 ――異世界で営業を始める。

 ここを訪れる客は人間だけではない。尖った耳を持つエルフ。獣の耳と尻尾を揺らす獣人。ローブをまとった魔法使い。時には、人間の言葉を話す魔物までやってくる。
 そして......この店にはもう一人。毎週決まった日にやってくる、少し変わった常連客がいた。
 カラン、と小さなベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

 静かな店内に、若い男性店員『祐介ゆうすけの声が響く。
 ガラス張りの引き戸の向こうに立っていたのは、一人の少女だった。地面を引きずる長いコート、頭には大きなフード。目元まで隠れてしまうほど深く被っているせいで、その顔はほとんど見えない。

「......ウム」

 少女は短く返事をすると、フードの奥からちらりと顔を覗かせ、カウンターの方へ目を向けた。
 そして、そこに立っている人物を確認すると、ほんの少しだけ首を傾げる。

「今日も一番ですね、ラヴィアさん」
「なんじゃ、今日はお主だったか」
「はい、今日から大学が夏休みに入ったので。しばらくの間は俺が店番をすることになったんです」
「ダイガク......ああ、お主が通っとる学び舎か」

 ラヴィアは以前聞いた話を思い出したのか、納得したように小さく頷く。

「して、その『なつやすみ』とやらはなんじゃ?」
「簡単に言えば、長い休暇ですね。しばらく大学に行かなくていいんです」
「ほお......」

 フードの奥から、感心したような声が漏れる。

「それはさぞ嬉しかろう。会うたびに愚痴を漏らしておった、お主からすれば」
「あはは、そうですね。まあ......課題とかもありますけど」
「休みなのに課題があるのか?」
「あるんですよ、これが」
「......人間とは、妙なことをするものじゃな」

 心底不思議そうに言われ、店員は苦笑する。

「俺もそう思います」

 そんな他愛もない会話を交わしてから、ラヴィアは何かを思い出したように「おっと」と声を漏らした。

「まあ、そんなことよりもじゃ」

 ようやく彼女は、深々と被っていたフードに手を掛ける。
 するり、と外されたその下から現れたのは、肩が隠れるほどまで伸びた髪と――人間のものとは明らかに違う、長く尖った耳。さらに髪の隙間からは、その耳よりも幾分短い二本の角が覗いていた。
 ラヴィアは慣れた足取りでカウンターまで近づくと、どこか期待するような目で店員を見上げた。

「例のアレは、あるかのう?」
アレ、ですね」

 何を指しているのか、聞き返す必要すらなかった。
 ラヴィアが店を訪れる日は、いつも決まっている。そして、その目的も。

「もちろんです。ちゃんとご用意してありますよ」
「おおっ!」

 それまで落ち着いていたラヴィアの表情が、ぱっと明るくなる。コートで隠していたはずの長い尻尾も、嬉しそうに上下に揺れている。
 祐介はそんな彼女を見て小さく笑うと、カウンターの下へ手を伸ばした。

「どうぞ。『幼なじみはやっぱり勝てない!』の最新刊です」

 祐介が差し出した一冊を見た瞬間、ラヴィアの目が輝いた。

「これじゃ、これじゃ! これを手に入れるために、妾が何か月待ったことか......!」

 両手で本を受け取ると、表紙を傷つけないよう大事そうに胸元へ抱える。先ほどまでの尊大な態度はどこへやら。その姿だけを見れば、新刊を心待ちにしていた普通の少女と何ら変わらない。

「俺もその気持ち分かりますよ。好きな作品の最新刊が出るまでって、本当に待ち遠しいですからね」
「フンッ! 人間如きに妾の気持ちが分かってたまるかっ」
「あはは......すみません」

 どうやら共感の仕方を間違えたらしい。

「えっと......お会計でよろしいですか?」
「いや、待ってくれ。今日は他の本も買いに来たんじゃ」
「あ、分かりました。じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
「ウム」

 ラヴィアは満足そうに頷くと、新刊を抱えたまま店内の本棚へ向かっていった。その後ろ姿を見送りながら、祐介はカウンターに置かれた椅子へ腰を下ろす。ラヴィアは、この店が異世界で営業するようになってからの常連客だ。
 しかも、ほとんど毎回と言っていいほど一番最初に店へやってくる。
 以前本人から聞いた話によると、この辺り一帯を治めている、かなり高位のドラゴンらしい。
 ――とはいえ。

「ムム......これは複合物アンソロジーか。途中から買うのはよろしくないのう......」

 漫画が並ぶ本棚の前でしゃがみ込み、真剣な表情で背表紙を眺めている姿を見る。祐介にはどうしても、高位のドラゴンには見えなかった。
 こうして見ると、ラブコメが大好きなただの女の子なんだけどな。
 もっとも、それを本人に言ったらどうなるか分からないので、口にはしない。
 ――しばらくして。

「なあ、ユースケ」

 本棚の向こうから、ひょこっとラヴィアが顔を出した。

「はい、なんでしょう?」
「少しよいか?」
「もちろんです」
「お主のおすすめを教えてくれんか」
「俺のおすすめですか?」

 祐介は椅子から立ち上がり、腕を組んで考える。

「そうですね......ラヴィアさんの好みなら......」

 頭の中でいくつか候補を思い浮かべていると、不意に一冊のタイトルが浮かんだ。「あっ」と言葉を漏らすと、祐介はライトノベルコーナーの本棚へ向かい上段に並べられた本へ手を伸ばす。

「これなんてどうですか?」

 取り出した一冊をラヴィアへ見せた。

「『俺の青春に満ちたラブコメはまだ終わってはいない』って作品なんですけど」
「......長いのう」

 ラヴィアは表紙を見るなり、率直な感想を口にした。

「妾が買っておる本よりも、ずいぶんと長い名前じゃ」
「まあ、ラブコメだと長いタイトルも珍しくないですからね」
「そういうものなのか?」
「そういうものです」

 祐介は妙に自信ありげに頷く。

「それに、これは俺の世界では名作中の名作です。王道ラブコメが好きなら、かなりおすすめですよ」
「ほう......そこまで言うか」

 興味を持ったのか、祐介から本を受け取ると、ラヴィアは棚を見上げ――少しだけ目を細める。先ほど祐介が本を取ったのは本棚のかなり上の段だった。

「なるほどのう」
「はい?」
「妾はてっきり、お主が嫌がらせをしておるのかと思ったぞ」
「え?」

 一瞬、何を言われているのか分からず、祐介は首を傾げた。ラヴィアは無言のまま、すっと本棚の上段を指差す。そこでようやく祐介も気がついた。
 少女の姿をしているラヴィアは、かなり小柄だ。
 祐介なら少し腕を伸ばすだけで届く高さでも、彼女では到底手が届かない。

「よりにもよって、妾の手が届かぬ場所にある本を勧めるとはなあ?」
「ち、違います! そんなつもりじゃないですって!」
「ほう? では、妾の背が低いことを忘れておったと?」
「それはそれで言い方が......!」

 祐介が慌てて弁明すると、ラヴィアは数秒ほど澄ました顔を保ったあと――。

「あっはっは! 冗談じゃ冗談」
「もう......勘弁してくださいよ」

 祐介は大きく息を吐く。
 高位のドラゴンだろうと、背が低いことには思うところがあるらしい......いや、自分から冗談にしているあたり、本当に気にしているのかは怪しいけど。

「では、これを一冊と先ほどの新刊も頂こうかのう」
「はい。ありがとうございます」

 ラヴィアは選んだ二冊を祐介へ差し出す。

「では、お会計しますので、こちらへどうぞ」

 二人はレジカウンターへ戻った。
 この店にはレジが二つあって、一つは昼間の営業で使う、こっちの世界用のレジ。そしてもう一つ。カウンターの端に置かれている、木箱のような少し変わった形のレジが、異世界での営業専用だ。
 当然ながら、この世界で日本円は使えない。
 逆に、こちらの世界で使われている硬貨を日本のレジへ入れるわけにもいかない。そのため異世界で営業を始めた際に、いつの間にかこの専用レジが用意されていた。
 詳しい仕組みは、祐介にも分からない。おそらく魔法とか、そういうものなのだろう。
 最近は考えることを諦めていた。

「二冊合わせて、銅貨十四枚になります」
「ウム」

 ラヴィアは腰に下げていた小さな革袋を取り出す。
 ちゃり、と乾いた音を立てながら、カウンターの上へ銅色の硬貨が並べられていった。この世界で使われている通貨は、大きく分けて金貨、銀貨、銅貨の三種類。物価は多少違うものの、話を聞く限りでは銅貨一枚が日本円でおよそ百円ほどだ。

「一、二、三......はい。ちょうどですね」

 代金を確認してから、祐介は二冊の本へ丁寧にブックカバーを掛ける。
 最後に紙袋へ入れ、ラヴィアへ差し出した。

「お待たせしました。いつもご利用ありがとうございます」
「ウム。大儀であった」

 満足そうに紙袋を受け取ったラヴィアだったが、店を出ようとして、ふと足を止めた。

「そうじゃ」

 振り返り、店内を見回す。

「結界の調子はどうかのう?」
「結界ですか?」

 祐介はスタッフ専用扉に目を向ける。

「今のところは全然問題ないです。正常に作動している......と思います」

 正直、俺には魔法の類は分からない。異世界へと渡っているのは、この建物すべてではなく、正確には書店として使われている一階部分、このフロアだけだ。カウンターの隣奥にある階段を上がれば、そこから先は祐介たち家族が暮らす住居スペース。
 そこは今も変わらず、日本に繋がっている。
 一階だけが異世界で、二階から上は地球。
 改めて考えると、どういう構造になっているのか祐介にもさっぱり分からない。
 そしてもう一つ。この店が異世界側からどのように見えているのかも、祐介は知らなかった。ただ、何かの拍子に魔物が突っ込んできたり、戦闘に巻き込まれたりしないよう、店の周囲にはラヴィアが強力な結界を張ってくれている。
 本人曰く、『妾の結界を破れる者など、そうはおらん』とのことだった。

「問題があれば、すぐ妾に言うのじゃぞ」
「はい。その時はお願いします」
「ウム」

 ラヴィアは満足そうに頷き、再びフードを深く被った。

「では、また来る」
「はい。またのご来店、お待ちしています」

 カラン。ベルの音とともに、ラヴィアは異世界へと帰っていった。その小さな背中を見送った祐介は、静かになった店内でぽつりと呟く。

「......ドラゴンが、ラブコメの新刊を一番乗りで買いに来る時代だもんなぁ」

 もう慣れたつもりではいる。それでも時々思う。この店の地球で言う夜間営業は、やっぱり少し変わっている。
 祐介が椅子に腰を下ろす。その数秒後には、カラン、と再び扉を開けるベルの音が店内に鳴り響いた。祐介は腰を上げ元気よく挨拶をする。

「いらっしゃいませ。異世界の書店へようこそ!」
あとがきゆずきあすか
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2冊目 エルフさん、絵本を買いに来る。
ドラゴンさん、本を買いに来る。作者:ゆずきあすか
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1冊目 ドラゴンさん、ラノベを買いに来る。

 ここは町の片隅にひっそりと佇む、小さな個人書店。
 店先には少し色褪せた看板と、何年も使われている古びたのぼりが立っている。自動ドアなんて洒落たものはない。ガラス張りの引き戸を開ければ、カラン、と小さなベルが鳴る。
 店内には文庫本や漫画、雑誌に児童書。決して広くない売り場に、背の高い本棚が所狭しと並んでいた。
 普段から客の出入りはそれほど多く、今どき本だけを売っていて商売が成り立つほど甘くはなかった。
 そのため、この店の主な収入源は本ではなく、近隣の企業や学校へコピー用紙や文房具、事務用品などを卸すことで、どうにか店を維持している。だから昼間だけを見れば、どこにでもある――いや、むしろいつ閉店してもおかしくない、時代に取り残された町の本屋だった。
 ただ、この店には、店主だけが知る秘密がある。
 ――夜七時前。

「......今日もお疲れさまでした」

 労いの言葉と共に、店の入り口に掛けられていた札を『営業中』から『閉店』へとひっくり返す。カチリ、と鍵を掛け、町の本屋としての営業は、これでおしまい。
 けれど――この店の一日は、まだ終わらない。時計の短針が七を、長針が十二を指した、その瞬間。
 店内の照明が、一度だけ小さく明滅した。
 窓の外に見えていたはずの住宅街が、ゆっくりと闇に溶けていく。

 代わりに現れたのは、石畳の道。木と石で造られた見慣れない建物。遠くには巨大な城壁がそびえ、そのさらに向こうには二つの月が夜空に浮かんでいた。日本にあったはずの小さな書店は、夜七時から翌朝三時までの八時間だけは――。

 ――異世界で営業を始める。

 ここを訪れる客は人間だけではない。尖った耳を持つエルフ。獣の耳と尻尾を揺らす獣人。ローブをまとった魔法使い。時には、人間の言葉を話す魔物までやってくる。
 そして......この店にはもう一人。毎週決まった日にやってくる、少し変わった常連客がいた。
 カラン、と小さなベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

 静かな店内に、若い男性店員『祐介ゆうすけの声が響く。
 ガラス張りの引き戸の向こうに立っていたのは、一人の少女だった。地面を引きずる長いコート、頭には大きなフード。目元まで隠れてしまうほど深く被っているせいで、その顔はほとんど見えない。

「......ウム」

 少女は短く返事をすると、フードの奥からちらりと顔を覗かせ、カウンターの方へ目を向けた。
 そして、そこに立っている人物を確認すると、ほんの少しだけ首を傾げる。

「今日も一番ですね、ラヴィアさん」
「なんじゃ、今日はお主だったか」
「はい、今日から大学が夏休みに入ったので。しばらくの間は俺が店番をすることになったんです」
「ダイガク......ああ、お主が通っとる学び舎か」

 ラヴィアは以前聞いた話を思い出したのか、納得したように小さく頷く。

「して、その『なつやすみ』とやらはなんじゃ?」
「簡単に言えば、長い休暇ですね。しばらく大学に行かなくていいんです」
「ほお......」

 フードの奥から、感心したような声が漏れる。

「それはさぞ嬉しかろう。会うたびに愚痴を漏らしておった、お主からすれば」
「あはは、そうですね。まあ......課題とかもありますけど」
「休みなのに課題があるのか?」
「あるんですよ、これが」
「......人間とは、妙なことをするものじゃな」

 心底不思議そうに言われ、店員は苦笑する。

「俺もそう思います」

 そんな他愛もない会話を交わしてから、ラヴィアは何かを思い出したように「おっと」と声を漏らした。

「まあ、そんなことよりもじゃ」

 ようやく彼女は、深々と被っていたフードに手を掛ける。
 するり、と外されたその下から現れたのは、肩が隠れるほどまで伸びた髪と――人間のものとは明らかに違う、長く尖った耳。さらに髪の隙間からは、その耳よりも幾分短い二本の角が覗いていた。
 ラヴィアは慣れた足取りでカウンターまで近づくと、どこか期待するような目で店員を見上げた。

「例のアレは、あるかのう?」
アレ、ですね」

 何を指しているのか、聞き返す必要すらなかった。
 ラヴィアが店を訪れる日は、いつも決まっている。そして、その目的も。

「もちろんです。ちゃんとご用意してありますよ」
「おおっ!」

 それまで落ち着いていたラヴィアの表情が、ぱっと明るくなる。コートで隠していたはずの長い尻尾も、嬉しそうに上下に揺れている。
 祐介はそんな彼女を見て小さく笑うと、カウンターの下へ手を伸ばした。

「どうぞ。『幼なじみはやっぱり勝てない!』の最新刊です」

 祐介が差し出した一冊を見た瞬間、ラヴィアの目が輝いた。

「これじゃ、これじゃ! これを手に入れるために、妾が何か月待ったことか......!」

 両手で本を受け取ると、表紙を傷つけないよう大事そうに胸元へ抱える。先ほどまでの尊大な態度はどこへやら。その姿だけを見れば、新刊を心待ちにしていた普通の少女と何ら変わらない。

「俺もその気持ち分かりますよ。好きな作品の最新刊が出るまでって、本当に待ち遠しいですからね」
「フンッ! 人間如きに妾の気持ちが分かってたまるかっ」
「あはは......すみません」

 どうやら共感の仕方を間違えたらしい。

「えっと......お会計でよろしいですか?」
「いや、待ってくれ。今日は他の本も買いに来たんじゃ」
「あ、分かりました。じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
「ウム」

 ラヴィアは満足そうに頷くと、新刊を抱えたまま店内の本棚へ向かっていった。その後ろ姿を見送りながら、祐介はカウンターに置かれた椅子へ腰を下ろす。ラヴィアは、この店が異世界で営業するようになってからの常連客だ。
 しかも、ほとんど毎回と言っていいほど一番最初に店へやってくる。
 以前本人から聞いた話によると、この辺り一帯を治めている、かなり高位のドラゴンらしい。
 ――とはいえ。

「ムム......これは複合物アンソロジーか。途中から買うのはよろしくないのう......」

 漫画が並ぶ本棚の前でしゃがみ込み、真剣な表情で背表紙を眺めている姿を見る。祐介にはどうしても、高位のドラゴンには見えなかった。
 こうして見ると、ラブコメが大好きなただの女の子なんだけどな。
 もっとも、それを本人に言ったらどうなるか分からないので、口にはしない。
 ――しばらくして。

「なあ、ユースケ」

 本棚の向こうから、ひょこっとラヴィアが顔を出した。

「はい、なんでしょう?」
「少しよいか?」
「もちろんです」
「お主のおすすめを教えてくれんか」
「俺のおすすめですか?」

 祐介は椅子から立ち上がり、腕を組んで考える。

「そうですね......ラヴィアさんの好みなら......」

 頭の中でいくつか候補を思い浮かべていると、不意に一冊のタイトルが浮かんだ。「あっ」と言葉を漏らすと、祐介はライトノベルコーナーの本棚へ向かい上段に並べられた本へ手を伸ばす。

「これなんてどうですか?」

 取り出した一冊をラヴィアへ見せた。

「『俺の青春に満ちたラブコメはまだ終わってはいない』って作品なんですけど」
「......長いのう」

 ラヴィアは表紙を見るなり、率直な感想を口にした。

「妾が買っておる本よりも、ずいぶんと長い名前じゃ」
「まあ、ラブコメだと長いタイトルも珍しくないですからね」
「そういうものなのか?」
「そういうものです」

 祐介は妙に自信ありげに頷く。

「それに、これは俺の世界では名作中の名作です。王道ラブコメが好きなら、かなりおすすめですよ」
「ほう......そこまで言うか」

 興味を持ったのか、祐介から本を受け取ると、ラヴィアは棚を見上げ――少しだけ目を細める。先ほど祐介が本を取ったのは本棚のかなり上の段だった。

「なるほどのう」
「はい?」
「妾はてっきり、お主が嫌がらせをしておるのかと思ったぞ」
「え?」

 一瞬、何を言われているのか分からず、祐介は首を傾げた。ラヴィアは無言のまま、すっと本棚の上段を指差す。そこでようやく祐介も気がついた。
 少女の姿をしているラヴィアは、かなり小柄だ。
 祐介なら少し腕を伸ばすだけで届く高さでも、彼女では到底手が届かない。

「よりにもよって、妾の手が届かぬ場所にある本を勧めるとはなあ?」
「ち、違います! そんなつもりじゃないですって!」
「ほう? では、妾の背が低いことを忘れておったと?」
「それはそれで言い方が......!」

 祐介が慌てて弁明すると、ラヴィアは数秒ほど澄ました顔を保ったあと――。

「あっはっは! 冗談じゃ冗談」
「もう......勘弁してくださいよ」

 祐介は大きく息を吐く。
 高位のドラゴンだろうと、背が低いことには思うところがあるらしい......いや、自分から冗談にしているあたり、本当に気にしているのかは怪しいけど。

「では、これを一冊と先ほどの新刊も頂こうかのう」
「はい。ありがとうございます」

 ラヴィアは選んだ二冊を祐介へ差し出す。

「では、お会計しますので、こちらへどうぞ」

 二人はレジカウンターへ戻った。
 この店にはレジが二つあって、一つは昼間の営業で使う、こっちの世界用のレジ。そしてもう一つ。カウンターの端に置かれている、木箱のような少し変わった形のレジが、異世界での営業専用だ。
 当然ながら、この世界で日本円は使えない。
 逆に、こちらの世界で使われている硬貨を日本のレジへ入れるわけにもいかない。そのため異世界で営業を始めた際に、いつの間にかこの専用レジが用意されていた。
 詳しい仕組みは、祐介にも分からない。おそらく魔法とか、そういうものなのだろう。
 最近は考えることを諦めていた。

「二冊合わせて、銅貨十四枚になります」
「ウム」

 ラヴィアは腰に下げていた小さな革袋を取り出す。
 ちゃり、と乾いた音を立てながら、カウンターの上へ銅色の硬貨が並べられていった。この世界で使われている通貨は、大きく分けて金貨、銀貨、銅貨の三種類。物価は多少違うものの、話を聞く限りでは銅貨一枚が日本円でおよそ百円ほどだ。

「一、二、三......はい。ちょうどですね」

 代金を確認してから、祐介は二冊の本へ丁寧にブックカバーを掛ける。
 最後に紙袋へ入れ、ラヴィアへ差し出した。

「お待たせしました。いつもご利用ありがとうございます」
「ウム。大儀であった」

 満足そうに紙袋を受け取ったラヴィアだったが、店を出ようとして、ふと足を止めた。

「そうじゃ」

 振り返り、店内を見回す。

「結界の調子はどうかのう?」
「結界ですか?」

 祐介はスタッフ専用扉に目を向ける。

「今のところは全然問題ないです。正常に作動している......と思います」

 正直、俺には魔法の類は分からない。異世界へと渡っているのは、この建物すべてではなく、正確には書店として使われている一階部分、このフロアだけだ。カウンターの隣奥にある階段を上がれば、そこから先は祐介たち家族が暮らす住居スペース。
 そこは今も変わらず、日本に繋がっている。
 一階だけが異世界で、二階から上は地球。
 改めて考えると、どういう構造になっているのか祐介にもさっぱり分からない。
 そしてもう一つ。この店が異世界側からどのように見えているのかも、祐介は知らなかった。ただ、何かの拍子に魔物が突っ込んできたり、戦闘に巻き込まれたりしないよう、店の周囲にはラヴィアが強力な結界を張ってくれている。
 本人曰く、『妾の結界を破れる者など、そうはおらん』とのことだった。

「問題があれば、すぐ妾に言うのじゃぞ」
「はい。その時はお願いします」
「ウム」

 ラヴィアは満足そうに頷き、再びフードを深く被った。

「では、また来る」
「はい。またのご来店、お待ちしています」

 カラン。ベルの音とともに、ラヴィアは異世界へと帰っていった。その小さな背中を見送った祐介は、静かになった店内でぽつりと呟く。

「......ドラゴンが、ラブコメの新刊を一番乗りで買いに来る時代だもんなぁ」

 もう慣れたつもりではいる。それでも時々思う。この店の地球で言う夜間営業は、やっぱり少し変わっている。
 祐介が椅子に腰を下ろす。その数秒後には、カラン、と再び扉を開けるベルの音が店内に鳴り響いた。祐介は腰を上げ元気よく挨拶をする。

「いらっしゃいませ。異世界の書店へようこそ!」
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