第10話 純喫茶
11月の上旬。
実家からの仕送りを受け取りに本町通りの三岡正金銀行へと向かう。
受け取りの手続きの間 幾三郎君は カウンターの奥でタイプライターを操作する女性を 例によってスケッチブックに 勢いのある筆致で写し取っていた。
確か『タイピスト』って作品もあったハズだけど ......。
旅行資金を手に入れた幾三郎君は光岡の駅から鉄道に乗って 藤浜へと向かった。ボクが高校時代 毎日通った路線を蒸気機関車で2時間ほどかけて旅した。
そして 藤浜の港に2週間通いつめて かなりの枚数のスケッチとデッサンを描いた。画帳にスケッチが埋まっていってる時から このスケッチ達が『藤浜埠頭』に結実していくことをボクは知っていた。城隍が官展に出品した最後の作品。
これに幾三郎君は大苦戦した。幾三郎君は徹底的に写生であろうとするんだけど 指導教官は「絵画には物語が必要だ」って言って 構図の中に人物なんかを入れることを 勧めてくる。これが気に入らない。「無いものは描けない」って怒ってる。
でも 幾三郎君の習作見たけど 確かにあんまり面白くない。
裸婦像のシリーズも この後の城隍の作品も 確かに徹底的に写実的なんだけど 余白とか仕草なんかに〈物語〉があって そこが魅力だと思うんだけど ......。
この間の稲ちゃんの絵だって 小豆色だった着物をミモザに変更してたのに こと風景画ってなると『ガチガチの写生』に固執してる感じ。
どっちかってゆーと 芸術論云々より 指導教官との相性の問題なんじゃないかな?
光岡藝術院時代の指導教官は〈窪田 静波〉。
ボクらの時代じゃ忘れられた作家で 一部の美術に詳しい人間の間では「長谷浦 城隍の才能を見抜けなかった男」として知られてる感じ。
幾三郎君は『純粋絵画』ってのに拘ってる。
指導教官の言うこと聞きたくないための理論武装用に 上っ面だけ勉強してるのかなって思ったら けっこう色んな雑誌読み漁って 本格的に学んでるっぽい。
〈何かのための絵画〉じゃなく〈絵画のための絵画〉みたいな話なんだけど......。
21世紀人のボクからすると そーゆー区別って百年後には崩壊してるし なんなら この時期 ヨーロッパじゃダダとか出てきてるハズ......とか思うけど 幾三郎君達は 口角泡を飛ばして 侃々諤々。
今宵も 弁天町の〈純喫茶 ノエル〉って店で コーヒー飲みながら果てるともない議論を交わしている。
「ちょっと 頭を冷して来るッ!」
議論の相手は 机をドンッと叩いて 店を出て行く。幾三郎君もドッカと腰をおろして 少し荒い息。そして おもむろに画帳を取り出して写生を始める。
この〈ノエル〉ってお店は 戦争を乗り越え 僕の時代にも残ってる。大正浪漫が味わえる喫茶店として ガイドブックに載ったりもしてる。ボクも前に彼女と来たことある けっこう有名なお店。
洋館風のシックな内装の喫茶店。ビクトリア朝風の装飾過剰気味の木彫柱や窓枠が この頃の感覚で言うとモダンって感じなんだろうな。ウエイトレスさんも灰色のグレンチェックの詰襟ワンピースに腰下のエプロン。頭には白のフリルカチューシャ。ボクらが来たときは この100年前の制服姿でレトロ感を楽しんだんだけど 幾三郎君達の感覚としては 流行最先端のファッションのハズ。
お店に来てるお客さんも 幾三郎君みたいな書生スタイルの若者より スーツ姿の人が多い。今 幾三郎君がデッサンしてる女性も オレンジベージュのスカートスーツに同じ色のレース付きのボウラーハット。細巻きの長い葉巻を燻らせ 窓の方を眺めている。この時代 喫煙率は高くて テーブルには灰皿が常備されてるイメージ。幸い幾三郎君は吸わないけど 換気扇もない 狭い喫茶店全体に 靄のように紫雲が漂う。その中 気怠げに脚を組んで座るスタイルのいい女性。 スッと伸びた脚のラインが綺麗だ。足先には スーツと同じ色のパンプス。
幾三郎君の視線に気づいて 女性はこっちへと視線を返す。少し微笑み返してくれてる気もするけど 幾三郎君は 気づいてか気づかなくてか 手を止めることもなく デッサンを続ける。女性は 気を悪くしたのか ウエイターを呼び 勘定を済ませるとスッと立ち上がり店を出て行った。
2週間ほど経ったある日。
この日は 朝から雪。
夕刻 幾三郎君はノエルに顔を出すけど 友人は まだみたい。
例によって 画帳を取り出し 店内のスケッチを始める。
すると 入り口の扉が開き 黒革のロングブーツに 白いモフモフのケープの女性。この時代 フェイクファーは無さそうだから たぶん本物の毛皮。白いフェルトのベレー。今回もレース付き。
そう。この間のお洒落な女性が 店へと入って来た。
コツコツとフローリングの床を歩くと 前回と同じ窓際の席へ。
今日も長い脚を組んで座ると バッグから筆箱みたいなサイズの赤いエナメル塗りの箱を取り出し 中から細巻きの葉巻を指に挟む。そして先っぽをナイフでサッと切り落とす。オイルライターで火を着け美味しそうに紫煙を吸い込み フーッと吐く。あれが噂に聞く煙草入れってヤツだな。初めて見た。そういえばライター使ってる人も初めて見たかも。みんな煙草は吸うけど マッチで点火けてる。
幾三郎君は そんな彼女の煙草を燻らせる姿を 粗いタッチで画帳に収める。題名は〈拾弐月八日 純喫茶乃モガ〉。彼女は 鉛筆を走らせる幾三郎君のことを見咎めるような視線を送ってくる。だけど もちろん そんなことで怯む幾三郎君じゃあない。気にせず鉛筆を動かし続け 鋭い視線を送る彼女の目許だけを ミニスケッチに残し始める。
と 彼女は席を立ち 幾三郎君の向かいの席に座り直す。
「この間から 何を描いてるのかしら? 人をモデルにするのであれば 一言 声を掛けるのが礼儀じゃなくって?」
流石の幾三郎君も手を止め 相手を見つめる。
年の頃は 24~25ってとこだろうか。
スッと鼻筋の通った面長の美人。
マッシュルームっぽいボブヘアー。
ショートヘアの女性って珍しい気がする。
しっかり入ったアイシャドウとリップ。チークやファンデもバッチリ。
服装も そうだけど スゴくお洒落な人みたい。
「美しいモノは 人類の共有財産であるべきです」
それはそうかもだけど 肖像権のハナシとは別で 論点のすり替えじゃあ?って思うけどお姉さんは 面白いと思ったみたい。
「美術院の学生さんでしょう? この間も なんだか 小難しい議論をしてらっしゃったわね。モンマルトル気取り?」
「僕達は もう少しモダンでありたいんです。モンパルナス気取りと言ってもらいたいですね」
「モンマルトルではないの?」
「今 巴里で真に前衛的な画家達は モンマルトルを離れ モンパルナスにいるそうですから」
モンマルトルが印象派でモンパルナスがピカソだったっけ? 習った気もするけど うろ覚え。幾三郎君 よくそんなこと知ってるよな......。
「僕は 日本画家ですが 僕は 日本画を世界の先端に互する水準に引き上げたい」
「大言壮語するのね」
「そうかも知れません。所詮 光岡の片田舎で気炎を上げてるだけですから......」
「でも そういう感じ嫌いじゃないわよ......」
.........。
......。
...。