第13話 正金銀行
毎月15日 幾三郎君は決まって光岡正金銀行へと足を運ぶ。
光岡本町のレンガ作りの立派な建物。
よく考えるとボクらの時代も この場所には銀行が建ってた気がする。
ボクも口座を持ってるメガバンク。
まぁ ボクは お金を下ろすってなったら そこらのコンビニのATMに寄るんだけど この時代の幾三郎君は実家からの仕送りを受け取りに本町まで足を運ぶ。
通帳は ボクらの時代と似たようなサイズ。
だけど 中身は手書き。1回手続きしてもらう毎に 銀行の人の判子が押されてる。銀行の窓口に通帳を出して 手続きしてもらって お金と一緒に却ってくる。仕組みは一緒だけど 全部手書きで作業が進むから 時間がもの凄く掛かる。
コンピューターで全部処理するボクらの時代でも けっこう待たされるあの時間。その比じゃない長い時間を 例によってデッサンして過ごす幾三郎君。
銀行の中の景色にボクも慣れてきた。
ボクらの時代だと 銀行の標準装備のカウンター。それは この時代もある。ボクにとっては アクリル板が標準だけど この光岡正金銀行のカウンターは木製。窓口の部分は開口部になっていて その上 アクリルの透明板になってる部分が アールヌーボー調の透かし彫り。建物の中も 蛍光灯の光で明るいイメージとは 全然違う。凄く高い天井で ダンスホールみたいな広い空間。たぶん 高い明かり取り窓で 室内の採光をしてるんだろうけど ボクの感覚で言うと薄暗い感じ。
その中で 銀行員さん達が黙々と働いている。
窓口の銀行員さん達は 背広姿。
女性行員さんの姿も少し見える。
こちらは 洋服だったり着物姿だったり。
制服じゃないみたい。
幾三郎君が 描くのは 決まって 少し奥の方の席に座った20代ぐらいの女性。事務机に向かって リズムよくタイプライターのキーボードを叩き続けている。
その姿を 同じような素早いリズムで 画帳に描き留めていく。
デッサンの上の書き込みは『参月拾伍日 正金銀行之タイピスト』。
毎月 だいたい3枚ほど描いたところで 窓口に呼び出される。
お金を受け取った幾三郎君は バスに乗って美術院へ。
春の麗らかな陽気の中をバスは ゆっくりと走る。
幾三郎君が帝展に向けて制作中の『藤浜埠頭』は だいぶ形になってきた。
写生旅行でスケッチした藤浜港に停泊する外洋船。
その外洋船を主線を使わずに印象派風のグラデーションで描ききった。
幾三郎君の指導教官の窪田先生は『朦朧体か......』って言ってた。そう言や明治中期ぐらいに西洋絵画の影響を受けて日本画に入った技法だったハズ。これについては 幾三郎君は先生と話し合ってお互いに納得して使ってる。
秋の海 遥か異国へと旅立つ外洋船。
人は描かれてないけど 物語のある いい作品だと思う。長谷浦 城隍のパリ留学前の最高傑作。......当時の評価としては。
この作品は 帝展出品に向けて準備されたんだけど この年の帝展は関東大震災の影響で中止に。結局 光岡で催された小さな展覧会に出品される。その時 その展覧会を主宰した光岡侯爵家の当主に絶賛されるんだ。それがきっかけになり 光岡侯爵家の支援を受けた城隍は 念願のパリ留学を果たす。地方出身画家のサクセスストーリー。
......ところが 5年間の留学を経て 帰国した城隍は別人になってた。
師匠である窪田 静波と決別し 画壇とも決別し 官展への猛烈な批判者として登場する。生活も苦しく 絵も暗い 陰惨な時期。パリ時代に何があったのか? これが 城隍研究の基本のテーマ。でも〈何も無かった〉っていうのが 基本の結論。もちろん 当時のパリの前衛的な芸術に触れ 様々な画家や芸術家と交流を持ったらしい。だけど パリ時代の絵は〈暗く〉は無い。絵が暗くなるのは 日本に帰ってきてから。そこに 戦前 戦中の日本の世相を見るっていう様な研究もあるけど 決定的な証拠はない。
ボクが追ってる『しのぶ』の謎と 城隍の変貌。
2つの謎を繋ぐ 糸はあるのか? ないのか?
これまでにボクが見た裸婦像は 稲ちゃんを描いた『女給』。そして 美寿々さんを描いた『モガ』。あと何枚の裸婦像を見るんだろう?
未だ見ぬ『タイピスト』『女学生』......そして『しのぶ』。
光岡美術院の制作室の床に広げられ ほぼ完成した『藤浜埠頭』を見ながら ボクはそんなことを考えたのだった......。
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