第14話 図書館
春先のある日 幾三郎君は 県立図書館にいた。
幾三郎君は 描きたい時に美術院に行くし 郁二郎兄さんも 当直やら何やらで不規則な勤務。あまり曜日感覚のない長谷浦兄弟の生活だけど その日は たまたま土曜日だった。
午前中 美術院で授業を受けた後 幾三郎君は六ヶ杜を少し歩いて レンガ造りの端正な建物へ。
場所は ボクが知ってる県立図書館と同じ場所。ボクの時代は鉄筋コンクリートにタイル張りの3階建てだけど この時代はレンガ造りの2階建て。木製の大きく重い扉を開けて 中へと入る。
薄暗い玄関ホールには 濃紅色の絨毯が敷き詰められ 入り口横手に受付が。
幾三郎君は 受付の女性に3銭の閲覧料を払う。半年以上この街で暮らし ボクも だいぶお金の感覚が分かってきた。3銭っていうと大金っていう程じゃない。イメージとしては300円くらいかな? とりあえず図書館使うのに お金を払わなきゃいけないらしい......公立なのに。
受付に貼られたプレートを見ると値段が高い〈特別閲覧室〉っていうのもあるらしい。電車のグリーン車みたいな感じで 内装が豪華だったりするのかな? それとも〈特別閲覧室〉じゃないと読めない本とかあるんだろうか? なんにせよ 幾三郎君が払ったのは 普通の閲覧料金。
よくプレートを見ると〈年間閲覧券〉っていう表示もある。
......図書館の年パス。
遊園地?とか思っちゃうけど この頃の図書館って娯楽施設だったんだろうか? 館内は 笑い声どころか 咳払いさえ許されない様な厳粛な静寂に包まれているんだけど。
幾三郎君は 肩掛け鞄からノートを取り出し午前の授業で聞いた本の題名と著者名をヒントに 壁際に立てられた 小さな引き出しの沢山付いた箪笥を開けて 中に仕舞われたカードを1枚1枚確認してる。どうやら カードに お目当ての本の収蔵場所が書かれてるらしい。
あちこちの引き出しから 3枚のカードを取り出し カウンターの男性司書に手渡す。
黒縁眼鏡の司書は カードの表記を確かめ 奥の書庫へと向かう。
閉架が中心で 開架が殆んど無い感じは 古い大学図書館とかの雰囲気。ボクの通う大学の図書館は違うけど ボクの彼女の大学の図書館は こんな感じだった。
戻って来た司書さんから 分厚い本を3冊受け取ると 幾三郎君は閲覧室へ。
そこで ボクは 眼を疑う光景を目にする。
〈閲覧室〉とプレートの貼られた部屋。
そして 廊下の向こうに見える〈女子閲覧室〉とプレートの貼られた部屋。
え?〈女子閲覧室〉?
本読むのに 男女分ける必要ある?
風呂やトイレじゃあるまいし......。
強烈な違和感を感じるボクの意識など お構い無しに男子閲覧室へと入っていく幾三郎君。
薄手のカーテンが吊られた 明るい室内。
大型のテーブルに肘掛け椅子。
ボクのイメージで言うと自習室。
まぁ 図書館っぽいと言えば図書館っぽい場所。
そのテーブルの1つを占拠して 幾三郎君は借り出した3冊の本を広げ 鞄からノートを取り出す。そして 筆箱から 鉛筆を取り出すと 猛烈な勢いで書き写しはじめた。......そりゃそうだよな。コピー機なんて無いんだもんな。必要な資料は 図書館で借りて筆記。
日が ゆっくりと傾いていき 閉館を予告するベルを持った係員さんが閲覧室を巡回し始める。幾三郎君は 残り数ページを脳裏に刻み付けるように何度か読み返すと本を閉じ 立ち上がる。
閉館間際の返却カウンター前には小さな列。
2人前に並んだ分厚い洋書を抱えた 女性のうなじに 幾三郎君の視線が止まる。ん? 誰だろう ボクも見覚えがある気がする。20代後半とおぼしき 和装の女性。本を返却し終わった 彼女が こちらを向く。視線が交差する。
「あ。もしかして スケッチブックの画学生さん?」
長そうな黒髪を左のお団子に纏めた女性。そう。見覚えがある。いつも幾三郎君が仕送りを受け取りに行く銀行のタイピストの女性だ。
「時々 うちの銀行に来て あたしのこと描いてるでしょ?」
「手の動き方が とても美しいので。それに 目から 鼻筋にかけての線も魅力的です」
「ふーん。目から鼻ねぇ......」
そう言いながら 軽く鼻筋に触れるタイピストさん。いつものことながら 幾三郎君の女性の魅力を見る目は確か。スッとした鼻筋が魅力的な細面。細い切れ長の一重瞼は なんだか聡明そうな印象。
「あたしみたいな年増なんか描いちゃって モデルさんに困ってるの?」
20代後半くらいの外見だけど 年増って......。いや 結婚とかも早かった時代だし 20代後半って 既に年増認定だったのかも。すごく肌の感じも綺麗な美人さんだけど。
「美しい人は 何度でも描きたくなります」
「あら 上手いこと言うのね。もし困ってるのなら お休みの日に モデルになってあげましょっか? 貧乏画学生さん?」
ツンと澄ましたような表情を作ったあと タイピストさんは 自分で小さく吹き出し 人懐っこい笑みを幾三郎君に向けたのだった......。
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